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2014年8月 4日 (月)

ガザ封鎖と民族浄化

2014/07/26 ガザ封鎖と民族浄化

「パレスチナ人は芝のように刈られる」

〜岩上安身による岡真理・京都大教授インタビュー

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/157429
「以下抜粋」

公共性に鑑み、8月6日まで非会員の方へ特別公開中!

 
記事目次
「イスラム原理主義」~内実のない言葉を用いる主流メディア
イスラエル国防軍は「芝を刈る」~封鎖の構造的暴力
民族浄化とイスラエル国家建設
シオニズムというイデオロギー
尊厳ある生への戦いを物語る
本当の「積極的平和」

「イスラム原理主義」~内実のない言葉を用いる主流メディア

 大手主要メディアでハマスのことが報道されるたび、「イスラム原理主義組織」であり「ガザ地区を実効支配する」と説明される。しかし、岡氏によれば、「イスラム原理主義」という言葉は、様々な現象に貼られる「レッテルのようなもの」だという。中東の専門家は学術用語として、この言葉を用いることはないと岡氏は言う。

 「メディアが使う『イスラム原理主義組織』『ガザ地区を実効支配』という言葉を通じて、過激でおどろおどろしい武装組織が力にものを言わせて武力でガザを支配している、という印象が作られてしまう」。

 ハマスはれっきとした政党だ。2006年に実施された評議会選挙で民意の付託を受けている。政治的立場は、イスラム法による社会統治を目指すもの。これ自体は、メディアを通じてイメージ化される「イスラム原理主義」とは何の関係もない。

 ハマスは、軍事部門と呼べるような組織を確かに抱えてはいる。しかし、これだけを持ってハマスをテロリスト集団と呼ぶのは不当だと岡氏は指摘。背景にある、ガザが長い間占領されてきた地域だという事実が見過ごされていると語る。

 「ガザは占領されている場所ですね。占領下の民衆による占領軍へ武装闘争は、国際法上で、正当な抵抗権としてみなされています。そうであるならば、ハマスに軍事部門があるというだけでテロリストと呼ぶことはできないわけです」。

 何がなんでもハマスをテロリストにする。そうすれば、思う存分叩くことができる。こんな考えを正当化する力が、「テロリスト」という言葉には与えられてしまっている。「9.11以後は、『テロリスト』とレッテルを貼りさえすれば、何でもできることになってしまった」と岡氏は話した。
イスラエル国防軍は「芝を刈る」~封鎖の構造的暴力

 2006年の評議会選挙でハマスが勝利し、ガザの地を実効統治し始めると、イスラエルは封鎖という行動に出る。「封鎖」と一言で片付けてしまわれがちだが、現地で暮らす人びとにとってどれほどの暴力なのかが十分に知られていない、と岡氏は実感を語る。

 「境界にそって築かれた分離襞により、文字通り、監獄のように180万人が閉じ込められているのです。随所に監視タワーがある。境界線から1.5キロメートルに立ち入ると、発砲される危険がある」。

 陸路、海路、空路のすべてが完全封鎖。住民の出入りが不可能なのはもちろん、物資、医薬品、電力など生きるために必要なあらゆるものが入ってこない。生活は常に低水準に置かれる。ガザでは乳幼児の52%が栄養失調状態、世帯の6割が食糧難の状態にあり、人口の8割に相当する150万人が、何らかの国際援助がなければ食べていけない。

 封鎖が恒常的にある一方で、さらに今回のように、数年に一度の大規模な攻撃作戦が実施される。それでも攻撃を受ける度に現地の人はまた立ち上がろうとする。「5年半前の攻撃をそれでも乗り越え、また基盤を整備する。しかし、そうするとまた、4年後の2012年に攻撃が起こる、さらに2年もせずに、今回のような攻撃がまた開始される」。

 「この繰り返される攻撃のことを、イスラエル軍の隠語で『芝を刈る』と言うそうです。放っておけば人口がどんどん増え、破壊したものも元通りになる。だから、定期的に芝を刈るように、攻撃で破壊する。生活するのがやっとの状態に常にしておくのです」。
民族浄化とイスラエル国家建設

 「芝刈り」は66年前のイスラエル建国当初からすでに開始されていた。1947年11月に、国連でパレスチナ分割案が採択された。パレスチナの地をイスラエル国家とアラブ国家とに分割するものだったが、人口の3分の1を占めるに過ぎないヨーロッパ系ユダヤ人に、パレスチナ全土の半分以上を認める不公正なもの。しかも同時期には、ユダヤ民兵組織によるパレスチナ人に対する民族浄化がすでに起きていた。

 民族浄化の現場は凄惨なものだった。「軍事作戦による強制的な追放もありますが、占領した町や村で見せしめの集団虐殺やレイプがあります」。1948年4月にエルサレム郊外で起きたデイル・ヤシーンの虐殺では、100人以上が集団殺戮された。
 
 「虐殺が目前に迫り、着のみ着のままで逃げ、やむにやまれず国境線を越えてしまった人びとは、その後、故郷に帰ることができない」。一方、イスラエル側は「彼らは自発的にいなくなった。軍が村に着いたときには、すでにいなくなっていた」と主張する。難民化の責任からは解放され、民族浄化の事実は抹消される。

 1967年にイスラエルはガザとヨルダン川西岸を軍事占領。直後から、パレスチナの地場産業は徹底的に破壊される。地元での経済活動が不可能になり、住民たちは生きていく術を失う。流れていく先はイスラエル。「パレスチナ人はイスラエルへ出稼ぎに出て、経済体制の底辺労働を担うことになります」。

 「47年からの民族浄化をアラビア語で『ナクバ』、大きな災いと呼びます。この時に難民となった人のうち20万人がガザに行くこととなりました」。

 現在ガザに居住する180万人のうち、8割を超える150万人が、ナクバによって難民となった人びとの子孫だ。その人びとは、いまだに故郷に帰還できないでいる。「ナクバ、民族浄化にさかのぼる歴史的文脈を抜きにしては、何も語ることはできないはずなのです」。

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