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2014年3月12日 (水)

伊方の家からの報告

再稼働一番手の原発になるのはごめんだ

 愛媛県伊方町内では、歩き回り話してまわるにつれて、だんだんと住民の反応に手ごたえを感じられるように

 <伊方の家からの報告>
(Y・T)

○ 3月19日の井戸川さん講演会in伊方に向けて、3月7日・8日・9日と3日間連続して伊方で動き回った。7日は伊方町議会事務局にチラシを持参し、町見・瀬戸・三崎各公民館にポスター掲示とチラシ置きをお願いしてまわり、また4か所の愛媛新聞販売店にチラシの新聞折り込みを依頼してまわった。このこともかってなら考えられなかったことだとかってを知る人たちは言う。新聞販売店の主と再稼働問題で話をする。印象的だったのは、販売店主たちが集まった時の話でも、伊方町の人と他の地域の人との切実感が違う、他の地域の人には他人ごとのように感じているように見受けられる、ということであった。

 8日は三崎・二名津方面の街宣に行く。車を流しながらマイクでゆっくり講演会をアピールし、他方でチラシを戸別配布してまわる。(別のところではトラメガで路地の隅々までアピールしてまわったそうだ。)何人か話した中で、「原発は命の問題だ。経済の前に命があり、命の営みとして経済があるべきだ。」と熱をこめて訴えた年配の女性が印象に残る。19日は必ず行きます、と言ってチラシを胸にしまい込んだ女性もいた。

○ 9日は九町に街宣に行く。チラシは今日新聞折り込みで入っているので、チラシ配布よりもゆっくり対話をすることに重点を置いて歩いて回る。19日の講演会のことは会場使用の件でメディアに大きく取り上げられて、たいていの人が知っていた。家の並びが途切れる頃、老女が道脇にしゃがみ込んでうつむいて熱心に土いじりをしていた。そのまま取りすぎようかと思ったが声をかけた。足が悪いのかなかなか立ち上がれず、手助けしようとしたとき立ち上がった。顔を見ればもう80を超えているだろうか、目も悪くしているように見えた。

 原発の話、3・11と福島の惨状について、そして再稼働問題について話す。彼女は命について、ふるさとについて、孫子の代について話し、原発反対、再稼働反対を語る。そしてここでも村を二分するような反対運動があったこと、あのときもっとみんなで反対して原発を止めていれば、福島原発事故はなかったかもしれないと言う。3・11が反対運動にとっても想像をこえた衝撃だったと互いに話した。
 突然、彼女は近藤さんをしっていますか、近藤さんはどうされていますか、と口にした。最近なにかで写真をみて随分歳をとられたようだった、という。私は驚いて、近藤さんをご存じなのですか、斉間さんもご存じなんですかと尋ねる。彼女は次々と語りだした。30年近く前まで、手弁当を作っては原発前や松山・高松にみんなと出かけ、本もいっぱい買って勉強したこと、井田与の平さんや川口寛之さん、井田医院の院長先生、磯崎の若人の会の人たち等、今は多く鬼籍の人となっている伊方原発反対運動の歴史的人たちのことが次々と口をついて出た。私は伊方原発反対運動の歴史を眼前に見る思いがした。その時の彼女の顔は10歳も20歳も若返ったかのように、若やいで輝いて見えた。

○ 帰り道、井田医院の洋館風の建物は完全に朽ち果て、ただ井田医院と書かれた前面の壁面だけが残っているのをみた。帰ってから斉間さんに電話でこの女性のことを名前とともに話すと。OOさんは健在だったか、ととても喜んでおられた。
 午後”みなっと”で短時間の街宣。マイクで流すと、ど―や市場の魚屋の人たちが何人か出てきた。チラシを渡しながら説明すると、その人たちは2月16日に井戸川さんがここを訪れ、一店一店を回りながら話されていたことを覚えていた。中には19日の講演会に行くからと言ってくれた人もいた。

 伊方町内では、歩き回り話してまわるにつれて、だんだんと住民の反応に手ごたえを感じられるようになっている。

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