2009年11月10日 (火)

沖縄に連帯して

11月8日、沖縄では普天間基地県内移設に反対して、2万1千人の人々が集まった。この日、沖縄だけでなく日本の各地で沖縄に連帯して集会が開かれた。基地に苦しむ人々は、先の衆議院選挙でもすべて、反対を主張した議員を選出している。嘉手納への統合も辺野古への移設も反対だと大集会を開いている。これ以上の沖縄の民意があるだろうか。

ここ高知では、沖縄に関して、集会のひとつもない。仮に、移設の候補地に高知が挙げられるとしたら、たくさんの人が反対するだろう。米軍の基地など、どこにも要らないのだ。沖縄の人々の苦しみを、よそごととしてはならないはずである。生まれた地が違っていたら、もしかしら自分のことであったかもしれないのだ。

高知でも沖縄に連帯し、日本の国民として、基地は要らない、普天間は閉鎖せよ、沖縄の土地は沖縄県民に返せ!と声を上げたい。反対の声を組織するものが、どこにもないのが悲しい。ならば、ひとりで集会?ひとりでデモ?でもしてみるか。一人はさみしい、3人ぐらい集めてデモの許可願いを出してみるか・・・

mm記

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2009年11月 9日 (月)

普天間緊急署名

平和と民主主義をめざす全国交歓会(全交)が「沖縄・普天間基地即時閉鎖! 名護・辺野古新基地建設中止を求める緊急署名」を始めています。第1次集約は11月27日とのこと。是非普及してください。
なお、署名用紙は全交のホームページ
http://www.zenko-peace.com/
あるいは、署名用紙のページ
http://www.zenko-peace.com/_userdata/futenmashomei.pdf
からダウンロードできます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

沖縄・普天間基地即時閉鎖! 
名護・辺野古新基地建設中止を求める
緊 急 署 名

内閣総理大臣 鳩山 由紀夫 殿
【要請趣旨】
◆米軍普天間基地は、沖縄宜野湾市の中心地に位置し、2004年8月には同基地に隣接する沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落するという重大事故が発生した。住民の命を危機に陥れるこのような惨事を繰り返させてはならない。

◆日本政府は、2004年6月ジュネーブ条約を批准した。同条約第1追加議定書58条には「人口稠密地域の内部または付近での軍事目標の設置回避」が定められている。また、1996年日米両政府は「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」において「5~7年以内の普天間基地返還」を合意している。日本政府はこれを履行する義務を負っている。

◆民主党は、先の衆議院選挙において「普天間基地の県外移設」を訴えてきた。しかし、連立政権を発足するに至り、連立政権政策合意書では「沖縄県民の負担軽減の観点から…米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直し」とその主張を曖昧にした。のような二枚舌は許されない。

◆沖縄県民の意思は明確だ。嘉手納基地への統合や名護市辺野古新基地建設など県内移設を明確に拒否している。また、その他の国内への基地移設を受け入れる自治体はない。

以下、要請する。

【要請事項】
1.沖縄普天間基地の即時閉鎖・撤去を、アメリカ政府に要求すること。
2.名護市辺野古の新基地建設計画を撤回し断念すること。
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5名分署名欄

---------------------
●平和と民主主義をめざす全国交歓会(全交)
【連絡先】 〒162-0815東京都新宿区筑土八幡町2-21-301なか      
  TEL 03(3267)0156 FAX 03(3267)0158
      〒543-0014大阪府大阪市天王寺区玉造元町2-31
              ヤマオカビル302 全交大阪事務所
  TEL 06(6762)0996 FAX 06(6762)0997

●取扱団体 [                    ]

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2009年11月 7日 (土)

プルサーマル起動 難問山積

玄海原発・プルサーマル起動 「切り札」難問山積
 <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>

 ウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)燃料を使う国内初の「プルサーマル発電」の試運転が5日、九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)で始まった。週明けには発電が始まる見通しだ。政府や電力業界はプルサーマルを地球温暖化対策の一環として原発を推進する「切り札」と位置付けるが、燃料の破損など安全性への懸念や「後始末」の課題も残る。相次ぐトラブルでほころびの目立つ「核燃料サイクル」は立て直せるのか。先行きは不透明だ。【山田大輔、関谷俊介、柳原美砂子】

 ◇「温暖化対策」安全性懸念も
 プルサーマル起動を受け、経済産業省の近藤洋介政務官は5日、記者団に「日本の原子力の発展、エネルギーの安定供給にとって意義ある大きな一歩だ」と述べた。資源小国・日本が原子力政策の根幹にすえてきた「核燃料サイクル」は大きな節目を迎えた。

 国内の温室効果ガス排出量は増加傾向が続き、07年度は90年度に比べ9%増えた。20年の温室効果ガス排出量を90年比で25%削減する目標を掲げる民主党は、発電時にほとんど二酸化炭素(CO2)を出さない原子力発電を温暖化対策の切り札と位置づけている。

 直嶋正行経産相は10月2日、九電が提出した川内(せんだい)原発3号機(鹿児島県薩摩川内市)増設計画に伴う環境影響評価準備書に対し、CO2排出抑制のため、原発の最大限の活用を図ることを盛り込んだ勧告を出した。温暖化対策への活用が盛り込まれたのは初めて。新政権の原発推進姿勢を鮮明に表したものだった。とはいえ、鳩山政権も一枚岩ではない。脱原発を掲げる社民党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は「25%削減達成のために原発が切り札になるという共通認識は持っていない」と述べ、閣内対立が露呈した。

 鳩山政権の目標を下回る麻生政権の目標(90年比8%減)でも達成には20年までに原発9基の新増設が必要と試算されている。政府は「計画中の原発が15基あり、順調に着工、運転開始すれば可能」とみているが、地元の根強い反対もありあと10年で9基すら新増設するのは容易ではない。

 ◇愛媛・伊方原発「計画通り推進」--四国電力
 伊方原発3号機(愛媛県伊方町)で来年2月にプルサーマル発電を開始する予定の四国電力は「(九州電力が)開始した意義は大きい。当社も実施に向け計画通り進めたい」とコメントした。同県の山口道夫・原子力安全対策推進監は「事前了解をした県としては、玄海原発で着実に実績を積み重ねて安全に運転してほしい」と話していた。【栗田亨】

 ◇再処理・最終処分、先見えず
 「使用済みMOX燃料の処分先も決まっていない。見切り発車だ」。佐賀県では5日、市民団体などが玄海原発周辺や県庁で抗議行動を展開した。

 今回の始動は政府と電力会社が描く核燃料サイクルの輪の一つがようやく動き出したにすぎない。青森県六ケ所村に建設中の再処理工場では昨年、使用済み核燃料を一度溶かして不要な成分の高レベル放射性廃液をガラスで固める溶融炉が試験中に損傷。今年に入って、廃液約150リットルが建物内に漏れ出すなどトラブルが相次ぐ。運営する日本原燃は今年8月、14回目の完成延期を発表し、10年10月完成としたが、その後もクレーンの誤操作で廃液が漏れた。同村のMOX燃料工場(15年完成予定)も耐震性評価が長引き、今月中の着工は難しい。

 壁はまだある。高レベル放射性最終廃棄物を埋める最終処分場が決まらないのだ。国内53基の軽水炉で発生する使用済み核燃料のプルトニウムも増え続け、日本の保有量(28・2トン)は単純計算で長崎型原爆約5000発分。プルサーマル導入のペースも速い。最多のフランスが35年で21基だったのに対し、日本は15年度までの7年間で16~18基を計画する急ピッチぶりだ。

 核燃料サイクルの本来の狙いは、取り出したプルトニウムを高速増殖炉で再利用し、投入した以上のエネルギーを得ることだった。だが、その原型炉もんじゅ(福井県)は95年のナトリウム漏れ事故から停止したままだ。

 政府と電力業界は今年7月、今世紀後半に高速増殖炉が本格導入されるまで、MOX燃料のみを使う「フルMOX」軽水炉が全原発の28%を占めるとの将来見通しを発表した。建設中の電源開発大間原発(青森県)で14年11月にも「世界初のフルMOX発電」に乗り出す予定だが、いずれも経験のない対応が待ちかまえている。

「毎日JP」より転載

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使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すのは、高速増殖炉が稼動することが前提であった。しかし、すでにこの高速増殖炉は実現不可能である。多くの国は、再処理をせずに、使用済み燃料を処分しようとしている。

28トンものプルトニウムを持ってしまった日本は、なんとしてでも、これを使わなくてはならなくなってしまったのだ。余剰プルトニウムを持たないという、アメリカとの約束があるからである。

原発を作り続けMOX燃料を燃やし続けることは、解決できない問題を先送りしつづけることでしかない。これほど危険なものと引き換えに、二酸化炭素削減をしていくというのは大きな誤りである。電気の需要が満たせないというのであれば、現在の生産のありよう、経済構造、生活全般を見直していくことの方が先ではないか。死の危険と隣り合わせの物の豊かさを選択するほど、人間は愚かではないはずだ。

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2009年11月 2日 (月)

臨検特措法案に反対

緊急アピール】
 戦争を挑発する臨検特措法案に反対する市民の共同声明にご賛同下さい

   井上澄夫(埼玉県新座市、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
   加賀谷いそみ(秋田県男鹿市、男鹿の自然に学ぶ会)
   奥田恭子(愛媛県松山市、心に刻む集会・四国)
   廣崎リュウ(山口県下関市、下関のことばと行動をつなぐ
                                              『海』編集委員)
                  2009年11月1日

 私たちは全国のみなさんに、以下の「市民の共同声明」にされ、鳩山連立政権が国会に提出した「臨検特措法案」にともに反対することを呼びかけます。皆さんの署名は、鳩山首相と海上保安庁を管理する前原国土交通相に届けます。
ご賛同の要領は次のとおりです。 

◆賛同は個人・団体(グループ)を問いません。 
 ▼賛同者になっていただける場合は、大まかな在住の地(たとえば、神奈川県川崎市、兵庫県宍粟郡)をお知らせ下さい。 
 ▼団体(グループ)賛同の場合は所在地(たとえば、岐阜県大垣市)をお知らせ下さい。ただし名称に地名がついているときはその限りではありません。 

◆賛同の締めきりと連絡先  
 ▼今臨時国会の会期は、11月30日までです。ご賛同はそれまで受け付けます。ただし廃案になったときは、その時点で呼びかけを停止します。

 ● ご賛同表明の連絡先は次の通りです。
  rinkensosi@mbn.nifty.com

  ※ お名前・おおまかな住所、団体(グループ)名・所在地に加えて、必ず「声明に賛同します」とご明記下さい。なお上記メールアドレスはご賛同の連絡専用です。 

【ご協力のお願い】この共同声明にご賛同のみなさんにお願いします。このメールをみなさんのご友人やお知り合いの方々にご転送下さい。またご関係のメーリングリストやそれぞれのブログ、ホームページでご紹介下さい。どうか、よろしくお願いします。 
 ◆〔個人情報の保護について〕 賛同者や賛同団体のお名前をインターネット上で公表することはありません。ただし賛同件数については、声明提出後、賛同者と賛同団体の
みなさまに運動の経過とともに報告します。また賛同件数はインターネット上で公表します。  

  【戦争を挑発する臨検特措法案に反対する市民の共同声明】
  
 鳩山連立政権は10月30日、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と略す)に出入りする船舶の貨物を検査するためとして「国際連合安全保障理事会決議第1874号等を踏まえ我が国が実施する貨物検査等に関する特別措置法」(以下「臨検特措法案」と略す)を国会に提出した。

 法案は、麻生前政権が国会に提出した「北朝鮮特定貨物の検査等に関する特別措置法案」のタイトルを変え、自衛隊の関与の条項だけを削除したもので、それ以外は旧法案と寸分変わらない。
私たちは、以下のべる理由で、新たな「臨検特措法案」に強く反対する。

 「臨検特措法案」は、2000年に成立した「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律」(以下、周辺事態船舶検査法と略す)と比べても、極度に強権的で敵対的な臨検を許すものである。

周辺事態船舶検査法に基づく検査活動では、海上自衛隊が対象船舶を停止させ、船長等の承諾を得て乗船し、書類や積荷を検査できることになっているが、航路や目的港などの変更については船長等に「要請」あるいは「説得」をおこなうことができるにすぎない。

 
 ところが「臨検特措法案」では、海上保安庁が対象船舶を停止させ、「北朝鮮特定貨物」があることを確認したときは、その貨物の「提出」を命令し「保管」することができる。
そればかりか、船長などに日本の港およびその他の場所に「回航」することを「命ずる」ことさえできる。
 しかも船長などが「提出命令」に従わなかった場合は「2年以下の懲役又は100万円以下の罰金」に処せられ、「立入り、検査、収去若しくは貨物の陸揚げ若しくは積替えを拒み、妨げ、若しくは忌避し、又は質問に対し答弁をせず、若しくは虚偽の陳述を
した者」などには、「1年以下の懲役又は50万円以下の罰金」が科せられる。

  そもそも法案は、「北朝鮮特定貨物」を「国連決議により北朝鮮への輸出、北朝鮮からの輸入の禁止が決定された核関連、ミサイル関連その他の大量破壊兵器関連の物資、武器その他の物資であって政令で定めるもの」としているが、「その他の物資」は明確に規定されず、しかも「政令で定める」というのだから、これは海上保安庁による恣意的な拡大解釈を許す規定である。

法案は12条〔政令への委任〕で「この法律に定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な事項は、政令で定める。」としているが、これは国会の審議を経ることなく政府関係機関の独断専行を許す「政令政治」の典型である。
 法案はさらに大いに疑問とせざるを得ない条項を含んでいる。たとえば3条2項は「海上保安庁長官は、我が国の領海又は公海にある船舶が北朝鮮特定貨物を積載していると認めるに足りる相当な理由があるときは、海上保安官に、次に掲げる措置を
とらせることができる。」としているが、そこでいう「認めるに足りる相当な理由」は明示されていない。 
 「北朝鮮特定貨物を積載している」ことを、誰がどうやって「認める」のだろうか。それは詰まるところ、「北朝鮮特定貨物を積載している」とただ疑わしいから臨検するという事態をもたらすことにつながりかねない。

 この法案は実に危うい。国連安保理決議1874がすべての加盟国に対し「旗国の同意を得て公海上で船舶を検査すること」を「要請する」としているのは、臨検を義務づければ不測の事態が発生することを強く懸念しているからにほかならない。

北朝鮮の核開発は朝鮮戦争以来続いてきた米国との軍事的緊張がもたらしたものである。ところが日本政府はその事態の解決に努力しないどころか、米国政府とともに「北朝鮮の核の脅威」を煽り続け、東北アジアの政治的・軍事的緊張を著しく増幅させてきた。
その日本が北朝鮮に出入りする船舶を臨検することは、「船舶検査」が警察行動であるといかに強弁しようと、北朝鮮との一触即発の軍事的衝突を誘発しかねない危険な
火種になる。

 
 私たちは北朝鮮との緊張は、どこまでも外交努力によって解消すべきであると考える。いま求められているのは、何よりまず北朝鮮との国交正常化である。万事を交渉で解決できる正常な国交をもたず、恫喝的な臨検で戦争を挑発することなど断じてあってはならない。それは日本国憲法が掲げる絶対平和主義を正面から踏みにじることだ。

 私たちは「臨検特措法案」を鳩山連立政権がただちに取り下げることを強く要求する。

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2009年11月 1日 (日)

西谷文和 (終)

アフガン・イラクでの取材を振返って 09年10月分
2009年10月26日 17:46 nishitani |

10月24日の夜、無事に帰国。ギラギラとした直射日光を浴びて、「まだまだ暑いなー」と感じていたイラクからの帰国なので、「えらい寒いやん」と震える。裸足にサンダル、半袖シャツという夏のいでたちで関空に降り立てば、寒く感じるのも当たり前か。

ここで約20日間のアフガン&イラクを振り返っておきたい。
まずはアフガン。結論から言って、この時期にアフガンを訪れることができたのはラッキーだった。

まず①岡田外相がアフガンを電撃訪問し、その姿をカメラに収めることができた。インド洋での給油は、「百害あって一利なし」だと思う。サマワへの自衛隊派兵よりは「姿が見えないだけまし」かもしれないが、米軍へ協力するのは殺人者に手を貸すことであるから、絶対に即刻中止すべきである。
現政権は給油を中止し、民生支援に切り替えるべき、と考えている。ぜひ、避難民や病院、学校への支援を、これまで以上に展開してほしい。道路や上下水道の整備、病院の開設などで、近い将来、日本企業の姿が見えるようになってほしい。カブールに関して言えば、企業活動を再開しても大丈夫だと感じる。貧困状態、社会資本の不整備、役人の腐敗、貧富の格差の増大なども、テロを引き起こす要因であるから、その芽を早期に摘み取ることが必要だ。現地の人々は、米企業や中国企業ではなく、日本企業の参加を求めている。

②オバマにノーベル平和賞が出たこと。彼が平和賞を獲得した3日前に、ベドゥインの少女が焼かれている。全身やけどの痛みに耐える少女を見ていると、どんな理由をつけても賞を与えるべきではなかった、と感じる。「核廃絶を口にした」「平和賞を与えることでイランに攻撃させない」など、いろんな「解説」はあるが、「実際に人を殺している人物」に平和賞はないだろう。この戦争は現在進行形である。その意味では佐藤栄作の受賞より罪深い。

③ようやくアフガンの大統領選挙の結果が出て、決選投票になった。ハッキリいって何回投票しようが、カルザイが勝つだろう。アブドラに期待する声も少ない。しかし決選投票をしないことには、「不正選挙で大統領になった」ことになるので、やらざるを得ないのであろう。決選投票をすることで、また多額の予算が使われ、選挙に反対するタリバンは、投票に行く人々を殺すかもしれない。無駄なお金と命が浪費される。しかし国内の人々だけでなく、国際世論をも納得させるために決選投票ということになった。「政治ショー」だと思うが、ここまでこじれた以上仕方がないのかもしれない。

④本格的な冬が到来する直前に、援助物資を届けることができた。標高1800メートルのカブールの冬は半端ではない。夏は何とかしのげるが、問題は冬である。避難民キャンプには、おそらくタリバンとその内通者がいるだろう。だからといって援助物資を届けなければ、多くの人々が凍死する。ボスニアやコソボではすぐに国連が入り、「冬を越すための毛布や食料」が届けられていたが、ここアフガンでの国連の動きは鈍い。ボスニアはヨーロッパで肌の色が白く、アフガンはアジアでいろんな人種が混ざっているからだろうか?カブールには国連施設が一杯あって、職員で街があふれ、国連職員とISAF兵士が落とすドルで、ちょっとした「戦争景気」の様相を示している。そんなカブール中心街からわずか30分のキャンプに、なぜ援助物資が届かないのだろう。UNHCRは、UNICEFは、WFPはいったい何をしているのか?

今、パキスタンタリバンの活動が急激に活発化し、パキスタン全土にテロが拡大している。パキスタンタリバンとアフガンタリバンは「似たもの同士」のように感じる人も多いだろうが、実は全然違うのである。
アフガンタリバンはパキスタン政府の支援を受けて育ってきた。パキスタンタリバンはパキスタン政府の空爆で怒りを爆発させ、政府を狙ったテロを仕掛けている。同じタリバンであるからもちろん「アメリカへの憎しみ」は共通しているだろう。しかし、当面の戦う相手、裏で支援を受けている相手、が違う。

今回の取材で、そんな「入り組んだ関係」について理解を深めることができたのも収穫の一つだった。

ついで、イラクである。昨日バグダッドで大規模なテロがあり、百数十人の人々が犠牲になった。バグダッドは治安が安定しつつあるが、まだまだ戦争状態である。こんなテロが起こると、またまた復興のスピードが遅れる。劣化ウラン弾の被害者と思われる子どもたちへの支援も届きにくくなる。スレイマニアの避難民キャンプが一段落しているので、今後の援助を有効に届けようと思えば、バグダッドに入って、病院や孤児に直接支援することが必要であるが、①ビザがおりにくいことと②治安面で動きにくいことで、やはり支援を続けるのは困難な状態だ。

しかし、だからこそ支援しなければならないのだろう。アフガンの影に隠れて「イラクへの民生支援」がかすみがちだが、間違いなくイラクの人々も、日本の民生支援を待っている。次回は来年の1月になりそうだ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月31日 (土)

西谷文和 イラク取材(2)

スレイマニアがんセンターを訪問
2009年10月22日 23:37 nishitani |

10月22日、スレイマニアのがん専門病院へ。ここを訪問するのはこれで5回目になる。訪問するたびにがん患者が増えている。ベッドの数が足らないので、廊下で寝る人、うずくまる人、点滴を受けている人が続く。

小児病棟へ。多くの子どもが入院しているが、白血病と骨肉腫が多い。入院患者は2つに大別される。一つはハラブジャ周辺から。ハラブジャは1988年にフセインによる化学兵器で虐殺されたところで、20年以上たった今も、環境悪化により、がん患者が急増しているのだ。他方はキルクークとその周辺から。キルクークはこのイラク戦争で劣化ウラン弾をはじめとする大量の爆撃があったところなので、それによる環境悪化でがん患者が増えている。

写真のこどもはイラーフちゃん(3)。右目に腫瘍ができて摘出したばかり。顔が膨らんでいる子どもをバグダッドでも見たが、この子も異様な膨れ方をしている。
「ポイズン、ポイズン」と医師が言う。劣化ウラン弾の放射線によるものなのか、それとも大量に打ち込まれた弾薬による土壌汚染なのか。おそらくそのどれもが関係する「複合汚染」なのだろう、「患者の数は増える一方」だという。

3年前にここをはじめて訪れたときには、がんの治療薬にも不足する状態であったが、(DVD「戦場からの告発」で紹介しています)今は薬は足りているが、患者が急増して病院を拡張する必要があるとのことだった。
アフガンでもそうだが、ここイラクでも日本ができることは多い。

政権が交代し、「自衛隊がせっせと運んでいたのは米兵」だったことが明らかになった。イラク戦争6年間で自衛隊が使った税金は約1000億円。

このお金ががん患者に回っていれば、何人の命を救えただろう。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月30日 (金)

西谷文和 イラク取材(1)

想像を超えるモスルの戦争被害
2009年10月21日 13:19 nishitani

10月20日、タクシーを拾い、アルビルとモスルの州境へ。ここはクルド側(アルビル)とアラブ側(モスル)の事実上の国境で、パスポートチェックをはじめ、荷物検査、運転手のIDカードチェックなど、厳戒警備体制。モスルからのテロリストを防ぐ、という意味もある。

無事、モスル側へ抜ける。通訳のサウファンと運転手のマジードが待っている。半年振りの再会。
サウファンらと、あらかじめ打ち合わせしていたアリー君(16)の家へ。ここはモスル中心地からわずか20キロ、バルテッラーという街で、人口の大半がキリスト教徒。モスルが危険なのと、キリスト教徒への弾圧があるので、この街に避難する人が急増し、人口が急激に増えている。

アリー君は7人兄弟。1人はテロに巻き込まれて死に、3人は米軍の空爆で死んだ。
06年3月10日、米軍はアリー君の家とその周辺を空爆し、3人の兄弟をなくすとともに、彼は身体障害者になった。背骨に爆弾の破片が突き刺さっており、以来、下半身不随の寝たきり生活だ。
「米軍から何の謝罪も補償もない。俺たちは普通の市民だった。アルカイダではない。空爆後、モスルを捨ててこの街へ逃げてきた。タクシー運転手だったが、今は失業している。この家は借りている。近所の人も戦争被害者だ」と、父親のイブラヒームさん(46)。

アリー君の家で取材していると、「俺もやられた」「私の息子を見て」と近所の人々が集まってくる。
写真の少年、アハマド君(5)は明らかに鼻の発達異常である。母親が彼を身ごもっているとき(5年前)、最も米軍の空爆がひどい時期だった。おそらく劣化ウラン弾の被害ではないか?
「ウランって知っている?」と母親に聞くが、「ウランって聞いたことがない」との答え。
しかし「息子は戦争の結果、このような顔になったと思うか?」との質問には「100%、戦争の被害だと思う。だって、このような症状の子どもが病院にあふれているもの」。

モスルは「フセインが隠れている」と疑われた都市で、とりわけ空爆が激しかった。二人の息子、ウダイとクサイが米軍に殺されたのも、このモスルだった。

モスル中央病院では、「メニー、メニービクティム(被害者はたくさん)」とサウファンが証言する。
今回は時間の都合と安全性が確保されていないため、モスル市内にははいらないが、できるだけ早期にモスルの実態を取材したいものだ。

昨年に引き続き、サウファンに日本からの募金を手渡す。このお金でモスル市内の小学校にストーブを買ってもらう予定。小学生の多数が、この戦争で親をなくしている孤児である。モスルはイラク北部に位置していて、冬は大変寒いのでストーブは喜ばれるだろう。

夕刻、無事アルビルまで帰還。長距離タクシーを捕まえてスレイマニアに入る。
私の旅もこのスレイマニアで終結する。残されたわずかな日々を、きちんと取材してから、帰国したい。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月29日 (木)

西谷文和 アフガン取材(10)

パシュトン文化に唖然とする
2009年10月17日 18:22 nishitani

10月16日、今日はカブール郊外の避難民キャンプに行って、ゴルジュマちゃん一家を、市内のレストランに招待する。チャーレバカールキャンプに到着。あらかじめ、父のワキールと母親、そしてゴルジュマちゃんに連絡しており、彼らがテントの前で待っている。

一家を連れてカブールに戻ろうとするのだが、私たちの姿を目ざとく見つけたほかの避難民たちが、「俺たちも車に乗せろ」と車の周囲に群がってくる。
「ダメだ!俺たちはゴルジュマを病院に連れて行くのだ、これは遊びではない」と説得。ゴルジュマちゃんと両親、そしてちゃっかりと叔父が車に乗り込む。叔父は招待していないのだが(笑)。

車中、「カブールへは行ったことがある?」との質問に「ない」と恥ずかしそうに首を振る。キャンプから車でわずか30分の距離だが、いまだに都会を知らない。
「レストランでは何が食べたい?」「何でも」。「好きな食べ物は?」「ポテト」。この家族は一ヶ月以上肉を食べていない。普段の食事でもっともご馳走なのは、じゃがいもだ。

レストランに到着。ここで予期せぬことが起こった。ワキールが妻に外で待て、と命令するのだ。妻はレストランの外でうずくまる。
「おいおい、俺はお前たち一家を招待したんだ。妻も当然レストランでランチを食べてもらう」「いや、ダメだ。レストランには他の男性客がいる。男の前で妻をさらすことはできない」。田舎のパシュトン人にとって、妻の素顔を見られることは最大の侮辱なのだ。
レストランに交渉し、2階の部屋を空けてもらう。2階へ。さぁ一緒に食事を、とメニューを見ているときだった。「お前と通訳は他人だ。他人の前で妻をさらすことはできない」とワキール。「おいこら!そこまで言うのか!俺たちはもう家族みたいなものじゃないか。一緒に食べよう」と通訳と一緒に説得するが、ダメ。妻とゴルジュマちゃんだけ、さらに別室を借りて食事。
「今は21世紀だぜ。なんというストゥーピッド(愚かな)文化なんだ」と通訳のイブラヒーム。同じアフガン人でもカブール市内に住む人々は、さすがにこうした文化を嫌がっている人が多い。しかし彼らは、ヘルマンド州の出身。電気もなく、レストランなど見たことがなく、テレビもインターネットもない中で生活してきたのだ。
ゴルジュマちゃんは子どもなので、男側でも食事ができる。かくしてゴルジュマちゃんは、父と母のテーブルを行ったり来たりしながら食事することとなった。

食事が終わり、おもちゃやさんで買い物。店に入るや否や、彼女は人形を抱えた。
「何でも買っていいよ」といっていたのだが、わずか数秒の買い物。赤ちゃんの人形を抱えて、微笑む。おそらくこの一年、これほどの笑顔を見せたことはなかったのではないだろうか。

ゴルジュマちゃんたちをキャンプへ送り、別の避難民キャンプ、パルワン・ドゥーに毛布200枚を贈る。パルワンドゥーキャンプのテントの中を取材。テントには無数のハエ。ひどい悪臭。見れば大きな金属のボールに茶色いご飯が山盛り。
「結婚式場の食べ残しだ。俺たちはこれを3日間、ずっと食べている」。辺見庸さんの著作「もの食う人々」のなかに、食べ残しを食べて生活するバングラディッシュ人のことが紹介されていたが、バングラデシッシュだけではない、ここカブールにも存在した。

毛布200枚が到着。歓声を上げて喜ぶ避難民たち。
「サンキュージャパン!」「タシャクール(ありがとう)」と、みんな満面の笑み。日本人のために祈りをささげてくれた。

さて、カブール取材もそろそろ終わりに近づいてきた。次回は1月、真冬に訪問したい。緊急にストーブとテントシートを援助しなければ、多くの子どもたちが凍え死んでしまうだろう。それまでの期間、日本で募金を集めることにしよう。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月28日 (水)

西谷文和 アフガン取材(9)

カンダハールにて その3
2009年10月16日 21:41 nishitani

写真はカンダハールの国際赤十字宿舎で撮影。彼女たちはもう一ヶ月以上、ここで医療支援している。今アフガンに必要なのは給油ではなく、このような民生支援だ。

ミルワイズ病院を取材中、驚くべき事実と遭遇した。なんと看護師の1人が日本人だったのだ。この病院は中国が建てて、アフガン政府が運営しているのだが、国際赤十字が全面支援している。その赤十字の派遣看護師として3名の日本人がここで医療活動に従事している。

3人のリーダー格の伊藤さんは名古屋から来ている。9月上旬にここカンダハールにやってきた。彼女はクンドゥズ、タロカンといったアフガン北部で同じような活動経験があり、カンダハールは3番目の勤務地。恐怖心に打ち勝って、ここで人命を救っている。彼女たちは赤十字のコンパウンドで暮らしていて、病院と宿舎を往復する毎日。アフガンで最も治安の悪い都市の一つカンダハールで、立派な人道支援、民生支援が成立している。

インド洋で米軍に給油することは、間接的な空爆支援であり、殺人加担である。オイルがなければ戦闘機は飛ばない。戦闘機が飛ばなければ空爆もない。
給油を続けるのは「通り魔に刃物を手渡している」のと同じだ。実際米軍の空爆は「通り魔」そのものである。村にタリバンがいるという情報があれば、村ごと焼いてしまい、そして逃げ去っていく。

つまり給油を続けるということは「加害者であり続ける」ということなのだ。では何ができるのか?

その答えは彼女たちが出しているのではないだろうか?軍隊に援助するのではなく、人々に援助するのだ。
「危険地域には自衛隊が行くべきではないのか」。おそらくこのような意見を持つ人がいるだろう。しかし現地で感じるのは、「自衛隊が行けば余計に危険」ということ。タリバンは間違いなく「米軍への協力者」を狙っている。もし自衛隊が行けば、サマワの二の舞になるだろう。「基地から一歩も外へ出れない」自衛隊が、どんな援助ができるというのだ。
彼女たち3人も赤十字の宿舎と病院を往復する毎日で、決して街には出ない。しかし病院での支援はずっと継続できている。

岡田外相がアフガンに来て、これから日本としてどんな支援ができるのか、議論が始まるだろう。ここカンダハールではJICAの援助で看護師養成学校ができている。市内の女子高も日本の援助で完成した。バーミヤンの地雷撤去は日本が一番予算を拠出している。

給油以外の方法で、日本はこれまで平和的に貢献してきた。何も難しいことはない。これまでどおりやればいいのだ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月27日 (火)

西谷文和 アフガン取材(8)

カンダハールにて その2
2009年10月16日 13:31 nishitani |

このブログは転送歓迎である。どうか多くの人にこの戦争を止めさせるべく、事実を伝えてほしい。

10月14日、早朝からカンダハール市郊外の避難民キャンプへ。市内はまだ安全だが、郊外に出るとかなり危ない。したがって避難民キャンプではピンポイント取材にならざるを得ない。

市内のメーンストリートをでて数十分、一見して貧しい地区に入ったことが分かる。下水がないので、生活排水が道路に流れ出る。プラスチックのゴミが散乱し、そのゴミを羊が食べる。やがて風景は「日干しレンガ」に変わる。人々が泥をこねてレンガを作っている。この地域の家は日干しレンガでできている。そんな日干しレンガが並ぶ、荒涼とした台地に、泥でできた家と灰色のテントが現れた。避難民キャンプだ。
子どもが薪をロバに積んで歩いている。

「どこから逃げてきたの?」「食料はどうしているの?」などとゆっくりインタビューできないので肝心なところは分からない。ただカメラを回す。青年がやってきたので、「政府の援助は?」「どうして生活しているの?」この2点を尋ねる。
政府の援助はない。ここで日干しレンガを作って生活している、とのこと。レンガを作って一日3ドルの収入。それで家族を支えている。

避難民キャンプを後に、やはりミルワイズ病院へ。本日も新たな患者たちが運び込まれている。そんな患者たちを取材していると、全身包帯、顔には白い粉を塗った少女が現れた。
彼女はベドウィンの娘で全身おおやけどを負っている。全身を震わせて、苦痛に耐えている。

10月6日、ベドウィンたちはいつものように仕事を終え、山間部にテントを張って就寝した。午後10時、悪魔がやってきた。米軍の戦闘機だ。「このテントはタリバンの基地ではないか?」米軍はベドウィンたちが眠るテントを空爆した。そのとき少女たち兄弟姉妹はぐっすりと眠っていた。一瞬にして燃え上がるテント。阿鼻叫喚の灼熱地獄の中、父親は必死でこの少女をテントから救い出した。米軍の誤爆は、父親から2人の息子を奪い、4人の娘の体を焼いた。誤爆を認めた米軍は4人の娘のうち重症である2人を、カンダハール空港まで運んだ。ただ運んだだけ。謝罪も補償金もなかった。
やけどがひどくてのどが渇くのだろう、たえず少女は水を飲む。そして全身を震わせて搾り出すような鳴き声。

この少女を空爆したのは、「無人戦闘機」である可能性が高い。朝9時、ラスベガスの豪華ビルを見ながら、米軍基地に出勤する兵士たち。「おはよう」と挨拶して画面に向かう。コーヒーを飲みながら、現地からの情報を聞き、無人機を操作。「あのテントにタリバンがいる模様」「ラジャー(了解)」そして爆撃。勤めを終えた兵士は午後5時に帰宅し、家族と団欒。よき父親が殺人マシーンなのだ。
一方、現地では燃え上がったテントに地上部隊が突入。「あれ?このテントはタリバンのテントと違うようだぞ、畜生、ガセネタだったか。ベドウィンの娘がやけどを負っている。仕方ないな、ヘリで運んでやれ」。
おそらくこんなところだろう。

空爆のボタンを押した兵士は、「よき父親」としてハッピーな人生を送る。ベドウィンたちは家財道具を焼かれ、娘と息子を失い、一瞬にして避難民となる。こんな戦争を続けている米国大統領に「ノーベル平和賞」が授与された。授与されたのは9日、娘が焼かれたのは6日だ。

「アメリーキー、アメリーキー」父親が叫ぶ。この父親はノーベル賞があることすら知らない。「真実」を知れば、どう反応するだろうか。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月26日 (月)

日本郵政 曽野綾子氏が就任

 民営化された郵政事業を統括する日本郵政の社外取締役に、小説家の曽野綾子
氏が就任することになりました。
 
 「日本郵政、取締役に曽野綾子氏=奥田トヨタ相談役は留任」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091026-00000112-jij-pol
 
 曽野氏が社外取締役になるのは、郵政事業を、収益性重視から公共性重視の経
営方針に転換し、利用者の目線で郵政改革を進めるためにということです。
 
 曽野氏は、小説家であって企業経営の経験はありませんので、日本郵政の経営
には口出しは出来ないものと思います。
 
 しかし、気になるのは、彼女は右翼の論客であるとのことです。そして、児玉
誉士夫と並ぶ日本の右翼の大物とされた笹川良一が率いていた財団法人日本船舶
振興会(現在は日本財団)の会長であったことです。
 
 曽野氏は、太平洋戦争末期の沖縄戦で起こった悲劇の一つである渡嘉敷島の集
団自決について、集団自決を命じる軍の命令があったことは疑わしいとするノン
フィクション「ある神話の背景」を執筆しました。これが、軍名による集団自決
の教科書記述が削除された根拠となりました。それで、彼女は家永教科書裁判第
3次訴訟で、国側の証人として出廷したことがあります。

 (以下、出典はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E9%87%8E%E7%B6%BE%E5%AD%90
 より)
 
 この裁判で曽野氏は、
 
 「彼ら(赤松隊)は好むと好まざるとに関わらず島を死守することになったが、
それとても決して島民のためではなかった。村民はおそらく『小の虫』であって、
日本の命運を守るために犠牲となる場合もある、と考えられていたに違いない」
(出典:沖縄戦と教科書、安仁屋政昭他、2000年)
 
と証言しました。

 なお、沖縄については、
 
「沖縄は閉鎖社会」、「学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をき
ちんと歌わせる」べしと主張しました(沖縄タイムス1985年4月8日~4月18日)。

 また、慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人の為にと

 「慶良間ケラケラ、阿嘉んべ、座間味やがれ、ま渡嘉敷」(諸君!1971年10月)

 と、慶良間諸島の人々を侮辱するような歌を作ったことがあります。
 
 テロリスト殲滅と称して、多くの人々を逮捕し、拷問にかけ、殺害した人権侵
害の罪で有罪が確定した南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領とは親密な
関係にありました。政治亡命を認めていない日本で、フジモリが日本に長期滞在
できるよう曽野氏は政財界に働きかけました。
 また、1973年のクーデターでサルバドール・アジェンデ政権を武力で打倒
し、凄まじい人権侵害を行ったアウグスト・ピノチェト政権を支持しました。
 
 カトリック教徒である彼女は人工中絶に強く反対しています。
 
 そして反戦平和運動などの市民運動に強い敵意を抱いています。講演会やエッ
セイ、対談などで事あるごとに批判し、罵倒し、冷笑し、揶揄しています。
 
 また、政府の教育改革国民会議委員として、「バーチャル・リアリティはある
面では悪であるとはっきり(言う)」「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」
を主張したことがあります。
 
 このような人物が、日本で一番多くの非正規労働者を抱える大企業の社外取締
役になります。
 
 不安を感じます。
 
坂井貴司

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2009年10月25日 (日)

西谷文和 アフガン取材(8)

カンダハールにて その1
2009年10月16日 12:23 nishitani 

10月13日早朝にホテルを出てカブール空港へ。カンダハール行きの便を待つ。乗客は地元民が圧倒的。3、4年前まで、地元の人々はカブール~カンダハール間を車で移動するのが一般的であった。しかし道中がかなり危険になったので、人々は移動手段として飛行機を使わざるを得なくなった。地元民に混ざって、民間軍事会社の社員がチラホラ、そして私が数少ない外国人である。
約50分のフライトでカンダハール着。機内で着陸の模様を撮影していたら、「フィリピン人か?何を撮影している?」と若者が近寄ってくる。適当に答えていくが、ちょっと不気味。おそらくビデオカメラが珍しく、好奇心だけで聞いているのだろうが、「こいつがタリバンの内通者だったら」と思うと、うかつには会話できない。
空港にはISAFとアフガン軍の軍用ヘリ、米軍の戦闘機がズラリ。ここは軍事空港で、私たちが乗る民間機は「間借りさせてもらっている」状況なのだ。
空港を出る。通訳のイブラヒームがランドクルーザーの運転手となにやら話している。全て民間軍事会社の社員を運ぶためのランクルで、乗せてはもらえなかった。
バスに乗ってカンダハール市内を目指す。地元市民で満員のバスに乗る。
「誰も信用するな。市内に着いたらさっとタクシーを捕まえよう」とイブラヒーム。彼自身もかなり緊張しているのが分かる。
空港と市内を結ぶ道路は一本道で、米軍やISAFの戦車とかなりの頻度ですれ違う。カブールよりも数倍の兵士がここに来ている。

タクシーに乗り換え、「市内で最高のホテルに行け」とイブラヒーム。カブールでもそうだが、最高級ホテルはそれなりに警備がしっかりしていて、国連職員やジャーナリストが宿泊している場合が多い。相対的に安全である。
コンティネンタルゲストハウスへ。玄関に警備員が数名いて、バーの上げ下げで中に入れる仕組みになっている。このホテルが正解だ。
ホテルの中には、やはり民間軍事会社の社員たちがたむろしていた。屈強な体にスキンヘッド、そしてサングラス。なぜかみんな同じようなスタイルである。違いがあるとすれば肌の色が白いか黒いか。

ホテルで遅い昼食を取り、市内で最も大きいミルワイズ病院へ。連日のように空爆と銃撃戦、そして仕掛け爆弾(IED)による爆発が起こるので、この病院は戦争被害者で一杯だ。
外科病棟集中治療室へ。包帯ぐるぐる巻きの患者。仕掛け爆弾の被害者である。彼の左側で爆発があったらしく、左半身に破片が入っているようだ。人工呼吸器につながれてはいるが意識はある。

銃撃戦の流れ弾が貫通した7歳の子どもがいる。タリバンに撃たれたようだが、「誰に撃たれたの?」と父親に聞くも「犯人は分からない」。もし米軍に撃たれたのなら「アメリーキー」と叫ぶ。しかしタリバンにやられた場合は、名指しでは批判しない。なぜか?私たちのインタビューを病室で聞いているほかの患者が、タリバンの内通者である可能性があるのだ。
もし「タリバンにやられた」と証言しようものなら、後にこの父親は攻撃される可能性がある。それほど市民の中にタリバン支持者が増えているということだ。

少年は目にうっすらと涙を浮かべ、赤いホースをくわえてブクブクと呼吸練習。銃弾が肺を貫いているので、呼吸練習をしないと肺がしぼんでしまうのだ。
「一日に平均20~30件、手術するよ。銃撃戦、IED、空爆…。もうクレイジーだよ。医師の数が足らないので、休む間もない。日本政府に望むこと?とにかく医師を増やしてほしい。患者の数が多すぎて手が回らないんだ」と外科部長。
外科部長との会話は英語なので、地元民は理解できない。タリバンに関する微妙な質問にも答えてくれる。部長は「あの少年はおそらくタリバンに撃たれたのだろう」と証言した。

この病院には大型フリーザーが数台配備されている。遺体安置冷蔵庫だ。米軍の空爆は山間部で行われる場合が多いので、田舎から患者が運ばれるが、なくなるケースが多い。親族が遺体を受け取りに来る間、遺体を冷蔵せねばならない。かくして巨大なフリーザーが配備されたわけだ。
その中の一つを覗く。ご遺体が並ぶ。フリーザーの門の前にはお棺を載せた自動三輪車。この戦争で「葬儀ビジネス」が繁盛している。

病院を出て市内へ。車の中からの撮影が主になるが、「これは!」というところでは車から出てピンポイント撮影。その中の一つ、オマル師のモスクが建設中でストップしている。タリバンの指導者であるオマル師が2001年に建設した自分の名を冠したモスクである。
ご承知のとおり、9・11事件後、米軍の攻撃でオマル師はこの街を追われたわけで、今はどこにいるか分からないのであるが、フセインが故郷のティクリートで捕まったように、案外、この街のどこかに潜伏しているのかもしれない。

自爆テロ現場へ。かなり巨大な自爆で周囲の建物がすべて破壊されている。犠牲者は100人を越える。トラックに爆弾を積めて突っ込んだようだ。明らかにタリバンの犯行なのだが、地元民は「米軍が空爆した」と言う。空爆なら地面に大きな穴が開き、その穴に雨がたまって池になるはずだ。爆発があれば全て米軍の仕業と考えているのか、周囲にタリバン内通者がいるので本当の意見を言えないのか…。

夕刻、ホテルへと急がねばならない。車の前には米軍の戦車。のろのろと運転しているので、渋滞する。と、突然ピカッと緑色の閃光。
「米軍は戦車に車が近づきすぎると、レーザー光線で威嚇するんだ。最初が緑、次は赤。それでも距離をとらずに走ると、容赦なく撃たれるんだ」。イブラヒームは数回、このレーザー光線の洗礼を受けている。

緊張の市内取材を終えて、ようやくホテルへ。夜は絶対に出歩けないので、ここで朝まで缶詰。ここにいるとカブールが「平和都市」に感じる。戦場の町では日が出ている時間が勝負。明日は早朝から避難民キャンプへ行こう。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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西谷文和 アフガン取材(7)

カンダハールから無事帰還
2009年10月16日 04:12 nishitani

3日間このブログを更新できなかったので、心配されていた方もおられたと思う。
実は激戦地カンダハールに行き、現地の戦争被害の実態を取材していたのだ。今は安全なカブールに戻ってきたのでホッと一息ついているところである。

カブールからカンダハールまで飛び、そしてカンダハールで一番警備がしっかりしているホテルに飛び込み、ピンポイント取材を敢行してきた。カブールから陸路でカンダハールに行くこともできるのだが、陸路で行くのはクレイジーだ。おそらく道中、攻撃されてしまう。

このブログにて公開しなかったのは、①外務省から厳重に「カンダハールには行くな」と、いやカブールから出るな、と注意されていたこと、②カンダハールでは外出するのが危険なため、ネットカフェにいけなかったこと、③できるだけ身軽に行動したかったのでノートパソコンを持参しなかったこと、などで物理的に更新できなかったのだ。外務省のみなさん、とりわけ在アフガン日本大使館のみなさん、すいませんでした。無事ですのでご安心を。

タリバンの拠点の町であったカンダハールは、今や再びタリバンの影が忍び寄っている。米軍の空爆があまりにも悲惨なため、また無実の人々が殺され、逮捕されているため、多くの人々が、ニュータリバンになっている。カンダハールの街中で取材していても、外国人は私だけ。非常に目立つし、長居は無用。さっと撮影し、さっと立ち去る。移動中は車の中から街の様子を写す。市内を歩いているとき、こちらから「サラーム(こんにちは)とにこやかに挨拶しても、挨拶を返さない人もいる。カブールとは違う。もともと親切だったであろう人々が、怒りのために暗い表情になっている。

すべての外国人はこの街から出て行け!」というタリバンのメッセージが、じわじわと普通の人々の中に浸透しているように感じる。しかしひとたび話してみると、「日本から来たのか?俺は日本が大好きだよ」と、温かく迎えてくれる人も多い。疑心暗鬼。とっても親切な人に見える一方、この人がもしかしたら足り晩と通じているかもしれない…と感じるのも事実である。

カンダハールはほぼ100%の住民がパシュトン人で、どうみてもタリバン的な格好をしている。私の中に変な先入観が植え付けられているのであろう、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とでもいうべきか?

今回、カンダハール行きを敢行したのは、通訳のイブラヒーム。彼がいなければカンダハール行きはなかった。イブラヒームと熟慮し、今ならいけるだろうと判断したのだ。

今後米軍の空爆が激しくなれば、二度と行けない街になってしまうかもしれない。それほど微妙な情勢だ。
とりあえず肉体的にも精神的にも疲れたので、詳細については後日報告する。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月23日 (金)

西谷文和 アフガン取材(6)

避難民キャンプに食料と毛布を配る
2009年10月13日 00:26 nishitani |


写真はカブール郊外、チャリカール避難民キャンプ。トラック2台に満杯の食料と毛布を配った。避難民たちは「日本への感謝」を込めて、アラーの神に祈ってくれた。

10月12日、今日はかねてよりの課題であった、「避難民キャンプへの物資援助」を行う。本日より通訳をイブラヒームに交代。イブラヒームはここアフガンの女学校で英語を教えていただけあってクリアーな英語、そして人道支援への熱いハートを持っている頼れる男だ。

イブラヒームとカブール下町で援助物資の買出し。米、小麦、油、砂糖、大豆、お茶をそれぞれ10キロ100袋分。これをトラックに詰め込むだけで2時間かかる。さらに毛布200枚、カーペット200枚を別のトラックに詰め込む。これだけの分量を避難民に配るわけだが、飢えている避難民たちにいきなり配ろうとすると、絶対に彼らはパニックを起こす。あらかじめ、連絡先を入手しているワキール(娘がゴルジュマちゃん)に連絡し、列を作って待つように指示。念のため、地域の警官二人をパニック防止のため臨時雇用。
満を持してキャンプへと向かう。

午後3時、キャンプ到着。キャンプの責任者たちが私たちを待っている。「騒ぐな!」「並べ!」と怒鳴りつつ、何とか列を作らせる。
まず食料の配布スタート。整然と受け取ってくれる。その後毛布とカーペット。首尾よくいっていたのだが、終盤、食料と毛布がなくなりかけたときに、やはりパニック。大声で叫びながら避難民と警官が取っ組み合いのけんかをしている。
警官が避難民を警棒で殴り、事態が収拾。

事態を遠くから眺めていた私は、「また避難民が無理なことを言ったのかな」と思っていた。しかし事実は全く逆だった。残り少なくなった食料と毛布を、警官が「これは俺の家族の分だ」と、避難民に手渡さなかったのだ。
この国では警官への給料が極めて少ないので、色気を出した警官が物資をかすめ取ろうとしたのだ。これでは何のために警官を雇ったのか分からない。でもこれがアフガンの現実なのだ。
日本的感覚で「公務員がワイロにまみれている」というのはたやすい。しかしたかだが150ドル(約15000円)の月給で10人程度の家族を養わねばならない警官も、また必死だった。
もちろん避難民たちはその150ドルも得ておらず、さらに悲惨な生活である。しかし「お前ら、ちゃんと仕事をしろ!」と、警官2人を叱責できなかったのもまた事実である。

一通り物資を配った後、何人かにインタビュー。
「日本のみなさん、ありがとう。アッラーの神が日本のみなさんを守ってくれるでしょう」と、避難民たちはお祈りしてくれた。
本日配布した食料、トラック一杯分は、この避難民キャンプの人々の、およそ10日分でしかない。毛布はこの冬を越すために重宝されるだろう。

「冬のカブールはものすごく寒い。氷点下20度まで下がる。毎年一つの避難民キャンプで50~60人の子どもが死んでしまう。この毛布は、何人かの子どもの命を救うだろう」とイブラヒーム。真冬の1月までに、ストーブと灯油が必要とのこと。死と隣り合わせの避難民キャンプに、国連も政府もNGOも、何の援助もしていないのはなぜだろうか?

以上が本日の行動内容である。明日からしばらくネット環境が悪くなりそうなので、このブログはしばらくお休みである。できるだけ早く発信できることを願う。みなさん心配しないでブログ復活を期待されたし。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月22日 (木)

西谷文和 カブール取材(5)

カブールを電撃訪問した岡田外相に密着

2009年10月11日 20:51 nishitani

カブール市内の小学校を訪問した岡田外相。「日本のこと知ってる?」と子どもたちに気さくに話しかけていた。
10月11日、本日は岡田外相がカブールを電撃訪問する日である。午前10時、アフガン外務省前でスタンバイ。待つこと30分、兵士を乗せたピックアップトラックに続いて黒塗りの車が数台。その中の一台からテレビでおなじみの岡田外相が登場。いっせいにフラッシュがたかれ、SPと日本大使館員と私たちカメラマンが先を争って外相の後を追う。
日本・アフガンの両外相が握手したところで、「カメラは外へ出るように」との指示。

外へ出て次なる外相の訪問先を訪ねる。カルザイ大統領府に行き、その後地元の小学校を視察するとのこと。
地元小学校で岡田外相を待機。

午後1時半、やはり数台の黒塗りカーとともに外相が登場。小学校の正門には歓迎の花束を持つ教師と生徒。その中を外相が「やぁやぁ」と入ってくる。やはりいっせいにたかれるフラッシュ。「カメラ、移動してください」と大使館員が叫ぶ。岡田外相にぴったりくっついているのはおそらく「コントロールリスク」という民間軍事会社の警備兵。

混雑の中、外相は一教室ずつ丁寧に回る。「コーラン読めるの?読んでみて」とのリクエストに、朗々とコーランを読み上げる子ども。「教科書は足りているの?」との問いには、「教科書はあります。でも教室が狭いんです。それに夏は暑いし冬は寒い」などと答える子どもたち。「日本ってどこにあるか知ってる?」との問いには、多くの子どもが首を傾げる。

ひとしきり小学校を視察した外相は、風のように黒塗り車で去っていった。
わずか4時間程度の滞在であったが、現地を見ないよりは見たほうがずっと良い。忙しい中、そして危険を顧みずカブールを訪れた外相。これも政権交代の成果なのだろう。

インド洋の給油に代わる民生支援。それはおそらくこうした小学校への援助や病院、農業、女性の自立など、一般の人々への支援であるはずだ。一刻も早く米軍への給油をやめ、こうした民生支援に切り替えるべきである。岡田外相がそうした「チェンジ」の旗振り役になってくれることを願う。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月21日 (水)

西谷文和 アフガン取材(4)

豪華マンションとテント生活
2009年10月11日 01:03 nishitani 
パルワンドゥー避難民キャンプから豪華マンションを望む。戦争によってアフガン人の格差が広がっている。

10月9日、カブール市内のあちこちに豪華なショッピングセンターやきれいなマンションができているので、その復興ぶりを取材。カブール・シティー・センターには7階建てのビルができていて、入り口には金属探知機。それを抜けるとエスカレーター。2階へ上がると、ジュエリーショップ、コンピューターショップなどが並ぶ。こうした光景だけを見ると、アフガンは着実に復興しているように見える。

カブール・シティー・センターから大通りを車で走れば、道路の両サイドには建設中の建物がズラリ。洒落た建物が並ぶ地区があったので、車を止めてこのビルは何かと訪ねる。

私立大学とマンションであった。まぶしいくらいの日差しを浴びてきらきらと輝く出来たてのビル。そのビルの横には薄汚いテントが連なる。

「パルワンドゥー避難民キャンプ」には約500名ほどの人々が生活する。このキャンプができたのはほんの数ヶ月前。全てがパキスタンからの帰還難民である。
旧ソ連の侵攻で、隣国パキスタンに逃げたアフガン人たち。パキスタン、ペシャワールでの難民生活は20数年に及んだ。
「アフガンは平和になった。もうここにいる必要はない」とパキスタン政府が難民たちを故郷アフガンへ追い立てた。仕方なく、彼らは帰還した。しかし彼らの家はすでになかった…。写真をご覧になれば分かるように、この貧富の差を生み出したのは、30年に及ぶ戦争である。

アフガン復興費にいち早くありつき、うまくドルをせしめた人々は豪華なマンションに住む。戦争で家を奪われた「流浪の民」は、テントで生活し、この冬を乗り越えられるかの瀬戸際にいる。そしてやはりこの流浪の民たちに、国連や政府の援助はない。
アフガンの冬は寒い。この避難民キャンプにも食料と毛布が必要だ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月20日 (火)

西谷文和 カブール取材(3)

ゴルジュマちゃんとノーベル平和賞
2009年10月 9日 22:16 nishitani

10月8日に発生した自爆テロ現場取材後、カブール郊外のモジュリーン避難民キャンプを再訪する。6月に軽トラック一杯分の食料を配布したところだ。今回は①今一番何が必要か②パニックにならずに全ての避難民に届ける方法は?という調査と、③新たな犠牲者の取材、である。

前回同様、キャンプに入るや否や、「俺の家族は満足に食事できていない」「母親が寝込んでいる」「うちのテントにはまだ屋根がない」など、黒山の人だかり。その中に「娘が空爆にあって重傷を負った」という男性あり。彼のテントへ。

ワキールさん(40歳)はヘルマンド州に住んでいた。一年前、「村にタリバンがいる」と米軍機がワキールさんの家を空爆、10人の家族を失った。
その爆撃で9歳の少女、ゴルジュマちゃんの左腕がもぎ取られた。彼女は1ヵ月半入院し、肩の部分から左手を切断した。
「学校には行っているの?」「うん」と恥ずかしそうにうなずく。右手には腕輪が数個。失った左手の分まで腕輪をはめているのだろうか。
「勉強は楽しい」と聞くも、小さな声で「うん」とうなずくのみ。父のワキールさんが「学校には喜んで行っているよ」とフォロー。
学校といっても、UNICEFと書かれた大きなテント。そこで文字を習っているのだ。将来は先生になりたいと語る彼女。10人の家族と娘の片腕を失ったワキールさん一家に、米軍の補償はない。誰がタリバンで、誰が普通の農民だったか、についての調査もない。
「殺され損」「やられ損」である。ゴルジュマちゃんの片腕を奪った米軍。その米軍を指揮しているオバマ大統領に、本日ノーベル平和賞が出た。なんというブラックジョーク。
通訳は「ノーベル戦争賞がふさわしい」とつぶやいた。

実は本日は、私の娘の命日である。彼女は18トリソミーといって、先天性の遺伝子異常で、心臓に穴が開いて生まれてきた。娘が死んだとき、私たち家族は悲嘆にくれたが、ワキールさん一家の嘆きは、いかばかりであっただろうか。
ゴルジュマちゃんは目のパッチリした美人なので、父親は、彼女の結婚式を楽しみにして育ててきたという。こちらの結婚式は派手で、一族の名誉がかかっているのだ。
そんな家族の幸せを一瞬にして奪ってしまった空爆。オバマ大統領へのノーベル平和賞は偽善の塊である。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月19日 (月)

西谷文和 アフガン取材(2)

ホテルのすぐそばで自爆攻撃発生
2009年10月 9日 03:01 nishitani

10月8日、午前8時半に社民党の阿部、服部議員が宿泊するセレナホテルへ。ホテルの受付で両議員を待っていると、共同通信の記者から電話。私の宿泊するムスタファホテルのすぐそば、内務省とインド大使館の間の路上で自爆テロがあったとのこと。

あわててホテルへ戻り、テロの惨状を取材。ムスタファホテル前には警官がたくさん張り付いていて、「入るな!」と怒鳴っている。「俺はこのホテルに泊まっている、入れろ」と気合で進入。ホテル屋上から自爆テロ現場を撮影。

現場は軍と警察ががっちりガードしていて近づけない。

仕方なく犠牲者が運ばれた病院へ急行。病室の床に血がこびりついていて、看護師の制服には血のあと。包帯を巻いた患者がうめきながら治療を受けている。
この時点で死者4名、重軽傷者64名と発表されていたが、その数字は時間ごとに増えていき、このブログを書いている時点で、死者13名、重軽傷者85名に膨れ上がった。
明後日に大統領選挙の正式な結果発表がある。第2期カルザイ政権誕生に不満を持つグループの反抗だろうか、それともインドに敵意を燃やすパキスタンの情報機関が絡んでいるのだろうか…。

本日は4箇所の病院を回り、その後避難民キャンプの取材をするのだが、私の宿泊するムスタファホテルが危なくなったので、内務省から少し離れたホテルに移動することとなった。
自爆攻撃は発生したが、事態はすぐに静まり、カブールの人々は普段どおりに行き交っている。自爆になれたのだろうか?それとも30年も戦争をしていれば、これが普通の状態なのだろうか?
考えてみれば太平洋戦争末期の日本も同じような状況だったのかもしれない。心斎橋が燃やされていても、梅田の人々は普通に生活していたのかもしれない。

今日は社民党・民主党3名の議員が帰国される前夜に加えて、ホテルを変更した。バタバタしているので、ブログはいったんここで中断する。カブールの危険度は多少上がったように感じるが、まぁ普通に過ごしているので、心配せず、帰国するのを待っていてほしい。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月18日 (日)

西谷文和 アフガン取材(1)

なんと一日でカブールまで到着
2009年10月 8日 01:50 nishitani

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10月6日ドバイへと出発の日、地元吹田で寿司を食べる。回っている寿司ではなく止まっている寿司である。しばらく飲めないであろう日本酒をしこたま飲んで、にぎり寿司に舌鼓。午後8時、関空へと向かう。愚妻の運転で阪神高速環状線に出たとき、胸ポケットがいつもより軽いのに気が付く。
「パスポートは?」あわてて胸ポケットをまさぐるも、ない。

あわてて寿司屋と家に電話。なんと我がパスポートは家の机の上。息子にパスポートを駅まで持ってこさせて、再度吹田から関空まで車をすっ飛ばす。うまい日本酒も大トロのとろける味も吹っ飛んで、関空到着が10時過ぎ。何とか間に合い機中の人となる。
「慣れてきた頃に油断するんや。これを教訓に慎重に取材してや」。愚妻の言葉に一言も出ない。
10時間のフライトでドバイ到着。すぐにアフガン行きのチケットを購入。ラッキーなことに待ち時間ほとんどなしで、3時間のフライトでカブール着が午前9時半。
あっという間にカブールまで来てしまった。

3ヶ月ぶりのカブールは、明らかに街の様子が違っていた。まずコンクリートの壁が増えた。自爆攻撃を防ぐための要塞である。そしてイラクでも見かけたのだが、不気味な無人飛行船が上空にプカリ。米軍が市民生活を監視するために24時間飛ばしている監視船である。

前回と同じくムスタファホテルに宿泊。その後国連の「選挙監視センター」へ。大統領選挙に不正があったという疑惑を、このセンターで調べて票数を再カウントしている。大きなドームに、多数の選挙箱が積み上げられている。ほとんど全ての「疑惑票」が調べられていて、10月10日に結果が出る予定。かくして8月20日の大統領選挙結果が決着するところまでこぎつけた。あさって10日の発表が楽しみだ。
次にカブールの自爆テロ現場へ。ここは空港からの一本道で、周囲は商店街が広がる大通り。ここでイタリア軍を狙った自動車爆弾が炸裂。イタリアの兵士と市民多数が殺傷された。爆発はかなり大規模なもので、商店街は広範囲に破壊されている。

「俺の息子が死んでしまった、この写真を見てくれ!」とおじいさん。犯人はタリバンだといわれているが、おじいさんは「外国軍が居座るからだよ。米軍もタリバンも同じ犯罪者だ」と嘆く。

夕刻、現地視察に来ている社民党の阿部議員、服部議員と面談。インド洋の給油に代わる民生支援のあり方を調査するため、現地に来られたのだ。あらためて政権が交代したことを実感する。なぜなら自公政権では給油が延長されていただろうし、「危険」といわれているカブールに滞在し、現地調査する議員も出てこなかっただろうと思うからだ。しかし現地を見て見ないと本当の支援のあり方は分からないわけで、こうした国会議員の体を張った調査活動は貴重なものだと思う。

明日は01年にアフガン戦争が始まってからちょうど8年目に当たる日である。明日もきっちりと取材したいものだ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月17日 (土)

孫崎享 外交・安全保障(下)

核武装、敵地攻撃、ミサイル防衛

 日本国内では、強大になる中国、核兵器やミサイルをもった北朝鮮に対して、核武装論、敵地攻撃論、ミサイル防衛論など、軍事的に対応しようという見解が出てきています。これらの見解は、有効な安全保障政策にはなり得ません。

 相手から核攻撃されたら核報復するというのが核武装論です。相手国は核攻撃すれば核報復を受けるので、核武装が核抑止になるのは事実ですが、核戦争の覚悟をせざるを得ません。しかし、日本は国土が狭く、首都圏に様々な機能が集中しているため、核攻撃で壊滅的な打撃を受けます。一方、広大な国土と圧倒的な軍事力を持つ中国やロシアに壊滅的な打撃を与えられません。日本にとって、核攻撃の被害に相当する以上の意味が核武装にあると言えるでしょうか。

 敵地攻撃論について言えば、専守防衛の自衛隊にはその体系も能力もありません。また敵地攻撃は先制攻撃ですから、相手国は残りの総力をあげて反撃します。報復をさせないためには、相手国が北朝鮮ならば、すべてのテポドンを破壊しなければなりません。しかし、それは不可能です。したがって敵地攻撃論も有効な安全保障政策ではありません。

 ミサイル防衛で敵のミサイルを撃ち落とすができるのは、ミサイルが最高速度に達していない発射数分後以内か、着弾直前だと言われています。しかし、両方とも技術的に極めて困難です。米軍の訓練で成功するのは、ミサイルの発射時刻、場所、方角が事前に分かっているからです。そういう事前情報もなく、秒速数キロのミサイルを発射数分後に撃ち落とすのは不可能です。したがって、ミサイル防衛の真意は発射する前に攻撃すること、つまり敵地先制攻撃と同じです。
 日本の上空を通過して米国に向かう北朝鮮ミサイルの迎撃を可能にするため、集団的自衛権行使の憲法解釈を見直せ、憲法を改正せよという議論があります。しかし、地球は球形ですから、北朝鮮がニューヨークやワシントンをめざしてミサイルを発射したら、日本上空を通過しません。日本上空で守るということにはならないのです。地球儀で北朝鮮とニューヨークを糸で結んでみれば、すぐに分かります。憲法改正で集団的自衛権の行使を可能にし、ミサイル防衛で米国を守ろうとすれば、北朝鮮がミサイルを発射する前に攻撃する以外にありません。北朝鮮からすれば、日本のミサイル防衛は、北朝鮮に対する先制攻撃体制です。「防衛」とか「自衛」という言葉が使われていますが、実際にはきわめて攻撃的な目的を持っています。政治家などが真意を理解せず、集団的自衛権の行使が必要だと発言していることに大きな危惧を感じます。

最も有効な日本の安全保障政策

 軍事的な選択は日本の安全保障にとってプラスとなりません。しかもそれは莫大な費用を必要とし、国民生活を犠牲にして国家財政を軍事一辺倒にしなければ実現できないことです。軍事的選択がだめならば、日本はどうやって安全を保障していくのか。

 抑止力は軍事に限りません。経済の一体化、相互依存が重要だと思います。例えば、日本と中国の経済の相互依存、一体化が進んでいます。この状況の中で仮に中国が日本を軍事攻撃すれば、日中貿易は途絶え、年間10兆円規模の対日輸出がなくなります。日中貿易に関連する中国の企業、そこで働く中国の労働者は大変な打撃を受けます。そうなれば中国政府は政治的に耐えられないでしょう。つまり、日中間の経済的な一体感、相互依存を深めることが抑止効果を発揮し、戦争の危険を小さくするのです。したがって、北朝鮮に対しても、できるだけ早く国交を正常化して密接な経済関係を築くことが、最も有効な日本の安全保障政策です。

 これまでの安全保障の議論は、安保条約に賛成あるいは反対という政党やグループの既存の考え方で思考停止し、それぞれの組織内だけで議論する傾向が強くありました。今日、そうした枠を超え、事実を基礎にして、日本の外交・安全保障の問題を真剣に議論することが求められていると思います。

(文責・編集部)

「日本の進路」より転載

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2009年10月15日 (木)

孫先享 外交・安全保障(中)

強大な中国の登場

 中国が強大になりつつあります。今年中に、中国のGDPが日本と並ぶと言われています。日本経済研究センターは、10年~20年後の日米中のGDPを購買力平価で予測しています。それによると、中国のGDPは2020年に日本の4倍になり、米国やEU全体を上まわります。2030年には日本の5倍になります。中国の経済は地域格差や水資源問題など様々な問題を抱えていますから、予測どおりになるかどうかは分かりませんが、日本の数倍の経済規模を持つ国が日本の隣に登場することは確かです。

 強大な中国の登場は、明治維新以来のアジアに対する日本の対応のし方に、根本的な見直しを迫るものとなります。福沢諭吉が書いたといわれる「脱亜論」には、「日本はこれから西洋文明圏に入る」「我が心においてアジア東方の悪友を遮断するものなり」と書かれています。日本とアジアは違うんだ、アジアは悪い奴なので一緒にならないという考え方です。日本は、第二次大戦までは欧米列強と軍事力で肩を並べ、戦後はG7あるいはG8で先進国と並び、アジアとは違うんだと考えてきました。南アフリカでアパルトヘイト(人種管理政策)がまかり通っていたとき、他のアジア人やアフリカ人と区別して、日本人だけが白人扱いされました。日本人もそういう扱いに疑問を持ちませんでした。日本は中国を弱い国と見下して対応してきました。中国に円借款を出してやったのに、日本に礼を尽くさないのはけしからん、という意見も出ました。その中国が強い国として登場してきた今日、これにどう対応するのか、日本は問われています。

 ところが、日本人の考えはあまり変わっていません。知識階級の多くも、米国のニューヨークタイムスとかエコノミストの見解ばかり見て、中国が何を考え、どういう政策で日本に対応しようとしているか、ほとんど勉強していません。中国は毛沢東の時代、鄧小平の時代、江沢民の時代と変遷してきました。歴史認識問題が前面に出てきた時代もあり、中国の指導者が日本を批判して中国国内を安定させるという傾向がありましたが、最近はそうではなくなりました。胡錦濤主席や温家宝首相が「隣国と善を成し、隣国と伴侶を成す。隣国と睦まじく、隣国を安定させ、隣国を富ませる」と発言し、これが中国の近隣外交だと述べています。今の指導部は近隣諸国との友好を全面に出しています。財界の第一線級の人が「これからは中国だ」と話していました。しかし、日本では「敵対的な中国」という見解が支配的です。強大化する中国にどう対応していくのか、真剣に考えなければなりません。

核の脅威にさらされてきた北朝鮮

 核兵器やミサイルをもった北朝鮮への対応で、まず考えなければならないのは、北朝鮮が合理的な判断で行動しているのか否かという問題です。われわれとまったく違う発想をしているので、話し合う余地はないと考えるのか。それとも、北朝鮮は北朝鮮なりの合理的な判断で行動しており、北朝鮮との間で一定の相互理解があり得ると考えるのか。ここが重要なポイントです。

 なぜ北朝鮮が核兵器を保有したのかを考えてみる必要があります。世界で最も長期に、最も切迫して核兵器の脅威にさらされてきたのは北朝鮮です。マッカーサーが核兵器使用を主張した朝鮮戦争の時は、まさにそうでした。朝鮮戦争後も韓国の米軍基地に核兵器が置かれていました。ブッシュ政権の2002年には、北朝鮮の体制変換プログラムが実際の作戦計画としてありました。こういう状況の中で、北朝鮮が抑止力として核を持ちたいと考えるのは、安全保障の観点から見ると非合理的な考えではありません。
 われわれは通常、西側の観点で考えますが、北朝鮮からはどう見えるでしょうか。ガバン・マコーマックは、その著書『北朝鮮はどう考えるのか』(2004年)の中で次のように述べています。

 「米国にとり北朝鮮の核は過去10年ほど主要な問題であったが、北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去50年絶えず続いてきた問題であった。核時代にあって北朝鮮の独特な点は、どんな国よりも長く核の脅威に常に向き合い、その影に生きてきたことである。朝鮮戦争では核による殲滅から紙一重で免れた。米軍はその後、核弾頭や地雷、ミサイルを韓国の米軍基地に持ち込んだ。1991年に核兵器が韓国から撤収されても、米軍は北朝鮮を標的とするミサイル演習を続けた。北朝鮮では核の脅威がなくならなかった。何十年も核の脅威と向き合ってきた北朝鮮が、機会があれば『抑止力』を開発しようと考えたのは驚くことではない」。

 北朝鮮もそれなりの合理的な判断で行動しており、対話によって相互信頼を築くことができる相手と見ることができます。しかし、北朝鮮は存亡の危機を何度も迎えており、日本はその危機に加担する側にいるわけですから、北朝鮮から見れば日本を敵国と位置付けざるを得ません。したがって、日本に対する対応は厳しくなる。それに対応して日本の北朝鮮への対応も厳しくなる。結果的に相互対立のサイクルになっています。日本は一刻も早く北朝鮮との国交を持ち、北朝鮮が抱いてる敵対的な雰囲気をなくす必要があると思います。

 中国は近隣諸国との友好関係を重視して、北朝鮮との関係をできるだけ敵対的なものにしないように努力しています。ロシアや韓国も同様です。米国はブッシュ政権の前期には、きわめて北朝鮮に敵対的でしたが、現在の状況は、北朝鮮の対応によっては関係を回復してもいいと判断していると思います。北朝鮮から見れば、日本だけが敵対的な国となる可能性があります。日本はその点を気をつけなければなりません。

「日本の進路」より転載

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2009年10月14日 (水)

孫崎享 外交・安全保障(上)

日本の進むべき道

前防衛大学校教授・元外務省国際情報局長孫崎 享 氏
孫崎 享(まござき・うける)
1943年旧満州生れ。1966年東大法学部中退、外務省入省。
英国、ソ連、米国、イラク、カナダ勤務をへて、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。2002年より防衛大学校教授。この間公共政策学科長、人文社会学群長を歴任。2009年3月退官。
著書に『日本外交 現場からの証言』(中公新書)『日米同盟の正体』(講談社現代新書)など。

 日本は、外交・安全保障の問題を真剣に議論しなければならない時期に来ています。第一に、日米関係が、多くの国民が知らない間に、非常に大きな変貌をとげています。第二に、中国が10~20年後には日本の数倍という経済規模の国として登場します。第三に、ミサイルや核を持つ北朝鮮への対応が問われています。「事実は語る」を基礎にして、日本はどんな課題に直面しているのか、どう対応していくのか、真剣に議論しなければなりません。

日米同盟の変質

 日米同盟は1960年の日米安保条約が基本で、それが継続されていると、多くの国民は認識しています。しかし、2005年10月、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官が「日米同盟─未来のための変革と再編」という文書に署名し、安保条約が大きく変質しました。安保条約は1960年の改定時に国民的な大議論が起こりましたが、あの改定と比べても大きく変化したのに、真剣に議論されていません。大きく変化した点は2つです。

 1つは対象の範囲です。1960年の安保条約は「極東地域」に限定していましたが、「未来のための変革と再編」で「世界全体」に拡大されました。
 2つ目は理念の変化です。安保条約は前文で「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念‥‥を再確認」し、国連憲章を重視しています。国連憲章の重要な柱は、「主権の尊重」、「武力行使の抑制」です。ところが、「未来のための変革と再編」に国連憲章の理念は書かれていません。「日米共通の戦略」が強調され、「国際的な安全保障環境を改善するため」に武力を使うことになりました。差し迫った脅威に対抗するために認められた武力行使から、米国にとって望ましい安全保障環境をつくるための武力行使に変わり、これに日本が参画するということです。このような武力行使は、国連憲章や日本国憲法の理念と異なります。

 こんな重要なことが日米で合意されていることを、ほとんどの国民が知りません。政治家も米軍再編の問題という程度の認識で、日米同盟のあり方が根本的に変えられたという認識はありません。大手新聞も米軍がどう再編されるのかを紹介しましたが、この合意内容が持つ意味について解説していません。国民のコンセンサスがないにもかかわらず、世界全体で日本の自衛隊を活用することを米国と約束したのです。この約束にしたがって、自衛隊のあらゆる行動、作戦・運用、教育・訓練などが行われています。
 日本では「日米共通の価値観」が何の疑問もなしに語られてきましたが、日米間には大きな違いがあります。例えば、冷戦崩壊後の1993年当時、米国では「日本異質論」が盛んでした。背景にあったのは、日米間の激しい経済的利害の対立です。当時、CIA長官のゲーツ(現国防長官)は「CIA予算の40%は経済関係に向ける」と発言していました。経済関係とは日本のことで、当時の米国にとって最大の敵は日本で、安全保障のターゲットだったのです。

 日米間と同様に、米欧間にもかなり大きな違いがあります。米国は自分たちが正しいと判断すれば軍事力の行使を正義と考え、これに何の疑問も持ちません。他方、ヨーロッパや日本は第二次大戦の歴史を踏まえて、国際関係では軍事力を使わずに安全保障を構築しようと考えます。日米は「共通の価値観」を持っているという見解は誇張です。

 国家関係の基礎にあるのは利害関係です。米国自身が日本と共通の価値観を持っているとは考えていません。自国の利益で日本を使うための理屈として「共通の価値観」とか「共通の戦略」を出してきます。シビリアン・コントロールは、文民政治家が安全保障の問題をきちんと勉強していることが前提です。ところが日本の大学では安全保障の問題を研究していません。米国は戦後、再び日本を米国に対抗する軍事大国にしないため、大学で安全保障や軍事の研究をさせないようにしたのです。したがって、米国には戦略がありますが、日本にはありません。「共通の戦略」と言っても、常に米国が戦略を示し、日本がそれに同意するという関係が続いています。米国は日本をどう利用できるかを考えており、米国の戦略の真意は、日本への説明と異なります。

 例えばシーレーン防衛がそうです。日本への説明は、「中東に石油を依存する日本の海上補給路がソ連の潜水艦に攻撃される恐れがある」「従って、日本はP―3C対潜水艦哨戒機を大量に保有せよ」というものでした。だが、米国の真の目的はオホーツク海でソ連潜水艦を封じ込めることでした。「欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応する」という米国の戦略の一環でした。米国の戦略の真意を理解せず、表面上の説明をうのみして米国の戦略に利用されたのは、シーレーン防衛だけではありません。イラク問題やアフガニスタン問題も同様です。表面上の言葉に惑わされず、冷静に米国の意図を見抜くべきだと思います。

 最近出版された『日本防衛の大戦略』(日本経済新聞出版社)という著書の中で、リチャード・サミュエルズは次のように指摘しています。
 「日本は安全保障の範囲を拡大すべきである、という米国の要求がこれほど大幅で必要になったのはこれまでにないことであった。米国国防総省は日本の防衛を維持すると確約しているが、本土から離れた地域での緊急事態に日本が協力することを明確に期待している。在日米軍基地と日米同盟を世界的な安全保障の道具として利用するのは米国の明確な意思である」。

「日本の進路」より転載

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2009年10月12日 (月)

上関原発計画 署名

近隣に住む子育て中の母親たちが中心となって、下記のような内容で、10月20日、中国電力に申し入れに行くことになりました。

つきましては、申し入れ書に対する賛同連名を募集したいと思います。

賛同してくださる方は、10月15日までに、世話人(吉岡) sumire-yucca@mx51.tiki.ne.jp まで、ご住所とお名前をメールしてくださいますよう、
お願いいたします。

また前回は、思いがけず300人近い、多くの方の賛同をいただき、心より感謝しております。

(以下、申し入れ書)

中国電力株式会社御中

上関原発計画についての申し入れ

2009年10月20日
未来につながる生命(いのち)を育てる会
世話人 吉岡すみれ

上関原発計画、そしてそれに関わる埋め立て工事についてお願いがあります。

わたしたちは、子育て中の母親を中心とした、未来につながる生命にとって大切な環境を守っていきたいと思う市民です。わたしたちの子供たちだけでなく、未来の子供たちが安心して遊び、暮らせる環境があること、それこそがわたしたちの一番の願いです。

わたしたちは、子供のころから電気のある暮らしを享受してきた世代ですが、現在は環境のことを真剣に考えていかなければいけない現実に直面しています。
子供や孫など先の世代のことを考えると、電力や自然環境のことも、人任せにせず、自分のこととして考えていかなければならないと思うようになりました。

貴社による原発計画は、27年前から祝島や近隣住民などの反対により、予定が進まず、このままできないものと安心していました。ところが、去年になって急に計画が
進められ、また、貴社による埋め立て工事に関わる住民との対立に、不安や不信感が高まり、心を痛めています。

反対派の住民や、希少動植物を含めた予定地の環境の中で生命を育む存在は、会社にとって邪魔な存在というような姿勢、わたしたちの暮らしや環境を誠実に考えていない
かのようにみえる態度に、わたしたちは悲しい思いをしています。

わたしたちは、下記のことを不安や疑問、希望として思っています。

(原子力発電所についての上関町以外の近隣住民の意向)

現在、上関町のみが原子力発電所の是非について、問われていますが、原発の影響は、広範囲に及びます。

稼働中、排気筒と排水口から出る放射能や薬物は微量であると言われるかもしれませんが、原発近くの海域で魚などの大量死や、奇形が見られるという話はよく聞きます。

また、原子力発電は、原子炉で作られた熱の2/3も海に捨てられるそうですが、たとえ発電時にCO2を出さないとしても、地球温暖化を助長するのには変わりがないと思われます。

さらに、各地の原子力発電所は、度々、トラブルが見つかり、その度に放射能が漏れだしていることもしばしばです。また、今後起こりうる地震の規模は予測がつきません。

わたしたちの毎日の食卓には、農作物や海産物・畜産物などの食材を使った食べ物が並びます。

地産地消を唱えられている今、地元の食材を使うことが多いのです。それなのに、原子力発電所が近隣にできることになれば、放射能で汚染された可能性のある食材を食べ続け、内部被ばくする可能性があるという不安を、常に抱えることになります。

いくら、事業者である貴社から人体や環境への影響はない、杞憂であると言われても、何の保証もありませんし、放射能は蓄積され続けるものであり、不安が払しょくされることはありません。

予定地は豊かな自然に恵まれた、活断層のある地盤の弱い入江であり、原発のこと、現地のことを知れば知るほど、この計画は、わたしたちにとって、利益より環境や人体・
農業・漁業・観光・経済などに与えるダメージの方が大きいものと思われてきます。

(子供や妊婦の健康被害:小児ガンや小児白血病について)

原発周辺の子供は、ガンや白血病にかかりやすいとききます。

ドイツ政府の行なった研究により、原発の立地周辺で5歳以下の子どもが白血病にかかるリスクは、原発と居住地の距離が近いほど増加することを、はじめて
科学的に立証したものとなったそうです。また、アメリカの研究機関の発表では、原子炉閉鎖で乳児死亡率が最大で54・1%も激減したそうです。

そして、万が一、事故が起こった場合、放射線の被害をもっとも敏感に受けるのは、幼い子供や妊婦であり、原発のある地域では、事故時に被ばくした子供が甲状腺がんになるのを防ぐため、事故直後に服用するヨウ素剤という薬が配備されるそうです。(しかし、
そのことは上関原発予定地の近隣に住む住民の間でも、あまり知られていません。)

わたしたちはそんなリスクを、原発が稼働する50年間、子供たちに背負わせたくありません。わたしたちが子供のために望む環境は、原発のない、そのままの自然です。

(自然エネルギーへの転換)
今では、様々な自然エネルギーの技術が存在します。

貴社は、日本は資源がないと宣伝しておられますが、自然エネルギーに恵まれているのではないでしょうか。太陽光・風力・水力・地熱など、様々な自然エネルギーを
利用した発電方法があり、その土地の持つ特色にあった、なおかつ、その土地の環境を極力壊さない発電をわたしたちは望んでいます。

例えば周りを海に囲まれたデンマークでは、洋上風力が盛んです。

豊富な川の水があるブータンでは、ダム型でない小型水力発電により、電力不足に悩むインドへ売電するほどだそうです。地震が多く自然に恵まれた日本には、原発でない、日本に適した他の発電方法が求められていると思われます。

(今回のブイの設置について)

貴社は10月7日午前7時に、別の港に用意しておいたブイを2基、予定地沖に設置し、海の埋め立て工事に着手したと発表しておられます。

中電上関原子力発電所準備事務所は「作業を安全かつ確実に進めるため、今回の手法を取った」と説明されています。

その行動や説明からは、住民の意思より作業優先の考えがはっきりと示されていて、住民の理解を求めている姿勢であるとはとてもいえません。

今回の一件は、正当性を疑われても仕方のない行為だと各社の報道を見て思いました。

話し合いの場がもたれないままの、突然の計画的な作業の仕方に、わたしたちは貴社がなぜそんなことを決行されたのが、まだ信じられない思いで衝撃を
受けています。

わたしたちはこれ以上、この上関原発問題で心を傷つけられる人が増え、貴社と住民との間に対立の溝が深まることを望みません。禍根が残らぬよう、一日も早い、話し合いの場をお願いします。

以上

以下に、要望と質問事項をまとめました。

・田名埠頭での夜間の作業は、一刻も早く中止し、せめて本来、周知されていた日の出から日の入りに変更してください。

・2008年10月に県知事より出された「上関原子力発電所計画への適切な対応について(要請)」という文書に「事業者においては、特に原子力発電所の安全性、信頼性の確保ということを大前提に、上関原電計画について、地元はもとより、県民の理解を得るための努力をつくすこと。」という文言があります。もっと、住民理解を得るために努力が必要なのではないでしょうか?

・理解を求める上で、今後、貴社と祝島などの人たちが話し合う場が必要になると思われますが、具体的にどういう形で実現されるおつもりでしょうか?

・どうか、会社の利益だけでなく、人としての道義も大切にしてください。

・わたしたちはこれ以上、対立が続くのを望んでいません。どうか、人道的な対話をお願いします。

・山口県民、また近隣の県の住民の思い、考えも尊重されるべきではないでしょうか?

・原発の危険性についても近隣の住民への説明をお願いします。わたしたちは、一方的に原発を美化しない、公正な宣伝・広告も求めています。

・もし貴社がおっしゃるように原発が安全なのであれば、なぜ電力を多く使う都会に作らないのですか?

・原発が安全であり、人体や環境などへの影響が軽微であるということが本当であれば、なぜ、125億5千万円という多額の漁業補償契約が必要だったのですか?

・排気筒は150mもの高さがあるそうですが、なぜ、そんな高さが必要なのでしょうか?

・排気筒と排水口から空と海に出た放射能は、大地と海に蓄積されていくのではないでしょうか?

・わたしたちが食べるものが、放射能に汚染されていた場合、内部被ばくする可能性があるのではないでしょうか? 風評被害の恐れはありませんか?

・子供たちが小児白血病と小児がんになる可能性について。

・わたしたちは、消費者として、原子力発電による電力でなく、自然エネルギーによる電力を求めています。

以上

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2009年10月10日 (土)

アフガン反戦行動へ

◎オバマ大統領への期待と失望を越えて━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
アフガニスタンでの戦争に対する米国民の意識の変化は、この9月19日にワシント
ン・ポスト紙とABCテレビの合同世論調査の結果として、「戦う価値がない」との
回答が51%と発表されたことに見られるとおりです。ロバート・グリンウォルド監
督の「アフガニスタン再考(Rethink Afghanistan)」の上映会は全米で10月8日
と9日の両日の予定だけでも40箇所に迫っていることから、この作品が現地で起こ
っていることを広く伝える上で力になっていると思われます。このような意識の
変化が目に見える形でホワイトハウス前に出現しました。Voters for Peace(平
和をめざす有権者たち)のニュースレターを紹介します。
〔前書と翻訳:向井真澄/TUP〕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※凡例: [訳注]
─────────────────────────────

平和勢力、ホワイトハウスでオバマ大統領の戦争に立ち向かう
2009年10月6日[米国での日付] Voters for Peace(「平和をめざす有権者たち」)のニュースレター

昨日、「平和をめざす有権者たち」は、ホワイトハウス前で行なわれたアフガニスタン戦争、拷問および軍事中心の米国の政策に抗議する平和団体の統一行動に参加しました。

およそ500人の人々がホワイトハウスまでのささやかなマーチと大統領官邸前での抗議行動に向かいました。警察が逮捕した人数は、「平和をめざす有権者たち」の平和プロジェクト執行部メンバーであるシンディ・シーハンとデイヴィッド・スワンソンを含めて61人にのぼりました。逮捕理由は、ホワイトハウス前の歩道から離れろとの警察の命令を拒んだことです。

この抗議行動は大手メディアの注目を集めました。本日発行のワシントン・ポスト紙はダナ・ミルバンクによる記事で、平和運動がオバマ大統領を批判し始めた動きとしてこのできごとを報じました。『「ブッシュ」を「オバマ」に、「イラク」を「アフガニスタン」に置き換えて..』とあります
http://votersforpeace.us/press/index.php?itemid=3112)。またCNNでも取り上げられました(http://votersforpeace.us/press/index.php?itemid=3111)。CNNは、シンディ・シーハンの逮捕に焦点を合わせており、平和運動がフラストレーションを行動に転換するときだ、という彼女の言葉を紹介しています。
これらはメディアによる報道の一部で、www.VotersForPeace.US にはそのほかの記事も掲載されています。

「平和をめざす有権者たち」としては、この行動を出発点として、米国民による、いっそうの広がりと力強さをもった反戦の取組みが全国各地で始まることを願います。オバマ政権と議会に、皆さんの声を届ける必要があります。8人の米兵がアフガニスタンで殺された後の月曜日に、ホワイトハウス報道官は、いくつかの選択肢が考慮されたが、アフガニスタンからの撤退はその中には含まれていなかった、と述べました。ギブズ報道官は、「撤退するという選択はないと思います。それははっきりしています。」と述べました(http://votersforpeace.us/press/index.php?itemid=3115)。

昨日のホワイトハウス前の行動に続いて、 どうか、皆さんも今日行動に立ち上がってください。オバマ大統領や地元選挙区を代表する上院下院議員に手紙を書き、脱出不可能な泥沼になる前にアフガニスタン戦争をやめろと要請してください。
http://salsa.democracyinaction.org/o/1312/t/4175/p/dia/action/public/?action_KEY=1490にアクセスしてください。

アフガニスタンに米軍が駐留している間、米軍を占領軍とする見方が日ごとに強まっています。そのことがタリバンを勢いづかせ、アルカイーダにとっては新兵募集のツールとなっています。アフガニスタンにおける軍事行動は米国の安全を脅かします。米国は、不毛で正当化不可能な戦争のために毎週何十億ドルもの借金をする余裕はありません。

オバマ大統領をはじめ、皆さんを代表する議員に対する書簡行動についてはhttp://salsa.democracyinaction.org/o/1312/t/4175/p/dia/action/public/?action_KEY=1490
にアクセスしてください。掲載されている文例を、昨日のデモに言及するなど、ご自分の考えを反映するように編集してください。

行動にうつしてくださってありがとうございます。

平和をめざす有権者たち
事務局長ケヴィン・ジース
VotersForPeace.us

参考サイト:Rethink Afghanistan http://rethinkafghanistan.com/

原文 Voters for Peaceのメイルによるニュースレター
Date:Tue, 6 Oct 2009 18:13:39 -0400 (EDT)
From:Voters for Peace <action@v...>
Subject:The Peace Movement Challenges Obama's War at the White House

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2009年10月 8日 (木)

ファルージャ - 隠された虐殺

2009年07月27日
ファルージャ - 隠された虐殺

2004年の4月と11月、米軍はファルージャに大規模な攻撃を加えました。白旗を掲げて出てきた老人を射殺し、妊婦を運びに出動した救急車に向かって発砲し、化学兵器を用い・・・、犠牲者は数千人に及ぶと言われています。2005年、イタリアのテレビ局RAIは、ファルージャで2004年に何が起きたのかを番組にしました。その紹介と映像へのリンク。古い情報ですが。

ファルージャ - 隠された虐殺
マーク・フェダーマン
2005年11月9日

ファルージャで2004年、本当は何が起きたのだろうか? イタリアのTVネットワークRAIが新たに製作したドキュメンタリーRAIは、イラクで米軍が民間人に対して大量破壊兵器(WMD)と、とりわけ化学兵器を使ったことを暴いている。

問題の兵器はMK77焼夷弾と呼ばれるようで、ベトナムにあまりに多くの恐ろしい死と破壊をもたらしたナパームの後継である。ナパームはその後、国連で禁止されたが、それとまったく同じおぞましい致命的な効果を持つ兵器を、異なる名前で、WMDを大声で非難するまさにその国が用いている。

MK77にはどうやら「ウィスキー・ピート」----軍隊スラングで、白燐を指す---- が含まれているらしい。作戦に参加し、現在、兵務を解かれてRIAのプロデューサに情報を提供した兵士の二人によると、白燐焼夷弾は衝撃で爆発しガス雲を周囲150メートルに広げる。ガスが皮膚に触れると皮膚はすぐに燃え出すという。実際、白燐ガスは衣服の下で皮膚を骨まで焼くため、一見したところ損害を受けていない服を身につけた異様な死体が残る。ガスはゴムとその下の皮膚を溶かすため、ガスマスクも役立たない。ガスを吸い込むと「喉と肺に火膨れができ、窒息し、体内から焼かれる」。

この、30分弱のドキュメンタリー(英語)、「ファルージャ - 隠された虐殺」(asf版はこちら)には生々しい映像と心を乱す場面が含まれている。これらは、アメリカの戦争犯罪としか言いようのないものである。注意して見ること。

ベトナム時代を取り戻すことについて語ろう。

(ジアンルチャのおかげ、たぶん)

「益岡賢のページ」より転載

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グアム 海兵隊移転

◎沖縄からの海兵隊移転がグアムに及ぼす影響
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2006年5月の在日米軍再編ロードマップを受けて、「在沖縄海兵隊の
グアム移転に係る協定」は、2009年2月17日、クリントン米国務長官が
来日して署名し、4月に衆院を通過、参院で否決されたものの、5月19日、
自民党政権末期に駆け込み発効しました。米政府はこの協定を理由に、
8月30日の衆院選後すぐ、民主党の在日米軍再編見直しを牽制しました。
日本が沖縄からの海兵隊の移転費用として出す多額の資金は、グアムの
軍備強化という米軍の戦略の財源として使われます。積算根拠もない
日本の拠出金による軍備強化がグアム島民に沖縄のように重い負担を
強いるとアン・ライトは警告します。〔翻訳: 荒井雅子/TUP〕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※凡例: [訳注]
────────────────────────

軍による植民地化に抵抗するグアム
――25%の人口増を図る米政府、発言権をもたない住民――
アン・ライト
2009年8月17日(月)「コモンドリームズ」ウェブサイト掲載

米中両国の政府には、植民地政策となると、きわめてよく似たところがある。中国政府は、多くの漢民族植民者をチベットに送りこんでチベット民族を数で圧倒し、人と物資を送るために世界で最も標高の高い鉄道まで敷設している。

米国政府は、[連邦レベルの]選挙権のない米領グアムで、地元政府や住民の意向をほとんどまったく聞かずに、人口を25%も増やしつつある。
8000人の海兵隊員とその家族、関係する後方支援部隊と人員――合計4万2000人の新住民――が、現人口17万5000人のこの太平洋の小島(面積はワシントンDCの3倍そこそこ)に移されることになっている。この移住は、島の文化的な、そして社会的な独自性にとてつもなく大きな影響があるだろう。

これらの部隊がグアムに移転する主な理由は、沖縄の市民活動が組織した「米軍基地閉鎖」運動による。第二次大戦終結以来、米国は沖縄に大規模な軍隊を駐留させてきた。

太平洋地域での米国の国益について、私はそれなりに知っているつもりだった。ミクロネシア駐在外交官として2年間勤務し、ホノルルから飛行機で西へ8時間の米領グアムを訪れたことも何度もあった。

でも今月、コードピンク大阪をはじめとし、元国会議員一人も含む日本の平和運動グループがスポンサーとなった研修ツアーでグアムに行き、かくも大量な米軍部隊の移転という決定がもつ新しい側面を知った。

16世紀にまずスペインによって植民地化されたグアムは、1898年、米西戦争に勝利した米国に戦利品として割譲されて植民地となり、フィリピンに向かう船の停泊地となってきた。第二次大戦中の1941年12月8日、真珠湾攻撃の翌日に日本軍の攻撃を受け、占領された。島の米国人住民は、攻撃前に米国政府によって退避させられていたが、地元チャモロ人は置き去りにされていた。2年7カ月にわたる日本占領下、チャモロ人は日本軍による強制労働、強制収容所、強制売春、強姦、処刑を耐え忍んだ。米軍は3年半後の1944年7月21日、グアム奪還のために戻った。

1950年、米議会で制定された法により、グアムは「未編入領域[憲法が完全に適用されない海外領土]」とされ、世界に残る16の「非自治地域」の一つとして、住民に米国籍が与えられた。

第二次大戦後、米軍は、何の補償もなく地元住民から土地を接収し、重要な空軍・海軍基地を建設して、今も使用している。現在、空軍3000人、海軍2000人の兵員と、その他の連邦安全保障関係部局の職員1000人がグアムに配置されている。

3人のグアム議会議員の話によれば、米海兵隊の大規模移転をめぐる日米両政府の折衝で、グアム政府はきちんと意向を聞かれていないという。
グアム政府官僚には、軍拡大計画に関するしっかりした情報がほとんど与えられていない。グアム財政は、この熱帯の島を毎年訪れる数十万の日本人がもたらす観光収入によって支えられており、島のさらなる軍事化による影響を、官僚たちは非常に懸念している。

移転してくる海兵隊の実弾射撃訓練場を確保するために、地元チャモロ人の所有する土地950エーカー(約3.8平方キロメートル)が、さらに強制収用の対象となるという噂が彼らを悩ませている。ベトナム戦争のエージェント・オレンジ[枯葉剤]の残りをはじめとする基地の有害廃棄物、さらに劣化ウランから作られる砲弾などの弾薬が島で使われる可能性もまた、グアム住民の懸念材料になっている。

8000人の海兵隊員を沖縄から退去させるため、日本政府は移転費用として60億ドルを米政府に支払っている。25%の人口増を引き受けるには島の道路、上下水道、送電網に大規模なインフラ整備が必要となるだろうが、移転資金のうち、十分な額がこのインフラ整備にあてられないのではないかというのが、グアム官僚たちの懸念である。軍は基地の整備はしても、住民に対しては、多くの兵員の移転で生じるインフラ問題に苦労するに任せるだろうと彼らは思っている。

日本市民もまた、米軍を日本から退去させるために米政府に支払った数10億ドルの詳細について、蚊帳の外に置かれている。私たちの調査団の日本人メンバーたちは、地元グアムの活動家たちから、グアムでの中流階級の住宅の建設費は25万ドル前後であり、一方、移転予算では、基地での新築費用として一軒あたり65万ドルが日本政府に求められていると聞き、非常に驚いた。日本政府がそうした水増し計画に資金提供していることを日本側調査団は大変懸念し、帰国後に国会議員に対して、予算をめぐる問題提起をする予定でいる。

グアム産業界にとっての懸念は、間もなく始まるグアムでの米軍の建設プロジェクトで、25億ドル以上に上る契約について米下院議員たちが日本の建築業者に米国企業と同じ入札資格を与えようと考えていることだ。日本政府は米国政府と同様「海外で」資金提供する政府開発援助計画から自国の企業に利益が得られるようにしている。海兵隊の移転費用100億ドルのうち60億ドルを負担している日本は、グアムでのインフラ整備プロジェクトの建設契約を通して資金の一部が日本に還流することを望んでいる。

多くのグアム政府官僚も大勢の市民も、海兵隊の移転による人口の大幅な増加と島の軍事化がもたらす、文化的、経済的影響、また安全保障上の影響に強い懸念を抱いている。基地内で比較的裕福に暮らし、住宅、学校、サービスの面で恵まれている層との間にある文化的断絶は、何年も米軍と地元住民との摩擦の原因になってきた。

グアム官僚は、グアム政府が財政的に逼迫している中、米軍基地施設でのきわめて高額の支出に困惑を禁じえないと述べた。米空軍が最近、2700万ドルをかけて基地内に動物用の小屋を建てたと知って、驚愕したという。動物用の一スペースあたり10万ドル。地元では行政が、動物どころか市民にさえ、十分なインフラを提供できずにいるときにである。

グアム大学の教授陣と学生たちは、米海兵隊の移転により島で暴行や強姦が急増する懸念を表明した。日本政府が米政府に軍の一部を沖縄から退去させ得た理由の一つには、米軍兵士による強姦に反発して起きた大きな住民運動があったからと彼らは考えている。

2008年、駐日米大使が沖縄に飛び、海兵隊員による14歳の少女の強姦について謝罪を表明しなくてはならなかった。沖縄駐留米軍は「反省」のため3日間外出禁止措置を取り、コンドリーサ・ライス国務長官が日本の首相に対して、「沖縄で起きた痛ましい出来事をめぐり…[被害者の]少女とご家族の安寧に心を痛めている」と「遺憾の意」を表さなればならなかった。

米海兵隊二等軍曹タイロン・ハドナット(38歳、海兵隊勤務歴18年)は、2008年2月10日、14歳の少女の強姦、児童に対する性的虐待、偽証、姦通および誘拐を行ったとして、2008年4月に訴追された。

2008年5月17日、ハドナットは性的虐待で有罪となったが、他の4つの容疑の訴追は取り下げられた。懲役4年の判決を受けたものの、刑期の4年目を猶予する司法取引により、服役は最長で3年となる。この他に二等兵への降格、米海兵隊からの不名誉除隊の処分を受けた。

ハドナットに対する強姦の告発は、10数年前に起きた非道な強姦の記憶を呼び覚まし、日本中に怒りを巻き起こした。福田首相は、ハドナットの行為は「許しがたい」と述べた。

海兵隊のグアム移転をめぐって、米議会には懸念が渦巻いている。下院軍事委員会委員長アイク・スケルトンは、グアム移転の規模、範囲、費用について懸念を表明した。「100億ドルを超す(40億ドルという当初の費用予測の2倍半)巨大プロジェクトであり、構想が未だ十分に熟していないのではないかと懸念している」と最近の議会公聴会でスケルトンは述べている。「移転は必要だが、しかるべきやり方で行わなくてはならない」

アジア太平洋地域の米軍「前方展開」戦略に反対するグアムの活動家たちは、米軍は太平洋の小島にではなく、人口も多くすでに大規模軍事基地もあって駐留を受け入れやすい米本土に大部隊を移転させるべきだと強く思っている。

しかし、米連邦政府が政府プロジェクトに地元の意向を考慮することはめったにない。とりわけ、米政府の権力の中心から遠く離れた地域での軍事プロジェクトについては。

グアムの活動家たちは、自分たちの声にきちんと耳が傾けられ、尊重されること、ただの植民地住民として扱われないことを求めている。

(アン・ライトは29年間米陸軍・陸軍予備軍に勤務し、大佐として退役した軍人であり、元外交官だったが、2003年3月、イラク戦争に反対して辞任した。勤務地は、ニカラグア、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギス、シエラレオネ、ミクロネシア、モンゴル。2001年12月、アフガニスタンのカブールで米大使館の再開にあたった、数少ない担当者の一人である。
著書に『異議あり-戦争に黙っていてはいけない』(コードピンク大阪、
2009年)がある。(www.voicesofconscience.com) )

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2009年10月 5日 (月)

植草一秀さん出所

2009年10月 5日 (月)
皆様のご支援とご厚情に深く感謝申し上げます

昨日、勾留地より、無事帰還を果たしました。多くの皆様にご支援、ご心配、激励を賜りましたことに衷心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

不在中におきましても、本ブログを熱烈にご支援賜りまして誠にありがとうございました。また、多くの皆様から激励のお便り、お言葉を頂戴いたしまして感謝の気持ちに堪えません。

無実潔白の人間に対して、このような形で公権力が行使されたことに、強い憤りを感じます。

しかし、この世には無数の不条理と理不尽とが横たわっており、その一端を学ぶ機会を天が私に与えたものと理解しております。

この意味において、勾留地においては極めて濃密で充実した時間を過ごさせていただきました。極めて充実した意義深い時間を持つことができましたことに感謝しております。

この期間に設定された総選挙においては、政権交代を目指す旧野党勢力が圧勝し、見事に政権交代実現の大業を成就いたしました。本ブログをご支援下さる皆様とともに、この大業成就の喜びを分かち合いたいと思います。

しかし、政権交代はゴールではなく、あくまでもスタートに過ぎません。この政権交代に確固とした魂を吹き込んでゆくことが不可欠だと感じております。政権交代を阻止しようとした勢力は現在も存在し続けており、今後、さまざまな手段を用いて新政権を攻撃してくるものと予想されます。

このたびの政権交代は、55年体制成立以来60余年、大日本帝国憲法発布以来120年、明治政府樹立以来140年にわたって持続した「この国のかたち」を刷新する意味を伴っていると考えます。さらにさかのぼれば、江戸時代に確立した日本の階層構造=1600年体制の刷新の意味さえ含むものと思います。

歴史的な大改革である以上、改革実現に時間と忍耐を必要とすることは言うまでもありません。まずは4年間、大改革の礎石を築くことが優先されなければなりません。その実現のためには、どうしても2010年の参議院選挙で今回の歴史的転換の流れを維持しなければなりません。

旧勢力に支配されている大多数のマスメディアが、あらゆる手段を用いて抵抗を示すことが予想されるなかで、私たちは冷静に現実を見つめて、新しい流れを、正しい方向に誘導してゆかなければならないと思います。

微力ではありますが、私も自分にできることを見つめて、尽力して参りたいと考えております。

勾留期間中に考えてきたことがあり、今後の活動方法を変更いたしたく思います。まずは、今回の政権交代の意味について、文章として整理し、何らかの方法で世に問うことを検討しております。

その関係で、ブログでの論考掲載の時間的間隔が大きくならざるを得ないと予想しており、この点につきましてご理解を賜りたく存じます。

今後の活動方針につきましては、改めて本ブログに掲載して参る予定ですので、何卒ご高覧賜りますようお願い申し上げます。

なお、発行を中断しておりました『金利・為替・株価特報』につきましては、10月上旬号より発行を再開いたしたく存じ上げます。ご購読の皆様には、大変ご不便をおかけしましたことに深くお詫び申し上げます。新政権の政策運営にも寄与するべく、内容充実を図って参る所存ですので、多くの皆様のご講読を謹んでお願い申し上げます。

この間、多くの皆様から身に余る、言葉には尽くせぬお力を賜って参りました。誠に略儀ではありますが、この場をお借りして、心より厚くお礼申し上げます。何卒今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

取り急ぎ皆様へのお礼の言葉とさせていただきます

植草一秀の「知られざる真実」より転載

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2009年9月24日 (木)

鳩山「理系」政権に期待

記者の目:硬直した役割分担社会、変えよう=元村有希子(東京科学環境部)

 ◇鳩山「理系」政権に期待 科学思考、生かせ

 鳩山由紀夫首相が就任した。東京大工学部で応用数学を学び、博士号も持つ初の「理系」首相だ。さらに、政権の中枢を理系が占めた。明治以来、日本をひっそりと支えてきた理系人たちが表舞台に立った。鳩山政権の手腕は未知数だが、文系主導の社会を変えていく潜在力に注目している。

 研究者や技術者らの生き方を通して「科学技術立国日本」を検証する毎日新聞の連載「理系白書」(02年1月~)が03年6月に単行本になった時、編集者がつけた副題は「この国を静かに支える人たち」だった。大学や大学院で理学、工学、農学などを学んだ「理系人」たちはその専門力で社会に貢献してきたが、組織のトップの座からは遠ざけられてきた。

 その典型が官界だ。キャリア官僚は採用時、事務官(文系)と技官(理系)の割合は半々なのに、トップの事務次官は9割以上が東大法学部卒の事務官である。1871(明治4)年の「工部省沿革報告」には「技術官僚は事務官僚より地位を低くすべきだ」との内容が明記されている。文系が決め、理系は従う「文高理低」の伝統は今も続く。

 政界では理系が絶対的に少ない。国会議員の理系比率は1割程度とも言われる。だから余計に新政権の異例さが際立つ。菅直人副総理は東京工業大で応用物理を学んだ。平野博文官房長官は中央大理工学部を卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に勤めた。川端達夫文部科学相は東レの研究開発畑出身。首相と閣僚計18人のうち4人が理系である。

 戦後政治を支配してきた自民党の人材供給源は主に官僚と議員の子弟で、理系人が入る余地は少なかった。一方、民主党はメーカーの労組出身者に加えて、地縁・血縁や組織票を頼れない独立独歩の人材も多い。その中には志を持った理系人も少なくなかった。これも政権交代の一つの「成果」ではないだろうか。

 政財官の「気心の知れた」文系集団が方向を決めてきたのが戦後日本だった。実際、高度経済成長は「文系が決め、理系が作り、文系が売る」役割分担で実現した。しかしその手法はもう古い。日本は自国の幸せだけでなく、世界が直面する複雑な問題の解を示す役割を求められている。

 鳩山首相が「温室効果ガス排出を20年までに25%(90年比)削減する」と表明し、国際社会で評価されている。自民党が積極的な温暖化対策に踏み込めなかった理由の一つは財界への遠慮だっただろう。政権交代を機に、温暖化対策に消極的な日本経団連(御手洗冨士夫会長)が民主党と距離を置き、企業経営者が個人で加入する経済同友会の存在感が強まってきたことも興味深い。その同友会のトップ、代表幹事の桜井正光リコー会長は早稲田大理工学部卒で、「企業も応分の責任を」が持論だ。しがらみにとらわれずデータに基づいて分析し、判断するのは理系の得意分野といえよう。

 理系指導者は、海外では珍しくない。英国のサッチャー元首相は化学、ドイツのメルケル首相は物理学、中国の胡錦濤・国家主席は水利工学、温家宝首相は地質学。理系、文系を問わず実力で登用された結果だ。

 「理系は視野が狭くリーダーには不適」と危ぶむ人は多いが、文系社会で生き残ってきた理系人には、このステレオタイプな欠点を克服している人が多い。

 橘木俊詔(たちばなきとしあき)・同志社大教授らの企業役員意識調査(93年)によると、理系役員は出世欲は文系役員より低いが、冒険的アイデアを尊ぶ傾向が強かった。また、彼らの6割以上が技術や製造など理系部門だけでなく、営業や企画、経理など「文系職場」で働いた経験があった。

 技術と経営の両方が分かり、いざという時にはリスクを取る理系リーダー。政治と科学の関係に詳しい角南(すなみ)篤・政策研究大学院大学准教授は「国際社会でも、科学技術が分かる指導者の方がこれからは有利だ」と指摘する。温暖化対策や途上国開発など、外交に科学技術が登場する場面が増えている。ただし、角南さんは「理系はコミュニケーションを軽視したり説明不足になりがち。文系のブレーンと協力して欠点を補う努力を」と注文を付ける。

 鳩山「理系」政権の誕生は、文系、理系と色分けしない社会に日本が脱皮するための第一歩だと考える。実現には、子どもを高校在学中に文系・理系に分けてしまう教育の見直しに加えて、社会の意識改革も必要だ。政権交代が生んだ「静かな革命」を、期待とともに見守りたい。

「毎日JP]より転載

******

政治家を文系、理系という分けかたでみたことはなかった。記事を見て、なるほど、こういう側面もあったのかとあらためて、考えさせられた。

物事を、ありのままに事実を把握すること、データーを集めること、その他人間を含めて多面的に情報を集めることなどは、情勢をどのように判断し、何を行っていくのか、政策を進める上で、とても重要なことである。新政権の大臣たちには、分野ごとにそれなりのエキスパートとなっていってくれることを求めたい。

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2009年9月23日 (水)

新政権に拉致解決を望む

      新政権に拉致解決を望む    下司孝之

この8月、クリントン元アメリカ大統領が自国記者を平壌から連れ帰ったのは記憶に新しい。

ついで韓国の財閥、現代グループの玄貞恩会長も拘束されていた社員を粘り強い交渉で連れ帰っている。北朝鮮の核を巡る六カ国協議で日本が緊密に連携しているこれらの国は機敏だ。

ひるがえって我が国政府は「対話と制裁」というけれど、その実、制裁が全てで7年間を過ごしてきた。新政権には効果のない制裁にしがみつくよりも交渉と対話による局面打開を望みたい。

道義にもとる拉致には、高い道義性であたるべきで、阻害要因になっている我々の側の環境を整えていく必要があると思う。

日本各地には連行されて労働の中で死亡し、返還されないままの遺骨が残っているし、この9月広島市医師会による北での被爆者健診が制裁強化で中止に追い込まれているが、人道的な取り組みまで中止させてなんの制裁か。

かつて小泉首相が二度の訪朝により8割以上の国民的支持を得たのは拉致案件を進展させたばかりでなく国交のない最後の国である北朝鮮との国交樹立への期待感があったからだ。

日本が米朝の狭間で埋没をしないで自己主張できるのは、アメリカに対朝鮮核攻撃せずとの確約をさせ、北朝鮮の核兵器を放棄させることだ。

極東の安定に貢献、核放棄をした最初の国として朝鮮の面子はたつし、日本が主体性を発揮することでより拉致交渉は進展すると思う。

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2009年9月20日 (日)

詩 「空」

       空

中央アジアの地 ウズベクの
古いメドレセの塔にのぼる
どこまでも平らに続く
土色のオアシスの町にも
緑の木々と畑地
見上げた空のその先端は
遠く畑の向こうに落ちて
空と地面の交わるところ
ぐるりとめぐらせば
360度の地平線
丸い 地球は丸い!

この日 頭上に
太陽の姿はなく雲ひとつなく
わずかに灰色を溶かしこんで
うすぼんやりとした青一色の広がり
混色の不透明な青は
近いのか とても高いところにあるのか
どこまでも曖昧で距離感を失う
気がつけば
空は巨大な半円形のドームであり
町を包み畑地を囲み
圧倒的な威容さをもって押し迫り
私は空の囚われ人となる

これは、果てしない大空ではない
半円形に型どられた有限の空である
そうして
閉じられた系の中を私は見ているのだ
自明の知識などはるかに超え時を超えて
ただあるがままの事物の中で
私も又ひとつの物としてあるのだ

日常に戻れば、
マンションの片隅から見える空は
あちらこちら
家々の屋根やビルに切り取られ
小さな切片となり
青のドームを見ることはない
しかし 折ふしに
澄んだ青空のすぐ向こう
マイナス270度の凍てついた空間
音もなく漆黒の闇が広がっていることに
かすかな恐怖を感じることがある

mm記

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2009年9月19日 (土)

蓮池透さんは

蓮池透講演会

     蓮池透さんは、北朝鮮へ拉致されていた蓮池薫さんのお兄さんで、拉致被害者家族会の元事務局長です。まだ、北朝鮮に残されている拉致被害者救出のために、家族会の中で中心的な活動をしてきました。
     しかし現在は、家族会とは一線を引いています。
     これまでの経済制裁等圧力一辺倒の強行路線では、解決にはならないと考え始めたからです。
     拉致が明らかになってすでに7年、膠着状態のままで、はたして、日本政府の対北朝鮮外交政策は正しかったのだろうかと問いかけています。
     北朝鮮への経済制裁ではなく、両国の行動の同時実施、そして、交渉と対話を重ねていくことの中から、解決への道が開けるのではないかと私たちに投げかけています。
     蓮池さんのお話をお聞きしながら、拉致問題解決への考え方と方向性をさぐっていきたいと思います。

     主催  サロン金曜日 URLhttp://saron-kinyoubi.cocolog-nifty.com/
                     Mail: saron.kinyoubi@ymail.plala.or.jp

     ○ 蓮池透講演会

     日 時 9 月26 日( 土)午後2時
     場 所 高知県人権啓発センター
     参加費 1,000 円( 高校生以下無料)

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2009年9月16日 (水)

上関原発建設

山口県の祝島で、上関原発建設阻止のたたかいが緊迫しています。
昨日のTBSニュース。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4233923.html

*******************************************************

祝島島民の会からの呼びかけとお願い 2009/9/14

※2009/9/10から3日間の阻止行動を続け、また本日9/14も
阻止行動を継続している祝島島民の会からの呼びかけです

瀬戸内に残された豊かな海が、今、原発のために埋め立てられ
ようとしています
1982年に山口県の上関町に原発建設計画が持ち上がってから、
地元住民は賛否の対立に苦しんできました
28年たった今でも未だに続いています
そして原発予定地の対岸わずか3.5kmに浮かぶ祝島では、
住民の9割が計画に反対し続けてきました

原発建設予定地周辺は豊かな漁場であると同時に、小型の鯨の
スナメリが群れをなして泳ぎ、天然記念物のカンムリウミスズメの
生息が確認されるなど、希少な動植物の宝庫でもあります

しかし昨年山口県は、原子炉設置許可申請すら出されていない
状況にもかかわらず海の埋め立ての許可を出してしまいました
そして今、中国電力は原発建設予定地の目前に住む祝島の
島民に対する説明も対話もないまま、海の埋め立てと原発の
建設を強行しようとしています
私たちは自分たち自身の命や生活を守るために、生活の糧である
美しい海や豊かな自然を守るために、中国電力の埋め立ての
強行に抗議しています

祝島島民の会では9/10から12までの三日間、埋め立て工事の
先鞭となる大型浮標(ブイ)の搬出を阻止するため、平生町の
田名埠頭で阻止行動を続けてきました
この3日間で延べ漁船80隻以上、陸上からも500人以上の
人たちが阻止行動に参加しました

そしてまた本日9/14も、海上では漁船約30隻が、陸上では
県内外からの応援に駆けつけてくれた人たちも含め100人以上が
阻止行動を行っています

祝島島民の会ではホームページ( http://shimabito.net/ )や
当blog( http://blog.shimabito.net/ )も開設していますが、
多くの島民が阻止行動に参加しているためリアルタイムで現地の
様子をお伝えできません

現地の状況は
RadioActive( http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/
に特に詳しく紹介されていますので、ぜひご覧ください

これまでの動きについてはUrauraNews
http://iwaijima.jugem.jp/ )や小中進オフィシャルサイトの
ニュース&トピックス
( ttp://www.midori-konaka.jp/cgi-bin/news/view.cgi?m=slst&reles=1 )
等で紹介されていますので、ぜひご覧ください

祝島島民は、特に今回の埋め立て工事の強行に対しては、地元の
反対の声を無視して埋め立ての許可を出した山口県と、その許可を
たてに反対意見を「一部の声」として力で押しつぶそうとし、
祝島をはじめとした地元住民の27年以上に及ぶ思いを理解しようと
する態度すら見せない中国電力に対しての怒りや憤りを強く感じて
います

山口県は埋め立ての許可を出す際に、中国電力に対して地元住民や
県民の理解を得る努力を尽くすことを要請してますが、それが
果たされていないことは現地の状況をみれば明らかです

どうか山口県や中国電力に対して「地元住民の理解を得ていない
埋め立て工事は中止するべきだ」という抗議の声を届けてください
疑問があれば問い合わせをして彼らの姿勢を質してください

そしてこの呼びかけを多くの方々につないでください
どうかご協力をお願いします

2009/9/14
上関原発を建てさせない祝島島民の会
iwaishima@gmail.com

山口県
・海の埋め立てに関してはこちら
土木建築部港湾課
TEL083-933-3810(管理班、港政班)
FAX083-933-3829
メールアドレス a18700@pref.yamaguchi.lg.jp

・スナメリやカンムリウミスズメなどの希少生物についてはこちら
環境生活部自然保護課
自然・野生生物保護班
TEL(083)933-3050
Fax(083)933-3069
Mail a15600@pref.yamaguchi.lg.jp

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2009年9月12日 (土)

アメリカの医療保険改革

本日の言葉「preexisting condition」(前からある状態、既往症)■

国際ニュースに使われる英語をご紹介するこの月曜コラム、今週はアメリカを席巻している「医療保険改革なんかいらない!」騒ぎについてです。国民皆保険を当然のものとしている日本人にはなかなか理解しにくい、あの人たちは何をあんなに怒って恐れているのか、についてです。(gooニュース 加藤祐子)

○アメリカの夏は怒鳴り合いの夏

アメリカの夏は、医療保険改革の夏になってしまいました。もっと正確に言うと、医療保険改革に反対する(主に)白人保守派が各地のタウンホール・ミーティングで激高し、議員を怒鳴りつけ、「オバマは私のお祖母さんを殺すつもりだ!」「みんなオバマが怖いんだ!」などと叫ぶという。

アメリカの保守派白人の極論ぶりを知っていたつもりの私でも、「なんなんだこれは……」と当惑するほど。「なんでこうなのか」の説明を探していたら、「それが分からないあなたは、アメリカが分かっていない」とやりこめられる記事を見つけました。

ジャーナリストで歴史家のリック・パールスタインは米ワシントン・ポストに寄稿し、「アメリカにはクレージーという既往症がある(In America, Crazy Is a Preexisting Condition)」のだと。そしてタウンホールミーティングで怒鳴りまくる白人たちは、保険業界や保守派組織に扇動されて演出されている部分もあるが、それだけでないのだと。

いわく、彼らは本当に自発的に「草の根」的に、オバマ政権が提案する「見知らぬもの」を恐れて怯えて怒鳴っているのだと。アメリカでは真の政治的変革が起きるとき必ず、こうやって「扇動された自発的な怒り」が噴出するものなのだと。アメリカという国では「リベラル政治が台頭するたびに、クレージーな木が満開の花を咲かせ、エリートたちは自分たちの利己的な利益のために、クレージーな連中を悪用する」のだと。アメリカはそういう国なのだと理解できなければ、アメリカは理解できないのだと。

……なるほど。ではその「クレージー」の噴出をいったん乗り越えないと、医療保険の中身の話はアメリカでは出来ない。この8月の暑い最中でのこの騒ぎは、ある種のガス抜きだったのか??と考えるのはうがちすぎでしょうか。それくらい、アメリカでの医療保険議論(議論と言えるのかどうか)は日本人には、とても理解しにくいもので。

○4600万人が無保険のアメリカ

国民医療保険制度は国家の財政を圧迫するから自己負担率を上げるべきだが、上げすぎると医療費が払えない人が出てくる。あるいは保険料すら払えない人たちはどうすべきか。保険適用となる治療、あるいは適用除外になる治療の違いは誰がどう決めるべきか。保険点数の高い治療や投薬ばかり患者に押し付ける医者はどうしたらいいのか???。

医療保険制度について日本人になじみのある議論というのは大体こういう内容だと思うのです。国民全員が収入のいかんを問わず、健康維持に必要な医療を受けられるようにするには、社会がどうやって負担を分担すべきか。これが、議論すべきことだと。日本のように、(ILOによると失業者の77%が無保険状態だという問題がありつつも)国民皆保険が当然のこととして社会に組み込まれている国では。

けれどもアメリカは違います。そもそも国民保険制度がなく(公的保険に加入できる高齢者と低所得者は例外として)、ひとりひとりが保険会社と契約しなければ病院に行くたびに全額負担だというのが、アメリカのいわば「伝統」です(医療ドラマ「ER」にはたびたび、保険会社に治療の支払いを断られたとか、医師が勧める治療法ではなく別の治療法を保険会社が要求してきたとか、そういうやりとりが出てきますが、あれです)。

そしていまアメリカでは、4600万人が無保険状態だと言われています。理由は保険料が払えなかったり、失職と同時に医療保険も打ち切られてそのままだったり、既往症(preexisting conditions)があるから加入が認められなかったり、既往症の治療費が限度額を超えるから加入が認められなかったり。あるいは加入後に病気にかかり、契約を打ち切られたり。

こういう問題だらけの状態を変えなくてはとアメリカではたとえばクリントン政権が医療改革に乗り出したものの、保険業界や製薬業界ロビーの強力な抵抗にあって頓挫。そして医療保険改革を公約して大統領になったバラク・オバマ氏も、保険業界と製薬業界と保守派の強硬な抵抗に遭っています。

冒頭で書いたように、8月に入り民主・共和両党の議員が各地で開いているタウンホール・ミーティングが、実に派手な侃々諤々の非難中傷と怒鳴り合いの場になっていて、「town hall」ではなく「town hell (地獄)」だと言われるほど。

○「死の委員会」というフレーズが

オバマ政権の医療保険改革に声高に反対しているのは、おそらく自分は医療保険に入っているだろう白人高齢者だったり、まだ健康保険の必要性がそれほど身にしみていないのかもしれない白人の20代~30代。そういう人たちが中心となって、声を荒げているのです。

民主党による説明がこれまであまりに分かりにくかったということもありますが、反対派が問題にしているのは財政への影響や個人負担率のことよりもまず、「私のアメリカを壊すな!」と。あるいは「ガンにかかった年寄りや、先天的な障害を持つ子供は治療しないんだろ。それを決める政府の『死の委員会(death panel)』を作るんだろ!」などと。

オバマの「death panel」が私の祖母やダウン症のある私の息子を殺すのよ??などと演説でまくしたてたのは、あの(私は何かを途中で投げ出したりしないと言いながら知事職を任期1年以上残して辞めた)サラ・ペイリン前アラスカ州知事その人でした。

政府が「死の委員会」を作るなど、そんなことはありません。「そんなことはありません」とオバマ大統領自ら語り、ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿しなくてはならなかったほど。オバマ氏の説明によると政府が目指す改革案は、(1)無保険の人に安価な公的保険を提供し、(2)今ある公的保険の非効率を解消し、(3) 保険会社の取り分を減らすことで高齢者の長期的治療を可能にし、 (4) 保険業界への監督を強化し、既往症があるからといって保険加入を断られたり、病気にかかったからといって適用除外にされたり、医療費が払われないなどの問題が起きないようにし、(5) 健康診断、がん検診も保険適用にするためのものです??と。

オバマ氏が自らこうやって分かり易く説明しはじめたことで、今までの騒ぎは少しは静まるのでしょうか。ペイリン前知事やフォックス・ニュースのコメンテーターたちがまくしたてている誤った情報が、おそらく保守派の思惑通りに一人歩きして、法案を読んでいるはずもない人たちを激高させ、そういう人たちが保守派組織のお膳立てにのってタウンホール・ミーティングに乗り込み、「お前たちは私を殺す気か!」と議員に怒鳴ったりするという、そういう今までの騒ぎは。

なぜ保守派はこうなのか。もちろん保険業界・製薬業界の巨大利権にからんで巨額のロビイストマネーが背後で動いているのでしょう。でもそれだけではなく。「私のアメリカをめちゃくちゃにするな!」「この国を社会主義にするな」「オバマ政権はまるで(優生政策を実施した)ナチス・ドイツだ」「私のアメリカを返せ!」と繰り返されるスローガンはいったい何なのか。ただ「クレージー」なのか。それとも、クレージーだからこそ、ともかく大きな政府に自分の生活を邪魔されたくないという頑ななまでの「小さい政府主義者」には、生々しく響くのか。

○「ほっといてくれ」と言って他人の権利を侵害

ペンシルベニア州で民主党のアーレン・スペクター議員が開いた集会で、ある白人のお年寄り男性が議員にこう言っていました(怒鳴りわめいているほかの人とは違って、静かに。でもきっぱりと)。「Just leave us alone(もうただ、ほっといてくれ)」と。

自分の面倒は自分で見るから、ほっといてくれ。ワシントンは自分たちの生活に土足で入ってくるな、と。

独立独歩の自立心溢れるフロンティア精神もかくや、と言えば聞こえはいいですが、ワシントンは別に、この男性が公的保険を必要としないなら決して押し付けようとはしていません。そのことに目をつぶって「ともかくほっといてくれ」と反対している。おまけに自分が良くないと信じることは、他人にも良くないはずだから、他人がそれをする権利にはとことん反対している。

去年の大統領選終盤にやはり保守派が騒いだから騒ぎになった、「オバマは社会主義だ!」騒動にも似ていて。ともかく政府が自分たちの生活に介入するのがイヤだと。だから政府に助けてもらいたいと思っている他人にも「そんなことさせるわけにはいかない!」と。

これは保守派の中絶反対議論にもとてもよく似ています(「中絶は殺人だから、私がそれをしないだけでなく、全ての女性にそれをさせない」というのが、アメリカの中絶反対派の議論)。だから医療保険改革案に反対する白人保守層の多くが、医療保険改革は「中絶を認めている」と騒いでいるのも(実は適用外なのに)、なるほど同じ論法だからで、腑に落ちます。

法案を読んでもいないし、実際にはそういう内容ではないのに、「あんたが病気になったら、治療法を政府が決めるんだぞ。あんたの母さんはもう年寄りだから、死なせた方がいいって政府が決めるんだぞ。あんたに障害児が生まれたら、助からないから死なせた方がいいって、政府が決めるんだぞ。これは陰謀なんだぞ」という毒と誤りに満ちたプロパガンダを保守派コメンテーターや保守派有名人に洗脳されて、「とんでもないぞ!」と怒っているのです。

去年の大統領選のサラ・ペイリン騒動といい、オバマに対する根深い反発といい(「オバマはケニア人だ」とか「オバマはムスリムだ」とか「オバマはアラブだ」とか)、いったいこれは何なのかと。

○繰り返される陰謀論

どうしてこうも陰謀論が繰り返されるのか。

英フィナンシャル・タイムズのワシントン支局長の記事に、ヒントを見つけました。記事中に紹介されていたリチャード・ホーフスタッター(著作『アメリカの反知性主義』が有名)の本『The Paranoid Style in American Politics(アメリカ政治のパラノイア的方法論)』によると、アメリカという国はそもそも陰謀論を受け入れやすい、そういう傾向があるのだというのです。そもそも移民国家で根無し草的なアメリカ社会において、経済的な不安あるいは自分の社会的立場について不安を抱いている人は(そして経済的に困窮する白人家庭がこれにあてはまる)、スケープゴートを作り出して攻撃する政治手法にだまされやすいのだと。

なるほど……! つまりは、「オバマはナチスだ!」と騒いでいる人たちこそ、ユダヤ人をスケープゴートにしたナチスドイツに扇動されたドイツ人と同じだという。何という皮肉。

フィナンシャル・タイムズのエドワード・ルース支局長はこの記事で、「医療制度に関するパラノイアは、アメリカの文化戦争の一部だ」と分析しています。ここで「文化戦争」と強引に訳した「culture war」というのは、大統領選でも話題になった、「主に東岸・西岸や都市部に住み、高学歴・高収入で国際的視野を持つリベラル」vs「主に南部・中西部や農村部に住み、学歴は高くなく、海外渡航歴もあまりない、熱心なキリスト教徒の保守派白人」との価値観・ライフスタイルの対立のことです。

そして後者の保守派白人がなぜ怒っているかというと「非アメリカ的 (un-American)な価値観によってアメリカの伝統的な価値観と、アメリカの憲法がボロボロにされているから」だと。

そしてこうした保守派白人の怒りを前になぜ高学歴リベラルが途方にくれてしまうかというと、オバマ夫妻にしろクリントン夫妻にしろ、そうしたリベラルたちは、「議論の勝ち負けを決めるのは、優れた理性と道理だと信じてきたからだ」と。しかしどんなに理性ある冷静な議論を尽くしても、怒れる保守派を納得させることは不可能だと。「どんなに反対の証拠を並べ立てようが、オバマ氏が『死の委員会』を作るつもりだという考えは、決して消えてなくならない」「どんなに理性的に説明しようが、国民保険制度のあるカナダやイギリスは決して、治療の優先順位の最後尾に弱者を押しやったりしていないと、そんなことはないのだと論駁できない」のだと。

確かに。どんなに証拠を突きつけられようと、月面着陸はなかったと信じたい人は信じるし、9/11の同時多発テロは米政府の陰謀だったと信じたい人は信じるし、オバマ大統領はハワイではなくケニア生まれのケニア人だと信じたい人は信じる。陰謀論というのはそういうものです。しかし、医療保険までがその陰謀論の世界観に染まってしまうとは、私はうかつにも予想もしていませんでした。

自分たちの信じてきたライフスタイルが(なんだヨーロッパ的な、社会主義的な訳の分からない)ものに、とっかわられようとしている。しかもよりによって、ケニア生まれでアメリカ人ですらない黒人大統領のせいで! そう恐れて怯えて怒り狂っている、手負いの動物みたいな状態の人たちに、オバマ的な、あるいはクリントン的な繊細な理性で反論していっても届くはずがない。だからこそ、ルース記者の提案は的を射ていると思いました。

オバマ氏はもっと、ガンと戦って亡くなった(白人の!)母親について語るべきだと。自分の母親は保険会社に治療を拒否されて、死んでいったのだと。こんなことはあってはならないことだ、これは「un-American」(アメリカらしくない)ことだと、もっともっと強調するべきだと。いわば泣き落としにかかればいいのだと。

きわめて理性的で理屈っぽい今の大統領はそういえば、きわめてエモーショナルに「Yes, we can」と呼びかけることで大統領になったのですから。泣き落とし、いやかもしれませんが、やってみる価値はあると思います。白人保守派は、正義感はむやみやたらと強いので。泣き落としで、彼らの義侠心を駆り立てるべきです。でないと、必要な、中身の議論がいつまでたっても始まらない。

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2009年9月 9日 (水)

オバマ大統領様

民意が届くか試金石
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9月4日付け朝日新聞朝刊によると、アフガン駐留米軍司令官のマクリスタル将軍が「戦況評価報告」でアフガニスタン戦略の見直しを示唆したことを受けて、ゲーツ米国防長官が米軍のさらなる増派を検討している、とのことです。
http://www.asahi.com/international/update/0904/TKY200909040073.html

アフガニスタンでの米兵の戦死者が増えていますが、何よりもアフガニスタンの民間人の犠牲が急増しています。9月4日には空爆によってアフガニスタンの市民ら90人以上が死亡、と9月5日付け朝日新聞朝刊が報じています(asahi.comにはこの記事は出ていません)。

9月7日から始まる週にもオバマ大統領がアフガニスタン戦争を今後どうするか検討するという緊迫した情勢に対応して、アメリカのVoters for Peace が、アフガン戦争に反対し米軍の即時撤退を求めてオバマ大統領にいそいでメールを送ろうと、以下のメール発送サイトで呼びかけています。
http://salsa.democracyinaction.org/dia/track.jsp?v=2&c=P2hDJTwAZT5SIaVD81NX2YmgelSIRQ47
大統領へのメッセージの内容に一部疑問はありますが(「アルカイダはもうアフガニスタンに残ってもいません」の部分)、そのまま紹介します。なお、このメッセージは編集することができ、手紙のタイトル「私はアフガニスタン戦争に反対します」の趣旨に反しな
い範囲で、消去したり、自分の意見を書き加える(もちろん英語で)ことができます。

メール送信の手順は以下の通りです。
右側の上から半角ローマ字で打ち込む。
First Name*(名)
Last Name*(姓)
Email*(メールアドレス)
Street*(町)
Street 2(丁目、番地、他)←書かなくてもよい
City*(市)
State/Province*(州を選択)←チェックをクリックして一番下のOther を選択
Zip/Postal Code*(郵便番号)←半角数字でハイフン「-」を抜いた7ケタで(123-4567でなく1234567のように)打ち込む。
*印は必ず記入。

左の手紙の下の Send My Message!(メッセージを送れ)をクリックすると送信されます。

本速報の転送・転載を歓迎します。

寺尾光身/TUP

==============================

私はアフガニスタン戦争に反対します

オバマ大統領 様

私の理解では、スタンレイ・マクリスタル将軍がアフガニスタンでの戦況見直しを行い、すべての前線で作戦をエスカレートするよう強く求めています。

どうかマクリスタル将軍の助言を採用しないでください。作戦をエスカレートすれば、抜け出すことの困難な戦争の泥沼により深く合州国をはめ込むことになるでしょう。今こそ米軍を即時帰還させるよう政策転換する時です。

アメリカ人の過半数がこの戦争に反対しています。国民のすべての階層でそうなっています。ジョージ・ウィルのようないつもは軍事行動を支持している評論家たちさえ、抜け出す時だと言っています。ウィルが指摘しているように、「この戦争は二つの世界大戦に参加していた期間の合計よりも約50%長くなっています」。戦争がこのような年月続いたことが、アフガニスタン戦略として行った軍事行動の失敗を実証しています。

アメリカ合州国は必要のないこの戦争を遂行するためのお金を借り続ける余裕はありません。米軍は疲れ果てています。米兵たちは酷使され、この戦争を戦うエネルギーを持っていません。更に数万の兵士を追加すれば確実にアフガニスタンで勝利する、ということを保証できるものは誰もいません。マクリスタル将軍さえそんな約束はできません。間違ったこの戦争にこれ以上命と富を勝手に使わないでください。

アメリカ人は多くの理由からアフガニスタン戦争に反対しています。ですが、この反対の根源はこの疑問「私たちは何のために戦っているのか?」です。率直に言って、この戦争は無意味です。アルカイダはもうアフガニスタンに残ってもいません。アメリカ合州国
が民間人を殺す時、ますます多くの敵を作りアメリカの安全を損なっています。アメリカがアフガニスタンに居座る毎日が、国の安全にとって逆効果になっています。

どうかアフガン戦争政策を考え直し、米軍を今すぐ連れ帰ってください。

敬具。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

原文:I Oppose the Afghanistan War
http://salsa.democracyinaction.org/dia/track.jsp?v=2&c=P2hDJTwAZT5SIaVD81NX2YmgelSIRQ47

翻訳:寺尾光身/TUP

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蓮池透 7.15講演(終)

まず日本が過去の清算を

 政府は4つの失態から学ばなければいけないと思います。なぜ北朝鮮は怒っているのか、なぜ相手にされないのか、日本は何をやるべきか、もっと戦略的に考えるべきだと思います。しかし、政府は何も考えていません。戦略を練るべき拉致対策本部がやっていることは、CMとかパンフレットとか啓蒙活動だけです。

 地村保志さんが手記の中で、「我々が拉致された背景には日朝間の過去の不幸な歴史がある」と書いています。本当にそう思っているのなら、非常に残念だと思います。しかし、拉致の被害者である彼らがこれほど重く受けとめている過去の問題を、われわれはもっとまじめに考える必要があると思います。日本が朝鮮半島にどう関わり、何をしたのか、私の家族も含めて周りの人に聞いてみると、誰も知らないのですから。

 私は過去の問題をめぐる左右の不毛な議論には関わりたくありませんが、日朝平壌宣言には「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大な損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とあります。日本政府がこのように表明しているのであれば、早期にそれを進めるべきだと思います。どんどん先送りして来たがために、拉致という犯罪が起こった可能性もあるのです。

 まず日本が悪かったと言ってよいと思います。日本は過去の清算をする、お金も出す、だから、北朝鮮も拉致問題の解決をやってくれ、と言うべきではないでしょうか。なぜそれが言えないのか、不思議でなりません。国民世論が大きく右旋回してしまったせいかも知れません。家族会と救う会は聖域同然で、あたらずさわらずになっています。「家族は黙っていろ。少しの間、リビングで新聞やテレビでも見てがまんしてくれ」と言えるような政治家が一人もいないのが残念です。あまり期待できませんが、そういう行動力のある政治家が今度の総選挙で出てくることを願っています。

「日本の進路」より転載

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2009年9月 8日 (火)

蓮池透 7.15講演(3)

日本政府の4つの失態

 日本政府の4つの失態が北朝鮮をかたくなにさせ、問題の解決を困難にしてきました。この問題で政府の責任を明確にすることなしに、拉致問題が解決に向かうことはないと思います。

 第1の失態は、日朝国交正常化を急ぐあまり、拉致被害者の人権をないがしろにしたことです。私は、平壌宣言が締結された9月17日は謀略の日だったと思っています。平壌宣言には拉致という言葉がなく、再発を防止するというだけで、拉致問題の解決が書かれていません。生きている人はすぐ帰すとか、もし亡くなった人がいるならきちんと証拠を出して補償するとか、具体的に書いていれば、私の受け止め方も違っていたと思います。拉致被害者の人権がないがしろにされたことに世論が激しく反発し、日本政府は金正日総書記が謝罪すれば国交を正常化するという北朝鮮との約束を破る形になりました。

 第2の失態は、拉致被害者の一時帰国のことです。一時帰国というのは来日にすぎず、政府は再び拉致被害者の人権をないがしろにする不条理な約束をしたのです。弟と話をしたら、米帝のアフガン侵攻はけしからん、小国を圧倒的な軍事力で攻撃する米帝は許せん、日本は過去に何をやったんだ、と盛んに言います。お前は被害者だ、その認識をしっかり持てと、私はよく喧嘩しました。弟は今度は平壌で会おうと言う。私はどうやったら弟を日本人に戻せるか、本当に苦労するとと同時に、何でみんな止めてくれないのか、悲しく思いました。最後は、親をとるのか子どもをとるのかと、究極の選択を迫られました。弟は両方をとりたい、日本に残ってわずかな確率でも子どもたちを日本に呼ぶしかない、と決断してくれました。その決断を政府に伝えると、政府は大慌てでした。安倍さん、中山さんが必死に止めたという美談は大うそです。弟たちは北朝鮮に戻らず、日本政府は再び北朝鮮との約束を反故にしました。

 第3の失態は、家族の帰国をめぐる問題です。小泉首相が再訪朝して5人の子どもたちを連れ帰ってきました。死亡とされた8人について、北朝鮮が再調査結果を示すことになりました。北朝鮮もこれで拉致したと認めた被害者と家族をすべて帰すことになる、と期待したと思います。ところが、家族会が「子どもの使いか」「プライドはあるのか」と小泉さんを大バッシングし、それがテレビに流れました。家族会も国民から非難されました。あれで小泉さんは拉致問題解決の情熱を失い、真剣に動いてくれる政治家はいなくなりました。政府は身動きがとれなくなり、国交正常を進めるという北朝鮮との約束をまたしても破りました。

 最後が、横田めぐみさんの「遺骨」問題です。めぐみさんが死んだというのなら証拠を出せと日本が迫り、北朝鮮がこれに応じて「遺骨」を出しました。警察では鑑定不能となりましたが、帝京大の鑑定で偽物と判定されて国民の怒りが沸騰し、日朝交渉を進める雰囲気はなくなりました。ただし、帝京大の鑑定結果をめぐって、科学雑誌『ネイチャー』が疑問を呈し、鑑定した本人を警察が警察職員にして外部と接触させないなど、いろいろ議論があります。

 こうして、4回の政治決着はことごとく失敗に終わり、いずれも日本政府が北朝鮮を裏切る形になりました。それ以来、北朝鮮は日本政府を相手にせず、拉致問題は終わったとして、両者の間に長い膠着状態が続くことになりました。去年8月、ようやく日朝協議が行われ、制裁緩和と調査委員会設置を同時にやると合意しましたが、斎木局長が日本に帰ると、ハードルを上げる話が出てきて、これも反故になりました。

「日本の進路」より転載

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2009年9月 5日 (土)

蓮池透 7.15講演より(1)

核問題と米朝関係

 最近、本を書かせていただき、その中で制裁よりも対話を、と提言しました。そのやさきに、ミサイル、核実験があり、頭から冷水を浴びせられたような感じがしました。強硬な意見が日本中を席巻し、けしからん、懲らしめろという世論で、対話が困難になってしまうからです。

 ある新聞の世論調査によれば、北朝鮮に強硬な対応をとるべきだというのが7~8割です。ただし、強硬な対応で結果を出せるかという問いに、5割の方が出せないと答えています。日本は唯一の被爆国ですから、核実験にそれなりの態度を示すのは当然のことだと思います。私も原子力の仕事にたずさわっていましたので、原子力は平和利用に限り、世界中から核兵器を廃絶しなければいけないと思ってきました。ただし、マスコミの報道は、船舶検査がどれだけ強化されたかと、制裁の強度に焦点を当てた報道ばかりです。どうしたら核兵器をとりのぞく方向へ変化させることができるのか、そういう議論をせず、けしからんという国民感情を煽っています。政治家の中には、敵地攻撃とか核保有とか、勇ましいことを言う人もいます。

 国連安保理は制裁を決議し、日本の国連大使は相当に強硬な主張をしていました。今までに、安保理の制裁決議によってその国が態度を変えた例は非常に少ない。安保理も日本政府も、制裁で締め上げれば北朝鮮が核兵器を放棄すると本気で思っているのでしょうか。その制裁も結局は中国に依存しています。政府は船舶法改正をあれほど強く主張していたのに、簡単に廃案にしました。私は船舶法を改正しろと言おうとしているのではありません。政府のいいかげんな態度はいかがなものかと思うわけです。

 北朝鮮はなぜミサイル実験や核実験をするのか、そのねらいは何か、自分なりに考えて見ました。国威発揚、金正日総書記の健康不安説、3代目への継承など、いろいろ言われていますが、北朝鮮が何よりも望んでいるのは米朝の関係を一日でも早く正常化することではないかと思います。米朝で平和条約を結んで休戦状態にある朝鮮戦争を終わらせ、アメリカからの攻撃を恐れずにすむようにしたい、そういうことを願っているのではないかと思います。北朝鮮は今まで、瀬戸際外交で石油や食糧の支援という見返りをねらっている、と言われてきました。しかし、今回はどうも違う気がします。米朝へのこだわりがものすごく感じられます。軍部の強硬派がイニシアティブをとっているのかも知れません。その点では一抹の不安も覚えます。

 アメリカのオバマ大統領が北朝鮮問題をどのように考えているのか、私にはわかりません。外交では中東に重きを置いているのではないかと思いますし、国内の経済対策に躍起になっているのかも知れません。北朝鮮問題の優先度は低いように思われます。オバマ大統領は先月の米韓首脳会談で「核放棄と平和共存は、平和的な交渉を通じてのみ可能だ。このような機会は北朝鮮の前に開かれている」と北朝鮮にメッセージを発しながら、すぐその後で韓国と核の傘を確認して核で対抗する矛盾した姿勢をとっています。

 アメリカにはジレンマがあります。対話となれば、北朝鮮は核保有国として対等な立場を求めてきます。アメリカはそれを認めれられないが、認めなければ対話ができません。アメリカのジレンマは、NPT(核不拡散条約)の不平等性が災いしています。自分たち5大国は核を持ってよいが、それ以外の国が持つのは許さないというのがNPTです。インドと原子力協定を結んだように、結局はダブルスタンダードで行くのでしょうか。本来ならば、唯一の被爆国である日本が出ていって非核化を訴えるべきですが、アメリカの核の傘の下にあり、非核三原則に反する密約もしている日本政府ができることではありません。

 オバマ大統領はプラハで「核のない世界」を演説しました。口だけのまやかしだと批判する人もいます。まやかしでないと言うのなら、まずアメリカが非核化に進むから、北朝鮮も核をやめて話しあおうと言うべきでしょう。アメリカはもちろん、ロシアも中国も、世界が非核化の方向に動いていかなければ、北朝鮮は核兵器を手放さないと思います。

「日本の進路」より転載

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2009年9月 4日 (金)

鳩山由紀夫民主党代表に

件名: [CML 001219] 共同声明[鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定
議員同盟「顧問」の辞職を要請します]への賛同のお願い
差出人: 高田 健
送信日時: 2009/09/03 10:24

高田健@許すな!憲法改悪・市民連絡会です。
鳩山代表に以下の要請を共同で行いたいと思います。
皆さんの賛同をお願いします。ぜひ転送・転載、
コピーなどで、一人でも多くの皆さんにご協力を
お願いしてくださいませんか。賛同は「団体」でも、
「個人」でも結構ですが、個人の場合は名前の後に
「所属団体」名か、居住「都道府県」名を書いて
ください。16日が首相就任予定なので、15日を
締め切りとしたいと思います。
メール( kenpou@annie.ne.jp )か、FAX(03-
3221-2558)でご連絡をお願い致します。

――――――――――――――――――――――――――

鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定議員同盟「顧問」の
辞職を要請します。

第45回総選挙は有権者の自公連立政権への厳しい
批判のなかで、民主党の大勝となりました。いま、
多くの人びとは鳩山由起夫代表が首相になると
言われている新しい連立政権が、民衆の切実な要求と
期待に応える政治をすすめていくかどうか、息を呑んで
注目しております。
ところで、鳩山氏はさる2008年3月4日、特異な
改憲論を基盤として改憲をめざす「新憲法制定議員同盟」
(中曽根康弘会長)の顧問に就任されました。そして今日、
なおこの職にあると聞きます。しかし、新しい政権の
首相となる鳩山氏が、こうした政治的立場にとどまる
ことは、多くの国民の願いに合致するものとは
思われません。首相には憲法第99条の「憲法尊重擁護
義務」がよりいっそう厳しく問われるのであり、特定の
憲法観をもった改憲団体の役職にあることは極めて
不適切なものと言わなければなりません。
私たちは鳩山氏が英断をもって直ちに同職を辞任することを
公式に表明されることを要請致します。

2009年9月

呼びかけ団体
憲法を生かす会/第九条の会ヒロシマ/日本山妙法寺/
日本消費者連盟/VAWW-NETジャパン/平和を実現する
キリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/
許すな!憲法改悪・市民連絡会

-----------------------------------------------------------
許すな!憲法改悪・市民連絡会
高田 健 <kenpou@annie.ne.jp>
東京都千代田区三崎町2-21-6-301
03-3221-4668 Fax03-3221-2558
http://www.annie.ne.jp/~kenpou/

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2009年9月 1日 (火)

同じ顔ばかり

衆議院選挙は、予想どおり民主の圧勝。「自民党をぶっ壊す」と言った小泉元首相は、遅まきながらも約束を守ったということになろうか。国民の命と生活をかつてないほどまでに締め上げて、結果、国民から見放され、政権を維持できない政党へと滑り落ちてしまったのだから。失笑するのは、自分の息子をぶっ壊した自民党から当選させたことではあるが。

それにしても、300余りの議席というのも、ハア、これもまた・・・という思いである。国民の怒り心頭であるが、一方、小選挙区制というシステムのなせるわざでもある。国民の多様な意見を、どこまで反映できるか、民主党の暴走にならないよう、これからは、市民一人ひとりの民主主義が問われていくことになるだろう。

民主党としては、社民党などいくつかの野党と連立政権を組む方向にいくようだが、10議席にも満たないわずかな議席で、それぞれの党の考えをどれだけ反映させていくことができるだろうか。少数党は、やがて絶対多数の中に収斂、埋没していきはしないかと危ぶむ。むしろ、政権の外にいて、その時々の政策によって協力、異論等、自由に活動できるのではないかと思ったりするのだが。しかしやはり、権力の内側にいてこそ、力を発揮できるものなのだろうか。実際のところ、どうなのだろう。

ここ、高知県では、全国的な変革の時代の波にもかかわらず、旧態前の同じ顔ぶれで、一箇所たりとも自民の議席に穴があくことはなかった。なぜか?保守王国のしがらみか、やはり寄らば大樹の陰と思ったか・・・もっとも、水面下の公明党の底力によるところも大きいだろうが。しかし、変革を願う側の人々の活動もたりなかったのではないか。

共産党は党の存在感を示そうということだろうか、3区すべてで候補者を立てたが、自民党対民主党の大きな波の中で、浮上するには至らなかった。自公政権退場を唱えるのであれば、もう少し全体を見渡した戦略があってもよかったのではないか。民主党との政策協定までいかなくても、他党との協力などの柔軟性があってもよいのではないか。党のアピールはできても、結果として、高知県の自民党勝利を助けたことになっていないか。

それぞれの党には、それなりの党内事情もあることと思うので、これは一市民のぼやきでしかないのだが・・・

mm記

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2009年8月30日 (日)

こうの史代

原爆に対する静かな怒りを描いた傑作マンガ「夕凪の街 桜の国」(双葉社)を描いたこうの史代が、続いて広島と同様海軍の「軍都」と呼ばれた広島県呉市を舞台にしたマンガ「この世界の片隅に」(双葉社)を描きました。それが完結しました。
 
 「この世界の片隅に 下」 こうの史代
 http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-94223-1.html
 
発売日:2009年04月28日
定価:680円 (本体 648円)
判型:A5判
ISBN 978-4-575-94223-1

 上、中巻では持ち前の天然ボケで、太平洋戦争の食糧不足、夫の不倫疑惑、兄の戦死、逮捕などを乗り切ってきた主人公の北條すずでしたが、もはやそれではどうしようもない戦争の現実が彼女に襲いかかります
 
 日本海軍最大の軍事基地があったため、呉市は度重なる空襲に見舞われます。アメリカ軍が投下した時限爆弾で、かわいがっていた義理の姪の晴美は死亡、すずは右手首を失います。これで好きな絵を描くことが出来なくなってしまいました。そして1945年8月6日。原爆投下で広島の実家にいた母は死亡しました。
8月15日の敗戦。玉音放送を聞いたすずは、「納得いかん!」と外に飛び出します。飛び出したすずは畑では泣き崩れます。
 
 「ああ、暴力で従えとったという事か。じゃけえ、暴力に屈するということかね。それがこの国の正義かね・・・」
 
 ドジであっても忠実なる皇国臣民たらんとしてきたすずが得たのは、愛する人の死と自分が身体障害者になったことでした。
 
 数ヶ月後、すずは広島の町をさまよっていた戦災孤児の少女を拾い、呉の自宅に招きます。新しい人生の始まりでした。
 
 ほんわかとした絵が、戦争の狂気をはねつけたすずを見事に描いています。
 
 3巻そろえる事をおすすめします。
 
坂井貴司

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キブツからパレスチナへ その3

パレスチナ便り⑬―キブツからパレスチナへ その3、平和の種を蒔く

「隣国のパレスチナを月に一度行き来する内に、私の中である使命感が生まれた。こんなに近いのにあまりにかけ離れた二つの民をどうにか近づけたい。お互いに相手への恐怖と不信感で固まっている心を開きたい。どちらにも属していない私ならその橋を架けられる、と。が、そのためにはもっとよくパレスチナを知らなければならない。片側の文化を知り、言葉を話すだけでは不充分だ。まずパレスチナ人と共に住み、同じご飯を食べ、日々を生きること。それが私の課題となった。」

「ただ、一つだけ気がかりなことがあった。それは“嘘をつきたくない”ということだ。これまでのパレスチナ訪問で唯一嫌だったことは自分の出身・過去を隠すことだった。周りに住む人に、自分が考えていること、どうして自分がここまでやってきたのかという背景を素直に語れないことは、毎回私を悩ませた。と同時にイスラエルの友人にそのことを話すと、『やっぱりね。信用できない人たちなのよ。』と言われるのがどうしても苦しかった。」

「そんな時に出会ったのがテントオブネイションだった。キブツにやって来たドイツ人ボランティアのチャーリーにその存在を聞いてホームページを開くと、そこには“we refuse to be enemies, building bridge between peoples. 私たちは敵になることを拒否する、そして人々の間に橋を架ける”、という彼らのメッセージがまっすぐ眼に入った。私の目標そのものだ!ココに行かねば!私はすぐに決心した。」

「4月の初め、そこはまさに“春のお花畑”だった。黄・赤色の野花が地を飾り、砂漠から来た私の目と心をそこら中の緑が潤した。この最初の訪問で、私の心に一番残っているのは設立者のダウードでも兄のダハールでもない。ダハールの息子のビシャーラ(20)だ。若いパレスチナ人らしく髪にびっちりとジェルをつけ現れた彼は英語を流暢に話す、気軽な青年だ。」

「それは帰り際だった。突然私は誰かがイスラエルの有名歌手サリット・ハダッドの歌を口ずさんでいるのを聞いた。振り返ってみると、ビシャーラだった。私は彼に『イスラエル人の歌、唄ってるの??』驚いている私に彼は、『why not? Israelies and we are friends.』そう当たり前そうに答えた。私は泣き出した。この時、私はこの場所ならやりたいことに近づける、そう心から感じた。」

「7月、計5年間住んだキブツを出て、テントオブネイションに移り住んだ。ここには水道設備も、電気もない。水は冬の間に降る雨水を溜めて使い、電気は毎日夜の2時間だけジェネレーターを使う。砂漠のど真ん中なのに、一度も不自由なく水が使え、夏にはプールがあり、電気も途切れることなく使っていた生活から、テント暮らしへ。それは私にとって、この2つの国に存在する不平等を身をもって経験する必要な段階だった。」

「ベツレヘム近辺のパレスチナの子供たちを集めた、サマーキャンプが始まった。2週間という長いようで短い子供たちとの濃密な時間。今年のタイトルは、“bringing nature to life, learning hope planting peace、自然を生活に取り入れよう、希望を学び平和を植える”」

「毎朝8時半から2時まで40~50人の子供たちを、12人のインターナショナルが世話をする。環境テーマから、絵描き、色塗り、踊り、音楽、劇・・・様々な分野を子供の年齢にあわせて教える、というか子供と一緒に私たちも学んでいる、そんな感じだ。」

「6歳から12歳までの子供を世話した私のグループで、ハニンという女の子が一人いる。なにか影を持ったというか引っ込み思案で、いつの間にか輪からでて一人ぽつんと座っている。それがとても気になっていた。キャンプ5日目。子供たちに日常生活での問題と希望を一つずつ書かせた。<どこにでも行ける自由がないこと、パレスチナに平和を、海に行って泳ぎたい、占領からの解放>などのほかに、ひとつ<“死にたい、死んで天国に行ってお姉ちゃんに会いたい”>というものがあった。その日の終わりのミーティングで、どの子なのか見つけなければということを話した。翌日、その願いを絵に描くというクラスで、私はそれが誰なのか分かった。ハニンだ。それはあまりにも私の胸を振るわせた。私は彼女の影を見たのだ。」

「ある午後キャンプで働くボランティア全員でへブロンへ行った。へブロンはこのイスラエルーパレスチナ問題のまさにへそ、ともいえる場所だ。神に与えられた土地と信じ、力でコントロールしようとするユダヤ人と、同じくその場所を聖地として崇めるイスラム教徒・パレスチナ人との間の衝突が癒えない傷のように膿んでいる。始めてへブロンを訪れた私はあまりの憎しみのエネルギーに圧倒された。どうやったらこんなところに平和がもたされるのか、そんなことは可能なのか?あまりに大きな壁が私の前に現れた。その壁は、私の、平和を創る橋を架けたいなんていう甘い夢を見ていた非現実的な自分を押しつぶした。どんなに私自身が平和人間になろうとも、この世界に平和はもたらされない、その現実が目の前を真っ暗にした。では、一体私はここで何をしているのか?私のすべてをかけても大河の一滴にすぎない。その一滴をこの乾いた大地に降らせてもオリーブの木一本すら育たないだろう。」

「キャンプにブラジル人グループが現れたのは、あと最終日まで三日を残す夕方。彼らとドイツ人ユースグループと共に“若者の役割と挑戦”というタイトルでグループ・ディスカッションをした。現代の世界中の若者が直面している“hopelessness-希望の欠如”というテーマが浮かび上がった。この“希望の欠如”は、二つのタイプに人間をわける。問題を前にして自分の殻に閉じ籠もるか、どうやって解決していいか分からないまま混沌のなかに迷うか。そしてそれは“結果社会”という現代のシステムに深く根ざしている。」

「常に、何かを得ること、成功することに生きる目的を置くことを教育する世界だからだ。私たちは結果が得られないことにはエネルギーを費やさない。やる価値がないとあきらめる。自分のやりたいことを、その結果が得られるかどうかで選別してしまう癖がある。私もそうだった。だからへブロンで、私には変えられない現実に直面した時、ここにいる意味を疑い始めたのだ。」

「その瞬間、この夏のサマーキャンプのタイトル、“learning hope planting peace”が腑に落ちた。希望を学ぶ―それはどんな暗闇の中であろうと、いつかは朝日が昇るということを信じられる強い信仰だ。同時にその朝日を自分で見ることは出来ないかもしれないと知っていても…、その希望で、平和の種をまくのだ。」

「ダウードがそのグループ・ミーティングの終わりに語った。『年老いたおじいさんがオリーブの木を植えている。孫はおじいさんに、どうして自分ではその実を見ることもない木を植えているのか?と尋ねる。おじいさんはこう答える。あそこに立っているオリーブの木は私のおじいさんが植えた。あれはおじいさんのおじいさんが…。こうしてみんな見ることは出来なくとも、今生きている私たちのために植え続けてきたのだ。だから私も同じ事を、今している。』」

「ここで、私はどうやって生きるかを学んでいる。何を生きる希望とし、私がこの時代に生まれてきた意味を、私という人間をどうこの世界で役に立てて行くか、何を目的として生きていくか。どこまで到達できたかは重要ではない。毎日を、その希望に向かって自分がどう生きたか、それが大切なのだ。」

「最終日に向かい、ハニンはずーっとよく笑うようになった。自分から積極的に輪に入り、私にも英語で話しかけてくる。それはまさに希望だ。短い時間のなかで、一人の子供が笑うようになってくれたこと。それが私のこの、平和の種を蒔きつづける道を選ぶ希望となる。朝日を見ることはないかもしれない。でもこの種を蒔くことが、希望をもって毎日を生きることが私の生き方だ、と今は思える。」(完)

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2009年8月28日 (金)

キブツからパレスチナへ その2

パレスチナ便り⑫―キブツからパレスチナへ その2、私の中に黒い雨が

「昨年、パレスチナ北西部のトゥルカレムにEAPPIでボランティアをしていた友人のイリスを訪ねた。10年以上前からキブツを拠点にイスラエルに出たり入ったりしていた私だが、その隣人であるパレスチナの現実を何も知らないことがしばらく前から気になっていた。受け入れる準備が整ったとき、全ては起こり始める。今思えばそれは溜めていた満杯のダムを開放したように、すごい勢いで水が流れ始めたようだった。」

「EAPPI(キリスト者によるエキュメニカル同伴プログラム)、彼らの仕事は朝5時に起きて農業ゲートの観察から始まる。分離壁が出来たせいで、自分の畑に行けないパレスチナ人用に何キロかごとに農業ゲートがある。朝6-7時、昼12-13時、夕方18-19時、一日に3回イスラエル軍によって開かれるこのゲートは、もちろん許可をもらった人たちだけが通ることが出来る。歩いてくる人、トラクターで来る人、ロバに乗ってくる人。その日はオリーブの収穫を終えたあとだったので、90人前後の農夫と10頭ほどのロバが列をなして待っていた。」

「ほぼ時間通りにイスラエル軍兵士は3、4人チームのジープでやって来た。一人は許可をチェックし、記録する。一人はその机まで誘導し、周りの状況を観察。一人は少し離れたコンクリート造りの壁からこちらにライフル銃を向けて監視。」

「その日はイリスに言わせると、とても行儀よい兵士たちだったという。きちんと一人ひとりに挨拶し、一人ひとりを人間として扱っているという感じを受けたという。じっさい、その数日後もう一度違う農業ゲートへ行ったとき、その言葉の意味が分かった。」

「私は自分の住むキブツのことを考えていた。収入源である7千本のナツメヤシ畑。そこに行くために許可が必要で、毎日決められた3時間だけ通れて兵士に銃まで向けられる。こんなに腹立たしいことはない。許可も得られないケースがあったり、畑に一番近いゲートではなく、隣の数キロ先のゲートへの許可が下りたりすることがあるという。私の中でどうしようもない悲しみと共に怒りがこみ上げてきた。」

「ホメッシュは2005年のガザ撤退と同時に撤廃された入植地だ。近郊の村々が集まって、そこに平和の象徴であるオリーブを植える、と聞いて私はイリスと共にそこへ向かった。まずブルカ村の役所に村の人々、外国人ボランティアが集い、フルーツジュースを飲みながら今日の予定を村長らしき人が話す。私たちを連れてきたアブドゥルカリム・ダルバが通訳をする。『今日は集まってくれてありがとう。私たちの村の近くにある元入植地にみんなで歩いて行って、出来たらオリーブを植えましょう。非暴力で、ということをみなさん忘れずに・・・』何故オリーブを植えに行くためだけに“非暴力で”と強調しなければならないのか良く分からないまま、私たちは外に出て歩き始める。」

「パレスチナ国旗、アラビア語で書かれたプラカードを掲げ、何十人という村人が歩く。例の村長が掛け声をかけ始めた。シュプレヒコールだ。アラビア語の分からない私にとって、そのプラカードも、掛け声も分からない。そういう群集についていくのは少々不安だった。ダルバを見つけ出し私は彼らが何を言っているのか、質問した。『俺たちはこの土地から出ない!水を取られて、たとえ死んだとしても俺たちの血でこの土地を潤す!そしてこの大地が俺たちを覚え続ける!』」

「これはオリーブを植えに行くのではなくてデモだなぁ、と思ってあたりを見回してみるとやはりオリーブを積んだ車やトラクターはどこにも見えない。が、私たちの後には救急車が2台もついて来ていた。オリーブのつづく丘陵の穏やかな道をくねくねと2キロほど歩いた先に丘が見えた。そしてゆっくりとその上に立つものが何かはっきりしてきた。イスラエル軍だ。」

「丘の先端には銃装備した3人の兵士、その後ろには大きな防弾車が10人以上兵士を連れて待機している。その丘へ近づくにつれて登りきった先には元入植地があり、その入り口には大きな石が境界線のように置かれているのが見えた。ようやくこの時点で、やっぱり、これはただオリーブを植えましょうなんて平和活動ではないと鈍い私はようやく悟った。」

「私たちは50人以上いる男たちの後ろの方にいて、前の状況は良く見えなかった。が、また以前の掛け声が始まり、丘の上から見下ろすイスラエル軍はびくともしない壁のように無表情で冷たく感じた。とあるPRESSジャケットを着たパレスチナ人が丘の脇から上ろうとするのを見つけて、兵士が銃を向けて下がるよう命令した。反対側のオリーブ林からも何人か通り抜けようとして、兵士から脅しをかけられる・・・。ということを繰り返している内に突然、兵士の一人が私たちの方めがけて手榴弾を投げた。その瞬間を私はスローモーションのようにはっきり覚えている。」

「イリスが私の手を取って、『催涙弾だよ!たまねぎ持ってこなかった!』と言いながら2人で走り出すと、2発目が投げられた。そして後ろに下がった男の子が石を投げ始める。何発目かの催涙弾のあと、ゴム弾が撃たれる。かなり動揺していた私だが、兵士たちは必ず誰にも当たらないよう発砲し催涙弾を投下していることははっきりと見えた。だがこの瞬間、私の中で目に見えない真っ黒な雨が降りはじめた。」

「人間がもう人間として話し合えない日常。ただ歩いてくる人間に対して、手榴弾やゴム弾という“暴力”を使わなければならない状況。もう撤退したはずの、パレスチナ人に返されたはずの土地が何故、軍によってまだコントロールされているのか?私がキブツで一緒に住むあの子供たちが、無邪気でいつも困ったときに私を助けてくれるあの子供たちがそんなことをしなければならない。感情を殺して冷たい機械になり、同じ無邪気で罪のない隣人たちに銃を向けなければならない!」

「どうしても、この現実を受け入れたくなかった。このままでは絶対にいけない、変えなければならない。何かこのためにしなければならない、私はそう決心した。」

「ガザ攻撃がはじまった。トゥカレムでも緊張が高ぶってはいたが、それほど以前とは変わらない生活をしている。私がいつも泊まらせてもらうサマールの家ではみんなテレビに釘付けになって、イスラエルへの憎しみと罵倒を繰り返す。私がイスラエルに住みイスラエル人と結婚していることを知っているサマールは、『なんでイスラエルに恵は住み続けているのか分からない。今すぐパレスチナにおいで!ユダヤ人には青い血がながれているのよ!!』そう本気で言っている彼女に私はなんと言い返せばいいのか分からなかった。『なにも出来なくてごめん。でも、イスラエル人にも、心から平和を求めている人たちがいる・・・。』」

「イスラエルという国がしていることは許せない。でもこの国に住んでいる人たちは、素晴らしい知恵と深い愛情を持った人たちだ。では、その“素晴らしい”人たちがこのパレスチナへの侵攻、占領、戦争を起こしているのはなぜなのか?」

「それは恐怖だ。3千年という追放と迫害の歴史を生き抜いてようやく“母国”を持ったユダヤの民。世界中に散らばりながらその伝統・宗教を守りどこへ行っても差別を受け、時に偏見や憎悪の的となりながら、屈することのなかった、信じられない力を持ったこの人たちは、今ようやく自分の家に“帰ってきた”。が、アラブ諸国に取り囲まれたこの小さな孤島にひとりぽっつりと生きるためには、自己防衛という手段しか頭に浮かばなかったのだ。常に“アラブ諸国はユダヤ人を海に投げ捨てたいと思っている”。それが彼らだ。」

「誰かが自分を殺そうとしている時(例えそれが被害妄想であろうと)、一体どう反応するかにはあまりオプションはない。逃げるか、戦うか、その相手をどうにか殺さないでくれるよう説得するか。イスラエルは戦うことを選んでいる。そして相手は自分より弱い、まだ家すらも持たない子供だ。」「その恐怖の鎖から解き離されないうちには、この地に平和はやってこないだろう。あるいは、恐怖を持ちつつも、人間としてこうありたい、平和に生きたいという光がその恐怖の闇に勝つとき、私たちはこの地に、世界に平和をもたらせると思う。それを助けるのが、想像力だ。」

「私は毎回トゥルカレムに行くとき、必ず訪れる人がいる。その一人がサディだ。彼は日本に政府の奨学生として経済を学びに行ったこともある日本びいきのパレスチナ人だ。日本だけでなくヨーロッパ各国に渡り、アメリカでも学生経験のある彼の視点は時にとても鋭く、とても重層的だ。ガザ侵攻のさなか、私はサマールと共にサディの事務所を訪れた。ドアを開けたとたん、サマールはサディに英語で私にも分かるように、『サディ聞いて!私は恵にすぐイスラエルを出るように言ったの。彼女はあんな残酷な国を捨ててこっちに来るべきよ、そうでしょう?』」

「パレスチナ人サディは静かに彼女をみつめて、私たちを座らせてからこう言った。『サマール、過激になってはいけない。ひとつ私の経験談を話そう。先週私は仕事から家に帰る途中、入植地近くの道路を通った。突然、誰かが私の車めがけて石を投げてきた。その時初めて、自分の家に鉄の塊が投げられてくるスデロットのことを思った。それがどんな恐怖か、それが日常にある人々のことを。』この彼の言葉を聴いて私は正直安心した。」

「私はパレスチナに足を踏み入れると、一言もヘブライ語を話さない。またキブツではなくエルサレムに住み、結婚はしていない、そう嘘をつくことがルールとなっている。それは私のとても親しい何人かのパレスチナ友人のアドバイスからだ。彼らは私の身を守るため、その人が本当に信頼できると分からない限り身元は明かすな、という。それはけっしていい気分ではない。常につじつまを合わせたり、ひょんなところでヘブライ語が口から飛び出ないように気を付け、私が誰であるか、何を考えているかはっきり言えない、隠さなければいけない状況。それはとても疲れる。」

「反対にイスラエルでは私の考えていること、トゥカレムでの活動、イスラエルへの批評・・・全て誰にでも自由に話すことが出来る。私が誰であるかを隠さねばならない状況は、言論の自由、仲間同士の信頼が欠けていることを表している。どんなに周りがサポートしようとしても、仲間同士が結束しないで内輪もめしているだけではどんな進展も望めない。が、サディのように自分を敵の立場において考えられ、自分がしていることの過ちを正せられるとき、そこには希望がある。被害者である立場はもちろんだが、それを超えて人間として仲間同士と、敵とすらも

手をつなぐことが出来るか。イスラエルだけではなく、パレスチナ側もまた自己変革を求められている。」(つづく)

パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
E-Mail : y_matsu29@ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 

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2009年8月27日 (木)

キブツからパレスチナへ その1

Sent: Wednesday, July 29, 2009 10:08 PM

パレスチナ便り⑪―キブツからパレスチナへ その1、キブツの生活

最初に彼女に会ったとき、「捨て身で求道する若者」がここにもいるな、と懐かしい感慨にふけったものだった。しかもイスラエル・キブツから、抑圧されているパレスチナのひとつの平和の拠点に180度転回して道を求めつづけている。日本人、といっても彼女はあまり自覚のない在日韓国人だ。最近は日本でも多くなってきているのだろうが、世界各国の若者たちと付き合って来た彼女が、どんな道を求め、どんな人間になろうとしているのか話を聴いてみた。

考えてみると、日本のパレスチナ問題を牽引しているジャーナリストの広河隆一、土井敏邦両氏も、若いころキブツから出発したのではなかったか?この地は、聖地、世界の求心地。太古の昔から、神の義を求めて苦難を乗り越えてきたところ。しかも、過去と現在の最大級の不正義が同居している現代史の特異点。いまなお道を求める若者を引きつけてやまないようだ。

彼女は、宮田恵、33歳。大学の文芸学科で物書きにでもなろうかと学び始めたが、自分の空っぽさ加減に呆れて日本を飛び出し、インドを手始めにスペインで3年間フラメンコを学びフランスなど各地を放浪したあげく、イスラエル・キブツに魅せられ5年間の生活を経験した。現在彼女は、前回紹介したTent of Nationsでボランティア生活をしている。ヘブライ語、英語を自由に話し、いまアラビア語を学び始めている。まずキブツにたどり着いたところから、彼女の話をきいてみよう。

「ヒブルー?どこの言葉?これが私とイスラエルとのはじめての出会いとなる。インドにいたとき、2人のイスラエル人が私に話をしてくれた。彼らはキブツで生まれ育ち、18歳で3年間従軍した後、お金を稼いで時間と場所の制約のない旅に出た。20歳そこそこの若い2人の男が、イスラエルという国の歴史から、文化から宗教まで丸一日かけて熱心に話をしてくれた。」

「この国にほとんど知識のなかった私にとって、さながら、まっすぐに伝わってくる自国への愛と誇り、どこの誰かも知らない私をすぐに彼らの家へ招待してくれた。その歓迎がとても新鮮で、心のそこから温かみを感じた。キブツという生活共同体がそういう人間を育てるのか、それともこの国のせいなのか?それとも・・・」

「この出会いで、私はどのようにユダヤ人がキブツを作ったのか、作らざるを得なかったのか、

人間が共に生きるうえでの平等性、効率性を追求して生まれたモシャーブ(農業生活共同体)というものを教えられ、強く興味を持ちはじめた。」

「“一人ひとりが、できる最大限を与え必要なものをもらう”、というモットーを基礎とし、キブツという大きな一つの家族、人間の理想郷・・・そんなイメージは私のイスラエル観を180度変えた。その”イスラエル人”という生き物に私は惹かれて、この―未知なる惑星―を訪れることを決心したのだった。」

「私が現在住むキブツは…」といっても、いま彼女はここから出てしまった。これを話したときはまだキブツにいたときだった。つづけて彼女は言う。「1976年に生まれた、比較的若いキブツだ。90人のメンバー、子供150人、そして30人は国内外からのボランティアが住み、イスラエル南部のネゲブ砂漠のど真中にあるキブツ・サマールだ。」

「10年前、5ヵ所のキブツを転々としたとき、どのキブツも私がイメージしたモシャーブ(農業生活共同体)、人間の理想郷というものには合わなかった。多くのキブツは農業から工業へと転換し、人間が共に生きることよりも“経済”が共に生きる目的となってしまっていた。」

「“最大限を与え、必要なだけもらう”というモットーは輝きを失い、メンバーが増え、生活が多様化し、一律給料制が導入されることにより、“最小限を与え、最大限をもらう”という能率主義がそこかしこに顔を出していた。そこで、私は人々に尋ね歩いた。“まだ本当の共同生活をしているキブツはあるのか?”と。そうして得た答えが、いま私が住むキブツ・サマールだった。」

「キブツで生まれ育った2世代目、3世代目が作ったこのキブツの始まりは、こうしたい、ああしたいではなく、”どうしたくないか”がキーワードであった。<誰かにどこで何時間働くか決められたくない><階級・階層を作りたくない><平等という名を借りた平均的人間の扱いをしたくない>等々。そうやっていらないものを取り除いていったとき、残ったものは”個人の意志の尊重”だった。」

「やりたい仕事を好きなだけやる。1日3時間の人もいれば15時間の人もいる。農業で働く人もいれば、キブツの外で教師として働く人もいる。女性でもバリバリとトラクターで働き、休みは自分で決める。給料はなく、自分で必要なだけお金を事務所からもらう。食堂は24時間オープン、好きな時に好きなだけご飯を食べる。」

「こんな風に存在していけるのか?破綻しないのか?という質問をよくされる。実際、このキブツは30年以上存在し、全てなされるべき仕事はなされている。なぜなら、人間はやりたいことをやるとき、責任というものが自然と生まれるからだ。やりたくないことをやるとき、意志も情熱もなく、いい加減になり結果はそれなりのものとなる。」

「ここではあらゆるサポートを受けた。とくに私の夢、職であるフラメンコダンサーの教師として活動することを常に後押ししてもらった。そして今、ここから出発しようとする私をも応援してくれている。」

「イスラエルとパレスチナとの橋を造りたい。そういう私の夢を話す時、みんな何かまぶしいものを見る眼をする。それは誰もがもう疲れてしまった、諦めかけている“平和”という道をまだ歩こうとする人間がいるという事実が、小さな希望を与えるからだと思う。」

「私には2500年の放浪というユダヤ人の歴史も、ホロコーストで、戦争で亡くなった家族もいない。民族や宗教を理由に憎んだことも、憎まれたこともない。ただこの国には、このキブツにはたくさんの経験と知恵をもらった、という感謝しかない。」

「みんな、いつでも帰ってこい。何か必要ならお金でも何でも送るから、体にだけは気をつけろ、そう心から声援をくれる。」

「私にとって、このキブツでの10年に渡る家族―友人関係がイスラエルでの基礎をつくっている。砂漠にオアシスを産み出し、今も“どうやって生きるか”を模索しつづける友人たちがいることが、イスラエルとパレスチナにいつか平和がやってくるはず、と信じる支えとなっている。」

                                               (つづく)

パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
E-Mail : y_matsu29@ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 

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2009年8月26日 (水)

伊藤和也写真集

昨年の2008年8月26日、干ばつに苦しむアフガニスタン東部のダラエ・ヌール地方で、灌漑用の用水路建設と農業指導に当たっていた
 
 ペシャワール会
 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
 
職員の伊藤和也さん(当時31歳)が、武装集団に拉致され殺害されました。

 千人以上の地元住民が必死の捜索活動を行ったにもかかわらず、伊藤さんは変わり果てた姿で発見されました。住民たちは泣き叫びながら伊藤さんの遺体を運び、葬式を行いました。伊藤さんは心から住民に慕われていました。
 
 この痛ましい事件から一年後、伊藤さんが撮影してきたアフガニスタンの写真が、本として出版されました。
 
 『伊藤和也写真集 ダラエヌールの子供たち』
 伊藤和也著 160ページ 2625円 
 石風社 http://www.sekifusha.com/
 
 殺害されるまでの5年間、伊藤さんは数千枚の写真を撮影しました。現地では外国人が女性や子どもを撮影するとトラブルを招きかねないとのことですけれど、伊藤さんがカメラを構えると、人々は皆「イトー、アクスウバセ(写真を撮って)」と笑顔で撮影に応じたとのことです。

 本当に惜しい人を日本は失いました。
 
坂井貴司

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2009年8月25日 (火)

抗 議 文 舛添 要一 殿

抗 議 文

元派遣村名誉村長 弁護士 宇都宮健児

元派遣村実行委員会有志一同

〒104-0061 東京都中央区銀座6-12-15

COI銀座612 7階 東京市民法律事務所

TEL:03-3571-6051 FAX:03-3571-9379

厚生労働大臣 舛添 要一 殿

私たちは、年末年始、日比谷公園にて派遣村を企画した実行委員会の有志です。

 貴殿は、8月18日、横浜市内の街頭演説で、年越し派遣村の取りくみについて言及し、「4000人分の求人票を持っていったが一人も手を上げなかった。大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はない」と発言しました。

私たちは、この発言は、事実誤認により生じる偏見、もしくは、事実を捻じ曲げた中傷であり、命からがら派遣村を訪れ、今もなお厳しい雇用情勢の中で生活の再建を目指して努力している方々への侮辱であると考えます。自立を目指し、切実な思いで求職活動をしながら、何件も何十件も断られ、それでも求職活動を続けているのに、よりによって厚生労働大臣という立場にある人からこんなことを言われたら、どういう気持ちになるか。村民一人一人の心情を考えてください。

 派遣村は、厚生行政と労働行政の双方に対し、重たい提起を投げかけた取り組みでした。しかし、貴殿は目の前の現場に、一度も足を踏み入れなかった。そうした方が、事実を捻じ曲げた言動を繰り返していることを、私たちは黙認することはできません。上記の発言を撤回し、文書による謝罪を求めます。

また、派遣村に持ち込まれた求人票に関する事実、及び私たちの見解を以下に記しますので、ご一読ください。

1)「一人も応募しなかった」というのは、1月5日の4施設入所初日のことである

 1月6日にも、派遣村実行委員会に対して、大村厚労副大臣から同様のクレームを受けました。しかし、1月5日は日比谷公園撤収作業後、国会への請願行動や議員申入れなどをしており、都内4施設に入所したのは午後4時ごろでした。東京都職員から施設の決まりごとなどの説明を受けるとすでに5時になり、ハローワークの出張窓口が閉まりました。初日の応募がなかったのは、こうした理由によるものです。

 また、このことは、大村氏にはその場で説明し、誤解を解いていますし、貴殿もその報告を受けているはずです。6日からは朝から相談が始まっていましたし、今ごろになって言い出すのは「為にする」議論です。

2)「手を上げなかった」というのは誤り

 1月18日の時点で、求職者登録をした村民は百数十名に上っており、4施設に滞在していた村民の半数に上りました。

 4000件の求人中から応募し、旅館の住み込みや清掃、警備、タクシー会社などに就職し、派遣村を去った方もおります。

3)4000件の求人には実態のないものも多かった

 応募をした村民は、ほとんど断られてしまっています。応募した会社から返ってきた返事は、「もう決まっちゃいました」「実は募集していないんです」「ハローワークから求人を出すよう言われて、ホントは募集してないんだけどお付き合いで求人を出しているだけなんです」といったものでした。こうした実情を、大臣は御存じでしょうか。

4)寮付き求人へのトラウマ

 当初の応募が少なかった背景には、派遣村に持ち込まれた求人の多くが、「住み込み」など寮付きの求人だったことにも原因があります。

 派遣切りは、雇用契約の解除と同時に、住まいを追われるという過酷な首切り体験でした。寒空に放り出された彼・彼女らは「二度と同じような目に遭いたくない」という思いをもっています。今度こそは、自分の住居を確保して、職場に通いたい、だから住み込み求人への、応募には躊躇する、というのは心情としても理解できることではないでしょうか。

5)求職活動どころではなかった

 年越し派遣村では、心身の不調を訴える人や、今日の食費もない極限状態に追い込まれた人が多く、生活保護を受給し、その日の生活費を確保することが最優先の課題でした。 

 実際、緊急小口貸付資金の特例交付が始まる1月7日夕方までは、ほとんどの人が無一文の状態であり、求職活動のための面接交通費などを持っていなかったのが実情です。

 また、既に、大半の方が派遣切り後に、ハローワークや様々なところに相談に行ったり、必死の思いで職探しをおこなって来られていました。その結果、有り金も底をつき、どうしようもなくなって派遣村にたどりつかれています。心身共に疲弊した状態では求職活動を満足に行うことはできません。

6)誰でも年収1000万以上稼げる求人があったらください

 上記の発言のあった翌19日も、貴殿は「求人は、すべて寮付住み込みで、年収1000万以上稼げるものだった」などと発言されたと聞いています。耳を疑いました。そんな求人があったという話は実行委員会では聞いていません。また、もしあったとしても、ある種の専門性が問われる職務である可能性が高く、派遣切りされたり、数年間の野宿経験をしてきた失業者が就ける仕事でしょうか。ミスマッチが大きすぎたとしか考えられません。そのことを、求職者が怠けているといった文脈にすり替えないでください。

7)政策の実施と言っていることが違います

 政府が21年度補正で「第二のセーフティネット」を構築したのは、昨年秋からの派遣切りで派遣村村民も含め、職も住居も失う労働者が大量に出たにもかかわらず、セーフティネットが機能していないというその反省の上に立ってのことだと思います。

 派遣村の村民は、多くの失業者と同様に求人活動をし、同様に就職できていませんが、これらの人たちに対する「第二のセーフティネット」が無駄だというのでしょうか。そうであれば、政策決定者自ら「第二のセーフティネットなど不要だ」と言っているのと同じです。閣僚としての自らの行為に矛盾する発言であり、その社会的責任は重大であると考えます。

 

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2009年8月24日 (月)

映画「氷雪の門」

映画「氷雪の門」を見る。1974年の製作だが、当時、ソ連に対し非友好的であるとのことで、ほとんど上映されなかったという。映画の存在は知っていたが、見るのは初めてであった。

樺太、真岡の電話交換手の女性を軸に、その家族たちが、8月15日の敗戦後も侵攻し続けてくるソ連軍に追われ、逃げ惑い殺され自決していく姿をえがいている。事実はさらに悲惨なことであっただろうと想像に難くない。国境を越え南下してくる戦車軍団、真岡の町への艦砲射撃、ソ連兵の銃撃等々、そして、南をめざしての逃避行・・・映像は、旧満州の開拓団の逃避行!そして、沖縄戦!へと重なる。軍隊の前に、兵士も一般民衆も区別はない。殺せ殺せ!!

戦争となれば、二国間条約も国際法も殺人罪もない。人間の尊厳もない。あるのは、有無を言わさぬ巨大な暴力装置、軍隊だけである。目的は、領土の拡張と資源の収奪である。戦前の天皇家や財閥の海外資産は膨大なものであった。国家権力を握り、徴兵制によって作った軍隊で、自らの財産を守り、かつ増やそうとしたのである。国民を騙した巨大なプロパガンダ「お国のために!」お国とは、彼らのことに他ならない。国家権力を守るために、天皇を神とする「国体護持」を必要としたのである。

1945年2月、すでに日本の政府は、明確に敗戦を認識していた。しかし、国体護持のために、連合国との交渉を少しでも有利にすべく、どこかで戦果をあげることができないものかと、戦いを引き延ばしにかかったのである。結果、日本各地への空襲、沖縄戦、広島、長崎ヘの原爆、旧満州、樺太へのソ連軍侵攻となったのである。敗戦までの半年間に、どれだけ多くの民衆の命が奪われていったことか!政府に、日本の国民を守る愛国心があったならば、2月の段階で降伏していただろう。

死んで捕虜の辱めを受けずと、国民に強要してきた者たち。自らは、国体護持の命乞いをしたのである。故に、天皇制度は途絶えることなく、21世紀の現在もなお維持されている。神から、人間となって。

あの15年戦争はなんであったのかと、問い続けなくてはならない。なんのために、誰のために戦争があったのかと。日本は、アジアの人々に向かえば、加害者でもある。戦争の被害者と加害者、両方の事実を掘り下げて、過去の歴史から学ばなければ、真実はつかみ取れない。騙されていた、の一言で終わらせてはならない。政府のプロパガンダに騙された国民には、まったく何も責任がなかったと言い切れるであろうか・・・21世紀の戦争、この先に続く未来、私たち市民一人ひとりの責任を今、私は自らに問うている。

mm記

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2009年8月23日 (日)

ブラックウォーター

ブラックウォーターは今もイラクで武装している
2007年9月、バグダードで非武装民間人を虐殺した傭兵企業ブラックウォーター社。他にも様々な犯罪に関与してきたブラックウォーターが依然としてイラクに居座っている状況を『Blackwater』の著者ジェレミー・スケイヒルが紹介。

ブラックウォーターは今もイラクで武装している
ジェレミー・スケーヒル
ZNet原文
2009年8月19日

今年初めの頃に、イラク政府がブラックウォーター社の操業ライセンを取り消したと発表したにもかかわらず、米国国務省は今もイラクにいるブラックウォーターの工作員が武装し続けることを許容している。あ国務省官僚が『ネーション』紙に語ったところによると、ブラックウォーター(最近Xeサービスと名前を変えた)は現在、「USトレーニング・センー」の名で活動しており、少なくとも9月3日まで武装したままイラクに居つづけるという。すなわち、ブラックウォターの工作員がバグダードのニソール広場でイラク人市民17人を殺してからさらに2年近くもブラックウォーターはイラクに居座っていることになる。

国務省外交安全担当官は、匿名を条件に、「その任務のもとで権限受けたスタッフはそのときまで武器の携行を許される」と述べた。彼は続けて次のようにも言う。「米国国務省が契約している民間軍事会社の目的と使命は、米国外交官と外交施設の保護に限定されており、防衛的な性格のものである」。

最後の点は、イラク人にとっては何の安心にもならない。2007年9月16日にニソール広場でイラク人を虐殺したブラックウォーターの工作員たちは、まさに防衛的な任務に就いていると説明されていたのである。「イラクの人々は、ブラックウォーターはもはやイラクで活動していないと思っています。イラクから追放され、ライセンスも剥奪されたと思っているのです」。米国フレンド派奉仕事業委員会のイラク顧問を務めるライード・ジャラルはこう語る。「人々は、もうブラックウォーターは撤退したと思っています。ブラックウォーターが今もイラクにいるというのはとても不穏なことです」。

ブラックウォーターが依然として武装したままイラクに居座っていることを国務省が認めたのは、ブラックウォーターの元職員が宣誓証言の中で、ブラックウォーター社の社主エリック・プリンスが自分の会社は世界からムスリムとイスラムを「抹殺する」ためのキリスト教十字軍の戦いを進めることにあり、ブラックウォーター社は「イラク人の生活を破壊することを推奨しそれに報奨を出した」と述べてから一週間後のことだった。

米国国務省によると、イラクの外交安全関係契約でブラックウォーター社が今も維持しているのは航空関係契約だけだという。『ネーション』紙が最近報じたように、オバマ政権は7月31日にその契約を延長し、ブラックウォーターはさらに2000万ドルの追加支払いを受けることになった。これによりイラクの「航空サービス」で国務省からブラックウォーターが受け取る支払い総額は1億8700万ドルになった。ブラックウォーター社はこれまで「外交安全」契約で国務省から10億ドル以上の支払いを受けている。9月に、ブラックウォーターの航空契約は巨大な著名傭兵企業ディンコープが引き継ぐ予定で、イラクでの「防衛的治安」のおいしい取り分はトリプル・キャノピーが持っていく予定である。

今年1月28日、イラク政府はブラックウォーターにイラクでの操業ライセンスを与えないと発表した。イラク政府は、米軍地位協定で示されたように、民間軍事会社が公式にイラク法の司法管轄下に入ったあかつきにはブラックウォーター社はイラクを撤退しなくてはならないと述べていた。「ライセンスを持たないブラックウォーター等の会社はイラクから即座に撤退しなくてはならない」とイラク内務省報道官アブドゥル=カリム・カラフ少将は断言した。そうした宣言にもかかわらず、ブラックウォーターはイラクに居座った。「操業ライセンスなしでどうして7カ月も居座ることが認められたのでしょうか?」とジャラルは問う。

2009年1月1日に発行した米軍地位協定の文言によると、技術的には米国国務省の契約下にある企業はイラク法の管轄下に置かれるが、実質上、ブラックウォーターやトリプル・キャノピー、ディンコープなどといった国務省契約企業をイラク法の適用例外としているようである。ブラックォーターがイラクに居座り続けていることがそれに関係しているかどうかは明らかではない。ヌーリ・アル=マリキ首相をはじめとする政府高官は「ニソール広場虐殺のあとリップサービスを振りまき、ブラックウォーターを起訴しイラクでの操業を禁止すると約束したが、実際には何一つしませんでした」とジャラルは言う。「国務省の説明責任もブラックウォーターの説明責任も問わないまま、意図的に人々を騙していたようです」。

ニソール広場虐殺の一週間後、マリキ政府はブラックウォーターを禁止すると述べた。「イラク政府は市民に対して責任を追っている。軍事企業が殺人を犯すことは認められない」。2007年9月23日、マリキはこう述べた。「イラクの主権に対する重大な挑戦だ」(イラク政府は見解を求められたが、返答しなかった)。

この間、ブラックウォーターはアフガニスタンでも大規模な駐留を続けている。同社はアフガニスタンでも国務省の全世界人員保護プログラムの外交安全契約のもと、「USトレーニング・センター」という名を掲げて活動している。同社はまた、プリンスが所有するもう一つの会社パラヴァントLLCの名で米国国防省との契約のもとでも操業している。パラヴァントの工作員4人が現在、5月にアフガニスタン人市民2人を射殺したことで、米軍の調査を受けている。

ブラックウォーターは、戦争産業にとって新たな金脈となりつつあるアフガニスタンでさらなる契約への入札を行っている。米国政府に雇われて、今や7万人近い契約要員がアフガニスタンに派遣されており、アフガニスタンには米軍兵士(4万8000人)よりも契約要員のほうが多い。アフガニスタン内務省は40近い民間軍事企業にライセンスを与えているが、これらの企業はアフガニスタンで合わせて2万3000人を雇用している。これらの企業はまた、アフガニスタンで1万7000の武器を扱っている。国務省に雇われた傭兵の他に、米国国防省も約4300人の傭兵をアフガニスタンで雇っており、その数は着実に増えている。2009年第二四半期に、オバマ政権はアフガニスタンの武装民間契約要員を29パーセント増やした。

「Bleeding Afganistan: Washington, Warloads and the Propaganda of Silence」の著者ソナリ・コルハトカルは、「このような事態になっていることには驚いていません」と話す。「オバマが大統領になる前、アフガニスタンが戦争のトップ・プライオリティになるだろうとの警告は得ていたので、米国政府が戦争機械の多くをアフガニスタンにつぎ込むことは予想できました」。ブラックウォーターについて彼女は次のように言った。「イラクでと同じようにアフガニスタンでも民間人を殺しつづけるならば、米国のアフガニスタン占領に対するレジスタンスをますます強硬なものにするでしょう」。

8月6日、米国のジャン・シャコースキー議員は国務長官ヒラリー・クリントンと国防長官ロバート・ゲーズに手紙を書き、ブラックウォーター社が行ってきた「虐待の歴史」に言及し、クリントンとゲーツに「Xe社および関連会社とこれ以上契約しないこと、同社の既往契約をすべて再検討すること」を要求した。国務省も国防省もシャコースキーの手紙に返答していない。

「益岡賢のページ」より転載

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2009年8月22日 (土)

「冬の兵士」

「冬の兵士」ルイス・モンタルバン(1)の証言
   
私は物資と人員の増強を要請するおびただしい数の上申書を書きましたが、何の返答もありませんでした。イラクで多くのショッキングな事件の現場にいました。[拷問の]水責めに立ち会ったことがあります。シリア・イラク国境で足止めされた難民に対する人道援助の提供をしないよう、上官から違法な命令を受けましたが、その命令には従いませんでした。

私は何人もの米軍指揮官のもとで数多くの大規模作戦に立ち会い、また身をもって参加しました。指揮官たちが作戦の成功を測る基準としたのは拘束者の数だけで、それによってどのような事態が引き起こされたかを、省みることはまったくありません。こうした作戦がもたらしたものとは、部族間、民族間、宗派間の抗争にほかなりません。抗争の主体となっているのは、米軍がイラク治安部隊と呼ぶ武装集団で、制服から装備まで米国民の税金によってまかなわれています。

もっとも非難されるべきは、イラクでの兵員が必要な員数近くに達したことがなかったという点です。ところが2003年から今日までの間、なかでもサンチェス、ケイシー、ペトレイアス各将軍は、部下の将校から出された物資と兵員の増強要請を顧みることはありませんでした。それどころか、つねに事態をバラ色に描いてみせました。イラクは内戦状態となっているにもかかわらず、です。将軍たちは、過去現在一貫してイラク治安部隊の兵力について過大な評価を議会に報告しています。事実を偽ることは、軍法会議と刑事告発の根拠となるべきです。

私はイラクで多くの友人を亡くしました。アメリカ人もイラク人もいます。
イラク人の友人の多くは、イラク国内で、また国外で、難民として苦しみ続けています。実のところ、私が兄弟と思っているイラク人の友人、アリは、米国難民受け入れプログラムによる亡命を申請するために、今日もヨルダンの国連難民高等弁務官事務所と面会を重ねています。最近アリは援助を求めて私のウェブサイトを通じて連絡をしてきました。それを受け、陸軍にいる私の仲間数人が彼に支援文書類を送りました。彼は2003年と2004年に、命の危険を冒して私たちを助けてくれたからです。アリと他の多くの人たちが迅速に助けられることを祈っています。

テッド君(2)、私たち二人が闘ってきたことについて、この手紙に焦点当てたいと思います。私たち二人が力を尽くして闘ってきたこと、過失と職務放棄と腐敗と闘ってきたことにについてです。君は、ジョセフ・フィル将軍とデイビッド・ペトレイアス将軍は過失を犯し、職務怠慢であったと考えていた。私もそう思う。ペトレイアス、フィル両将軍に君が宛てた文書が、君の遺体のそばで見つかって、陸軍当局によるとその文書は「自殺の遺書」だという。

その中で君はこう述べている。
「あなた方の関心事は自分の出世だけで、あなたがたを補佐する将校たちに、任務遂行のための支援を全く提供していない。それどころか気にも留めていない。腐敗と人権侵害と虚偽につながる使命にはもはや耐えられない。
私はもうこれ以上汚れた身になりたくない。私が志願したのは、金に群がる腐敗した請負業者たちを儲けさせるためでも、我が身しか眼中にない司令官たちのもとで働くためでもない」。この文書は日誌の一片で、破り取られて君の遺体のそばに置かれたと君の家族は考えている。さらに家族が話してくれたところによれば、家族の手元に返された遺品の中に日誌はなかったということだ。

2003年アル=ワリード[イラク・シリア国境]の通関手続地にいた時、私は多くの上申書を上官に提出しました。そのひとつは、自動出入国追跡システム導入の必要性を述べた報告書でした。出入国の動きを追跡するためのシステムとして、個人識別安全評価システム(PISCES)というものがあります。リカルド・サンチェス中将とポール・ブレマー[連合軍暫定当局代表]はアル=ワリード通関手続地がそのシステムの設置に適するかどうか判定するため、調査団を送ってきました。調査団は現場を離れるとき、この通関施設はPISCESの設置が可能だと告げました。私の部隊、第3機甲騎兵連隊が2004年の3月にそこを離れたときには、PISCESはまだ配置されていませんでした。

2005年、2回目の派遣で私は再度イラクに入りました。私はH・R・マクマスター大佐の下でイラク治安部隊との連隊の総合調整者に任命されました。大佐は現在、将官クラスになると目されている人物です。私の任務のひとつに、ラビヤの通関手続地でシリア・イラク国境の北半分の情勢の変化と安全を監督する仕事がありました。2005年6月、イラク多国籍軍団にいるガイ・ヴィラーディ中佐がある情報を与えてくれました。それによれば、下部組織である文民警察訓練支援隊(CPATT)(3)が、PISCESを多数持っていて、それはバグダッドのコンテナにあり、それが近いうちに設置されるとのことでした。

ニナワ県西部に戻ると、私はマクマスター大佐を含む上官たちにこれを知らせました。2005年8 月、文民警察訓練支援隊(CPATT)の司令官であるジョセフ・フィル小将がラビヤを訪れ、概況説明を受けるということがありました。そこで、私たちはシリア・イラク国境の現状を報告しました。フィル少将は報告を受けると、PISCESシステム設置の意見を一笑に付し、「そのシステムは役に立たず、第一にわれわれのところにはない」と言いました。私がヴィラーディ中佐から聞いた情報を伝えると、フィル少将は「そんなはずはない。PISCESはいずれにせよ役に立たない」と答えました。私の2度目の派遣から離任する直前の2006年1月、海兵隊予備軍のカール・ラマーズ大佐が
保護された通信網を通じて、Eメールを送ってきました。それによれば、
PISCESは実はバグダッドのコンテナにあるとのことでした。私は憤慨しました。第3機甲騎兵連隊がニナワ県西部の任を解かれた2006 年3月当時、PISCESあるいは同様の追跡システムはラビヤの通関手続地には設置されていませんでした。

2003年から2007年まで、出入国追跡コンピューターシステムはシリア・イラク国境には導入されませんでした。これによって、イラクの不安定度は間違いなくこのために増大したと思います。外国の戦闘員や犯罪者が、逮捕の恐れなしに、国境を越えて自由に移動できたからです。この結果、かなりの数のアメリカ人やイラク人が殺傷されたと思われます。

あと持ち時間が1分となりましたので、最後に重要な事柄に一点だけふれておきます。私はリー・ダイナミックス・インターナショナル社(4)との契約についての腐敗を知っています。バーグナー准将(当時)の書面による証言が手元にあります。その4ページ目で明らかにされているのは、次のような事実です。ペトレイアス大将とフィル少将の下では、大量の武器についての説明責任制度がなく、装備の調達、保管、補給について標準任務手順もなかったということです。

最後に次のことを言っておきたいと思います。この1年半の間に、私は個人であるいは仲間のイラク帰還兵たちと共同で、多くの記事を書き、『ワシシントンポスト』『ニューヨークタイムズ』『サンフランシスコクロニクル』をはじめとする各紙に掲載されました。おおぜいの将軍による職務怠慢の事実を広く知ってもらおうと、私たちは大きな声を上げ続けてきました。その間、その将軍たちは何度も昇進を重ね、嘘を言い続け、イラク情勢をバラ色に描いています。

  <注>
  (1)ルイス・モンタルバンのHP:
  http://www.luiscarlosmontalvan.com/2008_05_01_archive.html

  (2)セオドア・S・ウエストハッシング大佐のことで、モンタルバンの証言は彼に呼びかける形で行われた。ウエストハッシング大佐はペトレイア
ス将軍の下で、イラク治安部隊の訓練の監督と軍の請負業社の監をしていた。2005年6月に遺体で発見され、軍によれば自殺とされているが、他殺ではないのかとの疑念が持たれている。請負業者の不正を告発する文書が届けられ、調査を行って報告書を書いた直後に死亡しており、大佐の死と請負業務にかかわる不正の関連が指摘されている。彼は耳の後ろを銃で撃っているが、自殺の場合通常は口に銃口を入れたり、あごの下やコメカミを撃つのが一般的であるとされ、医師も彼のような自殺は見たことがないという。後1ヶ月でイラクから帰還することになっていたこと、また母親の証言によれば自殺した6月5日が母親の誕生日と重なっていて、母親はガンにかかっており息子が自殺すればおそらく母親も死んでしまうだろことを息子は知っていたので、自殺するはずがないとのことである。以下のサイトを参照した。
  http://www.alternet.org/waroniraq/77313/

  (3) 
  イラク多国籍軍(MNF-I)
       |
  イラク多国籍軍団(MNC-I)ーイラク多国籍軍治安移行部隊(MNstc-I)
              |
  文民警察支援隊(CPATT The Civilian Police Assistance Traing Team)

  (4) リー・ダイナミックス・インターナショナル社(LDI)はイラクの多国籍軍に兵站支援をするために国防総省に雇用された米国の請負業社。イラク警察と国境警備隊の武器と装備を供給する唯一最大の業者であったが、数百万ドルの装備や武器がどこにあるのか分からずフィル将軍やペトレイアス将軍が調査や説明を放棄していた。

──────────────────────────────────

2008年9月、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)、冬の兵士の証言集を全米で刊行。

Winter Soldier: Iraq and Afghanistan: Eyewitness Accounts
of the Occupations, by Iraq Veterans Against the War,
edited by Aaron Glantz, (Haymarket Books; September, 2008).
http://www.haymarketbooks.org/product_info.php?products_id=1613
http://www.amazon.com/Winter-Soldier-Afghanistan-Eyewitness-Occupations/dp/1931859655

岩波書店より2009年8月18日発売。
TUP「冬の兵士」プロジェクトチームによる邦訳。
『冬の兵士──イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』
反戦イラク帰還兵の会 著 アーロン・グランツ 編集 TUP 翻訳
岩波書店発行
320ページ
1995円(1900円+税)

イラク戦争を追いつづけてきたジャーナリストが『証言集』の書評を書いて
いる。速報785号「ダール・ジャマイルが解説する冬の兵士証言集」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/816

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2009年8月20日 (木)

辺野古 小禄信子さん

Subject: [CML 001045] 【動画】追悼:
From: 小林アツシ
Date: 2009/08/19 15:36
To: <cml@list.jca.apc.org>

【転載歓迎】

沖縄 辺野古(へのこ)での米軍基地建設に反対して長年
座り込みを続けてきた小禄信子さんが昨日8月18日に
他界されました。90歳でした。

きょう、小禄さんにインタビューさせていただいた時の
お話しをもう一度聴こうと思い、二回分のインタビューを
すべて聴き直しました。小禄さんは「記者さんやカメラマンの
方に何度も何度も話をしたけれど、なかなかみんなに
伝わっていない」とおっしゃっていました。

私は、「自分には小禄さんの想いをきちんと伝える責任と
義務がある」とあらためて思いました。

DVD『基地はいらない、どこにも』には収録しきれなかった
部分を含むロングバージョンのインタビューを編集し
公開しました。残された私たちへの小禄さんのメッセージを、
ぜひお聞きください。

http://atsukoba.seesaa.net/article/126028561.html
http://www.youtube.com/watch?v=JNr0392Tbmg

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2009年8月19日 (水)

(竹内×)国民審査

平和のための国民審査(竹内×)

みなさん、平和のための国民審査実行委員会です。
「平和のための国民審査」(竹内バッテン)運動を全国各地で進めていただき、感謝しています。
おかげさまでわずか1月の間で全国の皆様に20万枚のリーフを届ける
ことが出来ました。
 
竹内行夫元外務事務次官(外務官僚のトップ)・現最高裁裁判官は、名古屋高裁が憲法9条に違反するとした違憲のイラク派兵をおしすすめた当時の責任者です。
あろうことか、麻生内閣は、この竹内氏を違憲判決(去年の4月17日)後の去年の10月に最高裁裁判官に任命しました。
これは麻生内閣による「平和憲法、違憲判決。そんなの関係ねえ」との
意思表示にほかなりません。
  
これに対して、市民の中に「違憲のイラク派兵をすすめた竹内行夫氏は、憲法の砦としての最高裁裁判官にふさわしくない、最高裁裁判官を辞めさせよう(罷免させよう)」という声が、一気に全国で広がっています。
  
この声を一斉に形にしよう。そしてしっかり裁判所にも伝えよう。
そういった声もこの間多数寄せられています。
裁判官・裁判所職員にとって竹内最高裁判事の存在は無視できない問題です。
  
そこで、下記の行動を皆さんと一緒に起こしたいと思います。
日程が迫っていますが、できる範囲で運動を作っていただければと思っています。よろしくお願いします。
  
自衛隊イラク派兵差止・名古屋訴訟弁護団事務長
弁護士 川口 創

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2009年8月18日 (火)

武者小路公秀  ソマリア

ソマリアの海賊と「人間の安全保障」

広範な国民連合代表世話人 武者小路 公秀

 ソマリアの海賊対策は、日本からの自衛隊も参加して進められることになった。国会での討論も新聞の論調も、自衛隊参加の可否についてはあったけれども、ソマリアの海賊がなぜ今ごろ出没するようになったのかということについては、誰も問題にしていない。もっとも、国際社会(実は「先進工業諸国中心の」という断り書きが必要である)が、米国や西欧諸国をはじめとして、中国まで含めて、こぞって海賊退治に参加する形を取っている以上、それ以上のことについて考える必要がないと思われているのかもしれない。

 もちろん、筆者も、ソマリアの海賊を退治してはならない、ということを主張するほど、不心得者ではないない。しかし、ソマリアの人々の困窮が、その一部の不心得者を海賊に走らせたのであったら、その原因について解明しないで、ただ海賊を取り締まればよいということはできない。筆者も、ソマリア問題の専門家ではないので、ここに記すことの大部分は、専門家の言葉や記事の紹介になってしまうことを正直に認めよう。
 ソマリアについては、次の三つのことが、客観的に確かめられる事実として、厳然としてわれわれの判断の基準になることを待っている。

1、 ソマリアは、地球上でももっとも貧しい最貧国のひとつであり、また、現在世界に散在している軍事紛争の地域でも、ただひとつこの国を有効に支配する政府を持っていない国である。


2、ソマリアの沿岸は、インドネシアのツナミのときにも津波が押し寄せた海域に面しているけれども、その海域には先進工業諸国が、放射能を持つものも含めて廃棄物の投機をする海域になっている。それで子供が放射線を浴びたために病気になったことが問題になっている。


3、かなりの数のソマリア人が湾岸の石油国や西欧などに出稼ぎにいっていて、その仕送りがソマリアの総所得のなかで、かなりの比率(たしか30%ほど)に達する額になっていた。その仕送りは西欧式の銀行送金ではなく、イスラーム式の伝統的な金融制度を使う送金に頼っていた(特に非正規移住労働者は銀行送金をする資格がないこともある)。ところが、この金融制度がテロに利用されるというので、米国の反テロ戦争のなかで禁止されたため、送金ができなくなった。その結果、出稼ぎ労働者の家庭のみならず、ソマリアの国としての収入も、急減してしまっている。


 以上の三つの事実は、国連が採用し、日本国政府もその外交政策の指針にしている「人間の安全保障」の原則に即して考えると、つぎのような問題がでてきて、ただソマリアの海賊を退治すればよい、ということにはならないはずである。

ソマリアが、国家の体をなしていないということは、その国民の安全を国際社会が責任を持って保障する義務がある。
海岸地域に住むソマリア人たちは、海に依存する生活を送っており、汚染された海によって生活の安全をうばわれており、また汚染した海での漁業も不安全になっている。
したがって、国際社会は、ソマリア人の出かせぎ労働者の送金ができるように配慮し、また生みの汚染の原因になっている廃棄物投機を禁止して、海岸地域にすむソマリア人の安全を保障する責任がある。


 要するに、「人間の安全保障」の立場から見れば、ソマリア人に対する安全保障義務をはたさないでおいて、ただソマリア人の海賊の監視と退治だけに精を出すのは、少なくとも著しくバランスを欠いた「国際貢献」であると言わざるをえない。もっとも、中国も日本も、この際、正義の旗をかざしてその海軍の威力を誇示する場として利用しているし、ソマリア海賊退治は「人間の安全保障」とは無関係な、世界に大国の間の「国家安全保障」の競争であるということであるといってあきらめるほかないのかもしれない。

「月刊 日本の進路」より転載

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2009年8月17日 (月)

幌延 高レベル放射性廃棄物

センター紹介 -地下施設等現場の様子-平成21年度は、東立坑は深さ約200mまでの掘削を予定しており、昨年度に引き続き、深さ約140mのところにある水平坑道を掘削し、東立坑と換気立坑が繋がる予定です。
また、地上施設である国際交流施設(仮称)については、今年秋頃の完成に向けて工事を進めています。

平成21年8月1日~平成21年8月7日 地下施設等現場

(1)地下施設(研究坑道)の掘削工事:(500m掘削予定)

・立坑掘削作業 : (8/7現在)
 東立坑 (維持点検中) : 掘削深度 140.5m
 換気立坑 (維持点検中) : 掘削深度 250.5m

・水平坑道掘削作業 : (8/7現在)
 深度140m東側水平坑道 (掘削中) : 掘削長 183.5m
 深度250m東側水平坑道 (維持点検中) : 掘削長 42.0m

「幌延深地層研究センター」より転載

******

日本原子力研究開発機構は、北海道の幌延で、高レベル放射性廃棄物を処理処分するための研究開発をおこなっている。HPには、掘削作業の進捗状況が載せられている。ガラス固化体を地下に埋めるための研究、作業が着々と進められているのだ。実際の、廃棄物の搬入はないとしているが果たしてこれが、たんなるボーリング作業だけのものなのか・・・

幌延を、地層処分地にしていこうとしたものの、住民の強い反対で一頓挫した経過がある。仮に、幌延でなくても、日本のどこかに埋めることを前提として、坑道を掘り進めているのである。世界のどこも、地下に埋めることはしていない。半永久的に何千年何万年にわたって、放射能の毒性を封じ込め続けることはできないからである。施設からもれ出た放射能が、地下水脈や、地震による変動によって、どのように生物界に出てくるのか、予測もつかなければ、それを制御することもできないことを知っているからである。

この研究センターから、目を離してはいけない。企業としての日本原子力研究開発機構が、すでに入っているのである。研究のための研究として、このまま終わるわけがない!

mm記

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2009年8月14日 (金)

マニフェストよりも

メディアは連日、公約の検討、識者?の意見を取り上げている。民主党の公約に対し、財源は?と問い続け、結果、国民迎合、ばらまきで、結論は無責任であると言いつづけている。その意図するところは、民主党を批判することで、自公政権の擁護に回っているのである。

財源は?と問える自民党か!今まで、近くは補正予算を含め、金融、大資本、ゼネコン、天下り先等々のために、打ち出の小槌のごとく、800兆円の国債を増発し続けてきた政府である。おかげで、大資本の側は、国家予算の3分の1にあたる30兆円以上の内部留保金を持っている。労働者の側は、派遣などという人間を無視した法のせいで、今日1日を生きることさえ保障されずにいる。仮に、財源がなく国民のために、ここで数兆円の国債を発行するとしても、多くの国民は納得するだろう。

政権交代がかかった選挙である。公約の論議はけっこうだが、今もっとも大事なことは、これまでの自公政権の政策がどうであったかを問うことではないか?特に、小泉政権時代の国民生活崩壊、アメリカへの売国的政策を検討することの中から、将来への変革、必要な政策、が見えてくるはずである。ここまで、国民が瀕死状態になったのはなぜなのか。政府が推し進めてきた、大企業中心の政策、医療、年金、福祉へ投入する税金を縮小し続けて数々の悪法を作り続けてきたことがよかったのか、アメリカへの盲目的な追従外交がもたらしたものは何であったのか等々、過去を問わなければ、未来への展望も開けない。

マニフェストの具体的な論議は、選挙後のことでよい。大切なことは、次期政権をめざすものは、政策の基本をどこに置こうとしているのか、その目線を、大多数を占める一般国民の位置におこうとしているのか、それとも今までと同じく、対米追従、大資本に忠実であろうとしてしているのか、その大きな基本路線を把握することである。

メディアは、意図して過去の自公政権の中味を問おうとしていない。国民の目を現実からそらし、どうにでも言える、将来できるかできないかと不確定なことばかりをしゃべって、お茶を濁しているにすぎない。政権をかけた総選挙が、半分おもしろくもあり、半分おもしろくもない。時、ここに至ってもなおメディアはマスゴミのままである。その責任は重い!

mm記

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高知白バイ事件のシナリオ

『高知白バイ事件は、でっち上げのオンパレード』

http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908108569/1.php

小倉文三記者が、JANJANに生田弁護士から聞いた、事故当日、はやくもできていた県警のシナリオ「殉職警官」について書いています。

7月31日の「週間金曜日」には、民事訴訟の訴状から、実名をあげていかにでっち上げの調書が作られていったのか、詳細に載せられています。ぜひ、手にとって見ていただきたいです。

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2009年8月12日 (水)

戦後補償法制定を

8月の総選挙ですが、残念ながら戦後処理・戦後補償をめぐる政策課題がほとんど論じられていません。景気対策や年金・地方分権など大変内向きなテーマにばかり論議が流れています。
 そこで緊急に8月13日(木)14:00に参議院議員会館第4会議室で記者会見して、下記のアピールを発表したいと思います。
ご賛同いただける方(団体・個人)は、折り返しメイルでご返事下さい(締切=13日正午)。記者会見にご参加いただける方は、3:45から参議院議員会館玄関で入館票を配布しますので、入館票を受け取って第4会議室にお越し下さい。

        <緊急共同アピール案>

      戦後補償法制定を各党に要望する
      ―2009年総選挙を前にして―

1 戦後64年目の8月に行われる総選挙に向けて各党が発表したマニフェストを見ると、関心が内向きになっていて、緊急の政策課題である戦後処理・戦後補償政策と取り組む熱意は全く感じられない。
  先週被爆救済で前進があったが、いずれの当事者も高齢であり、待ったなしで取り組まなければならない政治的課題である。
  同様に深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った外国人戦争被害者はいずれも高齢となり、早期立法措置を講じることを期待する旨の意見を付した判決が次々に出されている。
この司法の見解を立法府も行政府も何ら尊重していないのは三権分立の意義を無視するものである※
  
2 日本の戦争責任・戦後責任を追及する国際社会の動向は一向に下火となることはない。新しい政治状況の下でわが国が国際社会において名誉ある地位を占めるためには、戦後補償政策の早期解決は不可欠である。※

3 近時の最高裁西松判決は、サンフランシスコ条約に関わらず、外国人の戦争被害者は、被害の救済を受ける個別具体的な「個人補償請求権」を有することを認めるに至った。
  これまで政府および与党は、サンフランシスコ条約によって個人の請求権は放棄され解決済みであるから、個人補償は行えないとしてきたが、この最高裁判決の下で速やかに個人補償請求権を立法化し、被害者に謝罪のしるしとしての補償をなすべきである。

4 私たちが当面取り組む必要があると考える補償問題は後記のとおりであるが、その支給方式について私たちは、他国の戦後補償の例も調査し「順次支給の方式」を提案している。
すなわち、立法により自動的に、すべての被害者に直ちに補償金を支払おうというのではない。日系米国人強制収容に対する米国の補償法では政府が補償基金に出資する一会計年度の予算の額に限度を設け、各年度に承認される予算に見合った分の補償が順次行われるという仕組みで、高齢者から支払われている。

5 私たちの提案は、政府が出資金を拠出して戦後補償基金(法人)を設立し、出資金とその運用益を補償金に充てる構想である。
国際社会の関心の的となっている日本の新しい政治状況の下で超党派の議員および新政府が調査・検討を重ね、各年度に承認される予算の限度額を定め、順次支給方式を具体化することを要望する次第である。(『戦後補償法』・明石書店・1999年刊参照)

                     記     
 強制連行・強制労働・性的強制、捕虜抑留者虐待、虐殺、
 人体実験、財産没収、戦後補償・援護策における内外人不平等

 以上のとおり緊急アピールを行う。

                    2009年8月13日

  <起案・呼びかけ>
   戦後補償問題を考える弁護士連絡協議会・戦後補償立法を
準備する弁護士の会
 座長 今村 嗣夫
   戦後補償ネットワーク世話人代表  有光 健 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
  <回答メイル⇒cfrtyo@aol.com 締切=8月13日正午>

 8/13発表「緊急共同アピール」に賛同します。

(名前 団体・個人)

(個人の場合は肩書)

(意見・メッセージ)

(連絡先)Eメイル:
      Fax:

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       戦後補償ネットワーク
           有光 健
       cfrtyo@aol.com Fax03(3237)0287
      Tel03(3237)0217/080-5079-5461
 〒102-0074千代田区九段南2-2-7-601
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2009年8月11日 (火)

津賀ダム平和祈念碑追悼会

「四万十川 ある記念碑の落成」                       下司孝之

8月9日の津賀ダム平和祈念碑追悼会は豪雨の中、津賀ダムの左岸で開催された。
旧大正町、3年ほど前に窪川町などと合併をして現在は四万十町と言われている、その山間の部落下道(しもどう)の外れである。ダム建設で戦時色が強くなる頃に散った朝鮮人達の慰霊の塔が今日出来上がったのだ。
四万十町前田哲生町長が追悼を述べ、式典は始まった。

ダムが見える林道の傍にパンサダと呼ばれる防邪塔が作られていたところが式典会場。
防邪塔前のお地蔵のうち、一体は韓国風地蔵。
テントが張られ、会場の周りに植えられていた、犠牲者の魂であるかのように鳳仙花が赤い花をつけて雨に打たれていた。
積み上げられた石の先端部は韓国の国鳥であるカササギを表現している。
隣のソッテ(鴨)という高い木の塔は地域の安全を願うもので、先端の自然木は鴨を現した高校生手作りの鳥像、魂が故郷へ帰るように立てられている。

式典の言葉はともすると雨音に遮られてわずか5メートルほどしか離れていないのにまったく聞き取れないこともある。大勢の韓国の高校生達も日本人の高校生もテントの中で一塊になって聞いている。
司会者が「韓国では雨は遠来のお客さんをお迎えするものだという言い伝えがあります」、と歓迎の辞で述べたとおりに止むことのない雨がダム湖にも防邪塔にも降り注ぎ、テントから水の束がどっと落ちている。

韓国のシャーマン達が献舞を見せている。白衣民族と言われた彼等は白い鉢巻を締め楽器を打ち鳴らし、故郷へ帰ることが出来なかった魂を踊りで供養する。演技団『グッ』の五人組みだ。彼等のアリランは山奥に取り残された魂の悲しみ『恨』を歌う。土佐のお神楽よりもジャズっている。

供養『チョンド』の儀式が続く。日韓の高校生達がアリランを歌う。
先が尖った沓を履いた巫女が舞う招魂の踊り。腕は肩の位置で虚空を掴み、腕に巻いた一寸程の赤黄青色の布以外は白衣で頭には姉さんかぶり様の頭巾をかぶっている。大勢の参加者で肩越しにはステップを見ることまでは出来ない。
鳴り続けるドラや太鼓。髷を結った男性が白布を丸めて魂に見立て、激しく舞う。
やがて布巾4尺程の長い白布の端々を参加者に持たせ、胸で押し切り押し切り、押し戻されつつも切り開いて進んでいく。布が身体で裁断され前に飛び出す。魂が韓国に向けてようやく飛び立ったようだ。

下道区長の閉会の辞で儀式は終わった。

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海外の米軍基地をたたむ時

◎海外基地維持の重圧で米帝国は破産する。基地をたたむ時だ
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世界制覇の”使命感”に取り憑かれた米国は世界中に展開する米軍基地に巨額の運用費を垂れ流し続けています。そこへ自国領土を基地のために占拠されている国々からの代価の請求が出始めました。米国経済はもうもたなくなるでしょう。

日本政策研究所所長としてアメリカ帝国主義の不条理を告発し続ける米国の政治学者チャルマーズ・ジョンソンが、海外基地は早く精算すべきだ、占拠者に多額を貢ぎ続ける日本よ目を覚ませと訴えています。

(邦訳と前文:藤谷英男/TUP)
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アメリカ基地帝国とどう付き合うかー占拠地への控えめな提言

チャルマーズ・ジョンソン
トムディスパッチ  2009年7月2日

毎年1,020億ドルを費やすアメリカ基地帝国は、すでに世界で最も高価な軍事組織体となっているが、今後はさらに高くつくことになった。まず、国務省がパキスタンのイスラマバードに新しい「大使館」を建設しようとしていることが5月27日分かった。建設費7億3,600万ドルは史上2番目の高額であり、予算超過がなくても、ブッシュ政権がバグダッドに作ったバチカン市規模の大使館に400万ドル及ばないだけだ。

国務省はさらにアフガニスタンとの国境に近いペシャワールに、領事館とその職員の生活空間として、プールまで付いた五つ星のパール・コンチネンタル・ホテルの買収を計画していると報じられていた。その計画にとって不幸なことに、6月9日、パキスタンの武装組織がトラックに爆発物を満載してそのホテルに突入し、ホテル内にいた18名が死亡、少なくとも55名が負傷して建物の一翼がそっくり破壊された。国務省がその後もなお買収計画を進めているのかどうかについては何も伝えられていない。

このどちらの建造物も、経費がどれほどのものになろうとも、すでに膨大な我が国の軍事予算には含まれないことになっている。本来の大使館、すなわち住民がビザの申請に訪れ、館員が国の貿易や外交的利益を代表する所としては計画されていないにも拘わらずである。その代わりに、これら大使館と称するものは、実際には中世の要塞よろしく城壁を廻らせた建造物群となって、そこでは米国の諜報員、兵士、情報局員、外交官らが、戦闘地域の敵性住民に目を光らせようとしている。そこに海兵隊の大部隊が駐屯し、屋上には緊急脱出用のヘリパッドを備えることは目に見えている。

ある程度の物理的防護があることが分かれば、危険な場所で勤務する国務省職員にとっては心強く感じられるかも知れないが、同時に自分たちがあからさまなアメリカ帝国の進出の一翼であることが、彼ら自身にも、また勤務地の国の住民にも明らかになるに違いない。どれほど強固に護られていても、基地型の大使館は大きな軍事基地よりも与し易い標的の一つだと、米国を攻撃をする武装勢力が考えても驚くには当たらない。

ところで、世界中で800カ所近くにもなる他人の国に点在する基地に対して、一体何がなされているのだろうか。銀行救済、新しい医療保険、公害対策などの極めて必要性の高い出費をめぐって議会とオバマ政権が論議を戦わせている今でさえ、嫌われ者で金食い虫の帝国占拠地を幾らか畳めば良い節約になりそうだとは誰も言い出さない。

それどころか海外基地は更に高くつくことになりそうだ。中央アジアの旧ソ連構成共和国であるキルギスは去る2009年2月、(アフガニスタン戦争の兵站地として2001年から使用されている)マナス空軍基地から米軍を追い出すつもりだと発表したが、説得の結果引き続き我が国の使用が認められるようになったことが6月23日分かった。しかし罠がある。その厚意の見返りに米国が払う基地の賃借料年額が1,740万ドルから6,000万ドルへと3倍以上になり、その上、約束した空港施設の改善やその他の経済的便宜供与のためにさらに何百万ドルもを払うことになった。すべてはアフガニスタンでの戦争を拡大すると決めたオバマ政権が、物資の貯蔵と中継のためにこの基地が必要だと納得したからだ。

私にはこの展開が、米国を占領者として嫌っている他の諸国の注意を引かずに済むとは思えない。たとえばエクアドルは我々に対し、来る11月までにマンタ基地から撤退するようにと言い渡している。もちろん彼らも自尊心は捨ておけず、コロンビアやペルーでうろつく米兵を疎んじていることは言うまでもない。それでも多分、彼らも、使える金をいくらか増やすことになるだろう。 

では、自国の土地に米軍基地を迎え入れて57年以上もの間大金をつぎ込んできた日本はどうなのか。最近日本は、海兵隊の一部を沖縄の基地から米領のグアムへ移転させることで米国と合意した。しかしその過程で、海兵隊の転出経費のみならず、移転先のグアムでの新しい施設の建設費用まで搾り取られた。日本がキルギス政府に倣って米軍に自弁で退去せよと言い渡すことはあり得ないことであろうか。あるいは、少なくとも、一カ月に二人ほどの割合で日常的に日本女性を強姦し、沖縄の38カ所の基地周辺のすべての住民の生活を悲惨なものにしている、その同じ米軍人と軍関係者のための資金拠出をやめることは考えられないだろうか。これは実に、1945年に我々が沖縄に入って以来沖縄住民が切望し祈願してきたことである。

実際私は、自国領土に米軍基地を置くことにうんざりしている諸国に対して提案がある。手遅れになる前に始末をつけるようにと。借料をつり上げるか米軍に退去を求めるがよい。そう勧めるのはアメリカ基地帝国が早晩祖国を破産さると確信しているからである。金融バブルやねずみ講の場合と同様、投資家ならば引き揚げられるうちに資金を引き揚げた方がよい。

これは無論、米国債に投資している中国その他の国に起こっていることである。ただこれらの国はまだ自分たちが大量に保有しているうちにドルを暴落させないように、静かにゆっくりと引き揚げているだけなのだ。しかし間違ってはならない。出血が急速か緩慢かはともかく、我が国は出血しているのだ。軍事帝国とそのすべての基地にしがみついていたら、やがては我々の知っている米国の命脈は尽きるだろう。

何十年か先、米国の未来の世代が世界を旅する時には、何億ドルもの「大使館」が点在する風景を目にすることはないはずだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[「トムディスパッチ」編集者トム・エンゲルハートによる著者紹介]

チャルマーズ・ジョンソンは「ブローバック」(2000年)、「帝国の悲劇」
(2004年)、「ネメシス」(2006年)(いずれもメトロポリタンブックス
刊)のブローバック三部作の著者。以下で「アメリカ基地帝国に関するジョン
ソンへのトムディスパッチによるインタビュー(音声)」が聞ける。

http://tomdispatch.blogspot.com/2009/07/interview-with-chalmers-johnson.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
原文:”How to Deal with America's Empire of Bases

A Modest Proposal for Garrisoned Lands”
By Chalmers Johnson
TomDispatch
2009年7月2日

http://www.tomdispatch.com/post/175091/chalmers_johnson_baseless_expenditures

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2009年8月10日 (月)

党首の核発言

崎原爆の日:与野党党首の「核」発言相次ぐ
2009年8月9日 22時20分 更新:8月9日 22時46分

 長崎市で平和祈念式典が開かれた9日、現地を訪れた与野党党首から「核」をめぐる発言が相次いだ。

 麻生太郎首相は記者会見で、核兵器の先制不使用を米国に求める考えがあるかを問われ「核兵器を保有している国が『先制攻撃をしません』と言ったとしても、その意図を検証する方法はない。日本の安全を確保するうえで現実的にはいかがなものか」と否定的な見解を示した。首相は6日に広島市でも米国の「核の傘」が必要との認識を示している。

 民主党の鳩山由紀夫代表は被爆者団体から非核三原則の法制化を要望され「確かに法制化というやり方もあろうかと思う。しっかり検討することを約束したい」と述べた。4日の記者会見では「法制化すると逆に変えられる危険性も持つ」と否定的な考えを示していたが、軌道修正した。

 鳩山氏はまた、核持ち込みを認める日米間の密約について「政権を取れば調査して米国とも議論し、事実関係を公表したい」と改めて強調した。

 民主党に非核三原則の法制化を申し入れていた社民党の福島瑞穂党首は記者会見で、鳩山氏の発言について「長崎に来て核廃絶の思いを肌で感じたのでは」と評価。麻生首相の発言に対しては「オバマ米大統領は核の先制不使用を検討しているのに、その足を引っ張っている。強く抗議したい」と批判した。

 共産党の志位和夫委員長も記者会見し「日本政府が米国の核巡航ミサイル退役に反対している」と批判した。米国は攻撃型原潜に搭載する核巡航ミサイルについて核弾頭を更新しない退役措置を検討しているが、米議会の「戦略態勢委員会」が5月の報告書で「アジアの同盟国の一部が退役を憂慮している」と指摘。志位氏は「核密約に基づき核兵器を持ち込む体制の継続を日本側が求めている」と述べた。【佐藤丈一、影山哲也】

「毎日JP]より転載

*****

麻生首相は、広島の式典で「非核三原則」を読み上げたそのすぐ後で、持論のアメリカの核の傘は必要と言っている。式典のものは、官僚作成のものであったか・・・麻生自身が考えた文章でなかったのだ。読んでその文意も理解できていないのか、自分の発言が矛盾することさえ気づかなかったのか。日本の首相として、公の場での両方の言葉に責任を負わなければならないことさえ、分からないようだ。「責任」を標榜する、この責任の軽さをどう評価するか・・・

鳩山代表が、法制化を進めるというのであれば、核の密約の公表も含めて、大きな一歩を踏み出すことになるだろう。反核へのさらなる国民的運動が、これらを推し進めていく大きな力となるだろう。建前はさておき、戦後の政府がなし得なかったことである。現実のものとするために、政治の場に力を持たせるために、反核の声を結集したい。

mm記

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2009年8月 7日 (金)

田母神講演 広島

田母神氏「核廃絶が即、平和につながるわけではない」
8月6日22時42分配信 産経新聞

 原爆の日の6日、広島市内で元航空幕僚長の田母神俊雄氏を招いた講演会「ヒロシマの平和を疑う!」が行われた。

 講演をめぐっては、秋葉忠利市長や被爆者団体が「被爆者や遺族の心情を逆なでする」などとして日程変更を要請。主催者側は地元紙に意見広告を出し、注目を集めていた。

 約千人を前に、田母神氏は、秋葉市長の平和宣言にふれながら、「核廃絶が即、平和につながるわけではない」と主張。「唯一の被爆国だからこそ、3度目の核攻撃を受けないために核武装するべきではないか」と呼びかけた。

*****

生涯、癒えることのない嘆きと痛みを抱いて、鎮魂の祈りをささげ、すべての核兵器の廃絶を願って、平和への思いを伝えている、その日のことである。

田母神氏は広島で、何を見たのか見なかったのか・・・人の痛みが理解もできず、深い嘆きさえも人として感じることができないのではないか・・・そのような人間が、唱える平和とは?

核武装し軍隊を強化したなかでの平和!

軍備と平和は共存できない。平和の対極に軍隊がある。軍隊の存在こそがアンチピースである。軍隊の目的は、破壊と殺人。武器という暴力装置でもって有無をいわさず、人間の尊厳を否定する。国家権力の中の軍隊は、殺人の罪に問われることもない。

すべての兵器は、使われるためにこそ存在している。けっして、ショウウィンドウの中の陳列品などではないのだ。抑止力という言葉の後ろには、いつでも使用できるという前提があるのだ。

mm記

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8.6広島によせて

8.6広島の平和式典をテレビで見る。秋葉市長が、核兵器の廃絶は、次世代への責任であると言った言葉に、はっとした思いであった。まさに、20世紀の文明が作り出したもの、その時代に生きた人々が作ったものである。おぞましき負の遺産を、21世紀に生きる世代に残してはならないのだ。原爆の技術から作りだした原発も同様である。今や、原発から核兵器を作ろうとしている時代である。兵器であっても発電所であっても、核エネルギーとそこから生み出される放射能のすべてをコントロールできる英知を人間はもっていない。核兵器を生み出した時代に生きた世代として、次世代への責任を負わなくてはならないのだ。

子どもの代表として小学校6年生が言った言葉に涙する。自分たちは広島の真実をみつめ、平和への思いを伝え続けていくのだと。原爆の悲惨さから目をそらさず、戦争の意味を問うということである。わずか12歳の子どもが歴史の真実を見ていくというのである。私たち大人は、どれだけの真実を見てきたか・・・失われた命の叫びと共に被爆者たちのその後の痛みと苦しみに耳をふさいでこなかったか・・・

「イラク違憲判決」に「そんなの関係ねえ!」と言い放った元空爆長田母神氏は、同日、広島で何をしゃべったのだろう。歴史の真実から都合の悪いことには、目をつむり耳をふさいでこなかったか。広島の現実にも目をそむけ、15年間の戦争は、侵略戦争ではなく自衛のための戦争であったと賛美したか・・・国民を守らずして何を守ろうとしたのか?

式典のなかで、原爆を投下したアメリカを避難する言葉はなかった。「過ちはくりかえしません」という主語を省いた言葉に、被爆者たちの崇高さをみる。怨念を断ち切って、核兵器廃絶の輪を世界につなげていこうと呼びかけているのだ。しかし、日本の政府は、こっそりとアメリカの核をもちこみ、国民にはウソを言い続け、被爆者たちの高齢化と死を待ち続けてきたのだ。せめて今からでも、手厚い援護がなされていくよう私たちは見届けていかなくてはならない。

mm記

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2009年8月 6日 (木)

植草一秀氏収監

植草一秀氏3回目の口封じ<痴漢えん罪で総選挙前に収監>
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/688.html
投稿者 国際評論家小野寺光一 日時 2009 年 8 月 05 日

植草一秀氏が収監された。
予期はしていたが、画面でそのニュースを見たときは、「なんて国だ」と思った。
涙があふれ出た。

植草氏が、痴漢などしていないことを知り、メルマガを通じて広めてきた
。今ではネット上では誰も植草氏が痴漢をしていたなどと思っている人はいないような時代にようやくなった。

しかし、そんな事実とは関係なく、

「痴漢もしていないのに、痴漢をしたと有罪にさせられて、収監される」のである。

私と植草氏は、一部主義主張が異なる点があるものの、おおわくでは、一致してきた。

5年前ぐらいになるが、私は、この小泉構造改革というものが「国民をひそかにだます泥棒集団」であるという実態を知り衝撃を受けていた。

もっと前、最初のころは、経済政策に対する「無理解」によるものか?と思っていた。

その次に、なんでこの政権は、国民にここまで嘘をつらぬき通しているんだ?と不思議に思った。

そして、そのあとに、小泉構造改革を批判するマスコミがまったく出現しないことに驚いた。
そして、一部の小泉構造改革を勇気をもって批判していた人たちが、次から次へと、虚偽による告発やわなを使われ失脚していくことに驚いた。

当時、雑誌界で唯一、週刊ダイヤモンドで、小泉構造改革の財政政策の誤りを正確に指摘していたのが植草氏だった。

私は、朝まで生テレビで、植草氏が出演していて猪瀬直樹と話している場面を見た。当時、まだ猪瀬が嘘をついていることはほとんど知られていなかった。

私は、植草氏にアプローチして、この小泉構造改革という悪徳商法が
やっていることを知らせようと思った。

私は、私の書いたレポートを読んで、自分の頭脳と情報収集力で判断してくれる人に真相をしってもらいたかった。

それで、野村総研に電話したのである。
「すみません。植草一秀さんにレポートを送りたいのですがどの部署宛に送ればよろしいでしょうか?」と聞いた。
すると野村総研の受付の女性は言った。
「植草さんはつい最近、退職されました」
私は衝撃を受けた。

そのときに、早稲田大学の大学院の教授になったと受付の女性に
聞いたか、どうか記憶にないが、早稲田大学大学院の教授として次の
スタートを植草氏は切っていた。
私は結局、レポートを送る機会を逸したまま、植草氏はある日突然、痴漢にしたてあげられた。
このときは横浜市長の中田宏氏に呼ばれた講演の帰りであり、
中田宏氏の秘書に神奈川県警出身の人物がいて、亡国のイージ○と通じていたような形跡が見られることは興味深い。
なぜなら、中田宏氏は、もしかしたら、今回の総選挙で、偽装チェンジ勢力の頭目を勤める可能性があるからだ。

そして、痴漢冤罪
その後の第二回目があった。

第二回目は、京急蒲田駅で駅員がこういっていた。

あの案件は不思議なんだ。

なんか、あの植草っちゅう人が、蒲田駅に着いたときにはもう近くの蒲田署に連絡が入っていて、駅が何も伝えていないのにもう警官が向かっていたんだよな。

小野寺「そんな、駅が連絡をいれていないのに、警察にダイレクトに電話がいって、もう警察が駅に向かってくるなんてことは今まであったんですか?」

ベテランの駅員「いやああれははじめてだな。

今まであんなのはあったことない。

今まで何年も痴漢騒ぎのを処理してきたけど、痴漢騒ぎで駅長室にきて、それから駅から警察に電話するのにもう先に警察に連絡が入っていたなんて今まで一度もないねえ。

もう痴漢騒ぎで駅長室につれてこられた時点で、蒲田署に電話がいっていて、もうこっちに向かってきて到着していた。

近くのもう一人のベテラン駅員に向かって「おい、あんなのは、はじめてだな。先に警察に直接連絡が行っているなんてあんなのは今まで一度もないよな」「そうですね。今までそんなのはありませんね」

私はあらゆる角度で情報収集をしてから植草氏の2度目のえん罪を確信した。

さて、もう十分取材は終わったから「明日メルマガにこのことを書くか」
と思った。私は夜空を見上げた。星がまたたいているように見えた。

「まあ、書いたら、今の口のゆるい駅員さんには、亡国のイージ○が、京急の本社あたりに電話して「いっさい植草事件についてはしゃべるな」とかん口令をしくだろうな。」と思った。

そしてメルマガに大々的に植草氏の2回目の冤罪を証明するべく発信したのである。

そして翌日、駅員に話しかけてみると、昨日とはうってかわって、「いや、あの事件については何もしゃべらないようにと言われていますから」と態度が急変していたのである。
その日を境に誰も全くしゃべってくれなくなったのだ。

私のメルマガ発信を見ていた亡国のイージ○が驚いて京急の本社に電話して、京急蒲田駅の駅員にしゃべるなと命じさせたのだろう。

植草氏を痴漢にしたてあげた亡国のイージ○おそるべし。

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2009年8月 2日 (日)

植草一秀さんのブログから

2009年7月31日 (金)
日本で無血市民革命=政権交代が成功する理由

私は民主党を絶対視しない。民主党が危ういと思う点も多くある。

しかし、現実を変化させるには、現実のなかから選択肢を見つけなければならない。現状を変革するには、民主党に中核的な役割を担ってもらわなければならないと考える。

「変革」とは何か。

最大の「変革」は政治の主人公が変わることだ。

これまでの政治を振り返ると、政治の主人公は「国民」ではなかった。「国民」はうまく利用されてきただけである。

誰に利用されてきたのか。

①特権官僚

②大資本および特権階級の個人

③政治屋

による「利権互助会」にである。この「利権複合体」に新たに加わったのが、

④外国資本

⑤御用メディア

である。

これを私は「政官業外電=悪徳ペンタゴン」と呼んだ。

国家予算の規模は、一般会計、特別会計を合わせて207兆円。国債費や繰入金の90兆円と社会保障給付の46兆円を除くと71兆円。日本のGDP497兆円の14%にあたる資金が政府の手に握られている。「利権互助会」はこの巨大な政府資金と政府の許認可権に群がる。

自民党は2007年の実績で、168億円の企業献金を受け取った。企業献金を禁止する代償として導入された政党助成金に基づく交付金は、自民党の場合、2007年に166億円だった。自民党は今なお政党交付金を上回る企業献金を受け取っているのだ。

民主党は同じ2007年、企業献金を18億円受け取り、政党交付金を111億円受け取った。

自民党への168億円の企業献金が示すのは、自民党政治の目的が大企業の利益追求に置かれてきた可能性の高さだ。

政治屋は企業から各種陳情を受けて、その意向を反映する政策立案を高級官僚に任せる。高級官僚は各種業界を監督する立場におり、政治屋から発注された仕事をこなす一方で、業界や国費の負担による巨大な「天下り利権」を確保する。

政官業は相互癒着の関係を作る。これが強固なトライアングルを形成して、日本の政治を支配してきた。

「植草一秀の<知られざる真実>」より転載

*****

植草一秀さんは、経済学者らしく、非常に端的に日本の現実を要約してくれているので、転載させてもらった。

国民の大多数を占めているのは、労働者、農民、漁民である。一握りの大資本と金融の元に、とても太刀打ちできない中小零細企業が無数に組み込まれた日本の経済構造でもある。もろもろの生産を担う国民を大切にしてこなかった、これまでの自民党および公明党の政治の結果が、今問われているのである。「利権互助会」とは、言い当てて妙である。

小泉政権時代、その売国的政策を暴いたが故に(としか思えない)、国家権力およびメディアの「悪徳ペンタゴン」によって、冤罪事件を背負わされたことは、記憶に新しい。しかし、彼はそれにもめげず、たくさんの情報を発信し続けている。転載した分章の後にも、詳細な分析が載せれている。植草さんのブログを訪ねてみることをお薦めしたい。

mm記

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2009年8月 1日 (土)

辺野古アセス訴訟団準備室

Subject: 【安保無効訴訟】 辺野古の裁判 原告募集
From: 宮坂
Date: 2009/08/01 20:45
To: 安保無効訴訟原告団 <invalid_action_of_anpo@googlegroups.com>

宮坂です。
ヘリ基地反対協のHPに情報が出ました。

http://www.mco.ne.jp/~herikiti/justice.html
違法確認・損害賠償請求訴訟

辺野古新基地建設を止めるために、あなたも原告になりませんか。
 沖縄県民の基地負担の軽減をはかるというまやかしのSACO合意を口実に、世界中の米軍飛行場の中でも最も危険だといわれる「普天間飛行場の代替基地」として、辺野古キャンプシュワブ海上を埋め立てる、新たな基地の建設計画がすすめられています。

 辺野古地先周辺、そこに広がる大浦湾は《豊かな生態系の命の海》。国際自然保護連合・環境省・沖縄県が絶滅危惧種に指定する《ジュゴンの生息する北限の海》です。

 この海には、ウミヒルモなどの海草類、ミナミトビハゼなどの貴重な生物が育ち、アオサンゴの群落が広がっています。沖縄は、北限のカメと南限のカメとの交差点で、基地建設予定地内にはカメの産卵場が存在します。陸地には多数の稀少植物が生息しています。この《貴重で多様な生態系》を埋め立て、陸地を削り、広大な基地を建設しようとしているのです。

 なによりも、海とともに生きてきた辺野古の人たちの静かな暮らしが脅かされます。

◆   ◆   ◆

 たとえ基地建設であろうとも、環境保護の法律を犯してはなりません。当然「環境影響評価法(環境アセスメント法)」「沖縄県環境影響評価条例」に従った環境影響調査を行なわなければなりません。ところが、基地建設を急ぐ防衛省・沖縄防衛局は、これらの手続きに違反するのみならず、ジュゴンの追い出しのための違法調査をくりかえしています。

 「環境アセス法」は、「この事業が環境にどう影響を与えるのか」を評価するための調査方法を示した『方法書』を最初に住民に示すことを定めています。方法書に対して住民は意見を述べる権利があり、さらに住民意見を踏まえた県知事の意見を付してはじめてアセス調査の方法が決定されます。

 方法書に対する住民や学者・専門家の環境保全のための意見は、事業者の一方的な考え方を正し、環境を守る、たいへん重要な役目をはたします。

 ところが、防衛省は、方法書の作成以前に、「事前調査」と称してほとんど毎日多数の調査船や警戒船を繰り出し、ジュゴン追い出しを目的としたとしかいえないような調査を強行しました。

 その後、縦覧された方法書は事業内容わずか6頁で、方法書の体をなさず、沖縄県環境アセス審査会の「これでは審査ができない」との厳しい意見により、防衛局は『追加修正資料』『修正版』を提出したのですが、しかし、これらの修正に対して住民は意見を述べることはできませんでした。

 アセス調査の後、調査の報告と環境への影響を記した『準備書』が縦覧されましたが、4つのヘリパッドや係船機能つき護岸、汚水処理施設といった新たな事業内容が追加されるとともに、米軍機は民間地域を飛行しないなどのウソを前提として、方法書をもとに準備書を作成するという環境アセスの基本的手続きを無視した、まったく違法なものでした。

 また、準備書の縦覧の後、防衛省・沖縄防衛局は、法の根拠もなく、「補足調査」と称して事前調査と同様の調査を行っていますが、これは調査に名を借りたジュゴン追い出しとしか考えられないものです。

 わたしたちは、環境影響評価法に反する違法な調査を止めさせること、そして、法に従って、方法書にさかのぼりすべての手続きと調査をやり直すよう求め、裁判を起こすことにしました。

みなさんも、原告として参加してください。
 2つの柱をたてて、一つの裁判に結集して、裁判を提起します。
多くのみなさんに、原告に参加していただけますよう呼びかけます。

1の柱 違法確認の訴え 【「方法書」「準備書」手続きをやり直せ】

 防衛省の行った「方法書」「準備書」は違法であり、方法書の作成から手続きをやり直す義務があることの確認を求めます。
 事前調査、補足調査など、アセス手続きにもとづかない調査をおこなった「方法書」にない事項を「準備書」にまぎれこませるなどの違法な手続きを《法律にしたがってやり直せ》と求めます。
 きちんとした「方法書」などの手続きがおこなわれていれば、専門的知識をもって意見をのべ、アセスの内容も変わっていたはずなのです。
 専門家を中心として原告団を構成します。

2の柱 損害賠償請求の訴え 【被った被害を賠償せよ】

 住民には意見を述べる権利がありますが、意見を述べる機会を奪われ、違法な環境破壊がなされることに対して、賠償を求めます。
 原告は、方法書・準備書に意見を述べた人たちから広く集まっていただきます。

参加するには!?
 裁判費用は2000円。
 訴訟の原告に参加される方は、住所・氏名・連絡先(電話・FAX・メールアドレス等)をご記入の上、下記にお送りください。手続きに必要な書類(訴訟委任状、振込み用紙など)をお送りします。

 8月10日までに訴訟委任状が届いた人たちで第一次原告団を組織します。提訴は8月14日を予定しています。
 委任状の到着がこれ以降になった人たちは第二次原告団とさせていただきます。提訴日は未定です。

辺野古アセス訴訟団準備室
905-0015 名護市大南1-10-18-202 ヘリ基地反対協議会 気付
TEL 090-2392-9161(安次富)
FAX 0980-55-3131
Email seaoflifehenoko@gmail.com (@を半角で打ち直してください)
裁判費用の振込先: 沖縄銀行二中前出張所 普通 1381275 
辺野古基地建設阻止弁護団

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2009年7月31日 (金)

「冬の兵士」邦訳版発売

TUPプロジェクトチームが翻訳に取り組んで来た書籍
『Winter Soldier: Iraq and Afghanistan: Eyewitness
Accounts of the Occupations』
の邦訳版がいよいよ完成し、8月6日より邦訳版されます。

『冬の兵士──イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』
反戦イラク帰還兵の会著 アーロン・グランツ編集 TUP
翻訳
岩波書店 1900円

出版元の岩波書店のウェブサイトにはすでに広報が載りました。
http://www.iwanami.co.jp/topics/index_i.html
のページの中で「ただいま進行中」の項です。同ページから、
編集者の推薦文も閲覧できます。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0246510/top.html

御存知の通り、TUPでは、現在まで帰還兵の証言を11回にわたって速報してきており、現在も、未報のものを翻訳中です。これらの速報は、アメリカのラジオ番組『デモクラシー・ナウ!』の放送を基にしたものです。
上の書籍では、それらの証言に加えてさらに多くの帰還兵の証言、また、イラク人の証言や戦死あるいは自死した兵士の遺族の証言も収録しています。

ぜひ、お近くの図書館に注文、書店にご予約、などしてお手に取って下さり、「戦場」「占領」の現場を体験してきた帰還兵の魂の叫びに耳を傾けて下されば幸いです。

また、あわせて、TUP「冬の兵士」プロジェクトチームとして、
ウェブサイトを以下に公開します。
http://www.tup-bulletin.org/

ウェブサイトでは、速報というメイル媒体では伝えにくい、あるいは整理しにくい情報、たとえば関連イベントの整理や関連リンク集などを掲載しています。もちろん、過去の関連速報もすべて収録し、そこではたとえば証言兵士の画像なども掲載しております。さらに、(書籍では紙数の関係で簡潔にした)訳注を拡充して掲載、訳語選択までの道のりの公開、読者の感想を掲載する、など色々と考えています。「冬の兵士」の情報サイトとしてどうぞブックマーク下さい。

サイトは、現在のところ、まだ荒削りな部分が残されているのも正直なところです。バリアフリーに気を配ったものにしているつもりですが、不備な点もあるかも、と恐れます。
もしお気付きの点などございましたら、フィードバックを下されば幸いです。同ウェブサイト上の「メニュー」にある「お問合せ」にてフォームに入力することで、フィードバックを送れるようになっています。

なお、このウェブサイト構築は、(有)時代工房さまの
http://www.jidaikobo.com/
ボランティアの献身的な努力なしでは不可能でした。
この場を借りて時代工房さまに厚く御礼申し上げます。

では今後とも TUPに変わらぬ御支援のほどをよろしくお願い申し上げます。

TUP管理人 坂野正明

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2009年7月27日 (月)

コリア・タイムズ

◎平和条約の締結こそが北朝鮮の核廃絶への鍵
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核武装に向かう北朝鮮と、制裁の強化で核を放棄させようとする日米などの対北朝鮮強硬派諸国のかけひきは妥協の糸口が全く見えないほどにこじれています。

先にコリア・タイムズ紙上で対北強硬政策の転換を呼びかけた(5月28日のTUP速報821号「混迷する北朝鮮の核問題」参照)、米リンカン(リンカーン)大学のディフィリポ教授が、5月の地下核実験をうけて再び日米の強硬路線を分析して、米朝平和条約の締結こそが北朝鮮の核問題の解決の鍵であると説いています。

国家主義と軍国化の推進に「拉致問題」を最大限に利用しようとする日本の政権と、これに呼応して自らの世界戦略の陣営に日本を引き留めておきたい米国は、オバマ政権に代わってもブッシュ流を引き継いで対北朝鮮敵視政策を続けています。このことが退路を断たれた北朝鮮を更なる強硬策に走らせていると指摘し、宥和策に転換して解決を図るべきだとするこの主張は、北朝鮮非難の大合唱の中でこそ冷静に耳を傾けるべきものでしょう。核のない未来のために。

(邦訳:藤谷英男/TUP)
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2009年6月26日コリア・タイムズ(韓国日報社)所載

北朝鮮:瀬戸際の核の解決策
アンソニー・ディフィリポ

オバマ政権は発足以来、ほぼ全期間を通じて、米国と同盟国が挑発行為と呼ぶ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の行動への対処を余儀なくされている。
北朝鮮指導部がオバマ新政権に余りに多くを余りに性急に期待したことも現在の問題をこじらせた原因だ。

状況の好転を待つことなく北朝鮮は4月初旬、通信衛星と自称する光明星2号を打ち上げ、これに対して国際連合安全保障理事会から事実上のお咎めを軽く受けた。日米の政府ははるかに強力な制裁を課そうとしたのだが。北朝鮮は憤激して、米国、北朝鮮、韓国、中国、日本およびロシアで北朝鮮の核問題を解決するために設けられた多国間協議である六者会談に今後は参加しないと宣言し、可能なあらゆる方法で核攻撃能力の強化を始めると表明した。

懸命にオバマ政権の注意を引きつけようとして、北朝鮮は米国の祝日である戦没者追悼記念日に二度目の地下核実験と、それに続く何発かのミサイル発射も実行することを決意した。中国とロシアに多少牽制され、また、米国、日本、韓国の要求よりも穏やかになったとは言え、今回、国連安保理は北朝鮮に追加制裁を科した。それでも米国政府はいち早く拳を振り上げて、北朝鮮の船舶を監視し、場合によっては臨検するために軍艦を派遣し、恐らくは北朝鮮のミサイルを迎撃するために、弾道弾迎撃システムをハワイ近辺に配備した。

1月に北朝鮮は、民主党新政権には自国と直接対話する意欲があり、正常な国交の樹立と恒久的平和条約の締結に至るほどに二国間関係を改善する意志があると思い描いていた。その期待に反して米国に虚を突かれたと北朝鮮は信じている。就任演説でオバマは、拳をゆるめた国々には手を差し伸べることを語った。しかしオバマ政権は北朝鮮にはこれをしなかった。世界での指導的役割を引き受けるでもなく、また、友好の手を差し延べるにふさわしい場にもなったであろう北朝鮮との二国間対話を求めるでもなく、オバマ政権は六者会談を通じての多国間協議に固執した。

これはまさに、日本政府がオバマ政権にして貰いたいとせっついていたことであった。日本では、1970年代と80年代に北朝鮮工作員が日本人17名を誘拐した拉致問題が、国家主義的動機から延々とくすぶり続けている。惨憺たる日朝関係の現状からすれば、六者会談はこの拉致問題の解決のために日本が北朝鮮に圧力を加えることが望める唯一の場なのだ。

統一問題は棚上げにして、韓国の李明博保守政府も六者会談を北との交渉の最適手段として受け入れた。期待を裏切られて、北朝鮮政府は早々と、オバマ政権はブッシュ時代を通して思い知らされた敵意にも劣らない敵対的態度を示していると結論した。

これらのどれ一つも先軍政治に傾倒する北朝鮮の短気と性急さを正当化するものではない。実際、直近では2006年に米国が行った臨界前核実験も含めて、いかなる国のいかなる種類の核実験も根本的に人類の生存に逆らうものである。

これらのこと全体から明らかなのは、オバマ政権の北朝鮮政策は、北朝鮮の核保有は「絶対に容認できない」と声を揃えて言いつのる米、日、韓の、バラバラの思惑のごった煮であるということだ。しかし彼らは再考する必要がある。北朝鮮は既に核兵器を保有している。現在の問題は、現に存在しているものの認知を拒絶する愚に頼る米、日、韓が大衆向けに唱えている謳い文句とは違うのだ。そうではなくて、目下の問題は北朝鮮に核兵器とその製造計画を放棄させることである。

北朝鮮に一方的な核兵器の放棄を要求する現在の戦略、米国が躍起になって主唱し、他の諸国も同調している立場は、はっきり言って無効であろう。北朝鮮は核兵器を所有し実験することは自衛のために必須であると見ている。これは北朝鮮の主体(チュチェ)思想に基づく先軍政策のしめすところである。要求と脅迫の応酬も、制裁と封鎖活動も、更なるミサイルと核実験、そして恐らくは戦争か、最悪の場合核の大惨事に向かわせるだけであろう。北朝鮮にとって最も重要なことは、わずかに隠し持つ核兵器ではなく、北朝鮮の主権の維持である。目下のところ北朝鮮は主権は核兵器で守るしかないと確信している。

平壌でこの1月、私は一度ならず、もし米国に敵対の意図がないと確信できるなら北朝鮮にとって核兵器は全く無用であると、誤解の余地なく聞かされた。現在北朝鮮は、米国が日本と韓国の支持を受けて北朝鮮に深刻な脅威を与えていると確信している。この事態を悪化させたのはオバマ大統領が4月にプラハで行った演説だ。すべての核を廃絶するという米国の目標を語ったが、その目標は「早期には…恐らく私の存命中には達成されないだろう」というものだった。

この核廃絶演説に北朝鮮は大いに懐疑的であった。しかしたちまちにして、これらの言葉は完全に無意味なものに変わった。それは米国が過去に日本にも与えたと同じように、ごく最近韓国に対しても「核の傘を含む更なる抑止力による継続的な関与」を公式に約束したからである。韓国に公式に与えられた核の傘は米国の「先制核攻撃」計画の一部をなすものだと北朝鮮は信じており、従って北朝鮮の見地からは核抑止力の保有の正当化を後押しするものである。

六者会談は一定の成功を収めたけれども、今は米国と北朝鮮政府間の二国間対話が必要である。実際、恒久的平和条約を提供することは、核非武装化のためにはいとも小さな代価である。その中で、北朝鮮が核兵器計画を再開すれば合意を破棄するとの予防条項を加えることは容易であろう。二国間対話と並んで、休戦協定に代わる恒久的平和条約を締結することは、北朝鮮が核保有を正当化する根拠をを直ちに失わせ、米朝関係正常化の必要条件を定めることになるだろう。

********************************************************************
アンソニー・ディフィリポは米国ペンシルベニア州リンカン(リンカーン)
大学の社会学教授。北東アジアの安全保障問題に関する著書が数編ある。
現在 "Irrepressible Interests: Japan-North Korean Security Concerns and
U.S. Objectives."(題名仮訳『抑えきれない興味:日本と北朝鮮の安全保障にかかる憂慮と米国の目標』)を執筆中。

──────────────────────────────────
原文: Solution to Nuclear Brinkmanship
          By Anthony DiFilippo
    The Korea Times (2009年6月26日)

http://www.koreatimes.co.kr/www/news/opinon/2009/06/137_47507.html

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2009年7月26日 (日)

目的なき戦争(下)

何故我々が、アフガニスタンにいるのかを明確に言える人は誰もいないようだ。ビン・ラディンやアルカイダを、追跡して捕まえるためだろうか? 進歩を強固にするためだろうか? 我々は、タリバンに宣戦布告したのだったろうか? 我々はデモクラシーを構築しているのだろうか? 連中と、アメリカ本土で戦わずにすませるため、現地で、テロリストと戦っているのだろうか? 我々はアフガニスタンの女性たちを“解放している”のだろうか? 思考を停止させるための決まり文句に使われる、こうした質問の馬鹿らしさは、戦争の馬鹿らしさをさらけだす。目的の混乱は、現場の混乱を正確に映し出しているのだ。我々は、自分たちがやっていることがわかっていないのだ。

アフガニスタンの、アメリカとNATOが率いる軍隊の新司令官、スタンリー・マクリスタル大将は、多国籍軍は、アフガニスタンにおいて“文化的転換”をしなければならないと発表した。兵士たちは、普通の戦闘指向から脱皮して、一般市民の保護へと向かわなければならないと、最近語った。何百人もの一般市民を殺害した空爆が、タリバンにとって、強力な人材募集の道具になることを、彼は理解している。目標は高尚だが、戦争の現実が、その実行を許すまい。NATO軍は、攻撃を受けると、常に、近接航空支援を呼ぶ。これが砲火を浴びている軍隊がすることだ。彼等には、まず現地の人々を詳しく点検している余裕などないのだ。質問は事後にするものだ。何十人もの一般市民を殺害した、5月4日のファラ州空襲は、空爆の服務規程に違反していた。一般市民4人が殺害され、13人が負傷した、先週のカンダハル州空爆もそうだ。NATO攻撃はシャワリコット地域の、ある村を標的としていた。州の首都にある病院に収容された負傷した村人達は、攻撃ヘリコプターは、彼らの家を、水曜日の午後10:30頃から爆撃し始めたとAPに語った。ある男性は、3歳の孫娘が殺されたと語っていた。戦闘は自らの法則を生み出すが、ほとんど常に、一般市民が損をするのだ。

ヘルマンド州における、NATO軍による攻勢は、武器体系や、従来型の軍隊については、十分承知しているが、非正規戦のあやをほとんど何も知らない軍司令官達が、設計したいつものシナリオに、従うことになる。タリバンは撤退するだろう。おそらくは、パキスタン内の避難所へ。我々は、作戦は成功したと宣言することになる。我々の駐留兵力は削減されることになる。すると、タリバンは、アメリカが“浄化した”はずの地帯に、こっそり戻ることになるだろう。道端に仕掛けられた爆弾は、執念深く死傷者を生み出し続けるだろう。とらえどころがなく、往々にして、目に見えない敵と戦おうとすることにイライラを募らせた兵士達や海兵隊員達は、更なる憤激をもって、幻影めがけて攻撃し、一般市民の死者の数を増やし続けている。これは、武装反抗そのものと同じぐらい、古くからあるゲームなのだ。にもかかわらず、それぞれの世代の戦士達は、自分たちは、とうとう勝利のための魔法の鍵を見つけ出したのだと思うのだ。

我々は、イラクとアフガニスタンを、破たん国家にしてしまった。我々のリストで、次に位置しているのは、パキスタンらしい。パキスタンも、イラクやアフガニスタン同様に、国境で分割されてしまっている部族や民族が無視している、恣意的で人為的な国境を設けた西欧の諸大国による、グロテスクな産物だ。パキスタンで明らかになったように、パキスタン軍は、過激派イスラム教徒に、正統性を見いだしてきたのだ。タリバンを生み出したのはパキスタン軍だった。戦争中、ソ連のアフガニスタン占領に反対するレジスタンスに対する、何十億ドルものアメリカの支援金を、どのように割り振るかは、パキスタンが決定していたのだ。しかも、そのほとんど全額が、アフガニスタンの抵抗運動でも、最も過激な派閥に渡っていた。タリバンは、パキスタン人の目から見れば、ロシア人であれ、アメリカ人であれ、外国の侵略者を打ち負かす効率的な武器であるだけでなく、インドに対する防壁でもある。カーブルの過激派イスラム教徒は、決して、パキスタンに対して、インドと同盟関係を築こうとはしない。そして、アフガニスタンではなく、インドこそが、パキスタンにとって一番の関心事なのだ。パキスタンは、アメリカが何十億ドル与えようとも、アフガニスタンを引き継ぐはずだと知っているタリバンを、必ずや、育て、保護するだろう。また、広く報道されている、パキスタンのスワット渓谷における政府とタリバンとの戦闘は、新たな始まりというよりは、不浄な同盟を破壊するするようなことは一切行わない、振り付けされたジェスチャーの一部だ。

テロリスト集団を打ち破る唯一の方法は、彼等が暮らす社会の中で、彼等を孤立させてしまうことだ。これには、国民を過激派から引き離す必要がある。これは政治的、経済的、文化的戦争だ。軍事占領や武力衝突に関する下手な算数は、こうした類の戦闘にとって、常に逆効果だ。常に、殺害する以上の、武装反抗勢力を生み出してしまう。常に、テロを正当化してしまうのだ。そして、資源や命を我々が浪費している間に、本当の敵、アルカイダは、他に移動して、インドネシア、パキスタン、ソマリア、スーダンやモロッコ、そして、フランスのリオンや、ロンドンのブリクストン地域にあるような窮乏したイスラム教徒のコミュニティで、ネットワークを作りあげる。アルカイダが隠れて活動するための、孤立した場所や、疲弊した地域は、世界にたっぷりある。彼等はアフガニスタンを必要としてはおらず、我々とて、必要としていない。

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/20090720_war_without_purpose/

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同じ著者による別の翻訳記事:

オバマ・ブランドに乗せられる

今をときめく小沢氏、この、アフガニスタンのISAFに、派兵すると主張している。主張は撤回したのだろうか?郵政民営化(それ自体でも、アメリカ資本に奉仕する企画ゆえ、良いわけはないが)を呼号して、圧倒的な議席を得た、小泉自民党が、どれだけ日本の庶民に損害を与えたか、多くの方々は、身をもって痛みを感じておられるのではなかろうか?そして、今回、「ガス抜き・エセ政権交代解散」で、今度は、民主党が圧倒的な議席を得る。その、行く先は、さらなるアメリカ追従。金と血を絞りとられる。

民主党代表が、「安保・アメリカ従属を見直す」というような、明確な発言さえしてくれれば、民主党疑問説など、いつでも撤回するのにやぶさかではないが、そんなことは永久に起こるまい。そんな発言をすれば、たちまち、セラヤの運命が待っているのだから。

「マスコミに載らない海外記事」より転載

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2009年7月25日 (土)

目的なき戦争(上)

目的なき戦争
Chris Hedges

2009年7月20日

"Truthdig"

アルカイダは、アメリカがアフガニスタンで何をしようと、全く関心がない。アメリカは、アフガニスタンの村を爆撃し、ヘルマンド州のタリバンを追跡し、総勢100,000人の属国アフガニスタン軍を編成し、アフガニスタン人部族軍司令官達が、何百人、あるいは、何千人ものタリバン捕虜を処刑するのを、積極的に手出しはせずに、傍観し巨大で、手の込んだ軍事基地を作り上げ、無人飛行機を発進させ、パキスタンに爆弾を投下することができる。それで何も変わりはしない。戦争は、過激派イスラム教徒による攻撃を止めることはできない。テロリストや武装反抗勢力集団は、通常の軍隊ではないのだ。彼等は、アメリカ軍の司令官達が、士官学校や兵学校で、アメリカの兵士に教え込んでいる、戦争の規則通りには戦わない。しかも、こうした地下組織は変幻自在で、一つの破たん国家から、別の国家へと、転々としながら、形や色を変えてゆき、テロ攻撃を計画しては、闇の中へと退却する。我々は、間違った道具で戦っている。我々は、間違った相手と戦っている。我々は、歴史の間違った側にいる。そして、我々はアフガニスタンでも、イラクでも敗北するだろう。

アフガニスタン戦争の費用は増大している。何万人ものアフガニスタン一般市民が殺害され、負傷してきた。26人のアメリカ兵を含む、少なくとも50人の兵士が死んだ7月は、NATOの戦闘員にとっては、この戦争の中で、最も危険な月だった。多国籍軍に対する、道端に仕掛けられた爆弾による攻撃が、負傷者と死者の人数を膨張させている。6月、簡易仕掛け爆弾(IED)とも呼ばれている、道端に仕掛けられた爆弾による攻撃の件数は、736件にのぼったが、四カ月連続で最高記録だ。数字は、3月の361件から、4月の407件、そして、5月の465件へと増えてきた。バラク・オバマ大統領による、21,000人の追加アメリカ兵を、アフガニスタンに派兵するという決定で、駐留兵士数は、アメリカ兵57,000人にまで増えた。合計の兵員数は、2009年末までには、少なくとも68,000人にまで増えると予想されている。増派は、更なる死者、戦闘の拡大と、より大きな無益さを意味するに過ぎない。

犯罪組織、麻薬密売業者、パシュトゥーン族やタジク族の戦士、誘拐団、暗殺部隊や傭兵を含む、ややこしい武装集団の組み合わせに、我々は出くわしてしまったのだ。我々は内戦に巻き込まれているのだ。タリバンの大半を構成していて、アフガニスタンの伝統的な支配者である、パシュトゥーン族は、外国勢の支援を得て、2001年に内戦に勝利した、北部同盟を構成するタジク族やウズベク族と戦っている。かつての北部同盟が、今や腐敗して、無能な政府を支配している。この政府は、ひどく憎まれている。そして、この政府は、我々と共に没落するだろう。

我々はアフガニスタンでの戦争に敗北しつつある。我々がこの国を8年前に侵略した時、タリバンはアフガニスタンの約75パーセントを支配していた。現在、その支配範囲は、じりじりと約半分にまで回復した。タリバンは、ケシ栽培を運営し、約3億ドルもの年間収入を得ている。タリバンは、厚かましくも、首都カーブルで攻撃を実行し、外国人は誘拐を恐れ、大半のアフガニスタン都市で街路を歩くことさえまれだ。全てのアフガニスタン人の80パーセントが暮らしている地方に入るのは、NATO兵士達の護衛なしでは、生命にかかわる。勇敢な記者なら、カーブルの繁華街にあるコーヒー店で、タリバン幹部にインタビューすることもできる。オサマ・ビン・ラディンは、当事者以外の大半の世界に対する気晴らしとして、中東版『ウォーリーをさがせ!』と化している。銃弾と爆弾さえなくしてしまえば、これはギルバート・アンド・サリヴァン・オペラの喜劇だ。

「マスコミに載らない海外記事」より転載

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2009年7月23日 (木)

生田暉雄弁護士 JANJAN

高知白バイ事件を担当している、生田暉雄弁護士(元大阪高裁判事)
が、最高裁判所では、人件費に関して億単位の裏金があるのではないかと発言しています。情報開示にも応じていません。
ヒラメ裁判官がうごめく日本の司法について、国民は「犯罪者集団によって裁かれている」といっています。8月30日には、国民審査があります。
小倉記者が、生田さんの著書も引用しながら、分かりやすく記事にしています。ぜひ、ご覧ください。

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2009年7月22日 (水)

シャティーラ・キャンプ(終わり)

ぼくには夢を見る権利がないのですか?


グループみんなで書いた証言


ぼくは、ぼくの世話をしてくれて、愛情を与えてくれる、そんな家庭を夢見る。
路地のないところ、キャンプの外の、芝生の庭のある家を夢見る。
そして、自分がそう望むなら、学校を卒業できることを夢見る。
自分のなりたいものを選ぶことを夢見る。たとえそれがゴミの収集人だったとしても。
それに、身分証明書を持つこと、パレスチナへ還ることを夢みるんだ。

だけど、ぼくの夢たちは きっと、キャンプの壁にぶちあたるか、
この曲がりくねった狭いキャンプの路地に迷い込んでしまうか、
そうでなければゴミ溜めの匂いにまみれてしまう。
ぼくは夢を見る時、いつも怖れている。夢が現実という壁にぶつかってしまうことを。
権利のないパレスチナ難民である、このぼくの現実に。
ぼくは自分に問いかける、ぼくは本当に、夢を見る権利を否定されているのか、と。
そして、世界に問いかける。ぼくは夢をみる権利を持っていないのか、と?

この証言は、12歳から15歳のシャティーラ・キャンプの子どもたち17人によって書かれたものである。1998年夏、レバノンの日刊紙、アル=ナハールの特別号 フクーク・アル=ナース (人々の権利)は、特集として、「レバノン国内のパレスチナ難民キャンプ」を取り上げた。この中の1項目が、キャンプに暮らす子どもたちの人権であった。キャンプの子供たちのソーシャルケアをするNGO、ベイト・アトファール・アル=ソムード〔パレスチナの子供のソムードの家〕でパレスチナの歴史と英語を教えているマイスーン・スカリエさんの協力を得て、子どもたち自身が書いたこれらの証言が集められた。
出典:Journal of Palestine Studies, vol. xxix, no.1, Autumn, 1999, 50-57.  http://www.nmhschool.org/tthornton/sabra_and_chatila_palestinian_re.htm
【日本語翻訳】 岡真理、宇津留理子、秋山奈美子、古市泰子、宮澤由香

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2009年7月21日 (火)

シャティーラ・キャンプ(3)

□ 馬小屋のようなぼくらの学校
アフマド・シュレイフ、ワリード・バルキス

 
ぼくらのこのごみごみとした難民キャンプには、学校はたったの1つしかありません。エリコ学校です。 この学校がどんなにひどいか見せてあげたい! 1クラスの生徒数は45人から50人、時には55人にものぼることがあります。教室に机は25個しかなく、しかもそのうちの半分は使える代物ではありません。3、4人で1つの机を一緒に使います。教室にあるのは座席と黒板だけ。1日4時間勉強しますが、音楽や美術の時間はありません。歌うことも、スポーツをすることもありません。この小さな学校には入りきれないほどたくさんの生徒が詰め込まれていて、休み時間の校庭は“最後の審判の日”のような混み具合です。難民キャンプの他の場所やぼくらの家と同じように、エリコ学校には図書館も本棚もありません。学校の教科書以外に読める本などないのです。

先生たちは教えるのがあまりうまくありません。もしかしたら、クラスの人数が多すぎるからかもしれません。20人教えるのと50人教えるのでは違いますから。授業中は家にいる時と同じく、おしゃべりは禁止です。何かで責められたとしても、自分を弁護する権利もありません。学校では「言葉の暴力」が用いられています。各教室には監視員がいて、ぼくたちを監視し、誰がしゃべったのかを言いつけます。おちおち呼吸も出来ません。生徒の話を聞く前に、先生たちはすぐに体罰を与えます。自己弁護をしようとすればするだけ、手や、時には頭を殴られるのです。

 先生は教室に入ってくるなり、気に入らない生徒を追い出します。酷い言葉を浴びせて、ぼくたち1人1人を「ゴミ収集人」「泥棒」「ペンキ塗り」などというあだ名で呼びます。 「まったく、先生、ありがとう。ご親切に、ぼくらの将来がどんなものなのか、思い知らせてくれるなんて。」 万が一、校長先生のもとに送られてしまったら、弁解する間も与えられずに停学処分です。校長先生は退学をすすめ、男子には、鍛冶屋や電気工、ゴミ収集者になるように、女子には、裁縫師や美容師、女中になるようにと言うのです。

 ぼくたちの両親は、ぼくらがどんな教育を受けているのか、学校で実際に何が起こっているかをまったく知りません。たとえ知っていたとしても、何ができるでしょう? 良い学校はお金がかかります。それに、結局のところ、ぼくたちの学校の事を心配している時間なんてないんです。だから、両親は僕らの味方にはなってくれません。難民キャンプに住んで、朝から晩まで50人の生徒を相手に仕事をしている先生たちの味方につくのです。ぼくらは「猿」「悪魔」「厄介者」として扱われます。でも、本当にぼくたちが悪いのでしょうか?

 時々、不思議になります。なぜレバノン人はぼくたちが技師や医者、弁護士やその他73種の職業に就くのを禁止しているのだろうか、と。そんなことをしなくても、エリコ学校を出たって結局、ゴミ収集者やペンキ塗り、鍛冶屋といった、レバノンがぼくたちに許可している限られた職業に就くのが精一杯だというのに。エリコ学校で勉強していれば、もっと高い教育を受けられるようになるなどと、まじめに考えている人なんているのでしょうか!? 子どもはみんな、学ぶのが好きなのだとぼくは思います。けれど、教え方が悪ければ、結局、子どもたちは学校をやめ、仕事を始めることになってしまうのです。

 これが、多くの難民キャンプの子どもたちに起きていることです。難民キャンプに住んでいるパレスチナの子どもであるかぎり、学ぶ権利も明るい未来も奪われなくてはならないのでしょうか?

□ 私たちには遊び場がない
サマル・シャアバーン、イスマーイール・ザッルーラ、ホドゥル・アティーエ


スッカル ムッカル ラ、ラ、ラ
さぁ ご馳走だ ラ、ラ、ラ
ストーブに手をかざしていたら
父さんと坊さんが
鳥を狩りに出かけるところ、
なんてお馬鹿なお坊さん
そんなに鳥が好きなんだ
スッカル、ムッカル、ラ、ラ、ラ

  私たちはこの遊びを『雌牛』『早成り穀物』『ソファー』などのほかの遊びといっしょに、1日に何度も何度も繰り返します。これらの遊びは親から代々受け継がれてきたわらべ歌で、遊ぶ場所がないシャティーラの中で生きる私たちのイライラや喪失感を、時に忘れさせてくれます。それまでラウシェ(ベイルート近郊)のアパートに住んでいたパレスチナ人(※)や、 シリア人(※)が難民キャンプにやって来てから、キャンプの人口は極度な過密状態になりました。そのため、私たちの遊び場がまったくなくなってしまったのです。
(※ここでのパレスチナ人とは、パレスチナ難民であり、レバノン内戦時に、他の多くの人たちと同じようにホームレスにされ、ラウシェのビルの空き部屋、あるいは西ベイルート近郊の空いている土地に引っ越した人々のこと。シリア人は内戦の末期とその後の復興期に、日雇い労働者としてレバノンに出稼ぎにきた人たち。(編者注))

* ラウシェ地区は海岸沿いの高級住宅街。内戦終結後、再開発でリゾート用の高級ホテルやレストランが建設されている。内戦中、住民が避難し無人となった同地区の建物に居住していたパレスチナ人たちは、レバノン政府によって、わずかな補償金と引き換えにシャティーラ・キャンプに移された。(訳者)

   1992年以前、難民キャンプには4つの遊び場がありましたが、現在は1つしかありません。その唯一の遊び場も、最近になってシリア兵の軍事演習に使われるようになってしまいました。遊んでいるとシリア兵に追い出されます。彼らの許可なしに、そこに入ることもできません。だから、私たちに残されているのは路地や屋上だけ。でも、どうやったら路地で遊ぶことができるでしょう?たいていの場合、遊び始めもしないうちに、罵声を浴びせられます。「おい、そこの悪ガキども!おまえら、しつけがなってないな!おまえらの両親はどこなんだ?家へ帰って遊びやがれ!」私たちはそうやって、路地からでさえ、追い出されてしまいます。
まだ幸運な子は家のベランダで遊べます。でもそれは男の子の場合だけ。ある“好ましくない風潮”がキャンプには存在していて、そのため女の子はベランダに出ることができません。もし女の子がベランダに出ようものなら、下の路地に若い男たちが群れとなって人だかりを作ります。そして、キャンプの住人はその女の子について根も葉もないうわさを始めます。だから両親は、彼女を家に押し込めるのです。時間をつぶすための遊びもおもちゃもない家の中に。
このようにして女の子たちは、閉じこめられた家の中で、モップがけやふき掃除、アイロンかけをして過ごします。そして彼女をこの牢獄から解放してくれる天からの贈り物、例えば花婿、を待つのです。
これは正しいことでしょうか?

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2009年7月20日 (月)

シャティーラ・キャンプ(2)

□ キャンプで、つまらない病気で死ぬぼくたち
 ウィサーム・アフマス、ミルヴァト・イーサー 


2年前、弟が喘息にかかりました。キャンプでは、非衛生的な環境と湿度の高い住まい、そしてゴミと汚水の悪臭のせいで、多くの人が喘息を患っています。でも、喘息はほとんどの土地で深刻な病ではないはずです。適切な薬を飲み、適切な治療を受ければ、治る病気です。でも、ぼくの弟は喘息のせいで死んでしまいました。なぜかって? パレスチナ人のための診療所でしか、治療を受けさせてやることができなかったからです。こうした診療所では、医者はろくろく診察もせずに処方箋をくれます。それを持ってぼくらが診療所のわきの薬剤師のもとに行くと、ここには薬はない、大きな薬局へ行けと言われます。でも、そういう薬局で売っている薬はとても高価で、ぼくたちには買えません。家族全員が働いて、食費と家賃を払うので精一杯なのだから。
ある日、弟の症状が悪化して、緊急に病院で酸素吸入をする必要がありました。しかし、病院はぼくらを入れてくれませんでした。そのため、弟は死んでしまいました。われらが王様たちは、たとえ癌やエイズといった重病にかかったとしても死んだりはしないというのに。キャンプの難民たちの多くと同じように、弟は、キャンプの環境のせいでつまらない病気にかかり、そして死んでしまったのです。水道水が汚水と混じって汚染されているせいで、湿度のせいで、悪臭を放つゴミのせいで、貧困のせいで、栄養不良のせいで。

土地を持たないパレスチナ人だから、国籍を持たない追放者だから、だからぼくたちは死ななくてはならないのですか?

□ 私たちの親は、なぜ死んだの?
シャーディア・アブダッラー、ムハンマド・メルヒ、オラ・ガンマーム


「私の両親はサブラ・シャティーラの虐殺で死にました。」
「私の父は刑務所で拷問を受け、死にました。」
「私の父はじめじめとした家と不衛生な難民キャンプでの生活のせいで喘息にかかって死にました。」
「私の父はキャンプ戦争の中で死にました。」
 私たちの親は自然な死に方をしませんでした。まだ若かったのに、シャティーラに住むパレスチナ人であるために、死んだのです。親が死んでも、パレスチナの地は戻ってきません。そして、犠牲を払うことなるのは、私たちです。

 親が死んで、祖父母と暮らす私たちは外出を禁止されています。母親が死んで、父親が再婚すると、その再婚相手の「おばさん」は、私たちをこき使い、ひどい扱いをするのです。父親が死んで、母親が家計のために働き始めると、私たちはなかなか母親に会えなくなり、愛情を受けられなくなります。さらに、母親が再婚し、シリアに行ってしまえば、レバノンに戻れず、シャティーラの子どもたちに会うことができないということもあるのです。そして、子どもたちが母親に会いに行きたくても、出国と再入国許可書がない限りは会いに行けません。パレスチナ人にとって、許可書を手に入れるなど、夢のまた夢です。

 私たちの親はキャンプの難民であるために死んでいきました。そして、保護者を失った私たちが遺されました。親の保護を受ける権利は、私たちにはないのでしょうか?

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2009年7月19日 (日)

シャティーラ・キャンプ(1)

□ ぼくは遊びたい、働く代わりに
ムハンマド・ダーウード、モナ・ザールーラ


何を話したらいいの?何から話せばいいの?
では、ぼくの生活について話しましょう。ぼくの物語、それは、シャティーラの働く子どもたちすべての物語でもあります。
ぼくの名前はムハンマド・ダーウード。14歳。中学2年です。身長は145センチ。年齢にしては低い身長です。8歳の頃とほとんど変わっていません。ぼくは8歳で働き始めました。以来、あまり成長していません。
ぼくは夏のあいだずっと働きます。冬休み中もずっと。学校にはまだ通っていますが、ぼくたちの学校は悲惨です。ぼくが働くのは、ぼくの未来が、これらの仕事の中にあるから。学校を終えたとしても、パレスチナ人であるかぎり、ペンキ屋かパン屋、ゴミの収集、電気工、機械工にしかなれないのだから。もう長いことぼくは、酢漬けを作って瓶に詰める仕事をしています。酢のせいで両手は擦り切れてしまいました。鍛冶屋の見習いをしたこともあります。カフェで働いたことも、シャティーラの家々にペンキを塗ったこともあります。
シャティーラで働いているときは、自分を惨めだと思ったり、人生を呪ったりすることはありません。ここでは、子どもたちはみな、働いているのだから。子どもが働くのは何ら不思議なことではないから。でも、夏にシャヒーム〔ベイルートとサイダの中間にある街〕近くの町、シュマイスの建設現場で働いたときは違いました。ぼくがバケツのセメントを運んだり、息を切らしながら金属板を磨いているかたらわらで、子どもたちが遊んだり、走ったりしていました。ぼくは自分に訊ねずにはいられませんでした。なぜ、ぼくは、ほかの子どもたちのように、野原で遊んだり走ったりしないのか。なぜ、学校から職場へ直行しなければならないのか。なぜ、ぼくはこんなにみじめで、疲れる生活を送っているのか。それはぼくがキャンプ出身だから。ぼくがパレスチナ難民だから。
だからぼくは市民権がほしい。この永遠のメッセージを、世界中の人が見てくれたら。ぼくは遊びたい、働く代わりに。

□ まだ、子どもなのに、私は婚約していました
ラナ・カーセム、ラナ・アル=ハサン、スザンヌ・アブドゥルハーディ


私はまだ子どもですが、でも、シャティーラの多くの女の子と同じように、幼くして婚約しました。去年の冬、13歳だった私は、キャンプで私たちが送っているみじめな生活というものが、いかに悲劇的であるかについてはあまり考えていませんでした。私の心を占めていたのは、ダブケ〔パレスチナのフォークダンス〕を踊ること、友だちと遊ぶことでした。
ある日、ベイト・アトファール・アル=ソムード〔パレスチナの子どもの抵抗の家、キャンプの子どもたちのソーシャルケアをするNGO〕の遠足に参加した私は、見知らぬ男性の目にとまりました。彼は私のことを訊ね、家族のもとを訪ね、私と結婚したいと申し出ました。母は私の意見など聞かずに、この縁談を承諾しました。父が亡くなり、貧しい暮らしの中では母の意見こそが絶対でした。母はどうしても結婚しなさいと言って譲らず、私は諦めました。婚約期間は、これまでの人生のなかでもっとも辛い時でした。あの男が家にやってくると、友だちと遊んでいても、私は家に呼び戻されました。私が彼を接待しなくてはならないからです。私は彼が恐ろしく、嫌いでした。
この恐怖のために私は病気になりました。あの男の姿を目にするたびに熱が出て、私は泣き始めました。私にはあの男が、子どもを恐怖におののかせる怪物に思えました。病気になったおかげで、私はなんとか、この悪夢から逃れることができました。シャティーラのほかのたくさんの女の子たちがするように14歳で結婚するということもありませんでした。彼女たちのなかには、結婚が、キャンプという牢獄から脱出する一つの方法だと思っている者たちもいます。
キャンプの女の子たちは、遊ぶところもありません。貧しい親たちは、子どもたちに服を買ってあげたり、キャンプの外に連れて行ってあげたりすることができません。親たちが経済的に貧しいので、女の子たちはまだ幼いうちに結婚させられてしまうのです。親が娘のことにあれこれ気をもんだりしなくてよいように。ほとんどの場合、夫となる男性もまだ10代で、キャンプに暮らしています。10歳とか13歳で働き始めた者たちも多く、夢見る未来もありません。だから、自分の娯しみのために、婚約して結婚してしまいます。それ以外の娯しみなど、何もないのですから。
すべての親たちに私は忠告します。18歳になる前に娘を結婚させないでください。

■アイデンティティのない場所、場所のないアイデンティティ
マリアム・アッズーク、ウサーマ・アブー・アル=シャイク
 

 私たちはだれ? どこに属しているの? 私たちが携帯している難民証、警視庁長官の名で発行されているその身分証では、私たちは在レバノンのパレスチナ人、つまり、パレスチナ難民。
場所としてのパレスチナについて、私たちは何も知らない。父や母から語り聴かされた物語のほかは。でも、その両親にしたところで、パレスチナに住んだことがあるわけではない。パレスチナは、私たちがいま、住んでいるこの場所、シャティーラで私たちが何か問題に直面したり、難民として私たちが耐え忍ばねばならない悲劇について思いめぐらしたりするたびに逃避する場所になっている