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2009年8月30日 (日)

こうの史代

原爆に対する静かな怒りを描いた傑作マンガ「夕凪の街 桜の国」(双葉社)を描いたこうの史代が、続いて広島と同様海軍の「軍都」と呼ばれた広島県呉市を舞台にしたマンガ「この世界の片隅に」(双葉社)を描きました。それが完結しました。
 
 「この世界の片隅に 下」 こうの史代
 http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-94223-1.html
 
発売日:2009年04月28日
定価:680円 (本体 648円)
判型:A5判
ISBN 978-4-575-94223-1

 上、中巻では持ち前の天然ボケで、太平洋戦争の食糧不足、夫の不倫疑惑、兄の戦死、逮捕などを乗り切ってきた主人公の北條すずでしたが、もはやそれではどうしようもない戦争の現実が彼女に襲いかかります
 
 日本海軍最大の軍事基地があったため、呉市は度重なる空襲に見舞われます。アメリカ軍が投下した時限爆弾で、かわいがっていた義理の姪の晴美は死亡、すずは右手首を失います。これで好きな絵を描くことが出来なくなってしまいました。そして1945年8月6日。原爆投下で広島の実家にいた母は死亡しました。
8月15日の敗戦。玉音放送を聞いたすずは、「納得いかん!」と外に飛び出します。飛び出したすずは畑では泣き崩れます。
 
 「ああ、暴力で従えとったという事か。じゃけえ、暴力に屈するということかね。それがこの国の正義かね・・・」
 
 ドジであっても忠実なる皇国臣民たらんとしてきたすずが得たのは、愛する人の死と自分が身体障害者になったことでした。
 
 数ヶ月後、すずは広島の町をさまよっていた戦災孤児の少女を拾い、呉の自宅に招きます。新しい人生の始まりでした。
 
 ほんわかとした絵が、戦争の狂気をはねつけたすずを見事に描いています。
 
 3巻そろえる事をおすすめします。
 
坂井貴司

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キブツからパレスチナへ その3

パレスチナ便り⑬―キブツからパレスチナへ その3、平和の種を蒔く

「隣国のパレスチナを月に一度行き来する内に、私の中である使命感が生まれた。こんなに近いのにあまりにかけ離れた二つの民をどうにか近づけたい。お互いに相手への恐怖と不信感で固まっている心を開きたい。どちらにも属していない私ならその橋を架けられる、と。が、そのためにはもっとよくパレスチナを知らなければならない。片側の文化を知り、言葉を話すだけでは不充分だ。まずパレスチナ人と共に住み、同じご飯を食べ、日々を生きること。それが私の課題となった。」

「ただ、一つだけ気がかりなことがあった。それは“嘘をつきたくない”ということだ。これまでのパレスチナ訪問で唯一嫌だったことは自分の出身・過去を隠すことだった。周りに住む人に、自分が考えていること、どうして自分がここまでやってきたのかという背景を素直に語れないことは、毎回私を悩ませた。と同時にイスラエルの友人にそのことを話すと、『やっぱりね。信用できない人たちなのよ。』と言われるのがどうしても苦しかった。」

「そんな時に出会ったのがテントオブネイションだった。キブツにやって来たドイツ人ボランティアのチャーリーにその存在を聞いてホームページを開くと、そこには“we refuse to be enemies, building bridge between peoples. 私たちは敵になることを拒否する、そして人々の間に橋を架ける”、という彼らのメッセージがまっすぐ眼に入った。私の目標そのものだ!ココに行かねば!私はすぐに決心した。」

「4月の初め、そこはまさに“春のお花畑”だった。黄・赤色の野花が地を飾り、砂漠から来た私の目と心をそこら中の緑が潤した。この最初の訪問で、私の心に一番残っているのは設立者のダウードでも兄のダハールでもない。ダハールの息子のビシャーラ(20)だ。若いパレスチナ人らしく髪にびっちりとジェルをつけ現れた彼は英語を流暢に話す、気軽な青年だ。」

「それは帰り際だった。突然私は誰かがイスラエルの有名歌手サリット・ハダッドの歌を口ずさんでいるのを聞いた。振り返ってみると、ビシャーラだった。私は彼に『イスラエル人の歌、唄ってるの??』驚いている私に彼は、『why not? Israelies and we are friends.』そう当たり前そうに答えた。私は泣き出した。この時、私はこの場所ならやりたいことに近づける、そう心から感じた。」

「7月、計5年間住んだキブツを出て、テントオブネイションに移り住んだ。ここには水道設備も、電気もない。水は冬の間に降る雨水を溜めて使い、電気は毎日夜の2時間だけジェネレーターを使う。砂漠のど真ん中なのに、一度も不自由なく水が使え、夏にはプールがあり、電気も途切れることなく使っていた生活から、テント暮らしへ。それは私にとって、この2つの国に存在する不平等を身をもって経験する必要な段階だった。」

「ベツレヘム近辺のパレスチナの子供たちを集めた、サマーキャンプが始まった。2週間という長いようで短い子供たちとの濃密な時間。今年のタイトルは、“bringing nature to life, learning hope planting peace、自然を生活に取り入れよう、希望を学び平和を植える”」

「毎朝8時半から2時まで40~50人の子供たちを、12人のインターナショナルが世話をする。環境テーマから、絵描き、色塗り、踊り、音楽、劇・・・様々な分野を子供の年齢にあわせて教える、というか子供と一緒に私たちも学んでいる、そんな感じだ。」

「6歳から12歳までの子供を世話した私のグループで、ハニンという女の子が一人いる。なにか影を持ったというか引っ込み思案で、いつの間にか輪からでて一人ぽつんと座っている。それがとても気になっていた。キャンプ5日目。子供たちに日常生活での問題と希望を一つずつ書かせた。<どこにでも行ける自由がないこと、パレスチナに平和を、海に行って泳ぎたい、占領からの解放>などのほかに、ひとつ<“死にたい、死んで天国に行ってお姉ちゃんに会いたい”>というものがあった。その日の終わりのミーティングで、どの子なのか見つけなければということを話した。翌日、その願いを絵に描くというクラスで、私はそれが誰なのか分かった。ハニンだ。それはあまりにも私の胸を振るわせた。私は彼女の影を見たのだ。」

「ある午後キャンプで働くボランティア全員でへブロンへ行った。へブロンはこのイスラエルーパレスチナ問題のまさにへそ、ともいえる場所だ。神に与えられた土地と信じ、力でコントロールしようとするユダヤ人と、同じくその場所を聖地として崇めるイスラム教徒・パレスチナ人との間の衝突が癒えない傷のように膿んでいる。始めてへブロンを訪れた私はあまりの憎しみのエネルギーに圧倒された。どうやったらこんなところに平和がもたされるのか、そんなことは可能なのか?あまりに大きな壁が私の前に現れた。その壁は、私の、平和を創る橋を架けたいなんていう甘い夢を見ていた非現実的な自分を押しつぶした。どんなに私自身が平和人間になろうとも、この世界に平和はもたらされない、その現実が目の前を真っ暗にした。では、一体私はここで何をしているのか?私のすべてをかけても大河の一滴にすぎない。その一滴をこの乾いた大地に降らせてもオリーブの木一本すら育たないだろう。」

「キャンプにブラジル人グループが現れたのは、あと最終日まで三日を残す夕方。彼らとドイツ人ユースグループと共に“若者の役割と挑戦”というタイトルでグループ・ディスカッションをした。現代の世界中の若者が直面している“hopelessness-希望の欠如”というテーマが浮かび上がった。この“希望の欠如”は、二つのタイプに人間をわける。問題を前にして自分の殻に閉じ籠もるか、どうやって解決していいか分からないまま混沌のなかに迷うか。そしてそれは“結果社会”という現代のシステムに深く根ざしている。」

「常に、何かを得ること、成功することに生きる目的を置くことを教育する世界だからだ。私たちは結果が得られないことにはエネルギーを費やさない。やる価値がないとあきらめる。自分のやりたいことを、その結果が得られるかどうかで選別してしまう癖がある。私もそうだった。だからへブロンで、私には変えられない現実に直面した時、ここにいる意味を疑い始めたのだ。」

「その瞬間、この夏のサマーキャンプのタイトル、“learning hope planting peace”が腑に落ちた。希望を学ぶ―それはどんな暗闇の中であろうと、いつかは朝日が昇るということを信じられる強い信仰だ。同時にその朝日を自分で見ることは出来ないかもしれないと知っていても…、その希望で、平和の種をまくのだ。」

「ダウードがそのグループ・ミーティングの終わりに語った。『年老いたおじいさんがオリーブの木を植えている。孫はおじいさんに、どうして自分ではその実を見ることもない木を植えているのか?と尋ねる。おじいさんはこう答える。あそこに立っているオリーブの木は私のおじいさんが植えた。あれはおじいさんのおじいさんが…。こうしてみんな見ることは出来なくとも、今生きている私たちのために植え続けてきたのだ。だから私も同じ事を、今している。』」

「ここで、私はどうやって生きるかを学んでいる。何を生きる希望とし、私がこの時代に生まれてきた意味を、私という人間をどうこの世界で役に立てて行くか、何を目的として生きていくか。どこまで到達できたかは重要ではない。毎日を、その希望に向かって自分がどう生きたか、それが大切なのだ。」

「最終日に向かい、ハニンはずーっとよく笑うようになった。自分から積極的に輪に入り、私にも英語で話しかけてくる。それはまさに希望だ。短い時間のなかで、一人の子供が笑うようになってくれたこと。それが私のこの、平和の種を蒔きつづける道を選ぶ希望となる。朝日を見ることはないかもしれない。でもこの種を蒔くことが、希望をもって毎日を生きることが私の生き方だ、と今は思える。」(完)

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2009年8月28日 (金)

キブツからパレスチナへ その2

パレスチナ便り⑫―キブツからパレスチナへ その2、私の中に黒い雨が

「昨年、パレスチナ北西部のトゥルカレムにEAPPIでボランティアをしていた友人のイリスを訪ねた。10年以上前からキブツを拠点にイスラエルに出たり入ったりしていた私だが、その隣人であるパレスチナの現実を何も知らないことがしばらく前から気になっていた。受け入れる準備が整ったとき、全ては起こり始める。今思えばそれは溜めていた満杯のダムを開放したように、すごい勢いで水が流れ始めたようだった。」

「EAPPI(キリスト者によるエキュメニカル同伴プログラム)、彼らの仕事は朝5時に起きて農業ゲートの観察から始まる。分離壁が出来たせいで、自分の畑に行けないパレスチナ人用に何キロかごとに農業ゲートがある。朝6-7時、昼12-13時、夕方18-19時、一日に3回イスラエル軍によって開かれるこのゲートは、もちろん許可をもらった人たちだけが通ることが出来る。歩いてくる人、トラクターで来る人、ロバに乗ってくる人。その日はオリーブの収穫を終えたあとだったので、90人前後の農夫と10頭ほどのロバが列をなして待っていた。」

「ほぼ時間通りにイスラエル軍兵士は3、4人チームのジープでやって来た。一人は許可をチェックし、記録する。一人はその机まで誘導し、周りの状況を観察。一人は少し離れたコンクリート造りの壁からこちらにライフル銃を向けて監視。」

「その日はイリスに言わせると、とても行儀よい兵士たちだったという。きちんと一人ひとりに挨拶し、一人ひとりを人間として扱っているという感じを受けたという。じっさい、その数日後もう一度違う農業ゲートへ行ったとき、その言葉の意味が分かった。」

「私は自分の住むキブツのことを考えていた。収入源である7千本のナツメヤシ畑。そこに行くために許可が必要で、毎日決められた3時間だけ通れて兵士に銃まで向けられる。こんなに腹立たしいことはない。許可も得られないケースがあったり、畑に一番近いゲートではなく、隣の数キロ先のゲートへの許可が下りたりすることがあるという。私の中でどうしようもない悲しみと共に怒りがこみ上げてきた。」

「ホメッシュは2005年のガザ撤退と同時に撤廃された入植地だ。近郊の村々が集まって、そこに平和の象徴であるオリーブを植える、と聞いて私はイリスと共にそこへ向かった。まずブルカ村の役所に村の人々、外国人ボランティアが集い、フルーツジュースを飲みながら今日の予定を村長らしき人が話す。私たちを連れてきたアブドゥルカリム・ダルバが通訳をする。『今日は集まってくれてありがとう。私たちの村の近くにある元入植地にみんなで歩いて行って、出来たらオリーブを植えましょう。非暴力で、ということをみなさん忘れずに・・・』何故オリーブを植えに行くためだけに“非暴力で”と強調しなければならないのか良く分からないまま、私たちは外に出て歩き始める。」

「パレスチナ国旗、アラビア語で書かれたプラカードを掲げ、何十人という村人が歩く。例の村長が掛け声をかけ始めた。シュプレヒコールだ。アラビア語の分からない私にとって、そのプラカードも、掛け声も分からない。そういう群集についていくのは少々不安だった。ダルバを見つけ出し私は彼らが何を言っているのか、質問した。『俺たちはこの土地から出ない!水を取られて、たとえ死んだとしても俺たちの血でこの土地を潤す!そしてこの大地が俺たちを覚え続ける!』」

「これはオリーブを植えに行くのではなくてデモだなぁ、と思ってあたりを見回してみるとやはりオリーブを積んだ車やトラクターはどこにも見えない。が、私たちの後には救急車が2台もついて来ていた。オリーブのつづく丘陵の穏やかな道をくねくねと2キロほど歩いた先に丘が見えた。そしてゆっくりとその上に立つものが何かはっきりしてきた。イスラエル軍だ。」

「丘の先端には銃装備した3人の兵士、その後ろには大きな防弾車が10人以上兵士を連れて待機している。その丘へ近づくにつれて登りきった先には元入植地があり、その入り口には大きな石が境界線のように置かれているのが見えた。ようやくこの時点で、やっぱり、これはただオリーブを植えましょうなんて平和活動ではないと鈍い私はようやく悟った。」

「私たちは50人以上いる男たちの後ろの方にいて、前の状況は良く見えなかった。が、また以前の掛け声が始まり、丘の上から見下ろすイスラエル軍はびくともしない壁のように無表情で冷たく感じた。とあるPRESSジャケットを着たパレスチナ人が丘の脇から上ろうとするのを見つけて、兵士が銃を向けて下がるよう命令した。反対側のオリーブ林からも何人か通り抜けようとして、兵士から脅しをかけられる・・・。ということを繰り返している内に突然、兵士の一人が私たちの方めがけて手榴弾を投げた。その瞬間を私はスローモーションのようにはっきり覚えている。」

「イリスが私の手を取って、『催涙弾だよ!たまねぎ持ってこなかった!』と言いながら2人で走り出すと、2発目が投げられた。そして後ろに下がった男の子が石を投げ始める。何発目かの催涙弾のあと、ゴム弾が撃たれる。かなり動揺していた私だが、兵士たちは必ず誰にも当たらないよう発砲し催涙弾を投下していることははっきりと見えた。だがこの瞬間、私の中で目に見えない真っ黒な雨が降りはじめた。」

「人間がもう人間として話し合えない日常。ただ歩いてくる人間に対して、手榴弾やゴム弾という“暴力”を使わなければならない状況。もう撤退したはずの、パレスチナ人に返されたはずの土地が何故、軍によってまだコントロールされているのか?私がキブツで一緒に住むあの子供たちが、無邪気でいつも困ったときに私を助けてくれるあの子供たちがそんなことをしなければならない。感情を殺して冷たい機械になり、同じ無邪気で罪のない隣人たちに銃を向けなければならない!」

「どうしても、この現実を受け入れたくなかった。このままでは絶対にいけない、変えなければならない。何かこのためにしなければならない、私はそう決心した。」

「ガザ攻撃がはじまった。トゥカレムでも緊張が高ぶってはいたが、それほど以前とは変わらない生活をしている。私がいつも泊まらせてもらうサマールの家ではみんなテレビに釘付けになって、イスラエルへの憎しみと罵倒を繰り返す。私がイスラエルに住みイスラエル人と結婚していることを知っているサマールは、『なんでイスラエルに恵は住み続けているのか分からない。今すぐパレスチナにおいで!ユダヤ人には青い血がながれているのよ!!』そう本気で言っている彼女に私はなんと言い返せばいいのか分からなかった。『なにも出来なくてごめん。でも、イスラエル人にも、心から平和を求めている人たちがいる・・・。』」

「イスラエルという国がしていることは許せない。でもこの国に住んでいる人たちは、素晴らしい知恵と深い愛情を持った人たちだ。では、その“素晴らしい”人たちがこのパレスチナへの侵攻、占領、戦争を起こしているのはなぜなのか?」

「それは恐怖だ。3千年という追放と迫害の歴史を生き抜いてようやく“母国”を持ったユダヤの民。世界中に散らばりながらその伝統・宗教を守りどこへ行っても差別を受け、時に偏見や憎悪の的となりながら、屈することのなかった、信じられない力を持ったこの人たちは、今ようやく自分の家に“帰ってきた”。が、アラブ諸国に取り囲まれたこの小さな孤島にひとりぽっつりと生きるためには、自己防衛という手段しか頭に浮かばなかったのだ。常に“アラブ諸国はユダヤ人を海に投げ捨てたいと思っている”。それが彼らだ。」

「誰かが自分を殺そうとしている時(例えそれが被害妄想であろうと)、一体どう反応するかにはあまりオプションはない。逃げるか、戦うか、その相手をどうにか殺さないでくれるよう説得するか。イスラエルは戦うことを選んでいる。そして相手は自分より弱い、まだ家すらも持たない子供だ。」「その恐怖の鎖から解き離されないうちには、この地に平和はやってこないだろう。あるいは、恐怖を持ちつつも、人間としてこうありたい、平和に生きたいという光がその恐怖の闇に勝つとき、私たちはこの地に、世界に平和をもたらせると思う。それを助けるのが、想像力だ。」

「私は毎回トゥルカレムに行くとき、必ず訪れる人がいる。その一人がサディだ。彼は日本に政府の奨学生として経済を学びに行ったこともある日本びいきのパレスチナ人だ。日本だけでなくヨーロッパ各国に渡り、アメリカでも学生経験のある彼の視点は時にとても鋭く、とても重層的だ。ガザ侵攻のさなか、私はサマールと共にサディの事務所を訪れた。ドアを開けたとたん、サマールはサディに英語で私にも分かるように、『サディ聞いて!私は恵にすぐイスラエルを出るように言ったの。彼女はあんな残酷な国を捨ててこっちに来るべきよ、そうでしょう?』」

「パレスチナ人サディは静かに彼女をみつめて、私たちを座らせてからこう言った。『サマール、過激になってはいけない。ひとつ私の経験談を話そう。先週私は仕事から家に帰る途中、入植地近くの道路を通った。突然、誰かが私の車めがけて石を投げてきた。その時初めて、自分の家に鉄の塊が投げられてくるスデロットのことを思った。それがどんな恐怖か、それが日常にある人々のことを。』この彼の言葉を聴いて私は正直安心した。」

「私はパレスチナに足を踏み入れると、一言もヘブライ語を話さない。またキブツではなくエルサレムに住み、結婚はしていない、そう嘘をつくことがルールとなっている。それは私のとても親しい何人かのパレスチナ友人のアドバイスからだ。彼らは私の身を守るため、その人が本当に信頼できると分からない限り身元は明かすな、という。それはけっしていい気分ではない。常につじつまを合わせたり、ひょんなところでヘブライ語が口から飛び出ないように気を付け、私が誰であるか、何を考えているかはっきり言えない、隠さなければいけない状況。それはとても疲れる。」

「反対にイスラエルでは私の考えていること、トゥカレムでの活動、イスラエルへの批評・・・全て誰にでも自由に話すことが出来る。私が誰であるかを隠さねばならない状況は、言論の自由、仲間同士の信頼が欠けていることを表している。どんなに周りがサポートしようとしても、仲間同士が結束しないで内輪もめしているだけではどんな進展も望めない。が、サディのように自分を敵の立場において考えられ、自分がしていることの過ちを正せられるとき、そこには希望がある。被害者である立場はもちろんだが、それを超えて人間として仲間同士と、敵とすらも

手をつなぐことが出来るか。イスラエルだけではなく、パレスチナ側もまた自己変革を求められている。」(つづく)

パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
E-Mail : y_matsu29@ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 

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2009年8月27日 (木)

キブツからパレスチナへ その1

Sent: Wednesday, July 29, 2009 10:08 PM

パレスチナ便り⑪―キブツからパレスチナへ その1、キブツの生活

最初に彼女に会ったとき、「捨て身で求道する若者」がここにもいるな、と懐かしい感慨にふけったものだった。しかもイスラエル・キブツから、抑圧されているパレスチナのひとつの平和の拠点に180度転回して道を求めつづけている。日本人、といっても彼女はあまり自覚のない在日韓国人だ。最近は日本でも多くなってきているのだろうが、世界各国の若者たちと付き合って来た彼女が、どんな道を求め、どんな人間になろうとしているのか話を聴いてみた。

考えてみると、日本のパレスチナ問題を牽引しているジャーナリストの広河隆一、土井敏邦両氏も、若いころキブツから出発したのではなかったか?この地は、聖地、世界の求心地。太古の昔から、神の義を求めて苦難を乗り越えてきたところ。しかも、過去と現在の最大級の不正義が同居している現代史の特異点。いまなお道を求める若者を引きつけてやまないようだ。

彼女は、宮田恵、33歳。大学の文芸学科で物書きにでもなろうかと学び始めたが、自分の空っぽさ加減に呆れて日本を飛び出し、インドを手始めにスペインで3年間フラメンコを学びフランスなど各地を放浪したあげく、イスラエル・キブツに魅せられ5年間の生活を経験した。現在彼女は、前回紹介したTent of Nationsでボランティア生活をしている。ヘブライ語、英語を自由に話し、いまアラビア語を学び始めている。まずキブツにたどり着いたところから、彼女の話をきいてみよう。

「ヒブルー?どこの言葉?これが私とイスラエルとのはじめての出会いとなる。インドにいたとき、2人のイスラエル人が私に話をしてくれた。彼らはキブツで生まれ育ち、18歳で3年間従軍した後、お金を稼いで時間と場所の制約のない旅に出た。20歳そこそこの若い2人の男が、イスラエルという国の歴史から、文化から宗教まで丸一日かけて熱心に話をしてくれた。」

「この国にほとんど知識のなかった私にとって、さながら、まっすぐに伝わってくる自国への愛と誇り、どこの誰かも知らない私をすぐに彼らの家へ招待してくれた。その歓迎がとても新鮮で、心のそこから温かみを感じた。キブツという生活共同体がそういう人間を育てるのか、それともこの国のせいなのか?それとも・・・」

「この出会いで、私はどのようにユダヤ人がキブツを作ったのか、作らざるを得なかったのか、

人間が共に生きるうえでの平等性、効率性を追求して生まれたモシャーブ(農業生活共同体)というものを教えられ、強く興味を持ちはじめた。」

「“一人ひとりが、できる最大限を与え必要なものをもらう”、というモットーを基礎とし、キブツという大きな一つの家族、人間の理想郷・・・そんなイメージは私のイスラエル観を180度変えた。その”イスラエル人”という生き物に私は惹かれて、この―未知なる惑星―を訪れることを決心したのだった。」

「私が現在住むキブツは…」といっても、いま彼女はここから出てしまった。これを話したときはまだキブツにいたときだった。つづけて彼女は言う。「1976年に生まれた、比較的若いキブツだ。90人のメンバー、子供150人、そして30人は国内外からのボランティアが住み、イスラエル南部のネゲブ砂漠のど真中にあるキブツ・サマールだ。」

「10年前、5ヵ所のキブツを転々としたとき、どのキブツも私がイメージしたモシャーブ(農業生活共同体)、人間の理想郷というものには合わなかった。多くのキブツは農業から工業へと転換し、人間が共に生きることよりも“経済”が共に生きる目的となってしまっていた。」

「“最大限を与え、必要なだけもらう”というモットーは輝きを失い、メンバーが増え、生活が多様化し、一律給料制が導入されることにより、“最小限を与え、最大限をもらう”という能率主義がそこかしこに顔を出していた。そこで、私は人々に尋ね歩いた。“まだ本当の共同生活をしているキブツはあるのか?”と。そうして得た答えが、いま私が住むキブツ・サマールだった。」

「キブツで生まれ育った2世代目、3世代目が作ったこのキブツの始まりは、こうしたい、ああしたいではなく、”どうしたくないか”がキーワードであった。<誰かにどこで何時間働くか決められたくない><階級・階層を作りたくない><平等という名を借りた平均的人間の扱いをしたくない>等々。そうやっていらないものを取り除いていったとき、残ったものは”個人の意志の尊重”だった。」

「やりたい仕事を好きなだけやる。1日3時間の人もいれば15時間の人もいる。農業で働く人もいれば、キブツの外で教師として働く人もいる。女性でもバリバリとトラクターで働き、休みは自分で決める。給料はなく、自分で必要なだけお金を事務所からもらう。食堂は24時間オープン、好きな時に好きなだけご飯を食べる。」

「こんな風に存在していけるのか?破綻しないのか?という質問をよくされる。実際、このキブツは30年以上存在し、全てなされるべき仕事はなされている。なぜなら、人間はやりたいことをやるとき、責任というものが自然と生まれるからだ。やりたくないことをやるとき、意志も情熱もなく、いい加減になり結果はそれなりのものとなる。」

「ここではあらゆるサポートを受けた。とくに私の夢、職であるフラメンコダンサーの教師として活動することを常に後押ししてもらった。そして今、ここから出発しようとする私をも応援してくれている。」

「イスラエルとパレスチナとの橋を造りたい。そういう私の夢を話す時、みんな何かまぶしいものを見る眼をする。それは誰もがもう疲れてしまった、諦めかけている“平和”という道をまだ歩こうとする人間がいるという事実が、小さな希望を与えるからだと思う。」

「私には2500年の放浪というユダヤ人の歴史も、ホロコーストで、戦争で亡くなった家族もいない。民族や宗教を理由に憎んだことも、憎まれたこともない。ただこの国には、このキブツにはたくさんの経験と知恵をもらった、という感謝しかない。」

「みんな、いつでも帰ってこい。何か必要ならお金でも何でも送るから、体にだけは気をつけろ、そう心から声援をくれる。」

「私にとって、このキブツでの10年に渡る家族―友人関係がイスラエルでの基礎をつくっている。砂漠にオアシスを産み出し、今も“どうやって生きるか”を模索しつづける友人たちがいることが、イスラエルとパレスチナにいつか平和がやってくるはず、と信じる支えとなっている。」

                                               (つづく)

パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
E-Mail : y_matsu29@ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538 

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2009年8月26日 (水)

伊藤和也写真集

昨年の2008年8月26日、干ばつに苦しむアフガニスタン東部のダラエ・ヌール地方で、灌漑用の用水路建設と農業指導に当たっていた
 
 ペシャワール会
 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
 
職員の伊藤和也さん(当時31歳)が、武装集団に拉致され殺害されました。

 千人以上の地元住民が必死の捜索活動を行ったにもかかわらず、伊藤さんは変わり果てた姿で発見されました。住民たちは泣き叫びながら伊藤さんの遺体を運び、葬式を行いました。伊藤さんは心から住民に慕われていました。
 
 この痛ましい事件から一年後、伊藤さんが撮影してきたアフガニスタンの写真が、本として出版されました。
 
 『伊藤和也写真集 ダラエヌールの子供たち』
 伊藤和也著 160ページ 2625円 
 石風社 http://www.sekifusha.com/
 
 殺害されるまでの5年間、伊藤さんは数千枚の写真を撮影しました。現地では外国人が女性や子どもを撮影するとトラブルを招きかねないとのことですけれど、伊藤さんがカメラを構えると、人々は皆「イトー、アクスウバセ(写真を撮って)」と笑顔で撮影に応じたとのことです。

 本当に惜しい人を日本は失いました。
 
坂井貴司

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2009年8月25日 (火)

抗 議 文 舛添 要一 殿

抗 議 文

元派遣村名誉村長 弁護士 宇都宮健児

元派遣村実行委員会有志一同

〒104-0061 東京都中央区銀座6-12-15

COI銀座612 7階 東京市民法律事務所

TEL:03-3571-6051 FAX:03-3571-9379

厚生労働大臣 舛添 要一 殿

私たちは、年末年始、日比谷公園にて派遣村を企画した実行委員会の有志です。

 貴殿は、8月18日、横浜市内の街頭演説で、年越し派遣村の取りくみについて言及し、「4000人分の求人票を持っていったが一人も手を上げなかった。大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はない」と発言しました。

私たちは、この発言は、事実誤認により生じる偏見、もしくは、事実を捻じ曲げた中傷であり、命からがら派遣村を訪れ、今もなお厳しい雇用情勢の中で生活の再建を目指して努力している方々への侮辱であると考えます。自立を目指し、切実な思いで求職活動をしながら、何件も何十件も断られ、それでも求職活動を続けているのに、よりによって厚生労働大臣という立場にある人からこんなことを言われたら、どういう気持ちになるか。村民一人一人の心情を考えてください。

 派遣村は、厚生行政と労働行政の双方に対し、重たい提起を投げかけた取り組みでした。しかし、貴殿は目の前の現場に、一度も足を踏み入れなかった。そうした方が、事実を捻じ曲げた言動を繰り返していることを、私たちは黙認することはできません。上記の発言を撤回し、文書による謝罪を求めます。

また、派遣村に持ち込まれた求人票に関する事実、及び私たちの見解を以下に記しますので、ご一読ください。

1)「一人も応募しなかった」というのは、1月5日の4施設入所初日のことである

 1月6日にも、派遣村実行委員会に対して、大村厚労副大臣から同様のクレームを受けました。しかし、1月5日は日比谷公園撤収作業後、国会への請願行動や議員申入れなどをしており、都内4施設に入所したのは午後4時ごろでした。東京都職員から施設の決まりごとなどの説明を受けるとすでに5時になり、ハローワークの出張窓口が閉まりました。初日の応募がなかったのは、こうした理由によるものです。

 また、このことは、大村氏にはその場で説明し、誤解を解いていますし、貴殿もその報告を受けているはずです。6日からは朝から相談が始まっていましたし、今ごろになって言い出すのは「為にする」議論です。

2)「手を上げなかった」というのは誤り

 1月18日の時点で、求職者登録をした村民は百数十名に上っており、4施設に滞在していた村民の半数に上りました。

 4000件の求人中から応募し、旅館の住み込みや清掃、警備、タクシー会社などに就職し、派遣村を去った方もおります。

3)4000件の求人には実態のないものも多かった

 応募をした村民は、ほとんど断られてしまっています。応募した会社から返ってきた返事は、「もう決まっちゃいました」「実は募集していないんです」「ハローワークから求人を出すよう言われて、ホントは募集してないんだけどお付き合いで求人を出しているだけなんです」といったものでした。こうした実情を、大臣は御存じでしょうか。

4)寮付き求人へのトラウマ

 当初の応募が少なかった背景には、派遣村に持ち込まれた求人の多くが、「住み込み」など寮付きの求人だったことにも原因があります。

 派遣切りは、雇用契約の解除と同時に、住まいを追われるという過酷な首切り体験でした。寒空に放り出された彼・彼女らは「二度と同じような目に遭いたくない」という思いをもっています。今度こそは、自分の住居を確保して、職場に通いたい、だから住み込み求人への、応募には躊躇する、というのは心情としても理解できることではないでしょうか。

5)求職活動どころではなかった

 年越し派遣村では、心身の不調を訴える人や、今日の食費もない極限状態に追い込まれた人が多く、生活保護を受給し、その日の生活費を確保することが最優先の課題でした。 

 実際、緊急小口貸付資金の特例交付が始まる1月7日夕方までは、ほとんどの人が無一文の状態であり、求職活動のための面接交通費などを持っていなかったのが実情です。

 また、既に、大半の方が派遣切り後に、ハローワークや様々なところに相談に行ったり、必死の思いで職探しをおこなって来られていました。その結果、有り金も底をつき、どうしようもなくなって派遣村にたどりつかれています。心身共に疲弊した状態では求職活動を満足に行うことはできません。

6)誰でも年収1000万以上稼げる求人があったらください

 上記の発言のあった翌19日も、貴殿は「求人は、すべて寮付住み込みで、年収1000万以上稼げるものだった」などと発言されたと聞いています。耳を疑いました。そんな求人があったという話は実行委員会では聞いていません。また、もしあったとしても、ある種の専門性が問われる職務である可能性が高く、派遣切りされたり、数年間の野宿経験をしてきた失業者が就ける仕事でしょうか。ミスマッチが大きすぎたとしか考えられません。そのことを、求職者が怠けているといった文脈にすり替えないでください。

7)政策の実施と言っていることが違います

 政府が21年度補正で「第二のセーフティネット」を構築したのは、昨年秋からの派遣切りで派遣村村民も含め、職も住居も失う労働者が大量に出たにもかかわらず、セーフティネットが機能していないというその反省の上に立ってのことだと思います。

 派遣村の村民は、多くの失業者と同様に求人活動をし、同様に就職できていませんが、これらの人たちに対する「第二のセーフティネット」が無駄だというのでしょうか。そうであれば、政策決定者自ら「第二のセーフティネットなど不要だ」と言っているのと同じです。閣僚としての自らの行為に矛盾する発言であり、その社会的責任は重大であると考えます。

 

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在日朝鮮人歴史・人権週間

==2009『在日朝鮮人歴史・人権週間』全国集会(名古屋)==
*ここで使用する「朝鮮」とは南北全体を包括するものであり現在の国籍に限定されない概念である。

趣旨:人種主義等に関する特別報告者は『最も甚大な表れ方をしているのは文化的・歴史的性質を有する差別である』『コリアン・中国人コミュニティについては、こうしたマイノリティに対する差別の歴史的・文化的根深さが日本では認識されていない』(D・ディエン国連特別報告者「日本公式訪問」2006.1.報告書)とした。在日朝鮮人に対する差別の根源を知り根本的・全面的解決を考える初の人権週間である。

2009年のテーマ ①「朝鮮人強制連行」法的視点から、
②在日の無年金、③消えた年金 期間(7/~37/末)

     日時:2009年8月29日(土)~30日(日)
  場所:名進研ホール(JR名古屋駅徒歩5分)ほか
 名古屋市西区名駅2-34-19 Tel(代)052-582-2003
名古屋駅中央郵便局前の名駅通りを北北東へ5分右手

    <<<8月29日>>>

午後1時開場 名進研ホール 【資料代1500円】
*2009「在日朝鮮人歴史・人権」リーフレット持参者は1000円

午後1時 オープニングセレモニー
   寸劇:テマンハルモニとマダンのハルモニ
     (テマンおばあさんと広場のおばあさん)
   証言:長野・平岡ダムに連行されたアボジ
      *日弁連人権救済申立人

午後1時45分 開会
午後2時
シンポジウム「朝鮮人強制連行とは」‐新たな視点で提案する
 床井 茂
 (弁護士、元日本弁護士連合会人権擁護委員会
       朝鮮人強制連行事件調査委員会委員長)
 =日本弁護士連合会「朝鮮人強制連行」に対する勧告から=
 前田 朗
 (東京造形大教授(刑法)、在日朝鮮人・人権セミナー事務
     局長、『ジェノサイド論』(青木書店)等)
 =「いい仕事がある」と騙して海外に、最高裁の判例から=
 金 順 愛
 (愛知県朝鮮人強制連行真相調査団(朝鮮人側)事務局長)
 =中島飛行機半田工場被連行者の年金と現在、
               そして日本国内からの徴用=

午後4時 まとめ 各地からの報告とアピール採択

午後6時 懇親会 和食カブト名駅店
    (参加費5000円 青年・大学生3000円 飲み放題)
     名古屋市中村区名駅3-18-20 Tel 0120-324-489

      <<<8月30日>>>
        フィールドワーク
午前8時 JR名古屋駅桜通口噴水広場集合
   現地事務局に事前予約必要

①名古屋市東山霊安殿、②岐阜県久々利地下工場
   ①、②から希望する場所1カ所選択。

①名古屋市東山霊安殿
 2005年6月、調査団が開設した「ホットライン」に、無縁仏として名古屋市の東山霊安殿に眠る朝鮮半島出身者の遺骨の一部が無断で粉砕されたとの情報が寄せられた。以降、総聯、民団愛知県本部、愛知県調査団による遺骨返還に向けた取り組みが始まった。
 愛知県調査団が被害者の本籍を探し出し遺族へ手紙を送った結果、詳細を知りたいとの連絡が届いた。
 「15年前に死亡届を仕方なく出した。…もう少し早かったら、遺骨は粉砕されずに家に帰ってこられたのに残念だ。日本で遺族を探してくれたことを感謝している。父が日本でどのように暮らし、名古屋で亡くなったのか調査を望む」
*関連ビデオ(20分)名古屋テレビ制作『砕かれた遺骨-朝鮮半島出
身者の遺骨問題を追って-』

②三菱第四エンジン製作所岐阜県久々利工場
 計画総面積3,300平方メートル。トンネルの断面は、幅が4.9m、高さが3.5m。戦争末期、米軍の空襲に備え、航空機を生産する工場を山間部に大規模なトンネルを掘り移動するために作られた。
岩盤に刻まれたツルハシの爪跡が当時の突貫工事の様子を今に伝える風景になっている。その足跡が残る地下壕は、全国各所に掘られた地下壕の中でも、最大級の規模と構造をもった地下壕跡地になっている。
*調査団編著『朝鮮人強制連行調査の記録-中部・東海編』(1997.3柏書房)

フィールドワーク申請書(車の手配等があるので参加者は事前にFax 052-618-7770 で連絡して下さい。時間の関係上2カ所に参加できません)
①名古屋市東山霊安殿、②岐阜県久々利地下工場
   ①、②から希望する場所1カ所選択。
氏名(        ) 連絡先 電話番号(       )

主催:「在日朝鮮人歴史・人権週間」実行委員会
共同代表:清水澄子(朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表)
原田章弘(朝鮮人強制連行真相調査団日本人側共同代表)
床井茂(在日朝鮮人・人権セミナー代表)
高徳羽(調査団朝鮮人側代表)
柳光守(在日本朝鮮人人権協会顧問)
安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)

賛同団体:平和フォーラム、自治労、曹洞宗、部落解放同盟中央
本部、I女性会議、在日本朝鮮青年同盟中央本部、在日本朝鮮
留学生同盟、在日本朝鮮仏教会、タラワ・マキン島同胞犠牲者
遺族会、全国25都道府県別朝鮮人強制連行真相調査団(日本人
側・朝鮮人側)*共同代表及び賛同団体、順不同。

事務局
(東京)フォーラム平和・人権・環境(歴史・人権担当)
    Tel 03-5289-8222
(大阪)空野法律事務所
Tel 06-6361-5488
(現地)「歴・人」東海実行委員会
名古屋市西区上名古屋3-16-25
Tel 052-618-7771 Fax 052-618-7770
    

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2009年8月24日 (月)

映画「氷雪の門」

映画「氷雪の門」を見る。1974年の製作だが、当時、ソ連に対し非友好的であるとのことで、ほとんど上映されなかったという。映画の存在は知っていたが、見るのは初めてであった。

樺太、真岡の電話交換手の女性を軸に、その家族たちが、8月15日の敗戦後も侵攻し続けてくるソ連軍に追われ、逃げ惑い殺され自決していく姿をえがいている。事実はさらに悲惨なことであっただろうと想像に難くない。国境を越え南下してくる戦車軍団、真岡の町への艦砲射撃、ソ連兵の銃撃等々、そして、南をめざしての逃避行・・・映像は、旧満州の開拓団の逃避行!そして、沖縄戦!へと重なる。軍隊の前に、兵士も一般民衆も区別はない。殺せ殺せ!!

戦争となれば、二国間条約も国際法も殺人罪もない。人間の尊厳もない。あるのは、有無を言わさぬ巨大な暴力装置、軍隊だけである。目的は、領土の拡張と資源の収奪である。戦前の天皇家や財閥の海外資産は膨大なものであった。国家権力を握り、徴兵制によって作った軍隊で、自らの財産を守り、かつ増やそうとしたのである。国民を騙した巨大なプロパガンダ「お国のために!」お国とは、彼らのことに他ならない。国家権力を守るために、天皇を神とする「国体護持」を必要としたのである。

1945年2月、すでに日本の政府は、明確に敗戦を認識していた。しかし、国体護持のために、連合国との交渉を少しでも有利にすべく、どこかで戦果をあげることができないものかと、戦いを引き延ばしにかかったのである。結果、日本各地への空襲、沖縄戦、広島、長崎ヘの原爆、旧満州、樺太へのソ連軍侵攻となったのである。敗戦までの半年間に、どれだけ多くの民衆の命が奪われていったことか!政府に、日本の国民を守る愛国心があったならば、2月の段階で降伏していただろう。

死んで捕虜の辱めを受けずと、国民に強要してきた者たち。自らは、国体護持の命乞いをしたのである。故に、天皇制度は途絶えることなく、21世紀の現在もなお維持されている。神から、人間となって。

あの15年戦争はなんであったのかと、問い続けなくてはならない。なんのために、誰のために戦争があったのかと。日本は、アジアの人々に向かえば、加害者でもある。戦争の被害者と加害者、両方の事実を掘り下げて、過去の歴史から学ばなければ、真実はつかみ取れない。騙されていた、の一言で終わらせてはならない。政府のプロパガンダに騙された国民には、まったく何も責任がなかったと言い切れるであろうか・・・21世紀の戦争、この先に続く未来、私たち市民一人ひとりの責任を今、私は自らに問うている。

mm記

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2009年8月23日 (日)

ブラックウォーター

ブラックウォーターは今もイラクで武装している
2007年9月、バグダードで非武装民間人を虐殺した傭兵企業ブラックウォーター社。他にも様々な犯罪に関与してきたブラックウォーターが依然としてイラクに居座っている状況を『Blackwater』の著者ジェレミー・スケイヒルが紹介。

ブラックウォーターは今もイラクで武装している
ジェレミー・スケーヒル
ZNet原文
2009年8月19日

今年初めの頃に、イラク政府がブラックウォーター社の操業ライセンを取り消したと発表したにもかかわらず、米国国務省は今もイラクにいるブラックウォーターの工作員が武装し続けることを許容している。あ国務省官僚が『ネーション』紙に語ったところによると、ブラックウォーター(最近Xeサービスと名前を変えた)は現在、「USトレーニング・センー」の名で活動しており、少なくとも9月3日まで武装したままイラクに居つづけるという。すなわち、ブラックウォターの工作員がバグダードのニソール広場でイラク人市民17人を殺してからさらに2年近くもブラックウォーターはイラクに居座っていることになる。

国務省外交安全担当官は、匿名を条件に、「その任務のもとで権限受けたスタッフはそのときまで武器の携行を許される」と述べた。彼は続けて次のようにも言う。「米国国務省が契約している民間軍事会社の目的と使命は、米国外交官と外交施設の保護に限定されており、防衛的な性格のものである」。

最後の点は、イラク人にとっては何の安心にもならない。2007年9月16日にニソール広場でイラク人を虐殺したブラックウォーターの工作員たちは、まさに防衛的な任務に就いていると説明されていたのである。「イラクの人々は、ブラックウォーターはもはやイラクで活動していないと思っています。イラクから追放され、ライセンスも剥奪されたと思っているのです」。米国フレンド派奉仕事業委員会のイラク顧問を務めるライード・ジャラルはこう語る。「人々は、もうブラックウォーターは撤退したと思っています。ブラックウォーターが今もイラクにいるというのはとても不穏なことです」。

ブラックウォーターが依然として武装したままイラクに居座っていることを国務省が認めたのは、ブラックウォーターの元職員が宣誓証言の中で、ブラックウォーター社の社主エリック・プリンスが自分の会社は世界からムスリムとイスラムを「抹殺する」ためのキリスト教十字軍の戦いを進めることにあり、ブラックウォーター社は「イラク人の生活を破壊することを推奨しそれに報奨を出した」と述べてから一週間後のことだった。

米国国務省によると、イラクの外交安全関係契約でブラックウォーター社が今も維持しているのは航空関係契約だけだという。『ネーション』紙が最近報じたように、オバマ政権は7月31日にその契約を延長し、ブラックウォーターはさらに2000万ドルの追加支払いを受けることになった。これによりイラクの「航空サービス」で国務省からブラックウォーターが受け取る支払い総額は1億8700万ドルになった。ブラックウォーター社はこれまで「外交安全」契約で国務省から10億ドル以上の支払いを受けている。9月に、ブラックウォーターの航空契約は巨大な著名傭兵企業ディンコープが引き継ぐ予定で、イラクでの「防衛的治安」のおいしい取り分はトリプル・キャノピーが持っていく予定である。

今年1月28日、イラク政府はブラックウォーターにイラクでの操業ライセンスを与えないと発表した。イラク政府は、米軍地位協定で示されたように、民間軍事会社が公式にイラク法の司法管轄下に入ったあかつきにはブラックウォーター社はイラクを撤退しなくてはならないと述べていた。「ライセンスを持たないブラックウォーター等の会社はイラクから即座に撤退しなくてはならない」とイラク内務省報道官アブドゥル=カリム・カラフ少将は断言した。そうした宣言にもかかわらず、ブラックウォーターはイラクに居座った。「操業ライセンスなしでどうして7カ月も居座ることが認められたのでしょうか?」とジャラルは問う。

2009年1月1日に発行した米軍地位協定の文言によると、技術的には米国国務省の契約下にある企業はイラク法の管轄下に置かれるが、実質上、ブラックウォーターやトリプル・キャノピー、ディンコープなどといった国務省契約企業をイラク法の適用例外としているようである。ブラックォーターがイラクに居座り続けていることがそれに関係しているかどうかは明らかではない。ヌーリ・アル=マリキ首相をはじめとする政府高官は「ニソール広場虐殺のあとリップサービスを振りまき、ブラックウォーターを起訴しイラクでの操業を禁止すると約束したが、実際には何一つしませんでした」とジャラルは言う。「国務省の説明責任もブラックウォーターの説明責任も問わないまま、意図的に人々を騙していたようです」。

ニソール広場虐殺の一週間後、マリキ政府はブラックウォーターを禁止すると述べた。「イラク政府は市民に対して責任を追っている。軍事企業が殺人を犯すことは認められない」。2007年9月23日、マリキはこう述べた。「イラクの主権に対する重大な挑戦だ」(イラク政府は見解を求められたが、返答しなかった)。

この間、ブラックウォーターはアフガニスタンでも大規模な駐留を続けている。同社はアフガニスタンでも国務省の全世界人員保護プログラムの外交安全契約のもと、「USトレーニング・センター」という名を掲げて活動している。同社はまた、プリンスが所有するもう一つの会社パラヴァントLLCの名で米国国防省との契約のもとでも操業している。パラヴァントの工作員4人が現在、5月にアフガニスタン人市民2人を射殺したことで、米軍の調査を受けている。

ブラックウォーターは、戦争産業にとって新たな金脈となりつつあるアフガニスタンでさらなる契約への入札を行っている。米国政府に雇われて、今や7万人近い契約要員がアフガニスタンに派遣されており、アフガニスタンには米軍兵士(4万8000人)よりも契約要員のほうが多い。アフガニスタン内務省は40近い民間軍事企業にライセンスを与えているが、これらの企業はアフガニスタンで合わせて2万3000人を雇用している。これらの企業はまた、アフガニスタンで1万7000の武器を扱っている。国務省に雇われた傭兵の他に、米国国防省も約4300人の傭兵をアフガニスタンで雇っており、その数は着実に増えている。2009年第二四半期に、オバマ政権はアフガニスタンの武装民間契約要員を29パーセント増やした。

「Bleeding Afganistan: Washington, Warloads and the Propaganda of Silence」の著者ソナリ・コルハトカルは、「このような事態になっていることには驚いていません」と話す。「オバマが大統領になる前、アフガニスタンが戦争のトップ・プライオリティになるだろうとの警告は得ていたので、米国政府が戦争機械の多くをアフガニスタンにつぎ込むことは予想できました」。ブラックウォーターについて彼女は次のように言った。「イラクでと同じようにアフガニスタンでも民間人を殺しつづけるならば、米国のアフガニスタン占領に対するレジスタンスをますます強硬なものにするでしょう」。

8月6日、米国のジャン・シャコースキー議員は国務長官ヒラリー・クリントンと国防長官ロバート・ゲーズに手紙を書き、ブラックウォーター社が行ってきた「虐待の歴史」に言及し、クリントンとゲーツに「Xe社および関連会社とこれ以上契約しないこと、同社の既往契約をすべて再検討すること」を要求した。国務省も国防省もシャコースキーの手紙に返答していない。

「益岡賢のページ」より転載

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2009年8月22日 (土)

「冬の兵士」

「冬の兵士」ルイス・モンタルバン(1)の証言
   
私は物資と人員の増強を要請するおびただしい数の上申書を書きましたが、何の返答もありませんでした。イラクで多くのショッキングな事件の現場にいました。[拷問の]水責めに立ち会ったことがあります。シリア・イラク国境で足止めされた難民に対する人道援助の提供をしないよう、上官から違法な命令を受けましたが、その命令には従いませんでした。

私は何人もの米軍指揮官のもとで数多くの大規模作戦に立ち会い、また身をもって参加しました。指揮官たちが作戦の成功を測る基準としたのは拘束者の数だけで、それによってどのような事態が引き起こされたかを、省みることはまったくありません。こうした作戦がもたらしたものとは、部族間、民族間、宗派間の抗争にほかなりません。抗争の主体となっているのは、米軍がイラク治安部隊と呼ぶ武装集団で、制服から装備まで米国民の税金によってまかなわれています。

もっとも非難されるべきは、イラクでの兵員が必要な員数近くに達したことがなかったという点です。ところが2003年から今日までの間、なかでもサンチェス、ケイシー、ペトレイアス各将軍は、部下の将校から出された物資と兵員の増強要請を顧みることはありませんでした。それどころか、つねに事態をバラ色に描いてみせました。イラクは内戦状態となっているにもかかわらず、です。将軍たちは、過去現在一貫してイラク治安部隊の兵力について過大な評価を議会に報告しています。事実を偽ることは、軍法会議と刑事告発の根拠となるべきです。

私はイラクで多くの友人を亡くしました。アメリカ人もイラク人もいます。
イラク人の友人の多くは、イラク国内で、また国外で、難民として苦しみ続けています。実のところ、私が兄弟と思っているイラク人の友人、アリは、米国難民受け入れプログラムによる亡命を申請するために、今日もヨルダンの国連難民高等弁務官事務所と面会を重ねています。最近アリは援助を求めて私のウェブサイトを通じて連絡をしてきました。それを受け、陸軍にいる私の仲間数人が彼に支援文書類を送りました。彼は2003年と2004年に、命の危険を冒して私たちを助けてくれたからです。アリと他の多くの人たちが迅速に助けられることを祈っています。

テッド君(2)、私たち二人が闘ってきたことについて、この手紙に焦点当てたいと思います。私たち二人が力を尽くして闘ってきたこと、過失と職務放棄と腐敗と闘ってきたことにについてです。君は、ジョセフ・フィル将軍とデイビッド・ペトレイアス将軍は過失を犯し、職務怠慢であったと考えていた。私もそう思う。ペトレイアス、フィル両将軍に君が宛てた文書が、君の遺体のそばで見つかって、陸軍当局によるとその文書は「自殺の遺書」だという。

その中で君はこう述べている。
「あなた方の関心事は自分の出世だけで、あなたがたを補佐する将校たちに、任務遂行のための支援を全く提供していない。それどころか気にも留めていない。腐敗と人権侵害と虚偽につながる使命にはもはや耐えられない。
私はもうこれ以上汚れた身になりたくない。私が志願したのは、金に群がる腐敗した請負業者たちを儲けさせるためでも、我が身しか眼中にない司令官たちのもとで働くためでもない」。この文書は日誌の一片で、破り取られて君の遺体のそばに置かれたと君の家族は考えている。さらに家族が話してくれたところによれば、家族の手元に返された遺品の中に日誌はなかったということだ。

2003年アル=ワリード[イラク・シリア国境]の通関手続地にいた時、私は多くの上申書を上官に提出しました。そのひとつは、自動出入国追跡システム導入の必要性を述べた報告書でした。出入国の動きを追跡するためのシステムとして、個人識別安全評価システム(PISCES)というものがあります。リカルド・サンチェス中将とポール・ブレマー[連合軍暫定当局代表]はアル=ワリード通関手続地がそのシステムの設置に適するかどうか判定するため、調査団を送ってきました。調査団は現場を離れるとき、この通関施設はPISCESの設置が可能だと告げました。私の部隊、第3機甲騎兵連隊が2004年の3月にそこを離れたときには、PISCESはまだ配置されていませんでした。

2005年、2回目の派遣で私は再度イラクに入りました。私はH・R・マクマスター大佐の下でイラク治安部隊との連隊の総合調整者に任命されました。大佐は現在、将官クラスになると目されている人物です。私の任務のひとつに、ラビヤの通関手続地でシリア・イラク国境の北半分の情勢の変化と安全を監督する仕事がありました。2005年6月、イラク多国籍軍団にいるガイ・ヴィラーディ中佐がある情報を与えてくれました。それによれば、下部組織である文民警察訓練支援隊(CPATT)(3)が、PISCESを多数持っていて、それはバグダッドのコンテナにあり、それが近いうちに設置されるとのことでした。

ニナワ県西部に戻ると、私はマクマスター大佐を含む上官たちにこれを知らせました。2005年8 月、文民警察訓練支援隊(CPATT)の司令官であるジョセフ・フィル小将がラビヤを訪れ、概況説明を受けるということがありました。そこで、私たちはシリア・イラク国境の現状を報告しました。フィル少将は報告を受けると、PISCESシステム設置の意見を一笑に付し、「そのシステムは役に立たず、第一にわれわれのところにはない」と言いました。私がヴィラーディ中佐から聞いた情報を伝えると、フィル少将は「そんなはずはない。PISCESはいずれにせよ役に立たない」と答えました。私の2度目の派遣から離任する直前の2006年1月、海兵隊予備軍のカール・ラマーズ大佐が
保護された通信網を通じて、Eメールを送ってきました。それによれば、
PISCESは実はバグダッドのコンテナにあるとのことでした。私は憤慨しました。第3機甲騎兵連隊がニナワ県西部の任を解かれた2006 年3月当時、PISCESあるいは同様の追跡システムはラビヤの通関手続地には設置されていませんでした。

2003年から2007年まで、出入国追跡コンピューターシステムはシリア・イラク国境には導入されませんでした。これによって、イラクの不安定度は間違いなくこのために増大したと思います。外国の戦闘員や犯罪者が、逮捕の恐れなしに、国境を越えて自由に移動できたからです。この結果、かなりの数のアメリカ人やイラク人が殺傷されたと思われます。

あと持ち時間が1分となりましたので、最後に重要な事柄に一点だけふれておきます。私はリー・ダイナミックス・インターナショナル社(4)との契約についての腐敗を知っています。バーグナー准将(当時)の書面による証言が手元にあります。その4ページ目で明らかにされているのは、次のような事実です。ペトレイアス大将とフィル少将の下では、大量の武器についての説明責任制度がなく、装備の調達、保管、補給について標準任務手順もなかったということです。

最後に次のことを言っておきたいと思います。この1年半の間に、私は個人であるいは仲間のイラク帰還兵たちと共同で、多くの記事を書き、『ワシシントンポスト』『ニューヨークタイムズ』『サンフランシスコクロニクル』をはじめとする各紙に掲載されました。おおぜいの将軍による職務怠慢の事実を広く知ってもらおうと、私たちは大きな声を上げ続けてきました。その間、その将軍たちは何度も昇進を重ね、嘘を言い続け、イラク情勢をバラ色に描いています。

  <注>
  (1)ルイス・モンタルバンのHP:
  http://www.luiscarlosmontalvan.com/2008_05_01_archive.html

  (2)セオドア・S・ウエストハッシング大佐のことで、モンタルバンの証言は彼に呼びかける形で行われた。ウエストハッシング大佐はペトレイア
ス将軍の下で、イラク治安部隊の訓練の監督と軍の請負業社の監をしていた。2005年6月に遺体で発見され、軍によれば自殺とされているが、他殺ではないのかとの疑念が持たれている。請負業者の不正を告発する文書が届けられ、調査を行って報告書を書いた直後に死亡しており、大佐の死と請負業務にかかわる不正の関連が指摘されている。彼は耳の後ろを銃で撃っているが、自殺の場合通常は口に銃口を入れたり、あごの下やコメカミを撃つのが一般的であるとされ、医師も彼のような自殺は見たことがないという。後1ヶ月でイラクから帰還することになっていたこと、また母親の証言によれば自殺した6月5日が母親の誕生日と重なっていて、母親はガンにかかっており息子が自殺すればおそらく母親も死んでしまうだろことを息子は知っていたので、自殺するはずがないとのことである。以下のサイトを参照した。
  http://www.alternet.org/waroniraq/77313/

  (3) 
  イラク多国籍軍(MNF-I)
       |
  イラク多国籍軍団(MNC-I)ーイラク多国籍軍治安移行部隊(MNstc-I)
              |
  文民警察支援隊(CPATT The Civilian Police Assistance Traing Team)

  (4) リー・ダイナミックス・インターナショナル社(LDI)はイラクの多国籍軍に兵站支援をするために国防総省に雇用された米国の請負業社。イラク警察と国境警備隊の武器と装備を供給する唯一最大の業者であったが、数百万ドルの装備や武器がどこにあるのか分からずフィル将軍やペトレイアス将軍が調査や説明を放棄していた。

──────────────────────────────────

2008年9月、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)、冬の兵士の証言集を全米で刊行。

Winter Soldier: Iraq and Afghanistan: Eyewitness Accounts
of the Occupations, by Iraq Veterans Against the War,
edited by Aaron Glantz, (Haymarket Books; September, 2008).
http://www.haymarketbooks.org/product_info.php?products_id=1613
http://www.amazon.com/Winter-Soldier-Afghanistan-Eyewitness-Occupations/dp/1931859655

岩波書店より2009年8月18日発売。
TUP「冬の兵士」プロジェクトチームによる邦訳。
『冬の兵士──イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』
反戦イラク帰還兵の会 著 アーロン・グランツ 編集 TUP 翻訳
岩波書店発行
320ページ
1995円(1900円+税)

イラク戦争を追いつづけてきたジャーナリストが『証言集』の書評を書いて
いる。速報785号「ダール・ジャマイルが解説する冬の兵士証言集」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/816

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2009年8月20日 (木)

辺野古 小禄信子さん

Subject: [CML 001045] 【動画】追悼:
From: 小林アツシ
Date: 2009/08/19 15:36
To: <cml@list.jca.apc.org>

【転載歓迎】

沖縄 辺野古(へのこ)での米軍基地建設に反対して長年
座り込みを続けてきた小禄信子さんが昨日8月18日に
他界されました。90歳でした。

きょう、小禄さんにインタビューさせていただいた時の
お話しをもう一度聴こうと思い、二回分のインタビューを
すべて聴き直しました。小禄さんは「記者さんやカメラマンの
方に何度も何度も話をしたけれど、なかなかみんなに
伝わっていない」とおっしゃっていました。

私は、「自分には小禄さんの想いをきちんと伝える責任と
義務がある」とあらためて思いました。

DVD『基地はいらない、どこにも』には収録しきれなかった
部分を含むロングバージョンのインタビューを編集し
公開しました。残された私たちへの小禄さんのメッセージを、
ぜひお聞きください。

http://atsukoba.seesaa.net/article/126028561.html
http://www.youtube.com/watch?v=JNr0392Tbmg

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2009年8月19日 (水)

(竹内×)国民審査

平和のための国民審査(竹内×)

みなさん、平和のための国民審査実行委員会です。
「平和のための国民審査」(竹内バッテン)運動を全国各地で進めていただき、感謝しています。
おかげさまでわずか1月の間で全国の皆様に20万枚のリーフを届ける
ことが出来ました。
 
竹内行夫元外務事務次官(外務官僚のトップ)・現最高裁裁判官は、名古屋高裁が憲法9条に違反するとした違憲のイラク派兵をおしすすめた当時の責任者です。
あろうことか、麻生内閣は、この竹内氏を違憲判決(去年の4月17日)後の去年の10月に最高裁裁判官に任命しました。
これは麻生内閣による「平和憲法、違憲判決。そんなの関係ねえ」との
意思表示にほかなりません。
  
これに対して、市民の中に「違憲のイラク派兵をすすめた竹内行夫氏は、憲法の砦としての最高裁裁判官にふさわしくない、最高裁裁判官を辞めさせよう(罷免させよう)」という声が、一気に全国で広がっています。
  
この声を一斉に形にしよう。そしてしっかり裁判所にも伝えよう。
そういった声もこの間多数寄せられています。
裁判官・裁判所職員にとって竹内最高裁判事の存在は無視できない問題です。
  
そこで、下記の行動を皆さんと一緒に起こしたいと思います。
日程が迫っていますが、できる範囲で運動を作っていただければと思っています。よろしくお願いします。
  
自衛隊イラク派兵差止・名古屋訴訟弁護団事務長
弁護士 川口 創

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2009年8月18日 (火)

武者小路公秀  ソマリア

ソマリアの海賊と「人間の安全保障」

広範な国民連合代表世話人 武者小路 公秀

 ソマリアの海賊対策は、日本からの自衛隊も参加して進められることになった。国会での討論も新聞の論調も、自衛隊参加の可否についてはあったけれども、ソマリアの海賊がなぜ今ごろ出没するようになったのかということについては、誰も問題にしていない。もっとも、国際社会(実は「先進工業諸国中心の」という断り書きが必要である)が、米国や西欧諸国をはじめとして、中国まで含めて、こぞって海賊退治に参加する形を取っている以上、それ以上のことについて考える必要がないと思われているのかもしれない。

 もちろん、筆者も、ソマリアの海賊を退治してはならない、ということを主張するほど、不心得者ではないない。しかし、ソマリアの人々の困窮が、その一部の不心得者を海賊に走らせたのであったら、その原因について解明しないで、ただ海賊を取り締まればよいということはできない。筆者も、ソマリア問題の専門家ではないので、ここに記すことの大部分は、専門家の言葉や記事の紹介になってしまうことを正直に認めよう。
 ソマリアについては、次の三つのことが、客観的に確かめられる事実として、厳然としてわれわれの判断の基準になることを待っている。

1、 ソマリアは、地球上でももっとも貧しい最貧国のひとつであり、また、現在世界に散在している軍事紛争の地域でも、ただひとつこの国を有効に支配する政府を持っていない国である。


2、ソマリアの沿岸は、インドネシアのツナミのときにも津波が押し寄せた海域に面しているけれども、その海域には先進工業諸国が、放射能を持つものも含めて廃棄物の投機をする海域になっている。それで子供が放射線を浴びたために病気になったことが問題になっている。


3、かなりの数のソマリア人が湾岸の石油国や西欧などに出稼ぎにいっていて、その仕送りがソマリアの総所得のなかで、かなりの比率(たしか30%ほど)に達する額になっていた。その仕送りは西欧式の銀行送金ではなく、イスラーム式の伝統的な金融制度を使う送金に頼っていた(特に非正規移住労働者は銀行送金をする資格がないこともある)。ところが、この金融制度がテロに利用されるというので、米国の反テロ戦争のなかで禁止されたため、送金ができなくなった。その結果、出稼ぎ労働者の家庭のみならず、ソマリアの国としての収入も、急減してしまっている。


 以上の三つの事実は、国連が採用し、日本国政府もその外交政策の指針にしている「人間の安全保障」の原則に即して考えると、つぎのような問題がでてきて、ただソマリアの海賊を退治すればよい、ということにはならないはずである。

ソマリアが、国家の体をなしていないということは、その国民の安全を国際社会が責任を持って保障する義務がある。
海岸地域に住むソマリア人たちは、海に依存する生活を送っており、汚染された海によって生活の安全をうばわれており、また汚染した海での漁業も不安全になっている。
したがって、国際社会は、ソマリア人の出かせぎ労働者の送金ができるように配慮し、また生みの汚染の原因になっている廃棄物投機を禁止して、海岸地域にすむソマリア人の安全を保障する責任がある。


 要するに、「人間の安全保障」の立場から見れば、ソマリア人に対する安全保障義務をはたさないでおいて、ただソマリア人の海賊の監視と退治だけに精を出すのは、少なくとも著しくバランスを欠いた「国際貢献」であると言わざるをえない。もっとも、中国も日本も、この際、正義の旗をかざしてその海軍の威力を誇示する場として利用しているし、ソマリア海賊退治は「人間の安全保障」とは無関係な、世界に大国の間の「国家安全保障」の競争であるということであるといってあきらめるほかないのかもしれない。

「月刊 日本の進路」より転載

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2009年8月17日 (月)

幌延 高レベル放射性廃棄物

センター紹介 -地下施設等現場の様子-平成21年度は、東立坑は深さ約200mまでの掘削を予定しており、昨年度に引き続き、深さ約140mのところにある水平坑道を掘削し、東立坑と換気立坑が繋がる予定です。
また、地上施設である国際交流施設(仮称)については、今年秋頃の完成に向けて工事を進めています。

平成21年8月1日~平成21年8月7日 地下施設等現場

(1)地下施設(研究坑道)の掘削工事:(500m掘削予定)

・立坑掘削作業 : (8/7現在)
 東立坑 (維持点検中) : 掘削深度 140.5m
 換気立坑 (維持点検中) : 掘削深度 250.5m

・水平坑道掘削作業 : (8/7現在)
 深度140m東側水平坑道 (掘削中) : 掘削長 183.5m
 深度250m東側水平坑道 (維持点検中) : 掘削長 42.0m

「幌延深地層研究センター」より転載

******

日本原子力研究開発機構は、北海道の幌延で、高レベル放射性廃棄物を処理処分するための研究開発をおこなっている。HPには、掘削作業の進捗状況が載せられている。ガラス固化体を地下に埋めるための研究、作業が着々と進められているのだ。実際の、廃棄物の搬入はないとしているが果たしてこれが、たんなるボーリング作業だけのものなのか・・・

幌延を、地層処分地にしていこうとしたものの、住民の強い反対で一頓挫した経過がある。仮に、幌延でなくても、日本のどこかに埋めることを前提として、坑道を掘り進めているのである。世界のどこも、地下に埋めることはしていない。半永久的に何千年何万年にわたって、放射能の毒性を封じ込め続けることはできないからである。施設からもれ出た放射能が、地下水脈や、地震による変動によって、どのように生物界に出てくるのか、予測もつかなければ、それを制御することもできないことを知っているからである。

この研究センターから、目を離してはいけない。企業としての日本原子力研究開発機構が、すでに入っているのである。研究のための研究として、このまま終わるわけがない!

mm記

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2009年8月16日 (日)

寺子屋のご案内

サロン金曜日の寺子屋

8月29日(土)  18時から19時10分
高知市中の橋通り・ダイアパレス2階 208号室
(よつばカウンセリング研究所)ナチュラルハウスの上
講師:西森 良子さん Theッ創(劇団ざっそう)主宰者
テーマ:演劇のはなし

どなたでもご参加ください。

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2009年8月15日 (土)

野党3党の共通公約

野党3党、共通公約は生活再建  内需主導で
 民主、社民、国民新3党の政策責任者は14日午後、国会内で記者会見し、衆院選で示す「共通公約」を発表した。家計支援を最重点と位置付け、国民の可処分所得を増加させて日本経済を内需主導に転換し、国民生活を立て直すことを強調。4年間を念頭に置いた消費税率据え置き、郵政事業の4分社化見直しも打ち出した。

 民主党の直嶋正行政調会長は「この政策を実施するため、衆院選に勝利し政権交代を実現したい」と強調。3党間で隔たりが大きい外交・安全保障政策については「唯一の被爆国として憲法の平和主義を順守する」と触れただけで、具体的項目は盛り込みを見送った。

 民主党は衆院選で与党を過半数割れに追い込んだ場合、今回の共通公約を踏まえ社民、国民新両党との連立協議に臨む。

 個別政策では「今回の選挙で負託された政権担当期間中は消費税率引き上げは行わない」として、現行の5%に据え置くと明記。郵政事業に関しては、ゆうちょ銀行などグループ3社の株式売却を凍結し、4分社化を見直すとした。

 子育て支援策として、子ども手当を創設。生活保護を受ける母子家庭への母子加算を復活する。

 社会保障分野は、社会保障費の年2200億円の抑制方針を廃止。年金記録問題解決に集中的に取り組むとともに民主党案に沿って「所得比例年金」と「最低保障年金」を組み合わせる。後期高齢者医療制度と障害者自立支援法は廃止する。

 雇用政策では、製造業派遣を原則禁止した上で「派遣労働者保護法(仮称)」を制定。職業訓練期間中に手当を支給する「求職者支援制度」もつくる。

 地方活性化策は、国と地方の協議機関を法制化。地方が自由に使える財源を増やす。中小企業対策としては「貸しはがし・貸し渋り禁止法(仮称)」を制定。貸し付け債務の返済期限の延長を可能にするとした。

2009/08/14 19:09   【共同通信】

******

野党が結束して、共通の選挙公約を打ち出すというのは、初めてのことである。それも、かつてなく、国民生活に視点を定めているのだ。いかに、現状が異常事態に陥っているかということの表れでもある。この中に共産党が入っていないのは?共闘よりも、独自路線を守るということであろうか・・・

公約の中味は、本来、当たり前のこととして、政府が行ってきていなければならないことである。労働者の仕事を保障し、可処分所得を増やして内需主導に重点をおく。自国の経済は、自国の中で循環させていかなければ、日本の国民の生活は成り立たないのだ。グローバル経済、市場原理などといって、喜んで踊っていたのは、金融と大資本である。 国民を絞れるだけ絞って儲けた先にあったのは、世界同時進行の不景気である。消費者としての国民の生活を破壊して、資本の側は、生産したものをいったいどこで売ろうとしているのか。自公政権は、景気対策だといって、なおも税金を資本の側へ投入しつづけようとしている。しかも、金がなくなるからと、この上まだ、消費税を上げるのだと言う。それが責任が取れる政府だという。民が滅んで、残るのは政府と大資本だけ?

国民が生産した富は、すべての国民に再配分されなければならない。そのシステムを構築し、コントロールしていくことこそ、国民に負託された権力を持つ政府の役割ではないか。

mm記

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2009年8月14日 (金)

マニフェストよりも

メディアは連日、公約の検討、識者?の意見を取り上げている。民主党の公約に対し、財源は?と問い続け、結果、国民迎合、ばらまきで、結論は無責任であると言いつづけている。その意図するところは、民主党を批判することで、自公政権の擁護に回っているのである。

財源は?と問える自民党か!今まで、近くは補正予算を含め、金融、大資本、ゼネコン、天下り先等々のために、打ち出の小槌のごとく、800兆円の国債を増発し続けてきた政府である。おかげで、大資本の側は、国家予算の3分の1にあたる30兆円以上の内部留保金を持っている。労働者の側は、派遣などという人間を無視した法のせいで、今日1日を生きることさえ保障されずにいる。仮に、財源がなく国民のために、ここで数兆円の国債を発行するとしても、多くの国民は納得するだろう。

政権交代がかかった選挙である。公約の論議はけっこうだが、今もっとも大事なことは、これまでの自公政権の政策がどうであったかを問うことではないか?特に、小泉政権時代の国民生活崩壊、アメリカへの売国的政策を検討することの中から、将来への変革、必要な政策、が見えてくるはずである。ここまで、国民が瀕死状態になったのはなぜなのか。政府が推し進めてきた、大企業中心の政策、医療、年金、福祉へ投入する税金を縮小し続けて数々の悪法を作り続けてきたことがよかったのか、アメリカへの盲目的な追従外交がもたらしたものは何であったのか等々、過去を問わなければ、未来への展望も開けない。

マニフェストの具体的な論議は、選挙後のことでよい。大切なことは、次期政権をめざすものは、政策の基本をどこに置こうとしているのか、その目線を、大多数を占める一般国民の位置におこうとしているのか、それとも今までと同じく、対米追従、大資本に忠実であろうとしてしているのか、その大きな基本路線を把握することである。

メディアは、意図して過去の自公政権の中味を問おうとしていない。国民の目を現実からそらし、どうにでも言える、将来できるかできないかと不確定なことばかりをしゃべって、お茶を濁しているにすぎない。政権をかけた総選挙が、半分おもしろくもあり、半分おもしろくもない。時、ここに至ってもなおメディアはマスゴミのままである。その責任は重い!

mm記

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高知白バイ事件のシナリオ

『高知白バイ事件は、でっち上げのオンパレード』

http://www.news.janjan.jp/living/0908/0908108569/1.php

小倉文三記者が、JANJANに生田弁護士から聞いた、事故当日、はやくもできていた県警のシナリオ「殉職警官」について書いています。

7月31日の「週間金曜日」には、民事訴訟の訴状から、実名をあげていかにでっち上げの調書が作られていったのか、詳細に載せられています。ぜひ、手にとって見ていただきたいです。

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2009年8月12日 (水)

戦後補償法制定を

8月の総選挙ですが、残念ながら戦後処理・戦後補償をめぐる政策課題がほとんど論じられていません。景気対策や年金・地方分権など大変内向きなテーマにばかり論議が流れています。
 そこで緊急に8月13日(木)14:00に参議院議員会館第4会議室で記者会見して、下記のアピールを発表したいと思います。
ご賛同いただける方(団体・個人)は、折り返しメイルでご返事下さい(締切=13日正午)。記者会見にご参加いただける方は、3:45から参議院議員会館玄関で入館票を配布しますので、入館票を受け取って第4会議室にお越し下さい。

        <緊急共同アピール案>

      戦後補償法制定を各党に要望する
      ―2009年総選挙を前にして―

1 戦後64年目の8月に行われる総選挙に向けて各党が発表したマニフェストを見ると、関心が内向きになっていて、緊急の政策課題である戦後処理・戦後補償政策と取り組む熱意は全く感じられない。
  先週被爆救済で前進があったが、いずれの当事者も高齢であり、待ったなしで取り組まなければならない政治的課題である。
  同様に深刻かつ甚大な犠牲ないし損害を被った外国人戦争被害者はいずれも高齢となり、早期立法措置を講じることを期待する旨の意見を付した判決が次々に出されている。
この司法の見解を立法府も行政府も何ら尊重していないのは三権分立の意義を無視するものである※
  
2 日本の戦争責任・戦後責任を追及する国際社会の動向は一向に下火となることはない。新しい政治状況の下でわが国が国際社会において名誉ある地位を占めるためには、戦後補償政策の早期解決は不可欠である。※

3 近時の最高裁西松判決は、サンフランシスコ条約に関わらず、外国人の戦争被害者は、被害の救済を受ける個別具体的な「個人補償請求権」を有することを認めるに至った。
  これまで政府および与党は、サンフランシスコ条約によって個人の請求権は放棄され解決済みであるから、個人補償は行えないとしてきたが、この最高裁判決の下で速やかに個人補償請求権を立法化し、被害者に謝罪のしるしとしての補償をなすべきである。

4 私たちが当面取り組む必要があると考える補償問題は後記のとおりであるが、その支給方式について私たちは、他国の戦後補償の例も調査し「順次支給の方式」を提案している。
すなわち、立法により自動的に、すべての被害者に直ちに補償金を支払おうというのではない。日系米国人強制収容に対する米国の補償法では政府が補償基金に出資する一会計年度の予算の額に限度を設け、各年度に承認される予算に見合った分の補償が順次行われるという仕組みで、高齢者から支払われている。

5 私たちの提案は、政府が出資金を拠出して戦後補償基金(法人)を設立し、出資金とその運用益を補償金に充てる構想である。
国際社会の関心の的となっている日本の新しい政治状況の下で超党派の議員および新政府が調査・検討を重ね、各年度に承認される予算の限度額を定め、順次支給方式を具体化することを要望する次第である。(『戦後補償法』・明石書店・1999年刊参照)

                     記     
 強制連行・強制労働・性的強制、捕虜抑留者虐待、虐殺、
 人体実験、財産没収、戦後補償・援護策における内外人不平等

 以上のとおり緊急アピールを行う。

                    2009年8月13日

  <起案・呼びかけ>
   戦後補償問題を考える弁護士連絡協議会・戦後補償立法を
準備する弁護士の会
 座長 今村 嗣夫
   戦後補償ネットワーク世話人代表  有光 健 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
  <回答メイル⇒cfrtyo@aol.com 締切=8月13日正午>

 8/13発表「緊急共同アピール」に賛同します。

(名前 団体・個人)

(個人の場合は肩書)

(意見・メッセージ)

(連絡先)Eメイル:
      Fax:

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       戦後補償ネットワーク
           有光 健
       cfrtyo@aol.com Fax03(3237)0287
      Tel03(3237)0217/080-5079-5461
 〒102-0074千代田区九段南2-2-7-601
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2009年8月11日 (火)

津賀ダム平和祈念碑追悼会

「四万十川 ある記念碑の落成」                       下司孝之

8月9日の津賀ダム平和祈念碑追悼会は豪雨の中、津賀ダムの左岸で開催された。
旧大正町、3年ほど前に窪川町などと合併をして現在は四万十町と言われている、その山間の部落下道(しもどう)の外れである。ダム建設で戦時色が強くなる頃に散った朝鮮人達の慰霊の塔が今日出来上がったのだ。
四万十町前田哲生町長が追悼を述べ、式典は始まった。

ダムが見える林道の傍にパンサダと呼ばれる防邪塔が作られていたところが式典会場。
防邪塔前のお地蔵のうち、一体は韓国風地蔵。
テントが張られ、会場の周りに植えられていた、犠牲者の魂であるかのように鳳仙花が赤い花をつけて雨に打たれていた。
積み上げられた石の先端部は韓国の国鳥であるカササギを表現している。
隣のソッテ(鴨)という高い木の塔は地域の安全を願うもので、先端の自然木は鴨を現した高校生手作りの鳥像、魂が故郷へ帰るように立てられている。

式典の言葉はともすると雨音に遮られてわずか5メートルほどしか離れていないのにまったく聞き取れないこともある。大勢の韓国の高校生達も日本人の高校生もテントの中で一塊になって聞いている。
司会者が「韓国では雨は遠来のお客さんをお迎えするものだという言い伝えがあります」、と歓迎の辞で述べたとおりに止むことのない雨がダム湖にも防邪塔にも降り注ぎ、テントから水の束がどっと落ちている。

韓国のシャーマン達が献舞を見せている。白衣民族と言われた彼等は白い鉢巻を締め楽器を打ち鳴らし、故郷へ帰ることが出来なかった魂を踊りで供養する。演技団『グッ』の五人組みだ。彼等のアリランは山奥に取り残された魂の悲しみ『恨』を歌う。土佐のお神楽よりもジャズっている。

供養『チョンド』の儀式が続く。日韓の高校生達がアリランを歌う。
先が尖った沓を履いた巫女が舞う招魂の踊り。腕は肩の位置で虚空を掴み、腕に巻いた一寸程の赤黄青色の布以外は白衣で頭には姉さんかぶり様の頭巾をかぶっている。大勢の参加者で肩越しにはステップを見ることまでは出来ない。
鳴り続けるドラや太鼓。髷を結った男性が白布を丸めて魂に見立て、激しく舞う。
やがて布巾4尺程の長い白布の端々を参加者に持たせ、胸で押し切り押し切り、押し戻されつつも切り開いて進んでいく。布が身体で裁断され前に飛び出す。魂が韓国に向けてようやく飛び立ったようだ。

下道区長の閉会の辞で儀式は終わった。

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海外の米軍基地をたたむ時

◎海外基地維持の重圧で米帝国は破産する。基地をたたむ時だ
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世界制覇の”使命感”に取り憑かれた米国は世界中に展開する米軍基地に巨額の運用費を垂れ流し続けています。そこへ自国領土を基地のために占拠されている国々からの代価の請求が出始めました。米国経済はもうもたなくなるでしょう。

日本政策研究所所長としてアメリカ帝国主義の不条理を告発し続ける米国の政治学者チャルマーズ・ジョンソンが、海外基地は早く精算すべきだ、占拠者に多額を貢ぎ続ける日本よ目を覚ませと訴えています。

(邦訳と前文:藤谷英男/TUP)
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アメリカ基地帝国とどう付き合うかー占拠地への控えめな提言

チャルマーズ・ジョンソン
トムディスパッチ  2009年7月2日

毎年1,020億ドルを費やすアメリカ基地帝国は、すでに世界で最も高価な軍事組織体となっているが、今後はさらに高くつくことになった。まず、国務省がパキスタンのイスラマバードに新しい「大使館」を建設しようとしていることが5月27日分かった。建設費7億3,600万ドルは史上2番目の高額であり、予算超過がなくても、ブッシュ政権がバグダッドに作ったバチカン市規模の大使館に400万ドル及ばないだけだ。

国務省はさらにアフガニスタンとの国境に近いペシャワールに、領事館とその職員の生活空間として、プールまで付いた五つ星のパール・コンチネンタル・ホテルの買収を計画していると報じられていた。その計画にとって不幸なことに、6月9日、パキスタンの武装組織がトラックに爆発物を満載してそのホテルに突入し、ホテル内にいた18名が死亡、少なくとも55名が負傷して建物の一翼がそっくり破壊された。国務省がその後もなお買収計画を進めているのかどうかについては何も伝えられていない。

このどちらの建造物も、経費がどれほどのものになろうとも、すでに膨大な我が国の軍事予算には含まれないことになっている。本来の大使館、すなわち住民がビザの申請に訪れ、館員が国の貿易や外交的利益を代表する所としては計画されていないにも拘わらずである。その代わりに、これら大使館と称するものは、実際には中世の要塞よろしく城壁を廻らせた建造物群となって、そこでは米国の諜報員、兵士、情報局員、外交官らが、戦闘地域の敵性住民に目を光らせようとしている。そこに海兵隊の大部隊が駐屯し、屋上には緊急脱出用のヘリパッドを備えることは目に見えている。

ある程度の物理的防護があることが分かれば、危険な場所で勤務する国務省職員にとっては心強く感じられるかも知れないが、同時に自分たちがあからさまなアメリカ帝国の進出の一翼であることが、彼ら自身にも、また勤務地の国の住民にも明らかになるに違いない。どれほど強固に護られていても、基地型の大使館は大きな軍事基地よりも与し易い標的の一つだと、米国を攻撃をする武装勢力が考えても驚くには当たらない。

ところで、世界中で800カ所近くにもなる他人の国に点在する基地に対して、一体何がなされているのだろうか。銀行救済、新しい医療保険、公害対策などの極めて必要性の高い出費をめぐって議会とオバマ政権が論議を戦わせている今でさえ、嫌われ者で金食い虫の帝国占拠地を幾らか畳めば良い節約になりそうだとは誰も言い出さない。

それどころか海外基地は更に高くつくことになりそうだ。中央アジアの旧ソ連構成共和国であるキルギスは去る2009年2月、(アフガニスタン戦争の兵站地として2001年から使用されている)マナス空軍基地から米軍を追い出すつもりだと発表したが、説得の結果引き続き我が国の使用が認められるようになったことが6月23日分かった。しかし罠がある。その厚意の見返りに米国が払う基地の賃借料年額が1,740万ドルから6,000万ドルへと3倍以上になり、その上、約束した空港施設の改善やその他の経済的便宜供与のためにさらに何百万ドルもを払うことになった。すべてはアフガニスタンでの戦争を拡大すると決めたオバマ政権が、物資の貯蔵と中継のためにこの基地が必要だと納得したからだ。

私にはこの展開が、米国を占領者として嫌っている他の諸国の注意を引かずに済むとは思えない。たとえばエクアドルは我々に対し、来る11月までにマンタ基地から撤退するようにと言い渡している。もちろん彼らも自尊心は捨ておけず、コロンビアやペルーでうろつく米兵を疎んじていることは言うまでもない。それでも多分、彼らも、使える金をいくらか増やすことになるだろう。 

では、自国の土地に米軍基地を迎え入れて57年以上もの間大金をつぎ込んできた日本はどうなのか。最近日本は、海兵隊の一部を沖縄の基地から米領のグアムへ移転させることで米国と合意した。しかしその過程で、海兵隊の転出経費のみならず、移転先のグアムでの新しい施設の建設費用まで搾り取られた。日本がキルギス政府に倣って米軍に自弁で退去せよと言い渡すことはあり得ないことであろうか。あるいは、少なくとも、一カ月に二人ほどの割合で日常的に日本女性を強姦し、沖縄の38カ所の基地周辺のすべての住民の生活を悲惨なものにしている、その同じ米軍人と軍関係者のための資金拠出をやめることは考えられないだろうか。これは実に、1945年に我々が沖縄に入って以来沖縄住民が切望し祈願してきたことである。

実際私は、自国領土に米軍基地を置くことにうんざりしている諸国に対して提案がある。手遅れになる前に始末をつけるようにと。借料をつり上げるか米軍に退去を求めるがよい。そう勧めるのはアメリカ基地帝国が早晩祖国を破産さると確信しているからである。金融バブルやねずみ講の場合と同様、投資家ならば引き揚げられるうちに資金を引き揚げた方がよい。

これは無論、米国債に投資している中国その他の国に起こっていることである。ただこれらの国はまだ自分たちが大量に保有しているうちにドルを暴落させないように、静かにゆっくりと引き揚げているだけなのだ。しかし間違ってはならない。出血が急速か緩慢かはともかく、我が国は出血しているのだ。軍事帝国とそのすべての基地にしがみついていたら、やがては我々の知っている米国の命脈は尽きるだろう。

何十年か先、米国の未来の世代が世界を旅する時には、何億ドルもの「大使館」が点在する風景を目にすることはないはずだ。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[「トムディスパッチ」編集者トム・エンゲルハートによる著者紹介]

チャルマーズ・ジョンソンは「ブローバック」(2000年)、「帝国の悲劇」
(2004年)、「ネメシス」(2006年)(いずれもメトロポリタンブックス
刊)のブローバック三部作の著者。以下で「アメリカ基地帝国に関するジョン
ソンへのトムディスパッチによるインタビュー(音声)」が聞ける。

http://tomdispatch.blogspot.com/2009/07/interview-with-chalmers-johnson.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
原文:”How to Deal with America's Empire of Bases

A Modest Proposal for Garrisoned Lands”
By Chalmers Johnson
TomDispatch
2009年7月2日

http://www.tomdispatch.com/post/175091/chalmers_johnson_baseless_expenditures

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2009年8月10日 (月)

党首の核発言

崎原爆の日:与野党党首の「核」発言相次ぐ
2009年8月9日 22時20分 更新:8月9日 22時46分

 長崎市で平和祈念式典が開かれた9日、現地を訪れた与野党党首から「核」をめぐる発言が相次いだ。

 麻生太郎首相は記者会見で、核兵器の先制不使用を米国に求める考えがあるかを問われ「核兵器を保有している国が『先制攻撃をしません』と言ったとしても、その意図を検証する方法はない。日本の安全を確保するうえで現実的にはいかがなものか」と否定的な見解を示した。首相は6日に広島市でも米国の「核の傘」が必要との認識を示している。

 民主党の鳩山由紀夫代表は被爆者団体から非核三原則の法制化を要望され「確かに法制化というやり方もあろうかと思う。しっかり検討することを約束したい」と述べた。4日の記者会見では「法制化すると逆に変えられる危険性も持つ」と否定的な考えを示していたが、軌道修正した。

 鳩山氏はまた、核持ち込みを認める日米間の密約について「政権を取れば調査して米国とも議論し、事実関係を公表したい」と改めて強調した。

 民主党に非核三原則の法制化を申し入れていた社民党の福島瑞穂党首は記者会見で、鳩山氏の発言について「長崎に来て核廃絶の思いを肌で感じたのでは」と評価。麻生首相の発言に対しては「オバマ米大統領は核の先制不使用を検討しているのに、その足を引っ張っている。強く抗議したい」と批判した。

 共産党の志位和夫委員長も記者会見し「日本政府が米国の核巡航ミサイル退役に反対している」と批判した。米国は攻撃型原潜に搭載する核巡航ミサイルについて核弾頭を更新しない退役措置を検討しているが、米議会の「戦略態勢委員会」が5月の報告書で「アジアの同盟国の一部が退役を憂慮している」と指摘。志位氏は「核密約に基づき核兵器を持ち込む体制の継続を日本側が求めている」と述べた。【佐藤丈一、影山哲也】

「毎日JP]より転載

*****

麻生首相は、広島の式典で「非核三原則」を読み上げたそのすぐ後で、持論のアメリカの核の傘は必要と言っている。式典のものは、官僚作成のものであったか・・・麻生自身が考えた文章でなかったのだ。読んでその文意も理解できていないのか、自分の発言が矛盾することさえ気づかなかったのか。日本の首相として、公の場での両方の言葉に責任を負わなければならないことさえ、分からないようだ。「責任」を標榜する、この責任の軽さをどう評価するか・・・

鳩山代表が、法制化を進めるというのであれば、核の密約の公表も含めて、大きな一歩を踏み出すことになるだろう。反核へのさらなる国民的運動が、これらを推し進めていく大きな力となるだろう。建前はさておき、戦後の政府がなし得なかったことである。現実のものとするために、政治の場に力を持たせるために、反核の声を結集したい。

mm記

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2009年8月 9日 (日)

「気骨の判決」NHK

主権在民、三権分立が確立されているはずの日本国憲法における裁判でも、憲法違反の判決が出されることはめったにありません。自衛隊や在日米軍基地をめぐる裁判を見れば判ります。
 
 ところが、天皇主権の大日本帝国憲法下、それも太平洋戦争まっただ中の1942年、現在の最高裁判所にあたる大審院が、「選挙妨害が政府の手によって組織的に行われた。明らかな憲法違反ある。
よってこの衆議院選挙は無効である」
 
という判決を下しました。

 国家総動員体制を盤石なものにするため、東条英機首相が強引に推し進めた翼賛選挙を、憲法違反だと断罪した裁判官、吉田久を描くドラマが、NHK総合で放送されます。
 
 
NHK総合テレビ

「気骨の判決」
http://www.nhk.or.jp/nagoya/kikotsu/index.html
8月16日 夜9時から放送

1942年、「粛軍演説」を行った斎藤隆夫を始め、政府に批判的な国会議員を排除するため、東条英機首相はその年に行った衆議院選挙で、大政翼賛会に入らなかったり推薦を受けなかった候補者に対する選挙妨害を行いました。露骨な選挙妨害で落選した候補者たちは、選挙の無効を大審院に訴えました。

 訴えを受け、強い圧力を受けながらも、吉田久裁判官は審理を行いました。そして、選挙無効の判決を下しました。これは、東条首相に対する挑戦であり、戦争体制に対する異議申し立てでした・・・。
 
坂井貴司

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2009年8月 8日 (土)

安保防衛懇

安保防衛懇:集団的自衛権見直しを提言、武器輸出三原則も

 政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・勝俣恒久東京電力会長)は4日、年末に改定される「防衛計画の大綱」(防衛大綱)に向けた報告書をまとめ、麻生太郎首相に提出した。日本を飛び越えて米国へ向かう北朝鮮の弾道ミサイルの迎撃などを可能とするため、憲法で禁じられている集団的自衛権の解釈の見直しを提言。海外への武器輸出を禁じた武器輸出三原則の緩和も求めた。報告書を受けて政府は大綱の改定を進めるが、そのまま反映されるかどうかは不透明だ。

 報告書は、大きな柱の一つに、北朝鮮の弾道ミサイルに対する防衛策を設けた。米国へ向かうミサイルの迎撃以外に、ミサイル警戒に当たる米艦船が攻撃を受けた際に、自衛隊が防護することも認めるよう求めた。

 小泉内閣時代に報告書をまとめた前回の安保・防衛懇(04年)よりも踏み込み、集団的自衛権行使の必要性を明確に打ち出した。敵基地攻撃能力の保有についても、米国と役割分担を協議する前提で、「検討する必要がある」と明記した。

 武器輸出三原則に関しては、「日本の安全保障上の要請に適合する」場合は緩和すべきだと指摘。F35戦闘機などを念頭に、世界で進む共同開発から取り残されるリスクが高い点に懸念を示した。

 日本が持つべき戦略として、現大綱で打ち出した部隊や装備に多様な機能を持たせる「多機能弾力的防衛力」に加え、新たに「多層協力的安全保障戦略」という概念を提示した。日本の安全▽脅威の発現の防止▽国際システムの維持・構築--との3目標を、日本自身の努力や国際社会の協力などと連携させて達成するとしている。

 防衛力の役割としては、「存在による抑止」(静的抑止)から「運用による抑止」(動的抑止)を重視すべきだと提起した。

 安保・防衛懇は、北岡伸一東大大学院教授▽田中明彦同教授▽中西寛京大公共政策大学院教授ら6委員で構成。加藤良三前駐米大使ら3人が専門委員を務める。【仙石恭】

 ◆安保・防衛懇報告書の骨子

・弾道ミサイルに対応するため、集団的自衛権の憲法解釈見直し

・武器輸出三原則を修正し国際共同開発などを容認

・敵基地攻撃能力保有を検討

・日本の安全保障を確保するため「多層協力的安全保障戦略」が必要

・「存在による抑止」に加え「運用による抑止」を重視

「毎日JP」より転載

*****

なんと、おどろおどろしい言葉が並んだ報告書であることか!いつでも戦争ができるための準備に向けて、まっしぐらに突き進もうとしている。

アメリカの軍隊が攻撃されたときにも、日本軍が動くという。他国と一緒に武器の開発を共有するという。

兵器に囲まれた安全保障など、まっぴら御免である。アメリカと一緒になって戦争をするなど、とんでもない!事が起これば、アメリカが解決すべきことであって、日本が同調することではない。集団的自衛権などというものは、日本の外交の自主性を否定するものである。政府自らが思考停止して、アメリカに盲目的に従おうとするものではないか。

そのために、より強力な武器を一緒に作っていこうというのである。武器の開発にこれでよいという到達点はあり得ない。常に、敵国を上まわる陸海空の武力を持たねばならないからである。いたちごっこのように、エンドレスで続く技術開発に膨大な税金を投入して、喜ぶのは兵器産業ぐらいのものだろう。

自衛隊の専守防衛もかなぐり捨てて、敵国への攻撃に打って出るという。これの行き着く先は、必ずや、先制攻撃も辞さない、ということになるだろう。攻撃されるかもしれないという判断は、非常に恣意的なものであるが、仮にそうなったとき、敵国からの第一撃があるまで、座して待つ、などということがどうしてあり得ようか。

世界は、紛争を武力で意に従わせようとするよりも、交渉と対話によって解決していこうと動き始めている。20世紀、戦争は軍隊同士の戦いのみならず、それは一般国民を巻き込んだ理不尽で悲惨なものになるということを学んだのだ。人間の尊厳も民主主義も否定する戦争への準備などしてはならない。

武力を排除した頭で、国境、民族の違いを超えた人間の安全保障を考えていかなくてはならない。政府ひも付きの提言ではなく、一般民衆の目線と願いをもった、平和と安全のための民間のシンクタンクを作っていきたい。国家権力から独立した場所での提言こそが必要と考える。

mm記

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2009年8月 7日 (金)

田母神講演 広島

田母神氏「核廃絶が即、平和につながるわけではない」
8月6日22時42分配信 産経新聞

 原爆の日の6日、広島市内で元航空幕僚長の田母神俊雄氏を招いた講演会「ヒロシマの平和を疑う!」が行われた。

 講演をめぐっては、秋葉忠利市長や被爆者団体が「被爆者や遺族の心情を逆なでする」などとして日程変更を要請。主催者側は地元紙に意見広告を出し、注目を集めていた。

 約千人を前に、田母神氏は、秋葉市長の平和宣言にふれながら、「核廃絶が即、平和につながるわけではない」と主張。「唯一の被爆国だからこそ、3度目の核攻撃を受けないために核武装するべきではないか」と呼びかけた。

*****

生涯、癒えることのない嘆きと痛みを抱いて、鎮魂の祈りをささげ、すべての核兵器の廃絶を願って、平和への思いを伝えている、その日のことである。

田母神氏は広島で、何を見たのか見なかったのか・・・人の痛みが理解もできず、深い嘆きさえも人として感じることができないのではないか・・・そのような人間が、唱える平和とは?

核武装し軍隊を強化したなかでの平和!

軍備と平和は共存できない。平和の対極に軍隊がある。軍隊の存在こそがアンチピースである。軍隊の目的は、破壊と殺人。武器という暴力装置でもって有無をいわさず、人間の尊厳を否定する。国家権力の中の軍隊は、殺人の罪に問われることもない。

すべての兵器は、使われるためにこそ存在している。けっして、ショウウィンドウの中の陳列品などではないのだ。抑止力という言葉の後ろには、いつでも使用できるという前提があるのだ。

mm記

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8.6広島によせて

8.6広島の平和式典をテレビで見る。秋葉市長が、核兵器の廃絶は、次世代への責任であると言った言葉に、はっとした思いであった。まさに、20世紀の文明が作り出したもの、その時代に生きた人々が作ったものである。おぞましき負の遺産を、21世紀に生きる世代に残してはならないのだ。原爆の技術から作りだした原発も同様である。今や、原発から核兵器を作ろうとしている時代である。兵器であっても発電所であっても、核エネルギーとそこから生み出される放射能のすべてをコントロールできる英知を人間はもっていない。核兵器を生み出した時代に生きた世代として、次世代への責任を負わなくてはならないのだ。

子どもの代表として小学校6年生が言った言葉に涙する。自分たちは広島の真実をみつめ、平和への思いを伝え続けていくのだと。原爆の悲惨さから目をそらさず、戦争の意味を問うということである。わずか12歳の子どもが歴史の真実を見ていくというのである。私たち大人は、どれだけの真実を見てきたか・・・失われた命の叫びと共に被爆者たちのその後の痛みと苦しみに耳をふさいでこなかったか・・・

「イラク違憲判決」に「そんなの関係ねえ!」と言い放った元空爆長田母神氏は、同日、広島で何をしゃべったのだろう。歴史の真実から都合の悪いことには、目をつむり耳をふさいでこなかったか。広島の現実にも目をそむけ、15年間の戦争は、侵略戦争ではなく自衛のための戦争であったと賛美したか・・・国民を守らずして何を守ろうとしたのか?

式典のなかで、原爆を投下したアメリカを避難する言葉はなかった。「過ちはくりかえしません」という主語を省いた言葉に、被爆者たちの崇高さをみる。怨念を断ち切って、核兵器廃絶の輪を世界につなげていこうと呼びかけているのだ。しかし、日本の政府は、こっそりとアメリカの核をもちこみ、国民にはウソを言い続け、被爆者たちの高齢化と死を待ち続けてきたのだ。せめて今からでも、手厚い援護がなされていくよう私たちは見届けていかなくてはならない。

mm記

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2009年8月 6日 (木)

植草一秀氏収監

植草一秀氏3回目の口封じ<痴漢えん罪で総選挙前に収監>
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/688.html
投稿者 国際評論家小野寺光一 日時 2009 年 8 月 05 日

植草一秀氏が収監された。
予期はしていたが、画面でそのニュースを見たときは、「なんて国だ」と思った。
涙があふれ出た。

植草氏が、痴漢などしていないことを知り、メルマガを通じて広めてきた
。今ではネット上では誰も植草氏が痴漢をしていたなどと思っている人はいないような時代にようやくなった。

しかし、そんな事実とは関係なく、

「痴漢もしていないのに、痴漢をしたと有罪にさせられて、収監される」のである。

私と植草氏は、一部主義主張が異なる点があるものの、おおわくでは、一致してきた。

5年前ぐらいになるが、私は、この小泉構造改革というものが「国民をひそかにだます泥棒集団」であるという実態を知り衝撃を受けていた。

もっと前、最初のころは、経済政策に対する「無理解」によるものか?と思っていた。

その次に、なんでこの政権は、国民にここまで嘘をつらぬき通しているんだ?と不思議に思った。

そして、そのあとに、小泉構造改革を批判するマスコミがまったく出現しないことに驚いた。
そして、一部の小泉構造改革を勇気をもって批判していた人たちが、次から次へと、虚偽による告発やわなを使われ失脚していくことに驚いた。

当時、雑誌界で唯一、週刊ダイヤモンドで、小泉構造改革の財政政策の誤りを正確に指摘していたのが植草氏だった。

私は、朝まで生テレビで、植草氏が出演していて猪瀬直樹と話している場面を見た。当時、まだ猪瀬が嘘をついていることはほとんど知られていなかった。

私は、植草氏にアプローチして、この小泉構造改革という悪徳商法が
やっていることを知らせようと思った。

私は、私の書いたレポートを読んで、自分の頭脳と情報収集力で判断してくれる人に真相をしってもらいたかった。

それで、野村総研に電話したのである。
「すみません。植草一秀さんにレポートを送りたいのですがどの部署宛に送ればよろしいでしょうか?」と聞いた。
すると野村総研の受付の女性は言った。
「植草さんはつい最近、退職されました」
私は衝撃を受けた。

そのときに、早稲田大学の大学院の教授になったと受付の女性に
聞いたか、どうか記憶にないが、早稲田大学大学院の教授として次の
スタートを植草氏は切っていた。
私は結局、レポートを送る機会を逸したまま、植草氏はある日突然、痴漢にしたてあげられた。
このときは横浜市長の中田宏氏に呼ばれた講演の帰りであり、
中田宏氏の秘書に神奈川県警出身の人物がいて、亡国のイージ○と通じていたような形跡が見られることは興味深い。
なぜなら、中田宏氏は、もしかしたら、今回の総選挙で、偽装チェンジ勢力の頭目を勤める可能性があるからだ。

そして、痴漢冤罪
その後の第二回目があった。

第二回目は、京急蒲田駅で駅員がこういっていた。

あの案件は不思議なんだ。

なんか、あの植草っちゅう人が、蒲田駅に着いたときにはもう近くの蒲田署に連絡が入っていて、駅が何も伝えていないのにもう警官が向かっていたんだよな。

小野寺「そんな、駅が連絡をいれていないのに、警察にダイレクトに電話がいって、もう警察が駅に向かってくるなんてことは今まであったんですか?」

ベテランの駅員「いやああれははじめてだな。

今まであんなのはあったことない。

今まで何年も痴漢騒ぎのを処理してきたけど、痴漢騒ぎで駅長室にきて、それから駅から警察に電話するのにもう先に警察に連絡が入っていたなんて今まで一度もないねえ。

もう痴漢騒ぎで駅長室につれてこられた時点で、蒲田署に電話がいっていて、もうこっちに向かってきて到着していた。

近くのもう一人のベテラン駅員に向かって「おい、あんなのは、はじめてだな。先に警察に直接連絡が行っているなんてあんなのは今まで一度もないよな」「そうですね。今までそんなのはありませんね」

私はあらゆる角度で情報収集をしてから植草氏の2度目のえん罪を確信した。

さて、もう十分取材は終わったから「明日メルマガにこのことを書くか」
と思った。私は夜空を見上げた。星がまたたいているように見えた。

「まあ、書いたら、今の口のゆるい駅員さんには、亡国のイージ○が、京急の本社あたりに電話して「いっさい植草事件についてはしゃべるな」とかん口令をしくだろうな。」と思った。

そしてメルマガに大々的に植草氏の2回目の冤罪を証明するべく発信したのである。

そして翌日、駅員に話しかけてみると、昨日とはうってかわって、「いや、あの事件については何もしゃべらないようにと言われていますから」と態度が急変していたのである。
その日を境に誰も全くしゃべってくれなくなったのだ。

私のメルマガ発信を見ていた亡国のイージ○が驚いて京急の本社に電話して、京急蒲田駅の駅員にしゃべるなと命じさせたのだろう。

植草氏を痴漢にしたてあげた亡国のイージ○おそるべし。

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2009年8月 5日 (水)

沖縄米軍基地のおねだり

以下、沖縄県外にお住まいの方々に、今朝の琉球新報の記事を紹介します。詳しくはこちらをご覧下さい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-148053-storytopic-3.html

グアム移転の費用を28億ドル(約2600億円)出し、一戸あたり73万ドル、日本円で7000万円(試算では17万ドル、1600万円程度)の家を米国にプレゼントする太っ腹の防衛庁省に、今度はこんなおねだりが・・・

「基地内住宅建て替え 「思いやり予算」で3241棟」琉球新報基地内3745棟のうち、3241棟の既存住宅を建て替えるもので総額26億ドル(約2470億円)の経費はいつものように日本政府の「思いやり予算」

・・・て、あれ、「兵力削減」って言ってなかったけ?
兵隊は減らない、世界中に戦争を仕掛けるための基地も辺野古につくる(・・・あっこれも日本が沖縄の住民を虐げ、排除し、プレゼントするんだよな、小泉元首相は1兆円と言っていたさ)。
ばんざい日米同盟。

「在沖米軍住宅について旧防衛施設庁は、家族住宅の提供を始めた
1979年から2006年までの27年間で2936戸を整備し、「思いやり予算」から拠出した経費は累計で1197億円に上ることを明らかにしている。今回判明した計画はその倍以上に上る額。」

PS. 東京新聞が「『核密約』に触れない総選挙」という特報記事を載せています。
植民地的な屈辱を自ら進んで受け入れる、官僚、政府のウソ、欺瞞、
裏切りを問わない今回の選挙がもつ「奇妙さ」を見事に付いてくれました。
webには載らない記事なので、買い求めるか、月105円支払って携帯の
サイトをご覧下さい。
http://www.tokyo-np.co.jp/mobile/tokyo.html

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2009年8月 4日 (火)

映画「縞模様のパジャマの少年」

第2次世界大戦中のユダヤ人大虐殺を、お互いが「敵」という立場に置かれた
二人の少年の眼で描く映画です。
 
 「縞模様のパジャマの少年」マーク・ハーマン監督
 http://www.movies.co.jp/pyjamas/

 8月8日から全国で上映。
 
 第2次世界大戦中のドイツ。親衛隊の高級将校を父に持つ8歳の元気いっぱい
の少年ブルーノは、ベルリン郊外に引っ越します。父が「農場」に転勤になった
からです。友だちがいない田舎の生活に飽き飽きしたブルーノは、両親から近づ
いてはいけないと言われている「農場」へ探検に出かけます。美しい森を抜ける
と、鉄条網に囲まれた「農場」がありました。そこでブルーノは、縞模様のパジ
ャマを着た少年を見つけます。昼間なのにどうしてパジャマを着ているの?不思
議に思ったブルーノは彼に声をかけます。その少年はシュムエルと名乗りました。
二人は仲良しになります。鉄条網越しに会話をし、ゲームをしたりして楽しい時
間を過ごします。そしていつもお腹をすかせているシュムエルに食べ物を渡しま
す。
 
 ブルーノはシュムエルに聞きます「どうして君はそこにいるの?」
 シュムエルは答えます「僕がユダヤ人だから」
 
 ブルーノは姉に「ユダヤ人って、何?」と尋ねると、姉は「奴らは敵よ」と答
えます。シュムエルは大切な友だちなのに、僕の敵なの?ブルーノは疑問を抱き
始めます。そしてシュムエルがいて、父が働く「農場」の中に忍び込みます。そ
こで見たものは・・・。
 
 幼い子どもが見たあまりにも重い現実を描いた映画です。
 
坂井貴司

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2009年8月 3日 (月)

8・6ヒロシマ国際対話集会

64年目の8月6日を迎える広島では、「核武装論」を喧伝する「8・6田母神講演会」が、強行されようとしています。一方、私共の抗議共同声明の呼びかけに、全国各地から90の団体や多くの皆様が賛同の声を上げて下さっています。
 このような中で、今年も、核兵器廃絶をめざし国内外からヒロシマに集まる行動と英知の力を一つにして核兵器廃絶への道を探ろうと、「8・6ヒロシマ国際対話集会~反核の夕べ」を次のように開催します。
 8月6日の長い1日の思いや取り組みを締めくくる時間帯になりますが、ぜひご参加ください。
           核兵器廃絶をめざすヒロシマの会・森瀧春子
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
<8・6ヒロシマ国際対話集会-反核の夕べ2009>  

   ~ 2010・NPTで何を獲得するか
       -核兵器廃絶をめざして NGOの役割~
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■日 時: 8月6日(木)午後4時~6時半

■場 所: 広島市民交流プラザ
      6階マルチメディア・スタジオ(袋町小学校北)
      (広島市中区袋町6番36号)
http://www.hitomachi.city.hiroshima.jp/m-plaza/access/index.html
      (地図)
■資料代: 700円
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
核をめぐる情勢は、日本の核の傘依存政策の維持や拡大核抑止要求、米のミサイル防衛網をめぐるロシアとの対立、米国内の核軍縮への壁、原子力協力協定による核拡散
の危機拡大、北朝鮮の核開発など、厳しい状況にあります。しかし、かってないほど、核兵器廃絶の方向にむけた国際的奔流が動き出しています。「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択をめざす平和市長会議など国際的NGOの動き、国内での反核NGOネットワーク「ICNND日本NGO連絡会」の結成・活動の動きも活発化してきています。
核兵器廃絶のために、2010年NPT再検討会議で何をどう獲得するか。オタワ・プロセスによる地雷兵器禁止の実現、オスロ・プロセスによるクラスター兵器禁止の実現は、国際NGOが推進役となり諸政府機関との国際的連携によるものです。NGOの役割がますます重要になる中で、核兵器禁止条約の実現を掲げて、世論をどう高めてゆくかを展望します。
国内外の第一線で活躍する、下記の方々をパネリストに迎え共に考える場にしましょう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■パネリスト

 ●ブルース・ギャノン(Bruce Gagnon)さん
 (宇宙への兵器と原子力配備に反対するグローバルネットワーク・コーディネー)
    “宇宙技術は核兵器廃絶への希望を阻む “

 ●川崎 哲さん  (ピース・ボート共同代表 ) 
   “日本の政府と市民の役割”

 ●スティーヴ・リーパーさん  ((財)広島平和文化センター理事長、平和市長会)  
   “全米原爆展から見る米世論、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」をめぐる動向”
 

■コメンテーター
 ●ジョセフ・ガーソンさん  (米フレンド奉仕団ニューイングランド代表) 

■コーディネーター 
 ●森瀧春子  (HANWA共同代表)   

■主催:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
■後援:(財)広島平和文化センター 

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◆問い合わせ先:

核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)
Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition
【共同代表】
岡本三夫 河合護郎 森瀧春子
【事務局】
〒730-0802
広島市中区本川町二丁目6番11号第7ウエノヤビル 5F
広島県生活協同組合連合会内
TEL 082-532-1311(HANWA専用)
fax 082-232-8100
Eメール hanwa@e-hanwa.org
ホームページ http://www.e-hanwa.org/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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2009年8月 2日 (日)

植草一秀さんのブログから

2009年7月31日 (金)
日本で無血市民革命=政権交代が成功する理由

私は民主党を絶対視しない。民主党が危ういと思う点も多くある。

しかし、現実を変化させるには、現実のなかから選択肢を見つけなければならない。現状を変革するには、民主党に中核的な役割を担ってもらわなければならないと考える。

「変革」とは何か。

最大の「変革」は政治の主人公が変わることだ。

これまでの政治を振り返ると、政治の主人公は「国民」ではなかった。「国民」はうまく利用されてきただけである。

誰に利用されてきたのか。

①特権官僚

②大資本および特権階級の個人

③政治屋

による「利権互助会」にである。この「利権複合体」に新たに加わったのが、

④外国資本

⑤御用メディア

である。

これを私は「政官業外電=悪徳ペンタゴン」と呼んだ。

国家予算の規模は、一般会計、特別会計を合わせて207兆円。国債費や繰入金の90兆円と社会保障給付の46兆円を除くと71兆円。日本のGDP497兆円の14%にあたる資金が政府の手に握られている。「利権互助会」はこの巨大な政府資金と政府の許認可権に群がる。

自民党は2007年の実績で、168億円の企業献金を受け取った。企業献金を禁止する代償として導入された政党助成金に基づく交付金は、自民党の場合、2007年に166億円だった。自民党は今なお政党交付金を上回る企業献金を受け取っているのだ。

民主党は同じ2007年、企業献金を18億円受け取り、政党交付金を111億円受け取った。

自民党への168億円の企業献金が示すのは、自民党政治の目的が大企業の利益追求に置かれてきた可能性の高さだ。

政治屋は企業から各種陳情を受けて、その意向を反映する政策立案を高級官僚に任せる。高級官僚は各種業界を監督する立場におり、政治屋から発注された仕事をこなす一方で、業界や国費の負担による巨大な「天下り利権」を確保する。

政官業は相互癒着の関係を作る。これが強固なトライアングルを形成して、日本の政治を支配してきた。

「植草一秀の<知られざる真実>」より転載

*****

植草一秀さんは、経済学者らしく、非常に端的に日本の現実を要約してくれているので、転載させてもらった。

国民の大多数を占めているのは、労働者、農民、漁民である。一握りの大資本と金融の元に、とても太刀打ちできない中小零細企業が無数に組み込まれた日本の経済構造でもある。もろもろの生産を担う国民を大切にしてこなかった、これまでの自民党および公明党の政治の結果が、今問われているのである。「利権互助会」とは、言い当てて妙である。

小泉政権時代、その売国的政策を暴いたが故に(としか思えない)、国家権力およびメディアの「悪徳ペンタゴン」によって、冤罪事件を背負わされたことは、記憶に新しい。しかし、彼はそれにもめげず、たくさんの情報を発信し続けている。転載した分章の後にも、詳細な分析が載せれている。植草さんのブログを訪ねてみることをお薦めしたい。

mm記

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2009年8月 1日 (土)

辺野古アセス訴訟団準備室

Subject: 【安保無効訴訟】 辺野古の裁判 原告募集
From: 宮坂
Date: 2009/08/01 20:45
To: 安保無効訴訟原告団 <invalid_action_of_anpo@googlegroups.com>

宮坂です。
ヘリ基地反対協のHPに情報が出ました。

http://www.mco.ne.jp/~herikiti/justice.html
違法確認・損害賠償請求訴訟

辺野古新基地建設を止めるために、あなたも原告になりませんか。
 沖縄県民の基地負担の軽減をはかるというまやかしのSACO合意を口実に、世界中の米軍飛行場の中でも最も危険だといわれる「普天間飛行場の代替基地」として、辺野古キャンプシュワブ海上を埋め立てる、新たな基地の建設計画がすすめられています。

 辺野古地先周辺、そこに広がる大浦湾は《豊かな生態系の命の海》。国際自然保護連合・環境省・沖縄県が絶滅危惧種に指定する《ジュゴンの生息する北限の海》です。

 この海には、ウミヒルモなどの海草類、ミナミトビハゼなどの貴重な生物が育ち、アオサンゴの群落が広がっています。沖縄は、北限のカメと南限のカメとの交差点で、基地建設予定地内にはカメの産卵場が存在します。陸地には多数の稀少植物が生息しています。この《貴重で多様な生態系》を埋め立て、陸地を削り、広大な基地を建設しようとしているのです。

 なによりも、海とともに生きてきた辺野古の人たちの静かな暮らしが脅かされます。

◆   ◆   ◆

 たとえ基地建設であろうとも、環境保護の法律を犯してはなりません。当然「環境影響評価法(環境アセスメント法)」「沖縄県環境影響評価条例」に従った環境影響調査を行なわなければなりません。ところが、基地建設を急ぐ防衛省・沖縄防衛局は、これらの手続きに違反するのみならず、ジュゴンの追い出しのための違法調査をくりかえしています。

 「環境アセス法」は、「この事業が環境にどう影響を与えるのか」を評価するための調査方法を示した『方法書』を最初に住民に示すことを定めています。方法書に対して住民は意見を述べる権利があり、さらに住民意見を踏まえた県知事の意見を付してはじめてアセス調査の方法が決定されます。

 方法書に対する住民や学者・専門家の環境保全のための意見は、事業者の一方的な考え方を正し、環境を守る、たいへん重要な役目をはたします。

 ところが、防衛省は、方法書の作成以前に、「事前調査」と称してほとんど毎日多数の調査船や警戒船を繰り出し、ジュゴン追い出しを目的としたとしかいえないような調査を強行しました。

 その後、縦覧された方法書は事業内容わずか6頁で、方法書の体をなさず、沖縄県環境アセス審査会の「これでは審査ができない」との厳しい意見により、防衛局は『追加修正資料』『修正版』を提出したのですが、しかし、これらの修正に対して住民は意見を述べることはできませんでした。

 アセス調査の後、調査の報告と環境への影響を記した『準備書』が縦覧されましたが、4つのヘリパッドや係船機能つき護岸、汚水処理施設といった新たな事業内容が追加されるとともに、米軍機は民間地域を飛行しないなどのウソを前提として、方法書をもとに準備書を作成するという環境アセスの基本的手続きを無視した、まったく違法なものでした。

 また、準備書の縦覧の後、防衛省・沖縄防衛局は、法の根拠もなく、「補足調査」と称して事前調査と同様の調査を行っていますが、これは調査に名を借りたジュゴン追い出しとしか考えられないものです。

 わたしたちは、環境影響評価法に反する違法な調査を止めさせること、そして、法に従って、方法書にさかのぼりすべての手続きと調査をやり直すよう求め、裁判を起こすことにしました。

みなさんも、原告として参加してください。
 2つの柱をたてて、一つの裁判に結集して、裁判を提起します。
多くのみなさんに、原告に参加していただけますよう呼びかけます。

1の柱 違法確認の訴え 【「方法書」「準備書」手続きをやり直せ】

 防衛省の行った「方法書」「準備書」は違法であり、方法書の作成から手続きをやり直す義務があることの確認を求めます。
 事前調査、補足調査など、アセス手続きにもとづかない調査をおこなった「方法書」にない事項を「準備書」にまぎれこませるなどの違法な手続きを《法律にしたがってやり直せ》と求めます。
 きちんとした「方法書」などの手続きがおこなわれていれば、専門的知識をもって意見をのべ、アセスの内容も変わっていたはずなのです。
 専門家を中心として原告団を構成します。

2の柱 損害賠償請求の訴え 【被った被害を賠償せよ】

 住民には意見を述べる権利がありますが、意見を述べる機会を奪われ、違法な環境破壊がなされることに対して、賠償を求めます。
 原告は、方法書・準備書に意見を述べた人たちから広く集まっていただきます。

参加するには!?
 裁判費用は2000円。
 訴訟の原告に参加される方は、住所・氏名・連絡先(電話・FAX・メールアドレス等)をご記入の上、下記にお送りください。手続きに必要な書類(訴訟委任状、振込み用紙など)をお送りします。

 8月10日までに訴訟委任状が届いた人たちで第一次原告団を組織します。提訴は8月14日を予定しています。
 委任状の到着がこれ以降になった人たちは第二次原告団とさせていただきます。提訴日は未定です。

辺野古アセス訴訟団準備室
905-0015 名護市大南1-10-18-202 ヘリ基地反対協議会 気付
TEL 090-2392-9161(安次富)
FAX 0980-55-3131
Email seaoflifehenoko@gmail.com (@を半角で打ち直してください)
裁判費用の振込先: 沖縄銀行二中前出張所 普通 1381275 
辺野古基地建設阻止弁護団

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