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2013年10月 2日 (水)

大杉栄の埋葬写真公開

憲兵隊が虐殺…ひっそり弔い 大杉栄の埋葬写真公開

2013年10月1日 夕刊「東京新聞」より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013100102000238.html

(写真の説明)
埋葬に出発する一行。中央の遺骨を抱えた男性(左)が弟勇、その右が弟進、その右が菊。人力車に乗っているのは僧侶。その右に警察官がいる=大杉豊さん提供


 一九二三(大正十二)年、関東大震災の混乱の中で憲兵隊に虐殺されたアナキスト大杉栄=当時(38)=らの遺骨埋葬時の写真が残されていることを、栄のおいの大杉豊さん(74)=千葉県柏市=が明らかにした。栄らの葬儀で遺骨が一時盗まれた事件があったことなどから、埋葬は仲間にも知らせず親族だけでひっそり営まれ、写真はこれまで公になっていなかった。 (小寺勝美)

 栄は伊藤野枝(のえ)=当時(28)=とおいの橘宗一(むねかず)=同(6つ)=とともに震災後の九月十六日、甘粕正彦憲兵大尉らに東京・麹町憲兵分隊に連行されて殺され、古井戸に投げ込まれた。虐殺発覚後、遺骨は返還され、同年十二月に東京・谷中で営まれた葬儀の際に右翼に盗まれたが、翌二四年五月、静岡市に住む妹の柴田菊に返還され、市内の沓谷(くつのや)霊園に埋葬された。

 公表した写真は、菊の自宅から霊園に向かう一行と埋葬翌年に本格的に墓所を整備している様子の二枚。一行の写真には、栄の墓標と豊さんの父親で栄の二番目の弟の勇、三番目の弟の進、菊らが写る。隅には警察官の姿もあり、当時の厳しい状況がうかがえる。

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☆甘粕(あまかす)事件☆

http://tamutamu2011.kuronowish.com/amakasu.htm
「以下抜粋」

1923年9月1日、関東大震災が発生。軍隊や警察は、混乱に乗じてデマを流し、住民と共謀して6,000人を超える朝鮮人や中国人を虐殺するが、そればかりか社会主義者や無政府主義者等の反体制運動家をも殺害する。その一つが甘粕事件である。


すなわち、東京憲兵隊麹町(こうじまち)分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ)大尉、東京憲兵隊本部付森慶次郎曹長は、無政府主義者が不穏・不逞(ふてい)行為に出るおそれがあるとして、9月16日、大杉が妻の伊藤野枝とともに鶴見に住む弟を見舞い、6歳になる甥の橘宗一(たちばなむねかず)を連れて帰る途中、東京憲兵隊麹町分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ 〔1891~1945〕。1891〔明治24〕年1月26日宮城県生まれ。陸軍士官学校卒。1923年東京麹町〔こうじまち〕憲兵分隊長〔憲兵大尉〕となる) と憲兵隊特高課の森慶次郎が大杉ら3人を逮捕・連行、殺害するが、甘粕らのこの犯行は、軍中央の命令によるものとされている

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連行して間もなく絞殺。甘粕ひとりがやったのか、部下にも命令して一緒に殺したのか。

恐ろしい事件である。甘粕は、わずか3年で出獄、夫婦でフランス留学待遇のあと、旧満州に渡り満州国設立等、その後のことはここで書くまでもない。

大杉栄や伊藤野枝のことは、幸徳秋水と共に私の中でもずっと胸に残っている。今この記事を見ながら、私は、国会に出されようとしている「秘密保護法」のことを思った。不穏の恐れアリと警察に連行されたら、その先はひっそりと死んでいたなどという時代になるかもしれないと・・・

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