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2015年5月 1日 (金)

人格権を奪う原発再稼働

国民の人格権を奪う原発再稼働は許されない
「福井地裁高浜原発差し止め決定と大飯判決を読み解く」
  山崎久隆(たんぽぽ舎副代表)

  2014年5月21日、福井地裁の樋口英明裁判長は『被告は大飯発電所3、4号機の原子炉を運転してはならない。』との判決を下した。また、2015年4月14日には高浜原発3、4号機の運転(再稼働)差し止め決定を出した。
 画期的判決の論理展開はどのようなものか。

◎人格権(憲法13条と25条)

  判決の根幹は、原発が深刻な事故を起こした場合、多くの人の生命、身体や生活基盤に重大な被害を及ぼすことを認定し、被害の程度に応じた安全性と高度の信頼性を電力会社に要求している。
 この根拠には、生存を基礎とする人格権(憲法第十三条、二十五条)で、全法律分野において最高の価値を持つとした。過去には志賀原発訴訟などの訴訟でも認められた。

◎人格権は、「憲法上の最上位の権利」

  人格権とは、個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的な、総体である憲法上の権利であり、また人の生命を基礎とするものだから、日本の法制下においては、これを超える価値を他に見出すことはできないものである。
 この人格権、とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権に基づき差止請求をすることができる。人格権は各個人に由来するが、侵害が大勢の人格権を同時に侵害する場合は、差し止め要請が強く働くのは当然であるとした。
 憲法を無力化しようとする安倍政権下で、この判決が出されたことは重要だ。

◎福島原発事故の惨状 

  福井地裁は福島原発事故について次のように認定した。まず15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失った。
 家族離散や劣悪な避難生活の中でもっと多くの人が命を縮めたことは想像に難くない。
 ウクライナ、ベラルーシでは、29年経った今も広範囲に避難区域を定めている。この事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限の範囲で足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかける。

◎原発に求められる安全性

  万が一にも大災害が起きないようにすること
 高浜差止決定文において福井地裁は、新規制基準を「緩やかにすぎる」と指摘した。これはどういう意味だろうか。
 その根拠の一つに、伊方原発訴訟最高裁判決がある。それによれば、原子炉施設の周辺住民の生命、身体に重大な危害を及ぼす等の深刻な災害が万が一にも起こらないようにするためには,原発設備の安全性につき十分な審査を行わせることとされている。(最高裁判所1992年10月29日第一小法廷判決,伊方最高裁判決)

◎経済活動は、人格権よりも劣位におかれる

  先に述べた大飯原発訴訟福井地裁判決では「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。」と明確に指摘している。
 また、大飯原発の再稼働については「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」と指摘している。

◎再稼働を止めるための「不断の努力」(憲法12条)を続けよう

  原発においても同様の趣旨により運転をすべきではないと考える福井地裁の判決、決定は日本国憲法に最もかなった立場である。
 そのことを繰り返し粘り強く訴えて、再稼働を止めるために「不断の努力」(第12条)を続けていこう。

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