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2010年4月22日 (木)

三線演奏と知花昌一講演会

三線演奏と知花昌一講演会

「ウチナンチュが語る基地と沖縄、ガマの悲しみ」

日 時: 4月24日(土)
       午後 1時30 分  三線演奏
       午後 2時  講演
場 所: 人権啓発センター (高知市 本町)
参加費: 1000 円  高校生以下無料

主催: サロン金曜日@高知 E-mail saron.kinyoubi@ymail.plala.or.jp

知花 昌一 さんの略歴

 1948 年生まれ。沖縄大学中退。在学中から沖縄復帰運動を指導。楚辺通信所内への立ち入り運動やガマの調査、米軍基地返還の取り組みなど、平和運動家として活躍中。
現在 沖縄県読谷村・村会議員。

著書 『焼きすてられた日の丸 基地の島・沖縄読谷から』
     『我肝(ワチム)沖縄 ワチム(わが心の)オキナワ』など

 ウチナンチュとは、沖縄の方言で南の島の人、という意味で沖縄の人のことであり、対する日本人はヤマトンチュといわれます。

 知花昌一さんは、平和憲法を掲げた日本への憧れを強く抱いて、学生時代から沖縄復帰運動を指導してきました。しかし日本政府は、復帰後も米軍基地をそのまま残し、沖縄の現状を改善しようとはしませんでした。思いは怒りと失望へと変わり、1987 年沖縄国少年ソフトボール開会式では、メインポールに掲げようとする日の丸を焼いて、抗議の意を示しました。

 1996 年には、楚辺通信所(象のオリ)内の自分の土地の返還を求めて、立ち入り運を起こし、これがきっかけとなって、施設は移転しました。その他、読谷村では、さまざまな合法的な方法でもって、ユニークな米軍基地返還運動を行なってきました。

 また、集団自決があったチビチリガマを調査し、慰霊の像も建立しました。その後、ガマの前に立ち、沖縄戦の悲惨な住民の姿を伝え続けています。そして、戦争とは、軍隊とは、ヤマトのなかの沖縄とは、いったい何なのかを私たちに問いかけています。

 講演の前には、三線(さんしん)を手に、平和への思いをこめて沖縄の心を奏でます。 1 時からは、沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会作成の映画 「沖縄戦の証言」 も上映します。ぜひおいでください。

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