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2014年12月 8日 (月)

対米開戦で高知県民も熱狂

衆院選高知62万人の声(6)戦争体験者の声

http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=330235&nwIW=1&nwVt=knd
「高知新聞」より抜粋

対米開戦で高知県民も熱狂
 きょう12月8日は米ハワイの真珠湾攻撃などを端緒として、米英との戦争を始めた日です。73年前の1941(昭和16)年。戦火は中国大陸から一気に太平洋に広がりました。

 「戦争」というと、暗く、悲惨なイメージを抱きがちですが、対米戦争が始まった当初の日本国内は高揚感に満ちていたそうです。

 英国植民地のシンガポールを旧日本軍が占領した1942年2月、日本各地で「祝賀会」が開かれました。当時の高知新聞によると、「高知県民祝賀大会」は2月18日、高知公園。高知新聞は「轟(とどろ)く七十萬(まん)の萬歳(ばんざい)」の見出しの下、こう報じました。

 「東亜新秩序の建設は正義日本の手によつて輝しい前進をつづけてゆく…七十萬県民の慶祝の熱情は、きのふ挙行された祝賀大会によつて爆発した」

 日の丸の小旗を振る群衆。記事の写真も人波で埋まっています。


  ■  ■  
 高知市宝町の川村高子さん(95)は当時女学生で、シンガポール占領の日は旗行列に動員されたそうです。

 「小旗を肩の高さまで上げて、体の前まで振りました。ただ振るんじゃなくて、喜びを込めてと言いますか。歌も歌ってね。興奮状態。勝つことだけ考えてね。本当に(社会が戦争)一色に染まっていた感じですね」

 結局、敗戦までの4年足らずの間に、弟を南方戦線で、妹を岡山空襲で失いました。


  ■  ■  
 ところで、戦争中の国会はどうなっていたのでしょうか。

 1925(大正14)年に実現した普通選挙制度は25歳以上の男子だけに選挙権を認めていました。女性は投票もできません。一部の「世論」が政治を動かした時代です。

 総選挙は1937(昭和12)年4月に行われ、次は1942年4月でした。つまり、選挙のなかった5年の間に日中戦争が始まり、対米交渉が行き詰まって真珠湾を奇襲攻撃し、東南アジアに次々と軍事侵攻したわけです。

 その間、戦時国債の発行は続き、国債の日銀引き受けは常態化。「バスに乗り遅れるな」が叫ばれ、強圧的な軍部の前に政党は自ら解体しました。そして首相を総裁、知事を支部長とする「大政翼賛会」が発足し、政党政治は終わりました。

 「勝った、勝った」の中で行われた1942年4月の総選挙は、翼賛会側の候補が圧勝し、日本は名実とも「翼賛政治」に突入します。

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国民が戦争をどのように迎えたのかが分かる記事だ。日清・日露戦争に勝ち、台湾や朝鮮を植民地化していったことなどで、日本は絶対に戦争に勝つと思っていたのではないか。

大国中国に対してさえ同様に。そしてまたアメリカにもである。

旧日本軍幹部の世界を見る目はこの程度であり、またメディアもそのように信じたのだ。国民は騙されていたといえるが、なぜ騙されたのか、それを自らに問わなければ、この先も何回もだまされていくことになるだろう。

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