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2009年10月31日 (土)

西谷文和 イラク取材(2)

スレイマニアがんセンターを訪問
2009年10月22日 23:37 nishitani |

10月22日、スレイマニアのがん専門病院へ。ここを訪問するのはこれで5回目になる。訪問するたびにがん患者が増えている。ベッドの数が足らないので、廊下で寝る人、うずくまる人、点滴を受けている人が続く。

小児病棟へ。多くの子どもが入院しているが、白血病と骨肉腫が多い。入院患者は2つに大別される。一つはハラブジャ周辺から。ハラブジャは1988年にフセインによる化学兵器で虐殺されたところで、20年以上たった今も、環境悪化により、がん患者が急増しているのだ。他方はキルクークとその周辺から。キルクークはこのイラク戦争で劣化ウラン弾をはじめとする大量の爆撃があったところなので、それによる環境悪化でがん患者が増えている。

写真のこどもはイラーフちゃん(3)。右目に腫瘍ができて摘出したばかり。顔が膨らんでいる子どもをバグダッドでも見たが、この子も異様な膨れ方をしている。
「ポイズン、ポイズン」と医師が言う。劣化ウラン弾の放射線によるものなのか、それとも大量に打ち込まれた弾薬による土壌汚染なのか。おそらくそのどれもが関係する「複合汚染」なのだろう、「患者の数は増える一方」だという。

3年前にここをはじめて訪れたときには、がんの治療薬にも不足する状態であったが、(DVD「戦場からの告発」で紹介しています)今は薬は足りているが、患者が急増して病院を拡張する必要があるとのことだった。
アフガンでもそうだが、ここイラクでも日本ができることは多い。

政権が交代し、「自衛隊がせっせと運んでいたのは米兵」だったことが明らかになった。イラク戦争6年間で自衛隊が使った税金は約1000億円。

このお金ががん患者に回っていれば、何人の命を救えただろう。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月30日 (金)

西谷文和 イラク取材(1)

想像を超えるモスルの戦争被害
2009年10月21日 13:19 nishitani

10月20日、タクシーを拾い、アルビルとモスルの州境へ。ここはクルド側(アルビル)とアラブ側(モスル)の事実上の国境で、パスポートチェックをはじめ、荷物検査、運転手のIDカードチェックなど、厳戒警備体制。モスルからのテロリストを防ぐ、という意味もある。

無事、モスル側へ抜ける。通訳のサウファンと運転手のマジードが待っている。半年振りの再会。
サウファンらと、あらかじめ打ち合わせしていたアリー君(16)の家へ。ここはモスル中心地からわずか20キロ、バルテッラーという街で、人口の大半がキリスト教徒。モスルが危険なのと、キリスト教徒への弾圧があるので、この街に避難する人が急増し、人口が急激に増えている。

アリー君は7人兄弟。1人はテロに巻き込まれて死に、3人は米軍の空爆で死んだ。
06年3月10日、米軍はアリー君の家とその周辺を空爆し、3人の兄弟をなくすとともに、彼は身体障害者になった。背骨に爆弾の破片が突き刺さっており、以来、下半身不随の寝たきり生活だ。
「米軍から何の謝罪も補償もない。俺たちは普通の市民だった。アルカイダではない。空爆後、モスルを捨ててこの街へ逃げてきた。タクシー運転手だったが、今は失業している。この家は借りている。近所の人も戦争被害者だ」と、父親のイブラヒームさん(46)。

アリー君の家で取材していると、「俺もやられた」「私の息子を見て」と近所の人々が集まってくる。
写真の少年、アハマド君(5)は明らかに鼻の発達異常である。母親が彼を身ごもっているとき(5年前)、最も米軍の空爆がひどい時期だった。おそらく劣化ウラン弾の被害ではないか?
「ウランって知っている?」と母親に聞くが、「ウランって聞いたことがない」との答え。
しかし「息子は戦争の結果、このような顔になったと思うか?」との質問には「100%、戦争の被害だと思う。だって、このような症状の子どもが病院にあふれているもの」。

モスルは「フセインが隠れている」と疑われた都市で、とりわけ空爆が激しかった。二人の息子、ウダイとクサイが米軍に殺されたのも、このモスルだった。

モスル中央病院では、「メニー、メニービクティム(被害者はたくさん)」とサウファンが証言する。
今回は時間の都合と安全性が確保されていないため、モスル市内にははいらないが、できるだけ早期にモスルの実態を取材したいものだ。

昨年に引き続き、サウファンに日本からの募金を手渡す。このお金でモスル市内の小学校にストーブを買ってもらう予定。小学生の多数が、この戦争で親をなくしている孤児である。モスルはイラク北部に位置していて、冬は大変寒いのでストーブは喜ばれるだろう。

夕刻、無事アルビルまで帰還。長距離タクシーを捕まえてスレイマニアに入る。
私の旅もこのスレイマニアで終結する。残されたわずかな日々を、きちんと取材してから、帰国したい。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月29日 (木)

西谷文和 アフガン取材(10)

パシュトン文化に唖然とする
2009年10月17日 18:22 nishitani

10月16日、今日はカブール郊外の避難民キャンプに行って、ゴルジュマちゃん一家を、市内のレストランに招待する。チャーレバカールキャンプに到着。あらかじめ、父のワキールと母親、そしてゴルジュマちゃんに連絡しており、彼らがテントの前で待っている。

一家を連れてカブールに戻ろうとするのだが、私たちの姿を目ざとく見つけたほかの避難民たちが、「俺たちも車に乗せろ」と車の周囲に群がってくる。
「ダメだ!俺たちはゴルジュマを病院に連れて行くのだ、これは遊びではない」と説得。ゴルジュマちゃんと両親、そしてちゃっかりと叔父が車に乗り込む。叔父は招待していないのだが(笑)。

車中、「カブールへは行ったことがある?」との質問に「ない」と恥ずかしそうに首を振る。キャンプから車でわずか30分の距離だが、いまだに都会を知らない。
「レストランでは何が食べたい?」「何でも」。「好きな食べ物は?」「ポテト」。この家族は一ヶ月以上肉を食べていない。普段の食事でもっともご馳走なのは、じゃがいもだ。

レストランに到着。ここで予期せぬことが起こった。ワキールが妻に外で待て、と命令するのだ。妻はレストランの外でうずくまる。
「おいおい、俺はお前たち一家を招待したんだ。妻も当然レストランでランチを食べてもらう」「いや、ダメだ。レストランには他の男性客がいる。男の前で妻をさらすことはできない」。田舎のパシュトン人にとって、妻の素顔を見られることは最大の侮辱なのだ。
レストランに交渉し、2階の部屋を空けてもらう。2階へ。さぁ一緒に食事を、とメニューを見ているときだった。「お前と通訳は他人だ。他人の前で妻をさらすことはできない」とワキール。「おいこら!そこまで言うのか!俺たちはもう家族みたいなものじゃないか。一緒に食べよう」と通訳と一緒に説得するが、ダメ。妻とゴルジュマちゃんだけ、さらに別室を借りて食事。
「今は21世紀だぜ。なんというストゥーピッド(愚かな)文化なんだ」と通訳のイブラヒーム。同じアフガン人でもカブール市内に住む人々は、さすがにこうした文化を嫌がっている人が多い。しかし彼らは、ヘルマンド州の出身。電気もなく、レストランなど見たことがなく、テレビもインターネットもない中で生活してきたのだ。
ゴルジュマちゃんは子どもなので、男側でも食事ができる。かくしてゴルジュマちゃんは、父と母のテーブルを行ったり来たりしながら食事することとなった。

食事が終わり、おもちゃやさんで買い物。店に入るや否や、彼女は人形を抱えた。
「何でも買っていいよ」といっていたのだが、わずか数秒の買い物。赤ちゃんの人形を抱えて、微笑む。おそらくこの一年、これほどの笑顔を見せたことはなかったのではないだろうか。

ゴルジュマちゃんたちをキャンプへ送り、別の避難民キャンプ、パルワン・ドゥーに毛布200枚を贈る。パルワンドゥーキャンプのテントの中を取材。テントには無数のハエ。ひどい悪臭。見れば大きな金属のボールに茶色いご飯が山盛り。
「結婚式場の食べ残しだ。俺たちはこれを3日間、ずっと食べている」。辺見庸さんの著作「もの食う人々」のなかに、食べ残しを食べて生活するバングラディッシュ人のことが紹介されていたが、バングラデシッシュだけではない、ここカブールにも存在した。

毛布200枚が到着。歓声を上げて喜ぶ避難民たち。
「サンキュージャパン!」「タシャクール(ありがとう)」と、みんな満面の笑み。日本人のために祈りをささげてくれた。

さて、カブール取材もそろそろ終わりに近づいてきた。次回は1月、真冬に訪問したい。緊急にストーブとテントシートを援助しなければ、多くの子どもたちが凍え死んでしまうだろう。それまでの期間、日本で募金を集めることにしよう。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月28日 (水)

西谷文和 アフガン取材(9)

カンダハールにて その3
2009年10月16日 21:41 nishitani

写真はカンダハールの国際赤十字宿舎で撮影。彼女たちはもう一ヶ月以上、ここで医療支援している。今アフガンに必要なのは給油ではなく、このような民生支援だ。

ミルワイズ病院を取材中、驚くべき事実と遭遇した。なんと看護師の1人が日本人だったのだ。この病院は中国が建てて、アフガン政府が運営しているのだが、国際赤十字が全面支援している。その赤十字の派遣看護師として3名の日本人がここで医療活動に従事している。

3人のリーダー格の伊藤さんは名古屋から来ている。9月上旬にここカンダハールにやってきた。彼女はクンドゥズ、タロカンといったアフガン北部で同じような活動経験があり、カンダハールは3番目の勤務地。恐怖心に打ち勝って、ここで人命を救っている。彼女たちは赤十字のコンパウンドで暮らしていて、病院と宿舎を往復する毎日。アフガンで最も治安の悪い都市の一つカンダハールで、立派な人道支援、民生支援が成立している。

インド洋で米軍に給油することは、間接的な空爆支援であり、殺人加担である。オイルがなければ戦闘機は飛ばない。戦闘機が飛ばなければ空爆もない。
給油を続けるのは「通り魔に刃物を手渡している」のと同じだ。実際米軍の空爆は「通り魔」そのものである。村にタリバンがいるという情報があれば、村ごと焼いてしまい、そして逃げ去っていく。

つまり給油を続けるということは「加害者であり続ける」ということなのだ。では何ができるのか?

その答えは彼女たちが出しているのではないだろうか?軍隊に援助するのではなく、人々に援助するのだ。
「危険地域には自衛隊が行くべきではないのか」。おそらくこのような意見を持つ人がいるだろう。しかし現地で感じるのは、「自衛隊が行けば余計に危険」ということ。タリバンは間違いなく「米軍への協力者」を狙っている。もし自衛隊が行けば、サマワの二の舞になるだろう。「基地から一歩も外へ出れない」自衛隊が、どんな援助ができるというのだ。
彼女たち3人も赤十字の宿舎と病院を往復する毎日で、決して街には出ない。しかし病院での支援はずっと継続できている。

岡田外相がアフガンに来て、これから日本としてどんな支援ができるのか、議論が始まるだろう。ここカンダハールではJICAの援助で看護師養成学校ができている。市内の女子高も日本の援助で完成した。バーミヤンの地雷撤去は日本が一番予算を拠出している。

給油以外の方法で、日本はこれまで平和的に貢献してきた。何も難しいことはない。これまでどおりやればいいのだ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月27日 (火)

西谷文和 アフガン取材(8)

カンダハールにて その2
2009年10月16日 13:31 nishitani |

このブログは転送歓迎である。どうか多くの人にこの戦争を止めさせるべく、事実を伝えてほしい。

10月14日、早朝からカンダハール市郊外の避難民キャンプへ。市内はまだ安全だが、郊外に出るとかなり危ない。したがって避難民キャンプではピンポイント取材にならざるを得ない。

市内のメーンストリートをでて数十分、一見して貧しい地区に入ったことが分かる。下水がないので、生活排水が道路に流れ出る。プラスチックのゴミが散乱し、そのゴミを羊が食べる。やがて風景は「日干しレンガ」に変わる。人々が泥をこねてレンガを作っている。この地域の家は日干しレンガでできている。そんな日干しレンガが並ぶ、荒涼とした台地に、泥でできた家と灰色のテントが現れた。避難民キャンプだ。
子どもが薪をロバに積んで歩いている。

「どこから逃げてきたの?」「食料はどうしているの?」などとゆっくりインタビューできないので肝心なところは分からない。ただカメラを回す。青年がやってきたので、「政府の援助は?」「どうして生活しているの?」この2点を尋ねる。
政府の援助はない。ここで日干しレンガを作って生活している、とのこと。レンガを作って一日3ドルの収入。それで家族を支えている。

避難民キャンプを後に、やはりミルワイズ病院へ。本日も新たな患者たちが運び込まれている。そんな患者たちを取材していると、全身包帯、顔には白い粉を塗った少女が現れた。
彼女はベドウィンの娘で全身おおやけどを負っている。全身を震わせて、苦痛に耐えている。

10月6日、ベドウィンたちはいつものように仕事を終え、山間部にテントを張って就寝した。午後10時、悪魔がやってきた。米軍の戦闘機だ。「このテントはタリバンの基地ではないか?」米軍はベドウィンたちが眠るテントを空爆した。そのとき少女たち兄弟姉妹はぐっすりと眠っていた。一瞬にして燃え上がるテント。阿鼻叫喚の灼熱地獄の中、父親は必死でこの少女をテントから救い出した。米軍の誤爆は、父親から2人の息子を奪い、4人の娘の体を焼いた。誤爆を認めた米軍は4人の娘のうち重症である2人を、カンダハール空港まで運んだ。ただ運んだだけ。謝罪も補償金もなかった。
やけどがひどくてのどが渇くのだろう、たえず少女は水を飲む。そして全身を震わせて搾り出すような鳴き声。

この少女を空爆したのは、「無人戦闘機」である可能性が高い。朝9時、ラスベガスの豪華ビルを見ながら、米軍基地に出勤する兵士たち。「おはよう」と挨拶して画面に向かう。コーヒーを飲みながら、現地からの情報を聞き、無人機を操作。「あのテントにタリバンがいる模様」「ラジャー(了解)」そして爆撃。勤めを終えた兵士は午後5時に帰宅し、家族と団欒。よき父親が殺人マシーンなのだ。
一方、現地では燃え上がったテントに地上部隊が突入。「あれ?このテントはタリバンのテントと違うようだぞ、畜生、ガセネタだったか。ベドウィンの娘がやけどを負っている。仕方ないな、ヘリで運んでやれ」。
おそらくこんなところだろう。

空爆のボタンを押した兵士は、「よき父親」としてハッピーな人生を送る。ベドウィンたちは家財道具を焼かれ、娘と息子を失い、一瞬にして避難民となる。こんな戦争を続けている米国大統領に「ノーベル平和賞」が授与された。授与されたのは9日、娘が焼かれたのは6日だ。

「アメリーキー、アメリーキー」父親が叫ぶ。この父親はノーベル賞があることすら知らない。「真実」を知れば、どう反応するだろうか。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月26日 (月)

日本郵政 曽野綾子氏が就任

 民営化された郵政事業を統括する日本郵政の社外取締役に、小説家の曽野綾子
氏が就任することになりました。
 
 「日本郵政、取締役に曽野綾子氏=奥田トヨタ相談役は留任」
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091026-00000112-jij-pol
 
 曽野氏が社外取締役になるのは、郵政事業を、収益性重視から公共性重視の経
営方針に転換し、利用者の目線で郵政改革を進めるためにということです。
 
 曽野氏は、小説家であって企業経営の経験はありませんので、日本郵政の経営
には口出しは出来ないものと思います。
 
 しかし、気になるのは、彼女は右翼の論客であるとのことです。そして、児玉
誉士夫と並ぶ日本の右翼の大物とされた笹川良一が率いていた財団法人日本船舶
振興会(現在は日本財団)の会長であったことです。
 
 曽野氏は、太平洋戦争末期の沖縄戦で起こった悲劇の一つである渡嘉敷島の集
団自決について、集団自決を命じる軍の命令があったことは疑わしいとするノン
フィクション「ある神話の背景」を執筆しました。これが、軍名による集団自決
の教科書記述が削除された根拠となりました。それで、彼女は家永教科書裁判第
3次訴訟で、国側の証人として出廷したことがあります。

 (以下、出典はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E9%87%8E%E7%B6%BE%E5%AD%90
 より)
 
 この裁判で曽野氏は、
 
 「彼ら(赤松隊)は好むと好まざるとに関わらず島を死守することになったが、
それとても決して島民のためではなかった。村民はおそらく『小の虫』であって、
日本の命運を守るために犠牲となる場合もある、と考えられていたに違いない」
(出典:沖縄戦と教科書、安仁屋政昭他、2000年)
 
と証言しました。

 なお、沖縄については、
 
「沖縄は閉鎖社会」、「学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をき
ちんと歌わせる」べしと主張しました(沖縄タイムス1985年4月8日~4月18日)。

 また、慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人の為にと

 「慶良間ケラケラ、阿嘉んべ、座間味やがれ、ま渡嘉敷」(諸君!1971年10月)

 と、慶良間諸島の人々を侮辱するような歌を作ったことがあります。
 
 テロリスト殲滅と称して、多くの人々を逮捕し、拷問にかけ、殺害した人権侵
害の罪で有罪が確定した南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領とは親密な
関係にありました。政治亡命を認めていない日本で、フジモリが日本に長期滞在
できるよう曽野氏は政財界に働きかけました。
 また、1973年のクーデターでサルバドール・アジェンデ政権を武力で打倒
し、凄まじい人権侵害を行ったアウグスト・ピノチェト政権を支持しました。
 
 カトリック教徒である彼女は人工中絶に強く反対しています。
 
 そして反戦平和運動などの市民運動に強い敵意を抱いています。講演会やエッ
セイ、対談などで事あるごとに批判し、罵倒し、冷笑し、揶揄しています。
 
 また、政府の教育改革国民会議委員として、「バーチャル・リアリティはある
面では悪であるとはっきり(言う)」「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」
を主張したことがあります。
 
 このような人物が、日本で一番多くの非正規労働者を抱える大企業の社外取締
役になります。
 
 不安を感じます。
 
坂井貴司

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サロン金曜日の寺子屋

・日時:21年10月30日(金) 18時~19時10分まで
   ・場所:高知市中の橋通り ダイアパレス2階 208号室
       入り口に「よつばカウンセリング研究所」の看板が、かかってます
   ・講師:坂本 耕平さん
       「高知フアンクラブ」主宰者
          高知県の地域情報発信によって、地域を元気にする取り組みを
          されてます
       森林インストラクター
       元・高知県森と緑の会 事務局長
   ・テーマ:地域を元気にする「仕掛け」のはなし(仮題)
   ・参加費:カンパ100円をお願い
   ・事前申し込み:不要、どなたでも歓迎します

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2009年10月25日 (日)

西谷文和 アフガン取材(8)

カンダハールにて その1
2009年10月16日 12:23 nishitani 

10月13日早朝にホテルを出てカブール空港へ。カンダハール行きの便を待つ。乗客は地元民が圧倒的。3、4年前まで、地元の人々はカブール~カンダハール間を車で移動するのが一般的であった。しかし道中がかなり危険になったので、人々は移動手段として飛行機を使わざるを得なくなった。地元民に混ざって、民間軍事会社の社員がチラホラ、そして私が数少ない外国人である。
約50分のフライトでカンダハール着。機内で着陸の模様を撮影していたら、「フィリピン人か?何を撮影している?」と若者が近寄ってくる。適当に答えていくが、ちょっと不気味。おそらくビデオカメラが珍しく、好奇心だけで聞いているのだろうが、「こいつがタリバンの内通者だったら」と思うと、うかつには会話できない。
空港にはISAFとアフガン軍の軍用ヘリ、米軍の戦闘機がズラリ。ここは軍事空港で、私たちが乗る民間機は「間借りさせてもらっている」状況なのだ。
空港を出る。通訳のイブラヒームがランドクルーザーの運転手となにやら話している。全て民間軍事会社の社員を運ぶためのランクルで、乗せてはもらえなかった。
バスに乗ってカンダハール市内を目指す。地元市民で満員のバスに乗る。
「誰も信用するな。市内に着いたらさっとタクシーを捕まえよう」とイブラヒーム。彼自身もかなり緊張しているのが分かる。
空港と市内を結ぶ道路は一本道で、米軍やISAFの戦車とかなりの頻度ですれ違う。カブールよりも数倍の兵士がここに来ている。

タクシーに乗り換え、「市内で最高のホテルに行け」とイブラヒーム。カブールでもそうだが、最高級ホテルはそれなりに警備がしっかりしていて、国連職員やジャーナリストが宿泊している場合が多い。相対的に安全である。
コンティネンタルゲストハウスへ。玄関に警備員が数名いて、バーの上げ下げで中に入れる仕組みになっている。このホテルが正解だ。
ホテルの中には、やはり民間軍事会社の社員たちがたむろしていた。屈強な体にスキンヘッド、そしてサングラス。なぜかみんな同じようなスタイルである。違いがあるとすれば肌の色が白いか黒いか。

ホテルで遅い昼食を取り、市内で最も大きいミルワイズ病院へ。連日のように空爆と銃撃戦、そして仕掛け爆弾(IED)による爆発が起こるので、この病院は戦争被害者で一杯だ。
外科病棟集中治療室へ。包帯ぐるぐる巻きの患者。仕掛け爆弾の被害者である。彼の左側で爆発があったらしく、左半身に破片が入っているようだ。人工呼吸器につながれてはいるが意識はある。

銃撃戦の流れ弾が貫通した7歳の子どもがいる。タリバンに撃たれたようだが、「誰に撃たれたの?」と父親に聞くも「犯人は分からない」。もし米軍に撃たれたのなら「アメリーキー」と叫ぶ。しかしタリバンにやられた場合は、名指しでは批判しない。なぜか?私たちのインタビューを病室で聞いているほかの患者が、タリバンの内通者である可能性があるのだ。
もし「タリバンにやられた」と証言しようものなら、後にこの父親は攻撃される可能性がある。それほど市民の中にタリバン支持者が増えているということだ。

少年は目にうっすらと涙を浮かべ、赤いホースをくわえてブクブクと呼吸練習。銃弾が肺を貫いているので、呼吸練習をしないと肺がしぼんでしまうのだ。
「一日に平均20~30件、手術するよ。銃撃戦、IED、空爆…。もうクレイジーだよ。医師の数が足らないので、休む間もない。日本政府に望むこと?とにかく医師を増やしてほしい。患者の数が多すぎて手が回らないんだ」と外科部長。
外科部長との会話は英語なので、地元民は理解できない。タリバンに関する微妙な質問にも答えてくれる。部長は「あの少年はおそらくタリバンに撃たれたのだろう」と証言した。

この病院には大型フリーザーが数台配備されている。遺体安置冷蔵庫だ。米軍の空爆は山間部で行われる場合が多いので、田舎から患者が運ばれるが、なくなるケースが多い。親族が遺体を受け取りに来る間、遺体を冷蔵せねばならない。かくして巨大なフリーザーが配備されたわけだ。
その中の一つを覗く。ご遺体が並ぶ。フリーザーの門の前にはお棺を載せた自動三輪車。この戦争で「葬儀ビジネス」が繁盛している。

病院を出て市内へ。車の中からの撮影が主になるが、「これは!」というところでは車から出てピンポイント撮影。その中の一つ、オマル師のモスクが建設中でストップしている。タリバンの指導者であるオマル師が2001年に建設した自分の名を冠したモスクである。
ご承知のとおり、9・11事件後、米軍の攻撃でオマル師はこの街を追われたわけで、今はどこにいるか分からないのであるが、フセインが故郷のティクリートで捕まったように、案外、この街のどこかに潜伏しているのかもしれない。

自爆テロ現場へ。かなり巨大な自爆で周囲の建物がすべて破壊されている。犠牲者は100人を越える。トラックに爆弾を積めて突っ込んだようだ。明らかにタリバンの犯行なのだが、地元民は「米軍が空爆した」と言う。空爆なら地面に大きな穴が開き、その穴に雨がたまって池になるはずだ。爆発があれば全て米軍の仕業と考えているのか、周囲にタリバン内通者がいるので本当の意見を言えないのか…。

夕刻、ホテルへと急がねばならない。車の前には米軍の戦車。のろのろと運転しているので、渋滞する。と、突然ピカッと緑色の閃光。
「米軍は戦車に車が近づきすぎると、レーザー光線で威嚇するんだ。最初が緑、次は赤。それでも距離をとらずに走ると、容赦なく撃たれるんだ」。イブラヒームは数回、このレーザー光線の洗礼を受けている。

緊張の市内取材を終えて、ようやくホテルへ。夜は絶対に出歩けないので、ここで朝まで缶詰。ここにいるとカブールが「平和都市」に感じる。戦場の町では日が出ている時間が勝負。明日は早朝から避難民キャンプへ行こう。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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西谷文和 アフガン取材(7)

カンダハールから無事帰還
2009年10月16日 04:12 nishitani

3日間このブログを更新できなかったので、心配されていた方もおられたと思う。
実は激戦地カンダハールに行き、現地の戦争被害の実態を取材していたのだ。今は安全なカブールに戻ってきたのでホッと一息ついているところである。

カブールからカンダハールまで飛び、そしてカンダハールで一番警備がしっかりしているホテルに飛び込み、ピンポイント取材を敢行してきた。カブールから陸路でカンダハールに行くこともできるのだが、陸路で行くのはクレイジーだ。おそらく道中、攻撃されてしまう。

このブログにて公開しなかったのは、①外務省から厳重に「カンダハールには行くな」と、いやカブールから出るな、と注意されていたこと、②カンダハールでは外出するのが危険なため、ネットカフェにいけなかったこと、③できるだけ身軽に行動したかったのでノートパソコンを持参しなかったこと、などで物理的に更新できなかったのだ。外務省のみなさん、とりわけ在アフガン日本大使館のみなさん、すいませんでした。無事ですのでご安心を。

タリバンの拠点の町であったカンダハールは、今や再びタリバンの影が忍び寄っている。米軍の空爆があまりにも悲惨なため、また無実の人々が殺され、逮捕されているため、多くの人々が、ニュータリバンになっている。カンダハールの街中で取材していても、外国人は私だけ。非常に目立つし、長居は無用。さっと撮影し、さっと立ち去る。移動中は車の中から街の様子を写す。市内を歩いているとき、こちらから「サラーム(こんにちは)とにこやかに挨拶しても、挨拶を返さない人もいる。カブールとは違う。もともと親切だったであろう人々が、怒りのために暗い表情になっている。

すべての外国人はこの街から出て行け!」というタリバンのメッセージが、じわじわと普通の人々の中に浸透しているように感じる。しかしひとたび話してみると、「日本から来たのか?俺は日本が大好きだよ」と、温かく迎えてくれる人も多い。疑心暗鬼。とっても親切な人に見える一方、この人がもしかしたら足り晩と通じているかもしれない…と感じるのも事実である。

カンダハールはほぼ100%の住民がパシュトン人で、どうみてもタリバン的な格好をしている。私の中に変な先入観が植え付けられているのであろう、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とでもいうべきか?

今回、カンダハール行きを敢行したのは、通訳のイブラヒーム。彼がいなければカンダハール行きはなかった。イブラヒームと熟慮し、今ならいけるだろうと判断したのだ。

今後米軍の空爆が激しくなれば、二度と行けない街になってしまうかもしれない。それほど微妙な情勢だ。
とりあえず肉体的にも精神的にも疲れたので、詳細については後日報告する。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月23日 (金)

西谷文和 アフガン取材(6)

避難民キャンプに食料と毛布を配る
2009年10月13日 00:26 nishitani |


写真はカブール郊外、チャリカール避難民キャンプ。トラック2台に満杯の食料と毛布を配った。避難民たちは「日本への感謝」を込めて、アラーの神に祈ってくれた。

10月12日、今日はかねてよりの課題であった、「避難民キャンプへの物資援助」を行う。本日より通訳をイブラヒームに交代。イブラヒームはここアフガンの女学校で英語を教えていただけあってクリアーな英語、そして人道支援への熱いハートを持っている頼れる男だ。

イブラヒームとカブール下町で援助物資の買出し。米、小麦、油、砂糖、大豆、お茶をそれぞれ10キロ100袋分。これをトラックに詰め込むだけで2時間かかる。さらに毛布200枚、カーペット200枚を別のトラックに詰め込む。これだけの分量を避難民に配るわけだが、飢えている避難民たちにいきなり配ろうとすると、絶対に彼らはパニックを起こす。あらかじめ、連絡先を入手しているワキール(娘がゴルジュマちゃん)に連絡し、列を作って待つように指示。念のため、地域の警官二人をパニック防止のため臨時雇用。
満を持してキャンプへと向かう。

午後3時、キャンプ到着。キャンプの責任者たちが私たちを待っている。「騒ぐな!」「並べ!」と怒鳴りつつ、何とか列を作らせる。
まず食料の配布スタート。整然と受け取ってくれる。その後毛布とカーペット。首尾よくいっていたのだが、終盤、食料と毛布がなくなりかけたときに、やはりパニック。大声で叫びながら避難民と警官が取っ組み合いのけんかをしている。
警官が避難民を警棒で殴り、事態が収拾。

事態を遠くから眺めていた私は、「また避難民が無理なことを言ったのかな」と思っていた。しかし事実は全く逆だった。残り少なくなった食料と毛布を、警官が「これは俺の家族の分だ」と、避難民に手渡さなかったのだ。
この国では警官への給料が極めて少ないので、色気を出した警官が物資をかすめ取ろうとしたのだ。これでは何のために警官を雇ったのか分からない。でもこれがアフガンの現実なのだ。
日本的感覚で「公務員がワイロにまみれている」というのはたやすい。しかしたかだが150ドル(約15000円)の月給で10人程度の家族を養わねばならない警官も、また必死だった。
もちろん避難民たちはその150ドルも得ておらず、さらに悲惨な生活である。しかし「お前ら、ちゃんと仕事をしろ!」と、警官2人を叱責できなかったのもまた事実である。

一通り物資を配った後、何人かにインタビュー。
「日本のみなさん、ありがとう。アッラーの神が日本のみなさんを守ってくれるでしょう」と、避難民たちはお祈りしてくれた。
本日配布した食料、トラック一杯分は、この避難民キャンプの人々の、およそ10日分でしかない。毛布はこの冬を越すために重宝されるだろう。

「冬のカブールはものすごく寒い。氷点下20度まで下がる。毎年一つの避難民キャンプで50~60人の子どもが死んでしまう。この毛布は、何人かの子どもの命を救うだろう」とイブラヒーム。真冬の1月までに、ストーブと灯油が必要とのこと。死と隣り合わせの避難民キャンプに、国連も政府もNGOも、何の援助もしていないのはなぜだろうか?

以上が本日の行動内容である。明日からしばらくネット環境が悪くなりそうなので、このブログはしばらくお休みである。できるだけ早く発信できることを願う。みなさん心配しないでブログ復活を期待されたし。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月22日 (木)

西谷文和 カブール取材(5)

カブールを電撃訪問した岡田外相に密着

2009年10月11日 20:51 nishitani

カブール市内の小学校を訪問した岡田外相。「日本のこと知ってる?」と子どもたちに気さくに話しかけていた。
10月11日、本日は岡田外相がカブールを電撃訪問する日である。午前10時、アフガン外務省前でスタンバイ。待つこと30分、兵士を乗せたピックアップトラックに続いて黒塗りの車が数台。その中の一台からテレビでおなじみの岡田外相が登場。いっせいにフラッシュがたかれ、SPと日本大使館員と私たちカメラマンが先を争って外相の後を追う。
日本・アフガンの両外相が握手したところで、「カメラは外へ出るように」との指示。

外へ出て次なる外相の訪問先を訪ねる。カルザイ大統領府に行き、その後地元の小学校を視察するとのこと。
地元小学校で岡田外相を待機。

午後1時半、やはり数台の黒塗りカーとともに外相が登場。小学校の正門には歓迎の花束を持つ教師と生徒。その中を外相が「やぁやぁ」と入ってくる。やはりいっせいにたかれるフラッシュ。「カメラ、移動してください」と大使館員が叫ぶ。岡田外相にぴったりくっついているのはおそらく「コントロールリスク」という民間軍事会社の警備兵。

混雑の中、外相は一教室ずつ丁寧に回る。「コーラン読めるの?読んでみて」とのリクエストに、朗々とコーランを読み上げる子ども。「教科書は足りているの?」との問いには、「教科書はあります。でも教室が狭いんです。それに夏は暑いし冬は寒い」などと答える子どもたち。「日本ってどこにあるか知ってる?」との問いには、多くの子どもが首を傾げる。

ひとしきり小学校を視察した外相は、風のように黒塗り車で去っていった。
わずか4時間程度の滞在であったが、現地を見ないよりは見たほうがずっと良い。忙しい中、そして危険を顧みずカブールを訪れた外相。これも政権交代の成果なのだろう。

インド洋の給油に代わる民生支援。それはおそらくこうした小学校への援助や病院、農業、女性の自立など、一般の人々への支援であるはずだ。一刻も早く米軍への給油をやめ、こうした民生支援に切り替えるべきである。岡田外相がそうした「チェンジ」の旗振り役になってくれることを願う。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月21日 (水)

西谷文和 アフガン取材(4)

豪華マンションとテント生活
2009年10月11日 01:03 nishitani 
パルワンドゥー避難民キャンプから豪華マンションを望む。戦争によってアフガン人の格差が広がっている。

10月9日、カブール市内のあちこちに豪華なショッピングセンターやきれいなマンションができているので、その復興ぶりを取材。カブール・シティー・センターには7階建てのビルができていて、入り口には金属探知機。それを抜けるとエスカレーター。2階へ上がると、ジュエリーショップ、コンピューターショップなどが並ぶ。こうした光景だけを見ると、アフガンは着実に復興しているように見える。

カブール・シティー・センターから大通りを車で走れば、道路の両サイドには建設中の建物がズラリ。洒落た建物が並ぶ地区があったので、車を止めてこのビルは何かと訪ねる。

私立大学とマンションであった。まぶしいくらいの日差しを浴びてきらきらと輝く出来たてのビル。そのビルの横には薄汚いテントが連なる。

「パルワンドゥー避難民キャンプ」には約500名ほどの人々が生活する。このキャンプができたのはほんの数ヶ月前。全てがパキスタンからの帰還難民である。
旧ソ連の侵攻で、隣国パキスタンに逃げたアフガン人たち。パキスタン、ペシャワールでの難民生活は20数年に及んだ。
「アフガンは平和になった。もうここにいる必要はない」とパキスタン政府が難民たちを故郷アフガンへ追い立てた。仕方なく、彼らは帰還した。しかし彼らの家はすでになかった…。写真をご覧になれば分かるように、この貧富の差を生み出したのは、30年に及ぶ戦争である。

アフガン復興費にいち早くありつき、うまくドルをせしめた人々は豪華なマンションに住む。戦争で家を奪われた「流浪の民」は、テントで生活し、この冬を乗り越えられるかの瀬戸際にいる。そしてやはりこの流浪の民たちに、国連や政府の援助はない。
アフガンの冬は寒い。この避難民キャンプにも食料と毛布が必要だ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月20日 (火)

西谷文和 カブール取材(3)

ゴルジュマちゃんとノーベル平和賞
2009年10月 9日 22:16 nishitani

10月8日に発生した自爆テロ現場取材後、カブール郊外のモジュリーン避難民キャンプを再訪する。6月に軽トラック一杯分の食料を配布したところだ。今回は①今一番何が必要か②パニックにならずに全ての避難民に届ける方法は?という調査と、③新たな犠牲者の取材、である。

前回同様、キャンプに入るや否や、「俺の家族は満足に食事できていない」「母親が寝込んでいる」「うちのテントにはまだ屋根がない」など、黒山の人だかり。その中に「娘が空爆にあって重傷を負った」という男性あり。彼のテントへ。

ワキールさん(40歳)はヘルマンド州に住んでいた。一年前、「村にタリバンがいる」と米軍機がワキールさんの家を空爆、10人の家族を失った。
その爆撃で9歳の少女、ゴルジュマちゃんの左腕がもぎ取られた。彼女は1ヵ月半入院し、肩の部分から左手を切断した。
「学校には行っているの?」「うん」と恥ずかしそうにうなずく。右手には腕輪が数個。失った左手の分まで腕輪をはめているのだろうか。
「勉強は楽しい」と聞くも、小さな声で「うん」とうなずくのみ。父のワキールさんが「学校には喜んで行っているよ」とフォロー。
学校といっても、UNICEFと書かれた大きなテント。そこで文字を習っているのだ。将来は先生になりたいと語る彼女。10人の家族と娘の片腕を失ったワキールさん一家に、米軍の補償はない。誰がタリバンで、誰が普通の農民だったか、についての調査もない。
「殺され損」「やられ損」である。ゴルジュマちゃんの片腕を奪った米軍。その米軍を指揮しているオバマ大統領に、本日ノーベル平和賞が出た。なんというブラックジョーク。
通訳は「ノーベル戦争賞がふさわしい」とつぶやいた。

実は本日は、私の娘の命日である。彼女は18トリソミーといって、先天性の遺伝子異常で、心臓に穴が開いて生まれてきた。娘が死んだとき、私たち家族は悲嘆にくれたが、ワキールさん一家の嘆きは、いかばかりであっただろうか。
ゴルジュマちゃんは目のパッチリした美人なので、父親は、彼女の結婚式を楽しみにして育ててきたという。こちらの結婚式は派手で、一族の名誉がかかっているのだ。
そんな家族の幸せを一瞬にして奪ってしまった空爆。オバマ大統領へのノーベル平和賞は偽善の塊である。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月19日 (月)

西谷文和 アフガン取材(2)

ホテルのすぐそばで自爆攻撃発生
2009年10月 9日 03:01 nishitani

10月8日、午前8時半に社民党の阿部、服部議員が宿泊するセレナホテルへ。ホテルの受付で両議員を待っていると、共同通信の記者から電話。私の宿泊するムスタファホテルのすぐそば、内務省とインド大使館の間の路上で自爆テロがあったとのこと。

あわててホテルへ戻り、テロの惨状を取材。ムスタファホテル前には警官がたくさん張り付いていて、「入るな!」と怒鳴っている。「俺はこのホテルに泊まっている、入れろ」と気合で進入。ホテル屋上から自爆テロ現場を撮影。

現場は軍と警察ががっちりガードしていて近づけない。

仕方なく犠牲者が運ばれた病院へ急行。病室の床に血がこびりついていて、看護師の制服には血のあと。包帯を巻いた患者がうめきながら治療を受けている。
この時点で死者4名、重軽傷者64名と発表されていたが、その数字は時間ごとに増えていき、このブログを書いている時点で、死者13名、重軽傷者85名に膨れ上がった。
明後日に大統領選挙の正式な結果発表がある。第2期カルザイ政権誕生に不満を持つグループの反抗だろうか、それともインドに敵意を燃やすパキスタンの情報機関が絡んでいるのだろうか…。

本日は4箇所の病院を回り、その後避難民キャンプの取材をするのだが、私の宿泊するムスタファホテルが危なくなったので、内務省から少し離れたホテルに移動することとなった。
自爆攻撃は発生したが、事態はすぐに静まり、カブールの人々は普段どおりに行き交っている。自爆になれたのだろうか?それとも30年も戦争をしていれば、これが普通の状態なのだろうか?
考えてみれば太平洋戦争末期の日本も同じような状況だったのかもしれない。心斎橋が燃やされていても、梅田の人々は普通に生活していたのかもしれない。

今日は社民党・民主党3名の議員が帰国される前夜に加えて、ホテルを変更した。バタバタしているので、ブログはいったんここで中断する。カブールの危険度は多少上がったように感じるが、まぁ普通に過ごしているので、心配せず、帰国するのを待っていてほしい。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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2009年10月18日 (日)

西谷文和 アフガン取材(1)

なんと一日でカブールまで到着
2009年10月 8日 01:50 nishitani

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10月6日ドバイへと出発の日、地元吹田で寿司を食べる。回っている寿司ではなく止まっている寿司である。しばらく飲めないであろう日本酒をしこたま飲んで、にぎり寿司に舌鼓。午後8時、関空へと向かう。愚妻の運転で阪神高速環状線に出たとき、胸ポケットがいつもより軽いのに気が付く。
「パスポートは?」あわてて胸ポケットをまさぐるも、ない。

あわてて寿司屋と家に電話。なんと我がパスポートは家の机の上。息子にパスポートを駅まで持ってこさせて、再度吹田から関空まで車をすっ飛ばす。うまい日本酒も大トロのとろける味も吹っ飛んで、関空到着が10時過ぎ。何とか間に合い機中の人となる。
「慣れてきた頃に油断するんや。これを教訓に慎重に取材してや」。愚妻の言葉に一言も出ない。
10時間のフライトでドバイ到着。すぐにアフガン行きのチケットを購入。ラッキーなことに待ち時間ほとんどなしで、3時間のフライトでカブール着が午前9時半。
あっという間にカブールまで来てしまった。

3ヶ月ぶりのカブールは、明らかに街の様子が違っていた。まずコンクリートの壁が増えた。自爆攻撃を防ぐための要塞である。そしてイラクでも見かけたのだが、不気味な無人飛行船が上空にプカリ。米軍が市民生活を監視するために24時間飛ばしている監視船である。

前回と同じくムスタファホテルに宿泊。その後国連の「選挙監視センター」へ。大統領選挙に不正があったという疑惑を、このセンターで調べて票数を再カウントしている。大きなドームに、多数の選挙箱が積み上げられている。ほとんど全ての「疑惑票」が調べられていて、10月10日に結果が出る予定。かくして8月20日の大統領選挙結果が決着するところまでこぎつけた。あさって10日の発表が楽しみだ。
次にカブールの自爆テロ現場へ。ここは空港からの一本道で、周囲は商店街が広がる大通り。ここでイタリア軍を狙った自動車爆弾が炸裂。イタリアの兵士と市民多数が殺傷された。爆発はかなり大規模なもので、商店街は広範囲に破壊されている。

「俺の息子が死んでしまった、この写真を見てくれ!」とおじいさん。犯人はタリバンだといわれているが、おじいさんは「外国軍が居座るからだよ。米軍もタリバンも同じ犯罪者だ」と嘆く。

夕刻、現地視察に来ている社民党の阿部議員、服部議員と面談。インド洋の給油に代わる民生支援のあり方を調査するため、現地に来られたのだ。あらためて政権が交代したことを実感する。なぜなら自公政権では給油が延長されていただろうし、「危険」といわれているカブールに滞在し、現地調査する議員も出てこなかっただろうと思うからだ。しかし現地を見て見ないと本当の支援のあり方は分からないわけで、こうした国会議員の体を張った調査活動は貴重なものだと思う。

明日は01年にアフガン戦争が始まってからちょうど8年目に当たる日である。明日もきっちりと取材したいものだ。

「イラクの子どもを救う会」より転載

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領海3カイリ

米艦の通航優先し領海を制限 元政府代表証言、核も念頭

 日本政府が津軽など重要5海峡の領海幅を狭く設定していた問題で、領海の12カイリ(約22キロ)制度が確立する第3次国連海洋法会議(1973~82年)で政府代表を務めた小田滋・元国際司法裁判所(ICJ)裁判官(84)は17日までに、領海の3カイリ(5・6キロ)制限は、米軍潜水艦を自由に通航させるための措置だったと証言した。

 冷戦時代に日本領海を通過・寄港した一部潜水艦は核兵器を搭載しており、小田氏は核持ち込み問題も念頭に置いた政策決定だったと指摘した。小田氏が、米軍潜水艦の自由通航を優先した経緯を著書で明らかにしようとした際、外務省が真相公開を阻止していたことも分かった。

 この問題では、核戦争計画にも参加する潜水艦通航への支障を恐れた軍の意向を反映し、米政府が津軽海峡などの領海を拡幅しないよう対日圧力をかけた実態が米公文書で分かっており、証言はこれを補強している。

 小田氏は共同通信とのインタビューで、77年施行の領海法で日本が領海12カイリを採用しながらも、5海峡を「特定海域」とし、領海幅を3カイリに据え置いた理由について「(米軍の)潜水艦を通してやりたい」からと言及。

 「(12カイリ領海にすれば)津軽海峡は日本の領海になる。だから、日本が『核の持ち込みを認めない』『(領海内は)潜水艦を必ず浮上させる』と言うためには、12カイリにしてはだめだ」と、世界的にも特異な日本の領海制限が決まった背景を指摘した。

 同氏によると、当時、津軽海峡全域が領海となれば、米潜水艦は浮上して航行しなければならず、こうした事態を避けるため、領海幅を据え置いた。

2009/10/17 16:35   【共同通信】

*******

海峡3カイリが、アメリカ軍のために公海をつくっていることは、いまさらの話ではない。常識のある国民なら、皆知っていることである。日本の国土でさえ、守れない自民党政権であったのだ。対日圧力の実態とは?闇の力も、ちらつかせてのことであったか否か・・・

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2009年10月17日 (土)

孫崎享 外交・安全保障(下)

核武装、敵地攻撃、ミサイル防衛

 日本国内では、強大になる中国、核兵器やミサイルをもった北朝鮮に対して、核武装論、敵地攻撃論、ミサイル防衛論など、軍事的に対応しようという見解が出てきています。これらの見解は、有効な安全保障政策にはなり得ません。

 相手から核攻撃されたら核報復するというのが核武装論です。相手国は核攻撃すれば核報復を受けるので、核武装が核抑止になるのは事実ですが、核戦争の覚悟をせざるを得ません。しかし、日本は国土が狭く、首都圏に様々な機能が集中しているため、核攻撃で壊滅的な打撃を受けます。一方、広大な国土と圧倒的な軍事力を持つ中国やロシアに壊滅的な打撃を与えられません。日本にとって、核攻撃の被害に相当する以上の意味が核武装にあると言えるでしょうか。

 敵地攻撃論について言えば、専守防衛の自衛隊にはその体系も能力もありません。また敵地攻撃は先制攻撃ですから、相手国は残りの総力をあげて反撃します。報復をさせないためには、相手国が北朝鮮ならば、すべてのテポドンを破壊しなければなりません。しかし、それは不可能です。したがって敵地攻撃論も有効な安全保障政策ではありません。

 ミサイル防衛で敵のミサイルを撃ち落とすができるのは、ミサイルが最高速度に達していない発射数分後以内か、着弾直前だと言われています。しかし、両方とも技術的に極めて困難です。米軍の訓練で成功するのは、ミサイルの発射時刻、場所、方角が事前に分かっているからです。そういう事前情報もなく、秒速数キロのミサイルを発射数分後に撃ち落とすのは不可能です。したがって、ミサイル防衛の真意は発射する前に攻撃すること、つまり敵地先制攻撃と同じです。
 日本の上空を通過して米国に向かう北朝鮮ミサイルの迎撃を可能にするため、集団的自衛権行使の憲法解釈を見直せ、憲法を改正せよという議論があります。しかし、地球は球形ですから、北朝鮮がニューヨークやワシントンをめざしてミサイルを発射したら、日本上空を通過しません。日本上空で守るということにはならないのです。地球儀で北朝鮮とニューヨークを糸で結んでみれば、すぐに分かります。憲法改正で集団的自衛権の行使を可能にし、ミサイル防衛で米国を守ろうとすれば、北朝鮮がミサイルを発射する前に攻撃する以外にありません。北朝鮮からすれば、日本のミサイル防衛は、北朝鮮に対する先制攻撃体制です。「防衛」とか「自衛」という言葉が使われていますが、実際にはきわめて攻撃的な目的を持っています。政治家などが真意を理解せず、集団的自衛権の行使が必要だと発言していることに大きな危惧を感じます。

最も有効な日本の安全保障政策

 軍事的な選択は日本の安全保障にとってプラスとなりません。しかもそれは莫大な費用を必要とし、国民生活を犠牲にして国家財政を軍事一辺倒にしなければ実現できないことです。軍事的選択がだめならば、日本はどうやって安全を保障していくのか。

 抑止力は軍事に限りません。経済の一体化、相互依存が重要だと思います。例えば、日本と中国の経済の相互依存、一体化が進んでいます。この状況の中で仮に中国が日本を軍事攻撃すれば、日中貿易は途絶え、年間10兆円規模の対日輸出がなくなります。日中貿易に関連する中国の企業、そこで働く中国の労働者は大変な打撃を受けます。そうなれば中国政府は政治的に耐えられないでしょう。つまり、日中間の経済的な一体感、相互依存を深めることが抑止効果を発揮し、戦争の危険を小さくするのです。したがって、北朝鮮に対しても、できるだけ早く国交を正常化して密接な経済関係を築くことが、最も有効な日本の安全保障政策です。

 これまでの安全保障の議論は、安保条約に賛成あるいは反対という政党やグループの既存の考え方で思考停止し、それぞれの組織内だけで議論する傾向が強くありました。今日、そうした枠を超え、事実を基礎にして、日本の外交・安全保障の問題を真剣に議論することが求められていると思います。

(文責・編集部)

「日本の進路」より転載

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2009年10月15日 (木)

孫先享 外交・安全保障(中)

強大な中国の登場

 中国が強大になりつつあります。今年中に、中国のGDPが日本と並ぶと言われています。日本経済研究センターは、10年~20年後の日米中のGDPを購買力平価で予測しています。それによると、中国のGDPは2020年に日本の4倍になり、米国やEU全体を上まわります。2030年には日本の5倍になります。中国の経済は地域格差や水資源問題など様々な問題を抱えていますから、予測どおりになるかどうかは分かりませんが、日本の数倍の経済規模を持つ国が日本の隣に登場することは確かです。

 強大な中国の登場は、明治維新以来のアジアに対する日本の対応のし方に、根本的な見直しを迫るものとなります。福沢諭吉が書いたといわれる「脱亜論」には、「日本はこれから西洋文明圏に入る」「我が心においてアジア東方の悪友を遮断するものなり」と書かれています。日本とアジアは違うんだ、アジアは悪い奴なので一緒にならないという考え方です。日本は、第二次大戦までは欧米列強と軍事力で肩を並べ、戦後はG7あるいはG8で先進国と並び、アジアとは違うんだと考えてきました。南アフリカでアパルトヘイト(人種管理政策)がまかり通っていたとき、他のアジア人やアフリカ人と区別して、日本人だけが白人扱いされました。日本人もそういう扱いに疑問を持ちませんでした。日本は中国を弱い国と見下して対応してきました。中国に円借款を出してやったのに、日本に礼を尽くさないのはけしからん、という意見も出ました。その中国が強い国として登場してきた今日、これにどう対応するのか、日本は問われています。

 ところが、日本人の考えはあまり変わっていません。知識階級の多くも、米国のニューヨークタイムスとかエコノミストの見解ばかり見て、中国が何を考え、どういう政策で日本に対応しようとしているか、ほとんど勉強していません。中国は毛沢東の時代、鄧小平の時代、江沢民の時代と変遷してきました。歴史認識問題が前面に出てきた時代もあり、中国の指導者が日本を批判して中国国内を安定させるという傾向がありましたが、最近はそうではなくなりました。胡錦濤主席や温家宝首相が「隣国と善を成し、隣国と伴侶を成す。隣国と睦まじく、隣国を安定させ、隣国を富ませる」と発言し、これが中国の近隣外交だと述べています。今の指導部は近隣諸国との友好を全面に出しています。財界の第一線級の人が「これからは中国だ」と話していました。しかし、日本では「敵対的な中国」という見解が支配的です。強大化する中国にどう対応していくのか、真剣に考えなければなりません。

核の脅威にさらされてきた北朝鮮

 核兵器やミサイルをもった北朝鮮への対応で、まず考えなければならないのは、北朝鮮が合理的な判断で行動しているのか否かという問題です。われわれとまったく違う発想をしているので、話し合う余地はないと考えるのか。それとも、北朝鮮は北朝鮮なりの合理的な判断で行動しており、北朝鮮との間で一定の相互理解があり得ると考えるのか。ここが重要なポイントです。

 なぜ北朝鮮が核兵器を保有したのかを考えてみる必要があります。世界で最も長期に、最も切迫して核兵器の脅威にさらされてきたのは北朝鮮です。マッカーサーが核兵器使用を主張した朝鮮戦争の時は、まさにそうでした。朝鮮戦争後も韓国の米軍基地に核兵器が置かれていました。ブッシュ政権の2002年には、北朝鮮の体制変換プログラムが実際の作戦計画としてありました。こういう状況の中で、北朝鮮が抑止力として核を持ちたいと考えるのは、安全保障の観点から見ると非合理的な考えではありません。
 われわれは通常、西側の観点で考えますが、北朝鮮からはどう見えるでしょうか。ガバン・マコーマックは、その著書『北朝鮮はどう考えるのか』(2004年)の中で次のように述べています。

 「米国にとり北朝鮮の核は過去10年ほど主要な問題であったが、北朝鮮にとっては米国の核の脅威は過去50年絶えず続いてきた問題であった。核時代にあって北朝鮮の独特な点は、どんな国よりも長く核の脅威に常に向き合い、その影に生きてきたことである。朝鮮戦争では核による殲滅から紙一重で免れた。米軍はその後、核弾頭や地雷、ミサイルを韓国の米軍基地に持ち込んだ。1991年に核兵器が韓国から撤収されても、米軍は北朝鮮を標的とするミサイル演習を続けた。北朝鮮では核の脅威がなくならなかった。何十年も核の脅威と向き合ってきた北朝鮮が、機会があれば『抑止力』を開発しようと考えたのは驚くことではない」。

 北朝鮮もそれなりの合理的な判断で行動しており、対話によって相互信頼を築くことができる相手と見ることができます。しかし、北朝鮮は存亡の危機を何度も迎えており、日本はその危機に加担する側にいるわけですから、北朝鮮から見れば日本を敵国と位置付けざるを得ません。したがって、日本に対する対応は厳しくなる。それに対応して日本の北朝鮮への対応も厳しくなる。結果的に相互対立のサイクルになっています。日本は一刻も早く北朝鮮との国交を持ち、北朝鮮が抱いてる敵対的な雰囲気をなくす必要があると思います。

 中国は近隣諸国との友好関係を重視して、北朝鮮との関係をできるだけ敵対的なものにしないように努力しています。ロシアや韓国も同様です。米国はブッシュ政権の前期には、きわめて北朝鮮に敵対的でしたが、現在の状況は、北朝鮮の対応によっては関係を回復してもいいと判断していると思います。北朝鮮から見れば、日本だけが敵対的な国となる可能性があります。日本はその点を気をつけなければなりません。

「日本の進路」より転載

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2009年10月14日 (水)

孫崎享 外交・安全保障(上)

日本の進むべき道

前防衛大学校教授・元外務省国際情報局長孫崎 享 氏
孫崎 享(まござき・うける)
1943年旧満州生れ。1966年東大法学部中退、外務省入省。
英国、ソ連、米国、イラク、カナダ勤務をへて、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。2002年より防衛大学校教授。この間公共政策学科長、人文社会学群長を歴任。2009年3月退官。
著書に『日本外交 現場からの証言』(中公新書)『日米同盟の正体』(講談社現代新書)など。

 日本は、外交・安全保障の問題を真剣に議論しなければならない時期に来ています。第一に、日米関係が、多くの国民が知らない間に、非常に大きな変貌をとげています。第二に、中国が10~20年後には日本の数倍という経済規模の国として登場します。第三に、ミサイルや核を持つ北朝鮮への対応が問われています。「事実は語る」を基礎にして、日本はどんな課題に直面しているのか、どう対応していくのか、真剣に議論しなければなりません。

日米同盟の変質

 日米同盟は1960年の日米安保条約が基本で、それが継続されていると、多くの国民は認識しています。しかし、2005年10月、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官が「日米同盟─未来のための変革と再編」という文書に署名し、安保条約が大きく変質しました。安保条約は1960年の改定時に国民的な大議論が起こりましたが、あの改定と比べても大きく変化したのに、真剣に議論されていません。大きく変化した点は2つです。

 1つは対象の範囲です。1960年の安保条約は「極東地域」に限定していましたが、「未来のための変革と再編」で「世界全体」に拡大されました。
 2つ目は理念の変化です。安保条約は前文で「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念‥‥を再確認」し、国連憲章を重視しています。国連憲章の重要な柱は、「主権の尊重」、「武力行使の抑制」です。ところが、「未来のための変革と再編」に国連憲章の理念は書かれていません。「日米共通の戦略」が強調され、「国際的な安全保障環境を改善するため」に武力を使うことになりました。差し迫った脅威に対抗するために認められた武力行使から、米国にとって望ましい安全保障環境をつくるための武力行使に変わり、これに日本が参画するということです。このような武力行使は、国連憲章や日本国憲法の理念と異なります。

 こんな重要なことが日米で合意されていることを、ほとんどの国民が知りません。政治家も米軍再編の問題という程度の認識で、日米同盟のあり方が根本的に変えられたという認識はありません。大手新聞も米軍がどう再編されるのかを紹介しましたが、この合意内容が持つ意味について解説していません。国民のコンセンサスがないにもかかわらず、世界全体で日本の自衛隊を活用することを米国と約束したのです。この約束にしたがって、自衛隊のあらゆる行動、作戦・運用、教育・訓練などが行われています。
 日本では「日米共通の価値観」が何の疑問もなしに語られてきましたが、日米間には大きな違いがあります。例えば、冷戦崩壊後の1993年当時、米国では「日本異質論」が盛んでした。背景にあったのは、日米間の激しい経済的利害の対立です。当時、CIA長官のゲーツ(現国防長官)は「CIA予算の40%は経済関係に向ける」と発言していました。経済関係とは日本のことで、当時の米国にとって最大の敵は日本で、安全保障のターゲットだったのです。

 日米間と同様に、米欧間にもかなり大きな違いがあります。米国は自分たちが正しいと判断すれば軍事力の行使を正義と考え、これに何の疑問も持ちません。他方、ヨーロッパや日本は第二次大戦の歴史を踏まえて、国際関係では軍事力を使わずに安全保障を構築しようと考えます。日米は「共通の価値観」を持っているという見解は誇張です。

 国家関係の基礎にあるのは利害関係です。米国自身が日本と共通の価値観を持っているとは考えていません。自国の利益で日本を使うための理屈として「共通の価値観」とか「共通の戦略」を出してきます。シビリアン・コントロールは、文民政治家が安全保障の問題をきちんと勉強していることが前提です。ところが日本の大学では安全保障の問題を研究していません。米国は戦後、再び日本を米国に対抗する軍事大国にしないため、大学で安全保障や軍事の研究をさせないようにしたのです。したがって、米国には戦略がありますが、日本にはありません。「共通の戦略」と言っても、常に米国が戦略を示し、日本がそれに同意するという関係が続いています。米国は日本をどう利用できるかを考えており、米国の戦略の真意は、日本への説明と異なります。

 例えばシーレーン防衛がそうです。日本への説明は、「中東に石油を依存する日本の海上補給路がソ連の潜水艦に攻撃される恐れがある」「従って、日本はP―3C対潜水艦哨戒機を大量に保有せよ」というものでした。だが、米国の真の目的はオホーツク海でソ連潜水艦を封じ込めることでした。「欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応する」という米国の戦略の一環でした。米国の戦略の真意を理解せず、表面上の説明をうのみして米国の戦略に利用されたのは、シーレーン防衛だけではありません。イラク問題やアフガニスタン問題も同様です。表面上の言葉に惑わされず、冷静に米国の意図を見抜くべきだと思います。

 最近出版された『日本防衛の大戦略』(日本経済新聞出版社)という著書の中で、リチャード・サミュエルズは次のように指摘しています。
 「日本は安全保障の範囲を拡大すべきである、という米国の要求がこれほど大幅で必要になったのはこれまでにないことであった。米国国防総省は日本の防衛を維持すると確約しているが、本土から離れた地域での緊急事態に日本が協力することを明確に期待している。在日米軍基地と日米同盟を世界的な安全保障の道具として利用するのは米国の明確な意思である」。

「日本の進路」より転載

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2009年10月13日 (火)

インド洋給油

アフガンは給油に強い思い持たず 首相が認識示す

 鳩山由紀夫首相は13日、岡田克也外相のアフガニスタン電撃訪問に関連してインド洋での海上自衛隊給油活動に触れ「アフガンが給油支援に強い思いを持っていないことが確認された」との認識を記者団に示した。

 政府はインド洋での海上自衛隊給油活動からは来年1月の期限切れでいったん撤退する見通し。今後の課題は関係国の説得となる。米国にとっては歓迎できない事態で11月中旬のオバマ大統領初訪日の際、重要議題になるのは確実。「現地の声」を踏まえ、米国とアフガン、周辺各国いずれもが納得できる支援策を打ち出せるのか、残された時間は少ない。

 岡田氏はアフガニスタンのカルザイ大統領に対して、職業訓練など民生分野を軸とした協力強化を表明した。会談後、岡田氏は「アフガン要人の口から給油の話はまったく出なかった」と説明。撤退了承と受け止めた。

 給油を受けているパキスタンの立場は違う。ギラニ首相は単刀直入に給油活動延長を要請。岡田氏はクレシ外相に(1)民主党はこれまで国会で給油に反対(2)継続には立法措置が必要(3)連立与党の社民党が強く反対―と、継続の難しさをこんこんと説明。クレシ氏は黙って聞くだけだった。

2009/10/13 19:28   【共同通信】

********

自衛隊の給油を受けたアメリカの爆撃機が、どれだけ、アフガンの市民を殺し傷つけてきたことか。殺された人たちに繋がる人や家族の思いを、いくら、カルザイといえども無視するわけにはいかないだろう。給油を続けてくれとは言えないだろう。当然のことである。

アメリカでは、アフガンへの攻撃に反対する人々が半数を超えてきている。デモも起こしている。 これからも反対の声は、増え続けるだろう。日本政府は、はっきりと継続はしないと、アメリカに対しても言わなければならない。これ以上、アフガンの人々を殺すことに、私は、日本の国民として加担したくない。

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2009年10月12日 (月)

上関原発計画 署名

近隣に住む子育て中の母親たちが中心となって、下記のような内容で、10月20日、中国電力に申し入れに行くことになりました。

つきましては、申し入れ書に対する賛同連名を募集したいと思います。

賛同してくださる方は、10月15日までに、世話人(吉岡) sumire-yucca@mx51.tiki.ne.jp まで、ご住所とお名前をメールしてくださいますよう、
お願いいたします。

また前回は、思いがけず300人近い、多くの方の賛同をいただき、心より感謝しております。

(以下、申し入れ書)

中国電力株式会社御中

上関原発計画についての申し入れ

2009年10月20日
未来につながる生命(いのち)を育てる会
世話人 吉岡すみれ

上関原発計画、そしてそれに関わる埋め立て工事についてお願いがあります。

わたしたちは、子育て中の母親を中心とした、未来につながる生命にとって大切な環境を守っていきたいと思う市民です。わたしたちの子供たちだけでなく、未来の子供たちが安心して遊び、暮らせる環境があること、それこそがわたしたちの一番の願いです。

わたしたちは、子供のころから電気のある暮らしを享受してきた世代ですが、現在は環境のことを真剣に考えていかなければいけない現実に直面しています。
子供や孫など先の世代のことを考えると、電力や自然環境のことも、人任せにせず、自分のこととして考えていかなければならないと思うようになりました。

貴社による原発計画は、27年前から祝島や近隣住民などの反対により、予定が進まず、このままできないものと安心していました。ところが、去年になって急に計画が
進められ、また、貴社による埋め立て工事に関わる住民との対立に、不安や不信感が高まり、心を痛めています。

反対派の住民や、希少動植物を含めた予定地の環境の中で生命を育む存在は、会社にとって邪魔な存在というような姿勢、わたしたちの暮らしや環境を誠実に考えていない
かのようにみえる態度に、わたしたちは悲しい思いをしています。

わたしたちは、下記のことを不安や疑問、希望として思っています。

(原子力発電所についての上関町以外の近隣住民の意向)

現在、上関町のみが原子力発電所の是非について、問われていますが、原発の影響は、広範囲に及びます。

稼働中、排気筒と排水口から出る放射能や薬物は微量であると言われるかもしれませんが、原発近くの海域で魚などの大量死や、奇形が見られるという話はよく聞きます。

また、原子力発電は、原子炉で作られた熱の2/3も海に捨てられるそうですが、たとえ発電時にCO2を出さないとしても、地球温暖化を助長するのには変わりがないと思われます。

さらに、各地の原子力発電所は、度々、トラブルが見つかり、その度に放射能が漏れだしていることもしばしばです。また、今後起こりうる地震の規模は予測がつきません。

わたしたちの毎日の食卓には、農作物や海産物・畜産物などの食材を使った食べ物が並びます。

地産地消を唱えられている今、地元の食材を使うことが多いのです。それなのに、原子力発電所が近隣にできることになれば、放射能で汚染された可能性のある食材を食べ続け、内部被ばくする可能性があるという不安を、常に抱えることになります。

いくら、事業者である貴社から人体や環境への影響はない、杞憂であると言われても、何の保証もありませんし、放射能は蓄積され続けるものであり、不安が払しょくされることはありません。

予定地は豊かな自然に恵まれた、活断層のある地盤の弱い入江であり、原発のこと、現地のことを知れば知るほど、この計画は、わたしたちにとって、利益より環境や人体・
農業・漁業・観光・経済などに与えるダメージの方が大きいものと思われてきます。

(子供や妊婦の健康被害:小児ガンや小児白血病について)

原発周辺の子供は、ガンや白血病にかかりやすいとききます。

ドイツ政府の行なった研究により、原発の立地周辺で5歳以下の子どもが白血病にかかるリスクは、原発と居住地の距離が近いほど増加することを、はじめて
科学的に立証したものとなったそうです。また、アメリカの研究機関の発表では、原子炉閉鎖で乳児死亡率が最大で54・1%も激減したそうです。

そして、万が一、事故が起こった場合、放射線の被害をもっとも敏感に受けるのは、幼い子供や妊婦であり、原発のある地域では、事故時に被ばくした子供が甲状腺がんになるのを防ぐため、事故直後に服用するヨウ素剤という薬が配備されるそうです。(しかし、
そのことは上関原発予定地の近隣に住む住民の間でも、あまり知られていません。)

わたしたちはそんなリスクを、原発が稼働する50年間、子供たちに背負わせたくありません。わたしたちが子供のために望む環境は、原発のない、そのままの自然です。

(自然エネルギーへの転換)
今では、様々な自然エネルギーの技術が存在します。

貴社は、日本は資源がないと宣伝しておられますが、自然エネルギーに恵まれているのではないでしょうか。太陽光・風力・水力・地熱など、様々な自然エネルギーを
利用した発電方法があり、その土地の持つ特色にあった、なおかつ、その土地の環境を極力壊さない発電をわたしたちは望んでいます。

例えば周りを海に囲まれたデンマークでは、洋上風力が盛んです。

豊富な川の水があるブータンでは、ダム型でない小型水力発電により、電力不足に悩むインドへ売電するほどだそうです。地震が多く自然に恵まれた日本には、原発でない、日本に適した他の発電方法が求められていると思われます。

(今回のブイの設置について)

貴社は10月7日午前7時に、別の港に用意しておいたブイを2基、予定地沖に設置し、海の埋め立て工事に着手したと発表しておられます。

中電上関原子力発電所準備事務所は「作業を安全かつ確実に進めるため、今回の手法を取った」と説明されています。

その行動や説明からは、住民の意思より作業優先の考えがはっきりと示されていて、住民の理解を求めている姿勢であるとはとてもいえません。

今回の一件は、正当性を疑われても仕方のない行為だと各社の報道を見て思いました。

話し合いの場がもたれないままの、突然の計画的な作業の仕方に、わたしたちは貴社がなぜそんなことを決行されたのが、まだ信じられない思いで衝撃を
受けています。

わたしたちはこれ以上、この上関原発問題で心を傷つけられる人が増え、貴社と住民との間に対立の溝が深まることを望みません。禍根が残らぬよう、一日も早い、話し合いの場をお願いします。

以上

以下に、要望と質問事項をまとめました。

・田名埠頭での夜間の作業は、一刻も早く中止し、せめて本来、周知されていた日の出から日の入りに変更してください。

・2008年10月に県知事より出された「上関原子力発電所計画への適切な対応について(要請)」という文書に「事業者においては、特に原子力発電所の安全性、信頼性の確保ということを大前提に、上関原電計画について、地元はもとより、県民の理解を得るための努力をつくすこと。」という文言があります。もっと、住民理解を得るために努力が必要なのではないでしょうか?

・理解を求める上で、今後、貴社と祝島などの人たちが話し合う場が必要になると思われますが、具体的にどういう形で実現されるおつもりでしょうか?

・どうか、会社の利益だけでなく、人としての道義も大切にしてください。

・わたしたちはこれ以上、対立が続くのを望んでいません。どうか、人道的な対話をお願いします。

・山口県民、また近隣の県の住民の思い、考えも尊重されるべきではないでしょうか?

・原発の危険性についても近隣の住民への説明をお願いします。わたしたちは、一方的に原発を美化しない、公正な宣伝・広告も求めています。

・もし貴社がおっしゃるように原発が安全なのであれば、なぜ電力を多く使う都会に作らないのですか?

・原発が安全であり、人体や環境などへの影響が軽微であるということが本当であれば、なぜ、125億5千万円という多額の漁業補償契約が必要だったのですか?

・排気筒は150mもの高さがあるそうですが、なぜ、そんな高さが必要なのでしょうか?

・排気筒と排水口から空と海に出た放射能は、大地と海に蓄積されていくのではないでしょうか?

・わたしたちが食べるものが、放射能に汚染されていた場合、内部被ばくする可能性があるのではないでしょうか? 風評被害の恐れはありませんか?

・子供たちが小児白血病と小児がんになる可能性について。

・わたしたちは、消費者として、原子力発電による電力でなく、自然エネルギーによる電力を求めています。

以上

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ガザ シンポジウム

みなさま、
京都の岡真理です。

ガザについてのシンポジウムのご案内です。

一方的な破壊と殺戮に見舞われたガザ。あれから10ヶ月がたち、メディアでもガザのことはもう、報道されません。
今、現地はいったいどうなっているのでしょうか?

このたび、JVC(日本国際ボランティアセンター)が、ガザのNGOで活動するパレスチナ人スタッフ3名を日本に招聘します。その3人を京都にお招きし、京都大学でシンポジウムを開催いたします。

ガザからパレスチナ人が出国するのは、決して容易なことではありません。そうした困難のなか、現地の声を届けに、はるばるやって来てくださる方々です。

現地の状況、何がこの人道危機をもたらしたのか、そして、私たちはこの事態にいかに向き合うのか・・・。
彼らの肉声に耳を傾けたいと思います。

貴重な機会です。ひとりでも多くの方のご来場をお待ちしております。

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
       シンポジウム in  京都 10/15(木)     
           
               ガザ
         ~ 人道危機を越えて ~

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

2008年暮れから3週間にわたって激しい軍事攻撃を受けたパレスチナ・ガザ地区。
子どもを含む1400人以上が犠牲になりました。
この地域は40年以上イスラエルの占領下にあり、攻撃以前から完全封鎖のもとにおかれ、現在にいたるまで、水、電気、医療、栄養など生活に必要なあらゆるものが不足した
生活を強いられています。

この地で暮らし、医療や子どもの支援に携わるパレスチナ人3人をお招きし、お話をうかがいます。攻撃の中で彼らが感じたこと、平和への願い、そして日本に生きる私たちに彼らがもっとも訴えたいこと・・・。
人権を奪われ、尊厳を否定され、理不尽さの中で生きながらも、前向きに行動する
3人のお話をぜひ、聴いてください。
_________________________

■プログラム■(通訳あり)

<第1部>
基調講演 『ガザの現状:続く危機』
モナ・アブラマダン

<第2部>
コメント1 イテダル・ハティーブ
コメント2 ムハンマド・スカフィ
ディスカッション ファシリテーター:岡真理
_________________________

■スピーカー紹介■

●モナ・アブラマダン 
子どもたちの栄養失調を防ぐため、幼稚園で鉄分強化牛乳と栄養ビスケットの提供を行っている。NGO「アメリカ近東難民支援会(ANERA)」のミルクプロジェクト責任者。

●イテダル・ハティーブ 
栄養失調児が通う栄養センターを運営し、栄養補助食の提供を行うほか、母親への栄養指導を行っている。NGO「人間の大地」代表。

●ムハンマド・スカフィ 
医師。ガザが軍事攻撃を受けた際に、医療の緊急支援の陣頭指揮を執った。
NGO「パレスチナ医療救援協会(PMRS)」緊急対応責任者。
_________________________

【日時】10月15日(木)18:30-21:30(18:00開場)

【会場】京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟 地下講義室
     地図 http://www.h.kyoto-u.ac.jp/access/

【入場】 資料代500円

==========================
【主催】 京都大学大学院 人間・環境学研究科(岡真理研究室)
     日本国際ボランティアセンター(JVC)http://www.ngo-jvc.net
【問合せ】  080-3848-7271(PJ21)
      日本国際ボランティアセンター(JVC)
      TEL 03-3834-2388  jvc-jer@ngo-jvc.net(藤屋)
==========================

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2009年10月10日 (土)

アフガン反戦行動へ

◎オバマ大統領への期待と失望を越えて━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
アフガニスタンでの戦争に対する米国民の意識の変化は、この9月19日にワシント
ン・ポスト紙とABCテレビの合同世論調査の結果として、「戦う価値がない」との
回答が51%と発表されたことに見られるとおりです。ロバート・グリンウォルド監
督の「アフガニスタン再考(Rethink Afghanistan)」の上映会は全米で10月8日
と9日の両日の予定だけでも40箇所に迫っていることから、この作品が現地で起こ
っていることを広く伝える上で力になっていると思われます。このような意識の
変化が目に見える形でホワイトハウス前に出現しました。Voters for Peace(平
和をめざす有権者たち)のニュースレターを紹介します。
〔前書と翻訳:向井真澄/TUP〕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※凡例: [訳注]
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平和勢力、ホワイトハウスでオバマ大統領の戦争に立ち向かう
2009年10月6日[米国での日付] Voters for Peace(「平和をめざす有権者たち」)のニュースレター

昨日、「平和をめざす有権者たち」は、ホワイトハウス前で行なわれたアフガニスタン戦争、拷問および軍事中心の米国の政策に抗議する平和団体の統一行動に参加しました。

およそ500人の人々がホワイトハウスまでのささやかなマーチと大統領官邸前での抗議行動に向かいました。警察が逮捕した人数は、「平和をめざす有権者たち」の平和プロジェクト執行部メンバーであるシンディ・シーハンとデイヴィッド・スワンソンを含めて61人にのぼりました。逮捕理由は、ホワイトハウス前の歩道から離れろとの警察の命令を拒んだことです。

この抗議行動は大手メディアの注目を集めました。本日発行のワシントン・ポスト紙はダナ・ミルバンクによる記事で、平和運動がオバマ大統領を批判し始めた動きとしてこのできごとを報じました。『「ブッシュ」を「オバマ」に、「イラク」を「アフガニスタン」に置き換えて..』とあります
http://votersforpeace.us/press/index.php?itemid=3112)。またCNNでも取り上げられました(http://votersforpeace.us/press/index.php?itemid=3111)。CNNは、シンディ・シーハンの逮捕に焦点を合わせており、平和運動がフラストレーションを行動に転換するときだ、という彼女の言葉を紹介しています。
これらはメディアによる報道の一部で、www.VotersForPeace.US にはそのほかの記事も掲載されています。

「平和をめざす有権者たち」としては、この行動を出発点として、米国民による、いっそうの広がりと力強さをもった反戦の取組みが全国各地で始まることを願います。オバマ政権と議会に、皆さんの声を届ける必要があります。8人の米兵がアフガニスタンで殺された後の月曜日に、ホワイトハウス報道官は、いくつかの選択肢が考慮されたが、アフガニスタンからの撤退はその中には含まれていなかった、と述べました。ギブズ報道官は、「撤退するという選択はないと思います。それははっきりしています。」と述べました(http://votersforpeace.us/press/index.php?itemid=3115)。

昨日のホワイトハウス前の行動に続いて、 どうか、皆さんも今日行動に立ち上がってください。オバマ大統領や地元選挙区を代表する上院下院議員に手紙を書き、脱出不可能な泥沼になる前にアフガニスタン戦争をやめろと要請してください。
http://salsa.democracyinaction.org/o/1312/t/4175/p/dia/action/public/?action_KEY=1490にアクセスしてください。

アフガニスタンに米軍が駐留している間、米軍を占領軍とする見方が日ごとに強まっています。そのことがタリバンを勢いづかせ、アルカイーダにとっては新兵募集のツールとなっています。アフガニスタンにおける軍事行動は米国の安全を脅かします。米国は、不毛で正当化不可能な戦争のために毎週何十億ドルもの借金をする余裕はありません。

オバマ大統領をはじめ、皆さんを代表する議員に対する書簡行動についてはhttp://salsa.democracyinaction.org/o/1312/t/4175/p/dia/action/public/?action_KEY=1490
にアクセスしてください。掲載されている文例を、昨日のデモに言及するなど、ご自分の考えを反映するように編集してください。

行動にうつしてくださってありがとうございます。

平和をめざす有権者たち
事務局長ケヴィン・ジース
VotersForPeace.us

参考サイト:Rethink Afghanistan http://rethinkafghanistan.com/

原文 Voters for Peaceのメイルによるニュースレター
Date:Tue, 6 Oct 2009 18:13:39 -0400 (EDT)
From:Voters for Peace <action@v...>
Subject:The Peace Movement Challenges Obama's War at the White House

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2009年10月 9日 (金)

普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地断念へ10・22緊急集会に参加を!

~普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地断念へ~

【緊急】(転送・転載歓迎)
===============================
普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地断念へ10・22緊急集会に参加を!
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
10・22‐23、沖縄の代表団が新政権へ訴えに来ます!
===============================
【名称】普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設の断念を求める緊急集会
【日時】10月22日(木)18:30~
【会場】星稜会館ホール
http://www.seiryokai.org/kaikan.html
東京都千代田区永田町2-16-2  電話03-3581-5650
東京メトロ「永田町駅」(有楽町線・半蔵門線・南北線)
東京メトロ「国会議事堂前駅」(千代田線)
東京メトロ「赤坂見附駅」(銀座線・丸ノ内線)
【発言】
沖縄県議会議員   沖縄県選出国会議員  基地の県内移設に反対する県民会議
各党代表  平和フォーラム  辺野古への基地建設を許さない実行委員会
【主催】基地の県内移設に反対する県民会議
【協力】フォーラム平和・人権・環境(電話03-5289-8222)
辺野古への基地移設を許さない実行委員会
★チラシを印刷できます。
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/09NNB/10.22emergencymeetingbill.pdf

【呼びかけ】
10月22日と23日の両日、沖縄県から「基地の県内移設を許さない県民会議」の代表団が上京してきます。日本政府に対して、普天間基地の閉鎖と辺野古への新基地建設中止を求めるためです。8月30日に行われた総選挙で、民主党・社民党・国民新党を基軸にした新しい連立政権が誕生しました。新政権の鳩山由紀夫・総理や、岡田克也・外務大臣は、普天間基地の辺野古移設を見直す考えを表明しています。

1996年に日米政府は、宜野湾市の中心部にある普天間基地の閉鎖と返還で合意しました。しかし基地の閉鎖・返還は、基地の県内移設を前提にするものでした。新たな基地の移設先とされた名護市・辺野古では、頭越しの合意に反対し、辺野古の自然を守るために、地域住民をはじめ多くの県民が参加する座り込み反対運動がはじまりました。こうした反対運動は、13年間にわたって基地建設を阻止してきました。

政権交代は、普天間基地の辺野古移設をとめる大きなチャンスです。しかし私たちは、連立政権の意向や日米政府の交渉に、全てを委ねるわけにはいきません。何よりも必要なことは、沖縄と本土を結ぶ民衆の力です。10月22日に代表団を迎えて、星稜会館で緊急集会を開催します。新基地建設を止めるために多くの方々に参加を呼びかけます。

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湯浅誠さんの講演

直前のご案内となり誠に申し訳ありませんが、是非ご来場ください。

湯浅さんの講演は、実践に基づき、平易な言葉遣い、分かりやすい引用等で誰が聞いても分かり易い内容です。
自己責任で語られる為政者の無責任に激しい怒りを向け、連鎖する子供の貧困、人が人として生きる尊厳にこだわりつづける方です。
朝日新聞で、今般の政権交代で、大臣にって欲しい人で、厚労大臣の一位になったエピソードもあります。



講演内容  「派遣村から見えたものと今後の課題」

日時     10月12日(月・祝) 午後1時半から

会場     県民文化ホール グリーンホール

会費     入場無料

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2009年10月 8日 (木)

ファルージャ - 隠された虐殺

2009年07月27日
ファルージャ - 隠された虐殺

2004年の4月と11月、米軍はファルージャに大規模な攻撃を加えました。白旗を掲げて出てきた老人を射殺し、妊婦を運びに出動した救急車に向かって発砲し、化学兵器を用い・・・、犠牲者は数千人に及ぶと言われています。2005年、イタリアのテレビ局RAIは、ファルージャで2004年に何が起きたのかを番組にしました。その紹介と映像へのリンク。古い情報ですが。

ファルージャ - 隠された虐殺
マーク・フェダーマン
2005年11月9日

ファルージャで2004年、本当は何が起きたのだろうか? イタリアのTVネットワークRAIが新たに製作したドキュメンタリーRAIは、イラクで米軍が民間人に対して大量破壊兵器(WMD)と、とりわけ化学兵器を使ったことを暴いている。

問題の兵器はMK77焼夷弾と呼ばれるようで、ベトナムにあまりに多くの恐ろしい死と破壊をもたらしたナパームの後継である。ナパームはその後、国連で禁止されたが、それとまったく同じおぞましい致命的な効果を持つ兵器を、異なる名前で、WMDを大声で非難するまさにその国が用いている。

MK77にはどうやら「ウィスキー・ピート」----軍隊スラングで、白燐を指す---- が含まれているらしい。作戦に参加し、現在、兵務を解かれてRIAのプロデューサに情報を提供した兵士の二人によると、白燐焼夷弾は衝撃で爆発しガス雲を周囲150メートルに広げる。ガスが皮膚に触れると皮膚はすぐに燃え出すという。実際、白燐ガスは衣服の下で皮膚を骨まで焼くため、一見したところ損害を受けていない服を身につけた異様な死体が残る。ガスはゴムとその下の皮膚を溶かすため、ガスマスクも役立たない。ガスを吸い込むと「喉と肺に火膨れができ、窒息し、体内から焼かれる」。

この、30分弱のドキュメンタリー(英語)、「ファルージャ - 隠された虐殺」(asf版はこちら)には生々しい映像と心を乱す場面が含まれている。これらは、アメリカの戦争犯罪としか言いようのないものである。注意して見ること。

ベトナム時代を取り戻すことについて語ろう。

(ジアンルチャのおかげ、たぶん)

「益岡賢のページ」より転載

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グアム 海兵隊移転

◎沖縄からの海兵隊移転がグアムに及ぼす影響
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2006年5月の在日米軍再編ロードマップを受けて、「在沖縄海兵隊の
グアム移転に係る協定」は、2009年2月17日、クリントン米国務長官が
来日して署名し、4月に衆院を通過、参院で否決されたものの、5月19日、
自民党政権末期に駆け込み発効しました。米政府はこの協定を理由に、
8月30日の衆院選後すぐ、民主党の在日米軍再編見直しを牽制しました。
日本が沖縄からの海兵隊の移転費用として出す多額の資金は、グアムの
軍備強化という米軍の戦略の財源として使われます。積算根拠もない
日本の拠出金による軍備強化がグアム島民に沖縄のように重い負担を
強いるとアン・ライトは警告します。〔翻訳: 荒井雅子/TUP〕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※凡例: [訳注]
────────────────────────

軍による植民地化に抵抗するグアム
――25%の人口増を図る米政府、発言権をもたない住民――
アン・ライト
2009年8月17日(月)「コモンドリームズ」ウェブサイト掲載

米中両国の政府には、植民地政策となると、きわめてよく似たところがある。中国政府は、多くの漢民族植民者をチベットに送りこんでチベット民族を数で圧倒し、人と物資を送るために世界で最も標高の高い鉄道まで敷設している。

米国政府は、[連邦レベルの]選挙権のない米領グアムで、地元政府や住民の意向をほとんどまったく聞かずに、人口を25%も増やしつつある。
8000人の海兵隊員とその家族、関係する後方支援部隊と人員――合計4万2000人の新住民――が、現人口17万5000人のこの太平洋の小島(面積はワシントンDCの3倍そこそこ)に移されることになっている。この移住は、島の文化的な、そして社会的な独自性にとてつもなく大きな影響があるだろう。

これらの部隊がグアムに移転する主な理由は、沖縄の市民活動が組織した「米軍基地閉鎖」運動による。第二次大戦終結以来、米国は沖縄に大規模な軍隊を駐留させてきた。

太平洋地域での米国の国益について、私はそれなりに知っているつもりだった。ミクロネシア駐在外交官として2年間勤務し、ホノルルから飛行機で西へ8時間の米領グアムを訪れたことも何度もあった。

でも今月、コードピンク大阪をはじめとし、元国会議員一人も含む日本の平和運動グループがスポンサーとなった研修ツアーでグアムに行き、かくも大量な米軍部隊の移転という決定がもつ新しい側面を知った。

16世紀にまずスペインによって植民地化されたグアムは、1898年、米西戦争に勝利した米国に戦利品として割譲されて植民地となり、フィリピンに向かう船の停泊地となってきた。第二次大戦中の1941年12月8日、真珠湾攻撃の翌日に日本軍の攻撃を受け、占領された。島の米国人住民は、攻撃前に米国政府によって退避させられていたが、地元チャモロ人は置き去りにされていた。2年7カ月にわたる日本占領下、チャモロ人は日本軍による強制労働、強制収容所、強制売春、強姦、処刑を耐え忍んだ。米軍は3年半後の1944年7月21日、グアム奪還のために戻った。

1950年、米議会で制定された法により、グアムは「未編入領域[憲法が完全に適用されない海外領土]」とされ、世界に残る16の「非自治地域」の一つとして、住民に米国籍が与えられた。

第二次大戦後、米軍は、何の補償もなく地元住民から土地を接収し、重要な空軍・海軍基地を建設して、今も使用している。現在、空軍3000人、海軍2000人の兵員と、その他の連邦安全保障関係部局の職員1000人がグアムに配置されている。

3人のグアム議会議員の話によれば、米海兵隊の大規模移転をめぐる日米両政府の折衝で、グアム政府はきちんと意向を聞かれていないという。
グアム政府官僚には、軍拡大計画に関するしっかりした情報がほとんど与えられていない。グアム財政は、この熱帯の島を毎年訪れる数十万の日本人がもたらす観光収入によって支えられており、島のさらなる軍事化による影響を、官僚たちは非常に懸念している。

移転してくる海兵隊の実弾射撃訓練場を確保するために、地元チャモロ人の所有する土地950エーカー(約3.8平方キロメートル)が、さらに強制収用の対象となるという噂が彼らを悩ませている。ベトナム戦争のエージェント・オレンジ[枯葉剤]の残りをはじめとする基地の有害廃棄物、さらに劣化ウランから作られる砲弾などの弾薬が島で使われる可能性もまた、グアム住民の懸念材料になっている。

8000人の海兵隊員を沖縄から退去させるため、日本政府は移転費用として60億ドルを米政府に支払っている。25%の人口増を引き受けるには島の道路、上下水道、送電網に大規模なインフラ整備が必要となるだろうが、移転資金のうち、十分な額がこのインフラ整備にあてられないのではないかというのが、グアム官僚たちの懸念である。軍は基地の整備はしても、住民に対しては、多くの兵員の移転で生じるインフラ問題に苦労するに任せるだろうと彼らは思っている。

日本市民もまた、米軍を日本から退去させるために米政府に支払った数10億ドルの詳細について、蚊帳の外に置かれている。私たちの調査団の日本人メンバーたちは、地元グアムの活動家たちから、グアムでの中流階級の住宅の建設費は25万ドル前後であり、一方、移転予算では、基地での新築費用として一軒あたり65万ドルが日本政府に求められていると聞き、非常に驚いた。日本政府がそうした水増し計画に資金提供していることを日本側調査団は大変懸念し、帰国後に国会議員に対して、予算をめぐる問題提起をする予定でいる。

グアム産業界にとっての懸念は、間もなく始まるグアムでの米軍の建設プロジェクトで、25億ドル以上に上る契約について米下院議員たちが日本の建築業者に米国企業と同じ入札資格を与えようと考えていることだ。日本政府は米国政府と同様「海外で」資金提供する政府開発援助計画から自国の企業に利益が得られるようにしている。海兵隊の移転費用100億ドルのうち60億ドルを負担している日本は、グアムでのインフラ整備プロジェクトの建設契約を通して資金の一部が日本に還流することを望んでいる。

多くのグアム政府官僚も大勢の市民も、海兵隊の移転による人口の大幅な増加と島の軍事化がもたらす、文化的、経済的影響、また安全保障上の影響に強い懸念を抱いている。基地内で比較的裕福に暮らし、住宅、学校、サービスの面で恵まれている層との間にある文化的断絶は、何年も米軍と地元住民との摩擦の原因になってきた。

グアム官僚は、グアム政府が財政的に逼迫している中、米軍基地施設でのきわめて高額の支出に困惑を禁じえないと述べた。米空軍が最近、2700万ドルをかけて基地内に動物用の小屋を建てたと知って、驚愕したという。動物用の一スペースあたり10万ドル。地元では行政が、動物どころか市民にさえ、十分なインフラを提供できずにいるときにである。

グアム大学の教授陣と学生たちは、米海兵隊の移転により島で暴行や強姦が急増する懸念を表明した。日本政府が米政府に軍の一部を沖縄から退去させ得た理由の一つには、米軍兵士による強姦に反発して起きた大きな住民運動があったからと彼らは考えている。

2008年、駐日米大使が沖縄に飛び、海兵隊員による14歳の少女の強姦について謝罪を表明しなくてはならなかった。沖縄駐留米軍は「反省」のため3日間外出禁止措置を取り、コンドリーサ・ライス国務長官が日本の首相に対して、「沖縄で起きた痛ましい出来事をめぐり…[被害者の]少女とご家族の安寧に心を痛めている」と「遺憾の意」を表さなればならなかった。

米海兵隊二等軍曹タイロン・ハドナット(38歳、海兵隊勤務歴18年)は、2008年2月10日、14歳の少女の強姦、児童に対する性的虐待、偽証、姦通および誘拐を行ったとして、2008年4月に訴追された。

2008年5月17日、ハドナットは性的虐待で有罪となったが、他の4つの容疑の訴追は取り下げられた。懲役4年の判決を受けたものの、刑期の4年目を猶予する司法取引により、服役は最長で3年となる。この他に二等兵への降格、米海兵隊からの不名誉除隊の処分を受けた。

ハドナットに対する強姦の告発は、10数年前に起きた非道な強姦の記憶を呼び覚まし、日本中に怒りを巻き起こした。福田首相は、ハドナットの行為は「許しがたい」と述べた。

海兵隊のグアム移転をめぐって、米議会には懸念が渦巻いている。下院軍事委員会委員長アイク・スケルトンは、グアム移転の規模、範囲、費用について懸念を表明した。「100億ドルを超す(40億ドルという当初の費用予測の2倍半)巨大プロジェクトであり、構想が未だ十分に熟していないのではないかと懸念している」と最近の議会公聴会でスケルトンは述べている。「移転は必要だが、しかるべきやり方で行わなくてはならない」

アジア太平洋地域の米軍「前方展開」戦略に反対するグアムの活動家たちは、米軍は太平洋の小島にではなく、人口も多くすでに大規模軍事基地もあって駐留を受け入れやすい米本土に大部隊を移転させるべきだと強く思っている。

しかし、米連邦政府が政府プロジェクトに地元の意向を考慮することはめったにない。とりわけ、米政府の権力の中心から遠く離れた地域での軍事プロジェクトについては。

グアムの活動家たちは、自分たちの声にきちんと耳が傾けられ、尊重されること、ただの植民地住民として扱われないことを求めている。

(アン・ライトは29年間米陸軍・陸軍予備軍に勤務し、大佐として退役した軍人であり、元外交官だったが、2003年3月、イラク戦争に反対して辞任した。勤務地は、ニカラグア、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギス、シエラレオネ、ミクロネシア、モンゴル。2001年12月、アフガニスタンのカブールで米大使館の再開にあたった、数少ない担当者の一人である。
著書に『異議あり-戦争に黙っていてはいけない』(コードピンク大阪、
2009年)がある。(www.voicesofconscience.com) )

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2009年10月 6日 (火)

空自記録を開示 イラク

防衛省:イラク空輸人員の67%が米軍 空自記録を開示

 防衛省は情報公開法に基づき、航空自衛隊によるイラク空輸活動の記録を開示した。陸上自衛隊が撤収し、空自が活動の中心になった06年7月から活動が終わった08年12月までの124週分で、空輸した2万6384人のうち米軍が1万7650人と67%を占める。前政権は「空自は人道復興支援を行っている」と説明し、活動の実施期間と運航日数以外は黒塗りで公開していたが、新政権になって初めて請求した全データが開示された。

 請求したのは、岐阜県大垣市の市民団体代表、近藤ゆり子さん(60)。09年2月に開示請求し、ほとんどが黒塗りだったため7月、内閣府の情報公開・個人情報審査会に異議を申し立てていた。開示決定は9月24日付。

 近藤さんや名古屋イラク訴訟弁護団の川口創弁護士によると、運航日数467日中、218日がクウェートからバグダッドへの空輸任務。輸送人数の3分の2が米軍だった半面、国連職員は2564人と1割未満にとどまっており、米軍の後方支援任務が中心だったことを裏付けている。

 川口弁護士は「『米兵のタクシー』と揶揄(やゆ)されていたが、軍事作戦の重要な後方支援を担っていた可能性がある」と指摘している。

 自衛隊のイラク派遣を巡っては名古屋高裁が08年4月、多国籍軍の兵士をクウェートからバグダッドへ空輸する活動について「戦闘行為に必要不可欠な後方支援を行っており、他国による武力行使と一体化した行動」とし、武力行使を禁止した憲法9条1項とイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反するとの判決を出している。【山田一晶】

 ◇「できるだけ開示する」防衛相
 北沢俊美防衛相は6日の閣議後会見で「国防の機微に触れることは慎まないといけないが(今後も)できるだけ国民に開示する」と述べた。【樋岡徹也】

「毎日JP」より転載

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日本の自衛隊が、米軍の後方支援であることは、公然の秘密?であったが、あらためて、このように数字を突きつけられると、おぞましく、恐ろしさを感じる。イラクの市民を無差別に殺し、虐待を重ねていた米軍兵士を送り続けていたのである。

日本の国家による犯罪である。日本の国民に対しては、人道的復興支援などとウソをつき、イラクの人々の殺人に加担してきた、自公政権に、その責任を問わなければならない。たとえ、自衛隊員が罪に問われることはなくても、他国の人間を殺してきたその末端の紐を、私たち日本国民が握らされてきたことに、このまま黙って、過ぎたことだと見過ごしてよいものだろうか。

同様のことが、今もまだ、インド洋において行われている。米軍への給油をこれ以上つづけてはならない。米軍によって、アフガンの人々は殺され続けている。

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2009年10月 5日 (月)

植草一秀さん出所

2009年10月 5日 (月)
皆様のご支援とご厚情に深く感謝申し上げます

昨日、勾留地より、無事帰還を果たしました。多くの皆様にご支援、ご心配、激励を賜りましたことに衷心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

不在中におきましても、本ブログを熱烈にご支援賜りまして誠にありがとうございました。また、多くの皆様から激励のお便り、お言葉を頂戴いたしまして感謝の気持ちに堪えません。

無実潔白の人間に対して、このような形で公権力が行使されたことに、強い憤りを感じます。

しかし、この世には無数の不条理と理不尽とが横たわっており、その一端を学ぶ機会を天が私に与えたものと理解しております。

この意味において、勾留地においては極めて濃密で充実した時間を過ごさせていただきました。極めて充実した意義深い時間を持つことができましたことに感謝しております。

この期間に設定された総選挙においては、政権交代を目指す旧野党勢力が圧勝し、見事に政権交代実現の大業を成就いたしました。本ブログをご支援下さる皆様とともに、この大業成就の喜びを分かち合いたいと思います。

しかし、政権交代はゴールではなく、あくまでもスタートに過ぎません。この政権交代に確固とした魂を吹き込んでゆくことが不可欠だと感じております。政権交代を阻止しようとした勢力は現在も存在し続けており、今後、さまざまな手段を用いて新政権を攻撃してくるものと予想されます。

このたびの政権交代は、55年体制成立以来60余年、大日本帝国憲法発布以来120年、明治政府樹立以来140年にわたって持続した「この国のかたち」を刷新する意味を伴っていると考えます。さらにさかのぼれば、江戸時代に確立した日本の階層構造=1600年体制の刷新の意味さえ含むものと思います。

歴史的な大改革である以上、改革実現に時間と忍耐を必要とすることは言うまでもありません。まずは4年間、大改革の礎石を築くことが優先されなければなりません。その実現のためには、どうしても2010年の参議院選挙で今回の歴史的転換の流れを維持しなければなりません。

旧勢力に支配されている大多数のマスメディアが、あらゆる手段を用いて抵抗を示すことが予想されるなかで、私たちは冷静に現実を見つめて、新しい流れを、正しい方向に誘導してゆかなければならないと思います。

微力ではありますが、私も自分にできることを見つめて、尽力して参りたいと考えております。

勾留期間中に考えてきたことがあり、今後の活動方法を変更いたしたく思います。まずは、今回の政権交代の意味について、文章として整理し、何らかの方法で世に問うことを検討しております。

その関係で、ブログでの論考掲載の時間的間隔が大きくならざるを得ないと予想しており、この点につきましてご理解を賜りたく存じます。

今後の活動方針につきましては、改めて本ブログに掲載して参る予定ですので、何卒ご高覧賜りますようお願い申し上げます。

なお、発行を中断しておりました『金利・為替・株価特報』につきましては、10月上旬号より発行を再開いたしたく存じ上げます。ご購読の皆様には、大変ご不便をおかけしましたことに深くお詫び申し上げます。新政権の政策運営にも寄与するべく、内容充実を図って参る所存ですので、多くの皆様のご講読を謹んでお願い申し上げます。

この間、多くの皆様から身に余る、言葉には尽くせぬお力を賜って参りました。誠に略儀ではありますが、この場をお借りして、心より厚くお礼申し上げます。何卒今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

取り急ぎ皆様へのお礼の言葉とさせていただきます

植草一秀の「知られざる真実」より転載

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2009年10月 4日 (日)

普天間 前原沖縄担当相

新代替地が必要と前原沖縄担当相 普天間、現行計画を疑問視

 前原誠司沖縄北方担当相は3日、日米両政府が合意した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市)移設計画について「移設が本当に進むのか疑問を持っている。鳩山政権の下で、新たな移設先の検討が必要だ」と述べ、合意を見直すべきだとの考えを表明した。

 鳩山由紀夫首相は県外移転を前提に移設計画を見直す考えを示しているが、米側は「日米合意の実現が基本」(クリントン国務長官)との立場を崩していない。新たな移設先の選定に入っても難航が必至で、移設は現行計画の2014年よりずれ込みそうだ。

 前原氏は「返還に時間がかかり過ぎている。大事故が起きれば住民に迷惑を掛けるだけでなく、日米安保体制が揺らぎかねない」と指摘し、早期移設の必要性を強調。「うまく実現する枠組みをつくり、動きださなければならない」と述べた。

 具体策については「岡田克也外相と北沢俊美防衛相が米側と折衝をしているので、その結果を待ちたい」と述べ、自らは調整役に徹する意向を示した。普天間飛行場を視察した後、宜野湾市で記者団の質問に答えた。

 これに先立ち、前原氏は沖縄県の仲井真弘多知事と県庁で会談。知事は「ベストは県外移設だが、長年の経緯を見ると現実的ではない」と述べ、同沿岸部への移設が望ましいとの考えを重ねて示した。

2009/10/03 23:08   【共同通信】

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米軍基地は、アメリカに作ればよい!日本人立ち入り禁止、治外法権の米軍基地である。日本であって、日本ではない、日本各地の広大な土地と空を、我が物顔に闊歩している米軍である。アメリカ軍はアメリカに帰ってもらってしかるべきであろう。新たな基地を要求する、アメリカにNO!といえないのは、なぜか!これで、真の独立国家といえるか。

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2009年10月 3日 (土)

続々廃止へ 平野官房長官

普天間、地方分権委 続々廃止へ 平野官房長官 リニューアルで政権交代アピール

 
2009.10.2 19:26

インタビューに答える平野官房長官 平野博文官房長官は2日、沖縄県の普天間飛行場(宜野湾市)移設に向けた政府県、地元自治体による協議会(普天間協)を廃止し、新たな協議機関を設ける考えを表明。「国と地方のあり方」を検討してきた政府の地方分権改革推進委員会(丹羽宇一郎委員長)や道州制ビジョン懇談会(江口克彦座長)も廃止する考えを打ち出した。自公政権が設置した有識者会議などを一度リセットし、リニューアルすることで「政権交代」を印象づける狙いがある。

 平野氏は2日、岡田克也外相、北沢俊美防衛相、前原誠司沖縄北方担当相と首相官邸で協議した。

 前原氏は、「最後は内閣としての判断だが、沖縄北方担当相として継続をすべきだ」と普天間協の存続を求めたが、平野氏は「地元の皆さん方の意見交換の場をなくしてしまうことはない」と廃止する考えを崩さなかった。

 この後、平野氏は記者会見で「前政権の協議会であることは事実だ。地元の意見をしっかり聞く考えに変わりはないが、既存の協議会になるかは別の問題だ」と述べ、普天間協廃止に伴い、新たな地元との協議の場を設ける考えを示した。

 また、平野氏は、産経新聞などのインタビューで、地方分権改革推進委や道州制ビジョン懇について「いったんリセットした上でつくり替えていくべきだ」と明言。今後の会議のあり方については、原口一博総務相ら担当閣僚が検討すべきだとの考えを示した。

 地方分権委は平成19年に地方分権改革推進法に基づき内閣府に設置され、来週にも第3次勧告を鳩山由紀夫首相に提出する予定。道州制懇も19年、道州制導入への基本事項の議論を目的に内閣官房に置かれた。

 一方、平野氏は、国家戦略室を「局」に格上げする法案に関して「通常国会でもいい」と述べた。

「産経ニュース」より転載

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政権が変わるというのは、おもしろいことだ。旧政権のものを、スパスパ切ることができるということだ。もっとも、器だけ換えて、中味変わらずとならないよう、見ていかねばならない。より多くの国民の意見が反映されるようなシステム作りを願うのだが・・・

国民の一票が、政治を変えることに繋がるのだということを感じさせるひとコマである。

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2009年10月 2日 (金)

30年前のイラクを

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    写真展イマジンイラク    三十年の孤独  (10/8-11/5)
 
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1970年代------イラクがまだ平和だった頃の写真には緑や水があふれ、
穏やかで希望に満ちた人々の姿が収められています。

そしてその時代、日本とイラクの間には固い友情の絆が結ばれていました。
戦争によって、イラクでなにが喪われたのか------
色褪せた写真たちは、私たちに静かに語りかけてきます。

■会 期:10月8日(木)~11月5日(木)
■会 場:「みんなのカフェ ちいろば」
  京都市伏見区。京阪藤森駅から疎水を渡って「直違橋通り」を北へ。徒歩2分。
  http://cafe-lil-donkey.blogspot.com/
■営業時間: 月~金  9:00~17:00  / 土 10:00~17:00
■日・祝 休み(10月11日、25日、11月3日は営業)
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写真提供: 黒姫のよしはらしげるさん、相澤恭行さん ほか
協力:NPO法人 PEACE ON
主催:イマジンイラク 実行委員会
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☆★☆★関連イベント①☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★
 
30年前のイラクを撮った日本人技術者の語る「イラク」 10/11
 
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日本と中東が最も近かった70年代後半-----
ヘルマン・ヘッセの詩を胸に、イラクに住み、イラクを旅し、
イラクの風景とそこに生きる人々をこよなく愛した日本人がいた。

彼が胸躍らせ、ライカで切り取った一葉一葉の写真は・・・
皮肉にもイラクが放った最も美しい光芒を留める欠片となった-----。

「そして、私は企業や国家の尖兵になるような道を自ら閉ざした。
   詩人でなかったら、他の何者にもなりたいとは思わなかった・・・」

黒姫からの風--------奥深き詩魂の到来!

●トーク●  よしはらしげる さん (写真提供)
■日時: 10月11日(日)   15:00~17:00
■会 場:「みんなのカフェ ちいろば」
■参加費 ワンオーダー

○プロフィール○ 1946年新潟県高田生まれ。
1977年4月~80年10月までイラクに在住。
在イラク中にしばしばアラビア湾奥からクルディスタン山中に遊ぶ。
イイ戦争勃発によりやむなく帰国。
1988年春に信越国境、黒姫山中に移住。1993年以降はインターネットに
『黒姫から』『続・黒姫から』を公開中(http://with-kurohime.blogspot.com/)。

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給油延長を 防衛政務官

国会承認追加し給油延長を 防衛政務官

 長島昭久防衛政務官は1日に都内で開かれたパネルディスカッションで、来年1月で期限切れを迎える海上自衛隊によるインド洋での給油活動について、根拠の新テロ対策特別措置法に派遣に対する国会事前承認の条項を新たに盛り込み、継続すべきだとの考えを表明した。

 鳩山由紀夫首相や岡田克也外相が「単純延長は考えていない」と繰り返していることに関連し、長島氏は「複雑な形で延長することもあり得る」と指摘。10月下旬に予定される臨時国会でテロ対策特措法改正案を成立させる案に言及した。

 一方、北沢俊美防衛相は1日の記者会見で「民主党は給油を継続しない立場であり、衆院選でも主張してきた」と不快感を示し、閣内で足並みの乱れが浮き彫りになった。即時撤退を掲げる社民党の福島瑞穂党首(消費者行政担当相)も会見で「延長しないことで、この内閣はやっていくべきだ」と反発しており、給油問題は政権の火種となりかねない。

 民主党は衆院選後の社民、国民新両党との幹事長級協議で撤退方針を口頭確認した。いったん決めた方針を覆せば、民主党への信頼が揺らぐのは必至だ。

 民主党内には対米関係に配慮し、国会事前承認のほか、給油先艦船の任務や給油量の情報開示の徹底を盛り込む新テロ対策特措法改正により延長を目指す声もある。

 岡田氏は給油延長問題と在日米軍再編見直し、アフガニスタン支援を「パッケージ」と公言。外務、防衛両省内では「普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を含む米軍再編見直し交渉で、延長をカードにしようという思惑ではないか」との見方が出ている。

2009/10/01 21:53   【共同通信】

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省庁のトップは、大臣、副大臣、政務官である。北沢防衛相が、民主党は延長しないと述べているにも関わらず、長沼政務官の発言である。同じ省庁のトップぐらいは、同じ見解をもっているのかと思いきや、そうでもないらしい。民主党自体が、いろいろな見解をもっている人の集まりだから、さもありなん、ということか。国会審議を見守るしかないのだろうか。

アフガンへのアメリカの攻撃が、この先、どれほどの意味をもつのか。国際世論もアメリカの国内においても、撤退を叫ぶ声が大きくなりつつあると言うのに、依然としてアメリカに盲目的に従おうとする発言である。情勢の分析、判断力に欠けた政治家ではないか。

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2009年10月 1日 (木)

辛淑玉講演会

「差別の中で生きる」

・・・辛淑玉(シンスゴ)が斬る!・・・

日時  10月3日(土)午後1:30~3:30

場所  人権啓発センター

主催  平和憲法ネットワーク高知

     高知県平和運動センター

連絡先 088-875-7274

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