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2009年5月30日 (土)

パレスチナ学入門 JANJAN

パレスチナ学入門(6) 

http://www.news.janjan.jp/world/0905/0905294219/1.php

3月の、岡真理さんの講演「きみはガザを知っているか」を、小倉文三記者が、(パレスチナ学入門)と題して、6回に分けてJANJANに載せています。

小見出しをつけ、大変わかりやすく、丁寧にまとめています。パレスチナの地をイスラエルが暴力で占領していった歴史的経過や、難民となっていったパレスチナ人の現状、日本に住む私たちはこのまま黙って見過ごしていってよいのか等々、まさにパレスチナ学入門の書となるものです。ぜひ、ご覧ください。

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2009年5月29日 (金)

ファルージャの目撃者より(最終)

帰路は緊張したものだった。バスは砂の窪地にはまりかけ、人々はあらゆるものを使ってファルージャから逃げ出していた。トラクターのトレーラの上にさえ、人がぎっしりで、車は列をなし、ピックアップとバスが、人々を、バグダッドという曖昧な避難場所へと連れて言っていた。車に乗って列をなした男たちが、家族を安全な場所に連れ出したあと、ファルージャに戻るために並んでいた。戦うか、あるいはさらに多くの人々を避難させるために。運転手は、アッザムを無視して別の道を選んだ。そのため、私たちは先導車の後ではなくなり、私たちが知っているのとは別の武装グループが制圧する道を通ることとなった。

一群の男たちが銃を振ってバスに止まれと命じた。どうやら、彼らは、米軍兵士が、戦車やヘリにいるのではなく、バスに乗っていると考えていたらしい。別の男たちが車から降りて、「サハファ・アムレーキ?」アメリカ人ジャーナリスト?と叫んだ。バスに乗っていた人たちが、窓から「アナ・ミン・ファルージャ」私はファルージャから来た、と叫び返した。銃を持った男たちはバスに乗り込み、それが本当だということを確認した。病人と怪我人、老人たち……イラク人。彼らは安心して、手を振って我々を通した。

アル・グライブで一端停止し、座席を変えた。外国人を前に、イラク人を見えにくいようにし、私たちは西洋人に見えるように頭のスカーフをとった。米軍兵士たちは西洋人を見て満足する。兵士たちは西洋人と一緒にいるイラク人についてはあまり気にしなかった。兵士たちは男とバスのチェックをしたが、女性兵士がいなかったので女性はチェックされなかった。モハメドは、大丈夫だろうかと私にずっと訊いていた。

「アル−メラーチ・ウィヤナ」と私は彼に言った。天使は私たちの中にいる。彼は笑った。

それからバグダッドについて、彼らを病院に連れていった。うめき声をあげて泣いていたやけどの男をスタッフが降ろしたとき、ヌハは涙を流していた。彼女は私に手を回し、友達になってと言った。私がいると、彼女は孤独が和らぎ、ひとりぼっちではなく感じる、と。

衛星放送ニュースでは、停戦が継続していると伝えており、ジョージ・ブッシュは、兵士たちはイースターの日曜休暇中で、「私はイラクで我々がやっていることが正しいと知っている」とのたまっていた。自宅の前で非武装の人間を後ろから射殺する、というのが正しいというわけだ。

白旗を手にした老母たちを射殺することが正しい? 家から逃げ出そうとしている女性や子供を射殺することが正しい? 救急車をねらい撃ちすることが、正しい?

ジョージよ。私も今となってはわかる。あなたが人々にかくも残虐な行為を加えて、失うものが何もなくなるまでにすることが、どのようなものか、私は知っている。病院が破壊され狙撃兵が狙っており街が封鎖され援助が届かない中で、麻酔なしで手術することが、どのようなものか、私は知っている。それがどのように聞こえるかも、知っている。救急車に乗っているにもかかわらず、追跡弾が頭をかすめるのがどのようなことかも、私は知っている。胸の中が無くなってしまった男がどのようなものか、どんな臭いがするか、そして、妻と子供たちが家からその男の所に飛び出してくるシーンがどんなものか、私は知っている。

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

 

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2009年5月28日 (木)

ファルージャの目撃者より(9)

最初、私たちの意見は一致していたが、アッザムが、私たちに立ち去るべきだと言った。彼も、全ての武装グループとコンタクトをとっているわけではない。コンタクトがあるのは一部とだけである。各グループそれぞれについて、話をつけるために別々の問題がある。私たちは、怪我人をできるだけ早くバグダッドに連れて行かなくてはならなかった。私たちが誘拐されたり殺されたりすると、問題はもっと大きくなるので、バスに乗って今はファルージャを去り、できるだけ早くアッザムと一緒に戻ってきた方が良い。

医者たちが、私たちに別の人々をまた避難させに行ってくれとお願いしてきたときにバスに乗るのは辛いことだった。資格を持った医師が救急車で街を回ることができない一方、私は、狙撃兵の姉妹や友人に見えるというだけで街を回ることができるという事実は、忌々しいものだった。けれども、それが今日の状況で、昨日もそういう状況で、私はファルージャを立ち去るにあたり裏切り者のように感じていたけれど、チャンスを使えるかどうかもわからなかった。

ヤスミンは怯えていた。彼はモハメドにずっと話し続け、モハメドを運転席から引っぱり出そうとしていた。銃弾の傷を受けた女性は後部座席に、やけどをした男性はその前に座り、空箱のダンボール紙を団扇にして風をあててもらっていた。熱かった。彼にとっては耐え難かっただろう。

サードがバスの所に来て、旅の無事を祈った。彼はデーブに握手してから私と握手した。私は両手で彼の手を握り、「ディル・バラク」、無事で、と告げた。AK47をもう一方の手に持った13歳にもならないムジャヒディーンにこれ以上馬鹿げた言葉はなかったかも知れない。目と目があって、しばらく見つめ合った。彼の目は、炎と恐怖で一杯だった。

彼を連れていくことは出来ないのだろうか? 彼が子供でいられるようなどこかに連れていくことは、できないのだろうか? 風船のキリンをあげて、色鉛筆をプレゼントし、歯磨きを忘れないように、ということは? この小さな少年の手にライフルを取らしめた人物を捜し出せないだろうか? 子どもにとってそれがどんなことか誰かに伝えられないだろうか? まわり中、重武装した男だらけで、しかもその多くが味方ではないようなこの場所に、彼を置いて行かなくてはならないのだろうか? もちろん、そうなのだ。私は彼を置いて行かなくてはならない。世界中の子ども兵士と同じように。

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2009年5月27日 (水)

ファルージャの目撃者より(8)

一人の男性は、人々の一部──あまり歩けない年寄り二人と一番小さな子ども──を運ぶために自分の警察用車を使いたがった。その車にはドアがなかった。それが本当に警察の車なのか、収奪されてそこに放置されたものか、誰も知らなかった。それでより沢山の人をより早く運べるかどうかは問題ではなかった。人々は家からゆっくりと出てきて壁のそばに集まり、両手をあげて、私たちの後ろについて、赤ん坊とバッグとお互いをしっかりつかみながら、道を歩いた。

ピックアップが戻ってきたので、できるだけ多くの人を乗せていたときに、どこからか救急車がやってきた。一人の若者が家の残骸のドアのところから手を振っていた。上半身裸で、腕には血で膨れた包帯を巻いていた。恐らくは戦士であろうが、怪我をして非武装のとき、戦士かどうかは関係ない。死者を運ぶことは最重要ではなかった。医者が言ったように、死者は助けを必要としない。運ぶのが簡単だったら、運ぶだろう。海兵隊と話が付いており、救急車が来ていたので、私たちは死体を運び込むためにもう一度急いで道を戻った。イスラムでは、遺体をすぐに埋葬することが重要である。

救急車が私たちの後を付いてきた。海兵隊兵士たちが救急車を止まらせるよう、銃口を向け、私たちに英語で叫んだ。救急車は速い速度で動いていた。救急車を止めようとして皆が叫んでいたが、運転手が私たちの声を聞くのに永遠の時間を要したような気がした。救急車は停止した。兵士たちが発砲する前に。私たちは遺体を担架に乗せ走って、後部に押し込んだ。ラナが前の座席の怪我人の横に滑り込み、デーブと私は後部の遺体の横に乗った。デーブは、子供の頃アレルギーがあって、あまり鼻が利かない、と言った。今になって、私は子供の頃アレルギーだったらと思いながら、顔を窓の外に出していた。

バスが出発しようとしていた。バグダッドに連れていく怪我人を乗せて。やけどした男性、顎と肩を狙撃兵に撃たれた女性の一人、その他数人。ラナは、手助けをするために自分は残ると言った。デーブと私も躊躇しなかった:私たちも残る。「そうしなければ、誰が残るだろう?」というのが、そのときのモット−だった。最後の襲撃の後、どれだけの人々が、どれだけの女性と子供が、家の中に残されただろう? 行く場所がないから、ドアの外に出るのが怖いから、留まることを選んだから……。私はこのことを強く考えていた。

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ファルージャの目撃者より(7)

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。

ラナは、海兵隊員と一緒に、海兵隊が占拠している家から家族を撤退させようとしていた。ピックアップはまだ戻ってきていなかった。家族は壁の後ろに隠れていた。私たちは、ただ待っていた。ほかにできることはなかった。無人の地で、ただ待っていた。少なくとも海兵隊は、双眼鏡で私たちを観察していた。恐らくは地元の戦士たちも。

私はポケットに、手品用のハンカチを持っていたので、バカみたいに座ってどこにも行けず、まわり銃で発砲と爆発が起きている中、ハンカチを出したり隠したりしていた。いつでも、まったく脅威ではないように、そして心配していないように見えることが大切だ、と私は考えた。誰も気にして撃とうなどと考えないように。けれども、あまり長く待つわけにもいかなかった。ラナは随分長いこといなかった。ラナのところに行って急かさなくてはならなかった。グループの中に若者が一人いた。ラナは海兵隊に、彼も一緒に立ち去ることができるよう交渉していた。

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ファルージャの目撃者より(6)

デーブとラナと私は、今度はピックアップで再び出発した。海兵隊地帯との境界近くに、病気の人がいて、避難させなくてはならない。海兵隊が建物の屋上で見張っていて、動くものすべてに向かって発砲するので、誰も家から出る勇気はなかった。サードが私たちに白旗を持ってきて、道をチェックして安全を確かめたから心配することはない、ムジャヒディーン側が発砲することはない、我々の側は平和だと伝えた。サードは13歳の子どもで、頭にクーフィーヤをかぶり、明るい茶色の目を見せて、自分の背丈ほどもあるAK47型銃を抱えていた。 

私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。 

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この 24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。 

「我々は、これらの家を全部片付けようとしていたところだ」と年上の方が言った。 

「家を片付けるというのは何を意味するのか?」 

「一軒一軒に入って武器を探す」。彼は時計をチェックしていた。何がいつ行われるのか、むろん私には告げなかったが、作戦を支援するために空爆が行われることになっていた。「助け出すなら、すぐやった方がよい」。 

私たちは、まず、道を行った。白いディッシュダッシャーを来た男性がうつぶせに倒れており、背中に小さなしみがあった。彼のところに駆けつけた。またもや、蠅が先に来ていた。デーブが彼の肩のところに立った。私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せたとき、デーブの手が彼の胸の空洞に触れた。背中を小さく突き抜けた弾丸は、心臓を破裂させ胸から飛び出させていた。 

彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、息子たちが出てきて、泣き叫んだ。彼は武器を持っていなかった、と息子たちは叫んだ。彼は非武装だった。ただ、門のところに出たとき、海兵隊が彼を撃った、と。それから、誰一人外に出る勇気はなかった。誰も、彼の遺体を取り戻すことはできなかった。怯えてしまい、遺体をすぐに手厚く扱う伝統に反せざるを得ない状態だった。私たちが来ることは知らなかったはずなので、誰かが外に出て、あらかじめ武器だけ取り去ったとは考えにくい。殺されたこの男性は武器を持っておらず、55歳で、背中から撃たれていた。 

彼の顔を布で覆い、ピックアップまで運んだ。彼の体を覆うためのものは何もなかった。その後、病気の女性を家から助け出した。彼女のそばにいた小さな女の子たちは、布の袋を抱きしめ、「バーバ、バーバ」と小声でつぶやいていた。ダディー。私たちは震えている彼女らの前を、両手を上に上げて歩き、角を曲がって、それから慌ててピックアップに彼女らを導いた。後ろにいるこわばった男性を見せないように、視線を遮りながら。 

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2009年5月25日 (月)

北朝鮮が地下核実験を実施

北朝鮮が地下核実験を実施 朝鮮中央通信を通じ発表
5月25日11時42分配信 産経新聞

【ソウル=水沼啓子】朝鮮中央通信は25日、北朝鮮が核実験を実施したと発表した。核実験は3年ぶり2回目。

 韓国のニュース専門テレビYTNは25日午前11時半過ぎに緊急ニュースを流し、韓国気象庁が25日午前9時54分にマグニチュード(M)4以上の揺れを観測、北朝鮮が核実験を実施した可能性が高いと伝えた。北朝鮮が核実験を実施したかどうかをめぐり米韓両国政府が確認中という。

 青瓦台(大統領官邸)関係者がYTNに語ったところによると、25日午前9時54分、北朝鮮が2006年に核実験を行った北東部の咸鏡北道豊渓里でM4・5の揺れが観測されたという。

 一般的な爆発物だとM4以上の揺れは観測されないことから、地震か核実験の可能性が高いという。朝鮮半島ではM4以上の地震が発生することはこれまでないことから、核実験の可能性が高いといわれる。

 北朝鮮が核実験を行う可能性については、7日付の韓国紙・朝鮮日報が、北朝鮮が2006年に実験を行った北東部の咸鏡北道豊渓里で最近、新たな核実験の準備とみられる兆候を見せ、関係当局が注視していると伝えていた。

 韓国政府筋によると、豊渓里で車両や人の動きが活発になっているのが持続的に把握されているとされていた。

 北朝鮮は4月29日に、核実験と大陸間弾道ミサイルの発射に言及しており、朝鮮日報は、韓国政府筋の話として「地下核実験は事前予測が難しく、いつ核実験が可能かは正確にわからないが、北朝鮮がその気になれば近いうちに実施できる準備をしている状態とみられる」と報じていた。

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大国が大量の核兵器を持ち続けるが故に、小国なりとも対抗手段として核武装に走る。抑止力としての核など、あり得ない。すべての武器は、それを使うことを前提として生産されているのだから。

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プルサーマル玄海原発に

プルサーマル再び秒読み、玄海原発に燃料搬入

 九州電力のプルサーマル発電計画は、MOX燃料が玄海原子力発電所に到着し、今秋の国内初実施に向けて準備作業がいよいよ佳境に入る。エネルギー資源の有効活用を狙った核燃料サイクルも前進することになるが、安全の確保や理解の浸透に加え、サイクル全体の確立など克服すべき課題はなお多い。

 九電は玄海3号機の燃料集合体193体のうち、最大48体程度をMOX燃料にする予定。今回はフランスで第1弾として製造した16体が玄海原発に搬入されたとみられる。8月下旬からの定期検査で性能などを最終確認したうえで、11月中旬の営業運転開始に臨む。

 プルサーマルは1960年代からベルギーやフランスなど欧米を中心に実施され、2007年末までに計57基で6000体超のMOX燃料が使われた。日本でも80~90年代に日本原子力発電敦賀1号機や関西電力美浜原発1号機で計6体の実験が行われている。

 本来は99年ごろから実施するはずだった東京電力と関電が燃料調達までこぎつけながら、英国の燃料加工会社のデータ改ざんや原発トラブル隠しなどで頓挫、九電に「第1号」が回ってきた。今回の燃料到着によって、プルサーマル始動が再び秒読み段階を迎える。

 九電に続き、四国電力は伊方3号機で来年春、中部電力も浜岡4号機で来年夏にプルサーマルを予定しているほか、関電も1月にMOX燃料の製造を再開した。島根2号機で計画する中国電力も燃料の製造準備段階に移っている。

 ただ、国の許可と地元の了解をいずれも取得済みの原発は現在、全国で6か所・7基にとどまり、「10年度までに(国内原発の3分の1にあたる)16~18基で実施」という業界目標の達成は困難な情勢だ。

 MOX燃料到着時に、玄海原発周辺で反対運動が見られたように、国内で初の本格実施となるプルサーマルには、安全面の懸念も依然として根強い。国や電力業界には信頼醸成への不断の努力が欠かせない。

(2009年5月24日  読売新聞)

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恐怖情報である。いよいよ、伊方原発にも燃料棒が搬入される!

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2009年5月24日 (日)

ファルージャの目撃者より(5)

ヤセルは私たち全員に自己紹介を求めた。私は、弁護士になる準備をしていると述べた。別の一人が、私に、国際法について知っているかどうか尋ねてきた。戦争犯罪についての法律、何が戦争犯罪を構成するのか、知りたがっていた。私は彼らに、ジュネーブ条約の一部を知っていると述べ、今度来るときには情報を持ってきて、アラビア語で説明できる人も連れてくると伝えた。 

私は菜穂子[高遠氏]のことを話題に出した。目の前にいる戦士たちのグループは日本人捕虜を取っているグループとは無関係だが、人々が、この夕方私たちがしたことに感謝している間に、菜穂子がストリート・チルドレンに対してしていたことを説明した。子どもたちが、どれだけ彼女のことを愛していたかも。彼らは何も約束はできないが、菜穂子がどこにいるか調べて、彼女と他の人質を解放するよう説得を試みると言った。事態がそれで変わるとは思わない。この人たちは、ファルージャでの戦闘に忙しいのだから。他のグループとも無関係なのだから。けれども、試してみて困ることはない。 

夜通し、頭上を飛行機が飛んでいたので、私はまどろみの中で長距離フライトの中にいるようだった。無人偵察機の音にジェット機の恐るべき音、そしてヘリコプターの爆音が、爆発音でときおり中断されるという状態だった。 

朝、私は、小さな子、アブドゥルやアブーディのために、風船で犬とキリンと象を作った。航空機と爆発の音にも苦しんでいないようだった。私はシャボン玉を飛ばし、彼はそれを目で追いかけた。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。13歳の双子も笑った。一人は救急車の運転手で、二人ともカラシニコフ銃を扱えるとのことだった。 

朝、医者たちはやつれて見えた。この一週間、誰一人、2時間以上寝ていない状態だった。一人は、この一週間でたった8時間しか寝ておらず、病院で必要とされていたので、弟と叔母の葬儀にも出られなかった。 

「死人を助けることはできない」とジャシムは言った。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。 

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2009年5月23日 (土)

原発温排水の深刻な影響

温排水の環境へ深刻な影響~川内原発の環境調査結果から~

川内原発3号炉の増設に反対する「反原発・かごしまネット」は、環境影響調査に対する意見書ならびにこれに関する「九州電力の見解」への反論をまとめ公表した。
 これによれば、温排水によって磯焼けが進み藻場が減少して魚類の生態系に影響を与えていること、また、回遊魚への影響も深刻であることが明らかにされている。さらに、温排水が再び取水口から取り込まれて、周辺環境よりも8~10℃も高くなって放出されていることも、実際の観測記録によって明らかにしている。安全協定によれば取水と放水の温度差は7℃以下となっているが、これが本来、漁業などへの影響を最小限に抑えるための対策とすれば、周辺環境よりも8-10℃も高いことは許されないだろう。
 川内原発は2号機合わせて電気出力178万キロワット。熱出力では約530万キロワットだから、差は廃熱として捨てられている。その大部分が温排水となる。放水口の周囲には波消しのためテトラブロックが2重に積まれているが、それにもかかわらず、深刻な影響がでている。
現在日本では、原発増設・新設のみならず、原発の効率を上げるために出力向上などが計画されている。この調査報告で、原発の環境への悪影響が改めて浮き彫りになった。
報告書は以下のサイトで見られる。ぜひ、一読を。
(伴英幸)

http://www.synapse.ne.jp/~peace/ikenshohihan.htm

「原子力資料情報室」より転載

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ファルージャの目撃者より(4)

私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。サイレンをならし、ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は胸の傷をテープで貼り合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはならなかった。

診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人をバグダッドに運ぶ唯一の方法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出すことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはならなかった。私たちは、撃たれたときのために、救急車の床にすし詰めになって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。

医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 彼女は妊娠しており、早産しかけている」。

アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。

私たちは車を止め、サイレンを止めた。青いライトはそのままにしておいて、待った。目は、建物の角にいる米軍海兵隊の軍服を着た男たちの影に向けていた。何発かが発砲された。私たちは、できるだけ低く身を伏せた。小さな赤い光が窓と私の頭をすり抜けていくのが見えた。救急車に当たった銃弾もあった。私は歌い出した。誰かが自分に向かって発砲しているとき、他に何ができるだろう? 大きな音を立ててタイヤが破裂し、車がガクンと揺れた。

心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?

一体、何のために?

アッザムはギヤを握り、救急車を逆行させた。道の真ん中の分離帯を超えるとき、もう一つのタイヤが破裂した。角を曲がったときにも、銃弾が私たちに向けて発砲されていた。私は歌い続けていた。車輪はキーキーと音をたて、ゴムは路上に焼き付いた。

診療所に戻ると、人々が担架に駆けつけたが、私は頭を振った。彼らは新たについた弾痕に目をとめ、私たちが大丈夫かどうか寄ってきた。彼女の所に行く他の方法は無いのか、知りたかった。ラ、マーク・タリエク。他に方法はない。私たちは正しいことをしたんだ、と彼らは言った。これまでにも4回救急車を修理したのだから、今度もまた修理するさ、と。けれどもラジエータは壊れ、タイヤもひん曲がって、そして彼女は今も暗闇の中、一人っきりで、自分の家にいて、出産しようとしている。私は彼女の期待に背いてしまった。

もう一度行くわけにはいかなかった。救急車がなかったし、さらに、既に暗くなっていたので、私の外国人の顔で、同行者や連れ出した人々を守ることも出来ない状況だった。その場所の所長代理はマキだった。彼は、自分はサダムを憎んでいたが、今はアメリカ人の方がもっと憎い、と言った。
向かいの建物の向こう側のどこかで、空が炸裂しはじめた。私たちは青いガウンを脱いだ。数分後、診療所に一台の車が突進してきた。姿を目にする前に、男の叫び声が耳に入った。彼の体には、皮膚が残っていなかった。頭から足まで焼けただれていた。診療所でできることは何もなかった。彼は、数日のうちに、脱水で死ぬだろう。

もう一人の男性が車から引き出されて担架に乗せられた。クラスター爆弾だ、と医者たちは言った。この犠牲者だけなのか、二人ともがそうなのかははっきりしなかった。私たちは、ヤセル氏の家に向かって歩き始めた。角ごとに、私たちが横切る前に道をチェックしながら。飛行機から火の玉が落下して、明るい白光を発する小さな弾へと分かれていった。それがクラスター爆弾だと、私は思った。クラスター爆弾が心に強くあったからだが、これらの光はそのまま消えていった。驚くほど明るいがすぐに消えるマグネシウムの炎だった。上から街を見るためのものである。

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2009年5月21日 (木)

ファルージャの目撃者より(3)

イラクに行くなんて、私たちは狂っている、と言った人たちがいた。ファルージャに行くのは、完全に正気の沙汰じゃない、と多くの人たちが言った。そして今、ファルージャでは、ピックアップ・バンの後ろに乗って狙撃兵のところを通り、病いや怪我で倒れた人たちを車で連れてくるなんてことは、これまで見たこともないほど狂ったことだと私に向かって言っていた。私だって、それは分かっている。けれど、私たちがしなければ、誰もしないだろう。

彼は、赤三日月[イスラム世界での「赤十字」にあたる]のマークのついた白旗を手にしていた。私は彼の名前を知らない。運転手が、我々がどこに行こうとしているか通りがかりの人々に告げたとき、皆、私たちに手を振った。ムジャヒディーンの地区のはずれにあるピックアップが最後の角から見えなくなり、次の壁の向こう側からは海兵隊の制圧地になる、そのはざまの地帯は、すさまじいまでの沈黙が支配していた。鳥も音楽もなく、誰一人生きている者の兆しはなかった。そのとき、反対側にある一つの門が開いて、一人の女性が出てきた。彼女はある場所を指さした。

私たちは壁に空いた穴まで壁沿いに歩いた。そこから車が見えた。まわりに迫撃砲の跡があった。側溝には、交差した足が見えた。彼は既に死んでいると思った。狙撃兵の姿も目に入った。二人が建物の角にいたのである。狙撃兵たちにはまだ私たちの姿が見えないと思ったので、私たちの存在を知らせる必要があった。

「ハロー」。できるだけ大声で、私は叫んだ。「聞こえますか?」 聞こえたはずである。私たちから30メートル位しか離れていない所にいたのだから──もっと近かったかも知れない。そして、蠅の飛ぶ音が聞こえていた。何度か繰り返し叫んだが、返事はなかったので、自分についてもう少し説明することにした。

「私たちは医療団だ。この怪我をした男性を運びたい。出ていって彼を運んでいいか?OKだというサインを出してもらえるか?」

私の声は、確実に聞こえたはずであるが、彼らはそれでも応えなかった。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。そこで、私は同じ言葉を繰り返した。デーブも、アメリカ英語のアクセントで同じように叫んだ。それから、再び私が。ようやく、叫び声が返ってきたように思えた。確かではなかったので、もう一度呼びかけた。

「ハロー」

「ヤー」

「出ていって彼を運び出していいか?」

「ヤー」

ゆっくりと、両手を上に上げて、私たちは出ていった。それにあわせたかのように現れた黒い雲は、熱いすえたような臭いを運んできた。彼の足は硬直していて、重かった。私は足をレナーンド・デーブに任せた。ガイドは腰を持ち上げていた。粘ついた血によって、カラシニコフが彼の髪の毛と手にくっついていた。カラシニコフは御免だったので、私はその上に足をかけ、彼の方を持ち上げた。背中の穴から血が流れ出た。私たちは彼を持ち上げてピックアップまで運び、蠅を追い払おうとした。

彼はサンダルを履いていたのではないかと思う。というのも、そのとき彼は裸足だったから。20歳になっていない感じで、偽のナイキのズボンをはき、大きく28という背番号のついた青と黒の縞模様のサッカーシャツを着ていた。診療所で、この若い戦士をピックアップから降ろしたとき、黄色い液体が彼の口から流れ出た。人々は彼の顔を上向きにしてクリニックに連れて入り、臨時の死体安置所にすぐに運び込んだ。

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2009年5月20日 (水)

MOX燃料到着

3月5日にフランスを出発したMOX(プルトニウムとウラン混合)燃料の輸送船2隻が無事、日本に到着しました。5月18日に静岡県の御前崎港で中部電力浜岡原発用の燃料を降ろしたあと、四国電力伊方原発と九州電力玄海原発に向かう予定。
グリーンピース・ジャパンはこれに抗議して、原子力資料情報室とグリーン・アクションとの共同声明を発表しました。
http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/pr20090518ce_html?gv

半世紀前に決められ、すでに実用化は予定より80年以上も遅れそうなプルトニウム利用計画を、いまだにゴリ押しする日本は本当に民主社会なのでしょうか。しかも、プルトニウムがそのまま使えないとなると、設計では想定していないウラン型の原子炉でプルトニウムを混ぜた燃料を無理やり燃やそうとする。それが周辺住民に与える危険も、今後20回におよぶであろう海上輸送が航路ぞいのすべての国々に与える危険も、まったく眼中にありません。

さらに情けないのは、こんな危ういプルトニウム利用計画に、税金でまかなう気候変動関連の研究開発予算を6割以上も振り向けて、それが地球温暖化を解決するためだというのです。プルトニウム利用にこだわればこだわるほど、日本はどんどん核の事故と汚染のリスクが高まり、同時に地球温暖化の本当の対策からも遅れていきます。でも、あきらめずに持続可能な未来を求め続けましょう!

▼グリーンピースによる気候変動回避シナリオ『エネルギー[r]eボリューション』
http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/pr20081201ce_html?gv

▼『原子力は地球温暖化の抑止にならない』
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/enerevo/news/files/booklet.pdf

                               グリーンピース・ジャパン事務局長 星川 淳

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ファルージャの目撃者より(2)

どうやって決意したか、自分自身で何を思い、お互いに何を聞いたかについては想像にお任せしよう。私の決断を狂気と言うのも結構。けれども、そのとき思ったのは次のようなことだった:もし私がしないならば、誰がするのだろう? いずれにせよ、私たちは何とか無事到着した。

到着後、私たちは物資をバスから降ろした。荷箱はすぐに引きちぎるように開かれた。最も歓迎されたのは毛布だった。そこは病院と呼べるものではなく、ただの診療所だった。米軍の空襲でファルージャの大病院が破壊されてから、ただで人々を診療している個人医の診療所だった。もう一軒の診療所は、ガレージに臨時で作られたものだった。麻酔薬はなかった。血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っており、医者たちは、それを非衛生的なトイレのお湯の蛇口の下で暖めていた。

女性たちが叫び声をあげながら入ってきた。胸や顔を手のひらでたたき、祈りながら。ウンミ、お母さん、と一人が叫んでいた。私は彼女を抱きかかえていた。それから、コンサルタント兼診療所の所長代理マキが私をベッドのところに連れていった。そこには、頭に銃による怪我を負った10歳くらいの子どもが横になっていた。隣のベッドでは、もっと小さな子どもが、同じような怪我で治療を受けていた。米軍の狙撃兵が、この子どもたちとその祖母とを撃ったのである。一緒にファルージャから逃れようとしたところを。

明かりが消えた。換気扇も止まり、急に静かになった。その中で、誰かがライターの炎を付けた。医者が手術を続けられるように。町の電気は何日も前から止まっており、発電器の石油が切れたときには、石油を入手するまで、とにかく何とかしなくてはならない状況だった。デーブがすぐに懐中電灯を渡した。二人の子どもたちが生き延びることはなさそうだった。

「こちらへ」。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。そこには、お腹に受けた銃の傷を縫い上げたばかりの、年老いた女性がいた。足のもう一カ所の傷には包帯がまかれていたが、彼女が乗っているベッドには血が染み込んでいた。彼女は白旗を今も手に握りしめていた。彼女の話も、同じである:「私が米軍の狙撃兵に撃たれたのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海兵隊に制圧されている。別の一部は地元の戦士たちが統制している。彼女たちの家は、米軍が制圧した地域にある。彼女たちは、狙撃兵が米国海兵隊兵士であるという固い確信を持っている。

米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。救急車と救助活動も麻痺させている。ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されている。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。路上には遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるので、誰も遺体を取り戻すことができない。

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2009年5月19日 (火)

イラク米兵が同僚兵射殺

イラクで米兵が同僚兵5人を射殺
イラクで米兵が同僚兵5人を射殺、軍が調査中
Military probes shooting of US soldiers in Iraq
AFP 2009年5月12日付 (抜粋・訳)

http://news.yahoo.com/s/afp/20090512/ts_alt_afp/iraqunrest_10

 イラク最大の米軍基地で、アメリカ兵5人が射殺された事件をめぐって、米軍は射殺事件の容疑者である同僚兵を拘束したあと調査を始めている。容疑者の名前は公表されていないが、この兵士がバグダッドにある米軍基地キャンプ・リバーティのカウンセリング診療所で仲間を射殺したと告白したことから、身柄を拘束された。

 いったい何が起こったのか正確なことは解明中だが、米国防総省ならびに米軍の高官たちは5人が射殺され、3人が負傷したと述べた。11日(月曜)にはオバマ大統領が、この射殺事件に「驚き、ショックを受けた」と語った。

 ゲーツ米国防長官はワシントンでの記者会見で、事件は軍にとって最大の難問と言ってよいと話した。

 一つの事件で5人の米兵が殺されるというのは、モスルで4月10日に5人の米兵が殺されて以来だが、このときは、トラックを使った自爆攻撃であった。米軍兵士によって同僚が殺された事件としては、アメリカの報道は昨年9月14日にバグダッドの米軍基地で、39歳の軍曹が上官2人を射殺した事件を大きくとりあげた。

 米軍(兵士)の戦争心理を扱っているウェブサイトによると、米兵が同僚を射殺する事件は普通にあることではないものの、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患って同種の事件を起こしたケースは、イラク派遣部隊のなかでは、おそらく、今回で5件目になるという。

作成者 uruknews : 2009年5月18日(月) 22:53 [ コメント : 0]

「イラク情報ニュース」より転載

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インドネシア保健省大臣

「ワクチンを作る技術は、先進国しか持っていないわ」

これは、インドネシアの保健省(日本の厚生労働省)の大臣、シチ・ファディラ・スパリ女史の言葉である。

「ワクチンを作る技術は、先進国しか持っていないわ。
 私たち(途上国)が、ウィルスのサンプル(検体)を提供しても、先進国の製薬会社で、先進国の人たちのためにワクチンが作られるだけで、私たち、貧しい途上国には、まわってこないじゃない。

 WHOが、後で、ただ(無料)でワクチンをくれるわけでもないし、かといって、私たちで買おうにも、ワクチンが高額すぎて、とても買えないわ。
 だから、絶対、WHOにワクチン製造用のウィルスの検体など、あげたりしないわ。

 先進国にある製薬会社が、金儲け(かねもうけ)をするだけじゃないの。
 それに協力する気なんか、さらさらないわ。」

http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65254930.html

*ブログ「山本敏晴の日記」を見てください。

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2009年5月18日 (月)

ファルージャの目撃者より(1)

ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい
ジョー・ワイルディング
原文
2004年4月13日

2004年4月13日、約5年前に本サイトで掲載したものです。転送・転載を歓迎致します。集会の資料として印刷配布しても結構です。ただしどの場合でも、「この記事を含む目撃証言が『ファルージャ2004年4月』(現代企画室・1500円)として出版された」と明記して下さい。本記事を中心に『ファルージャ2004年4月』を出版して以降、ファルージャを中心にイラク情報のアップデートをファルージャ2004年4月ブログで続けてきました。5年経ちます。ファルージャの復興は進まず、5年前の死者の正確な数さえ、わかっていません。

長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。ファルージャで起きていることの真実を明るみに出す必要があるのです。ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります。

2004年4月11日
ファルージャ

ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油タンカー、戦車が燃えていた。少年と男たちの流れが、燃えていないローリーを行き来して、ローリーを裸にしていた。私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯の自動車が逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急ごしらえの軽食スタンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルはアラビア語で歌っていた。スタンドの少年は、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにいる人々に、食べ物を投げ込んでいた。

バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについてムジャヒディーンと話をつけていた。私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人のジャーナリストが夜11時に私のところに来て、ファルージャの状況は絶望的であり、手足が吹き飛ばされた子どもをファルージャから運び出していたと語ったことにある。また、米軍兵士たちは、人々に、夕暮れまでにファルージャを離れよ、さもなくば殺すと言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとすると、町はずれにある米軍の検問所で止められ、町を出ることを許されず、ファルージャに閉じ込められたままで、日が沈むのを人々は見ていたと、彼が私に語ったことに。

彼はまた、援助車両とメディアもファルージャに入る前に引き返させられたと私に説明した。医療援助をファルージャに運び入れる必要があり、外国人、西洋人がいると、米国の検問を通過してファルージャに入ることができるチャンスは大きいと。その後の道は、武装グループにより守られているとのことだった。そこで私たちは医薬品を持ち込み、他に何か手伝えることはないか調べて、帰りにはバスでファルージャを離れる必要がある人たちを乗せていこうと考えていた。

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2009年5月17日 (日)

宿毛湾非軍事ネット学習会

岩国・呉基地と宿毛湾港

宿毛湾の軍事利用を許さないネットワーク

三度の米イージス艦の入港打診が県にあり、宿毛湾の常時活用に向けて在日米軍と海上自衛隊が動きはじめています。また、在日米軍のケリー司令官は、3月30日の記者会見で米空母艦載機による着艦訓練の移転先として、岩国基地周辺を初めて明言しました。移転先の一つとして、宿毛湾周辺の可能性が浮上してきました。
また、昨年9月25日の米原子力空母「ジョージ・ワシントン」横須賀配備の前後より、土佐沖「リマ海域」での大規模な射撃訓練も再々おこなわれています。
岩国-呉-宿毛-リマ海域を結ぶ、日米共同の軍事活用を許さず、宿毛湾の平和で豊かな活用のためにしっかり学びあいましょう。

場 所:宿毛文教センター
日 時:5月23日(土)午後1時~4時
参加費:500円

□特別報告1『米軍艦載機移転で極東最大の基地化がすすむ岩国から』
吉岡光則さん(岩国・住民投票を力にする会事務局長)
□特別報告2『動き始めた呉基地艦船部隊の実態』
奥田和夫さん(非核の呉港を求める会)
□報告『岩国・呉基地調査に参加して』
山崎秀一(高知県平和運動センター議長)
□報告『リマ海域の射撃演習と宿毛湾イージス艦寄港』
山下正寿(宿毛湾非軍事ネット運営委員)

○宿毛湾非軍事ネット学習会○
(整理券あります)
◆連絡先 大西(HP:090-2784-6588/TEL:0880-34-3174)

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2009年5月16日 (土)

市民社会フォーラム

□■市民社会フォーラム第2回高知例会■□

 
 とことん土佐で9条・平和・自由民権
 市民社会フォーラム2度目の高知ツアーでは、
「自由は土佐の山間より」(植木枝盛)で知られる自由民権運動の歴史を知り、草の根で平和の取り組みをされている地元の方との交流をいします。
 現地集合・現地解散で、途中参加・退出でも歓迎
 土佐清酒「春夏秋冬 憲法9条」を飲んだり、
 護憲路面電車「平和憲法号」に乗ったりします。

■日程 5月30日(土)
■スケジュール
 ◆高知市立自由民権記念館に 13時現地集合~15時
 ガイド:公文豪さん(自由民権研究者)
 15時~16時
◆路面電車「平和憲法号」で、平和資料館・草の家へ 16時~18時
◆平和資料館・草の家で交流・勉強会
「草の家」についてのお話:岡村正弘館長     憲法九条お国言葉での朗読、第九のメロディーで憲法9条を歌う他

◆夕食会8時15分~20時頃 「ひろめ市場」で土佐のお客・鰹の塩タタキ他 会費3000円程度◆二次会 高知市柳町の飲食店街「つくし」20時10分~22時頃 つくし9条の会と懇談他 土佐清酒「春夏秋冬 憲法9条」を頂く 会費3000円※途中参加・退出自由ですが、必ず事前に参加申し込みください。

■お申し込み先はいずれかにお願いします。     市民社会フォーラム civilesocietyforum@gmail.com 太田紘志に申込み  携帯電話 09071416396 メール youta-60da@docomo.ne.jp

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2009年5月15日 (金)

「ご存じですか?」総務省

あろうことか、改憲キャンペーンを、総務省が率先して、やり始めているのだ。

「ご存じですか?平成22年5月18日から{憲法改正国民投票法}が施行されます。」というリーフレットが、総務省より発行され、4月から全国自治体などの窓口で配布されているのだ。あたかも来年、国民投票が行われるかのような錯覚をおこさせるものだ。

昨年度の予算で、すでに500万部配布され、今年度も、国内外へのポスターなどを含めたさまざまな広報材料が作成される予定である。昨年度の予算は、7200万円だったが、今年度はなんと46億9000万円にはねあがっている。そのほとんどが、投票人名簿のシステム構築のために、市区町村に交付されるという。

改憲には、たくさんの手続きがあり、衆参の総議員の3分の2以上の賛成で国会で発議をしない限り、国民投票にはならない。現在は、全てが白紙の状態である。憲法審査会もない。でありながら、なぜ今、システム構築の必要があるのか!

日本国憲法99条には、以下のように書かれている。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

総務省の役人たるもの、改憲キャンペーンではなく、憲法を尊重し守ろうというキャンペーンを張ることにこそ義務があるではないか。このようなリーフレットを作って、まるで改憲が今にも迫っているかのように、国民を扇動することは許しがたい行為である。しかも、多額の我々の税金を使ってのことである。

すべての公務員は、日本国憲法を守る義務を負っているのである。よもや、国家官僚たちはこの99条を知らないとでも?それとも、知っていて守るつもりがないとでも?公務員が税金を使うときの裁量権は、自ずとそこに法の枠組みがあってのことである。自分たちが自由に使うことのできる税金ではないはずである。憲法を守らないことに使う税金なら、今すぐ、私たち国民に戻してしかるべきではないか!

mm記

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2009年5月14日 (木)

グアム移転協定が成立

グアム移転協定が成立

 衆院議決を優先、締結承認される2009年5月13日 【東京】

在沖米海兵隊のグアム移転に係わる協定の締結が13日午後、承認された。参院本会議で否決された後、衆参両院協議会が開かれたが、意見は一致しなかった。そのため、憲法の規定により衆院の議決が優先され、4月14日の衆院の可決をもって承認された。
 同協定は、在沖米海兵隊のグアムへの移転に伴う日本側経費負担などが明記されている。【琉球新報電子版】

*****

グアム移転協定は、普天間基地の辺野古移設、嘉手納以南の基地返還を関連させており、沖縄の基地負担軽減どころか、米軍基地の強化、恒久化をめざすものでしかない。よその国の軍隊が移動するからといって、なぜ、日本国民の税金が使われなければいけないのか!

税金は、沖縄県民の生活と土地と自然を守ることにこそ使われるべきではないか!日本の労働者の3割が飢えている。年金は搾取され、医療も福祉も教育も切り捨てられている。国民の命も守らずして、殺人と破壊のための米軍基地に大金を使うとは、いったい日本の政府は何をめざしているのか!?

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2009年5月13日 (水)

グアム協定 自由法曹団

日米両政府の「グアム協定」締結に抗議し、国会承認に反対する声明

2月16日、来日したアメリカ合衆国ヒラリー・クリントン新国務長官は、中曽根弘文外務大臣との間で、「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」(以下、「グアム協定」という。)に署名した。グアム協定は、アメリカの世界戦略にもとづく米軍再編の完成と基地強化を目的とし、そのための日本の全面的協力とりわけ莫大な費用負担を日本国民に求めるものである。

昨年7月18日の「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する」沖縄県議会決議が示すように、沖縄県民は辺野古への新基地建設を伴う米軍再編に反対であり、基地の無条件返還こそ県民の切なる願いである。ところが、グアム協定は、その全文において、「ロードマップにおいて、その全体が一括の再編案となっている中で、沖縄に関連する再編案は、相互に関連している」などとして、「米軍基地の返還」を、
「第三海兵機動展開部隊のグアムへの移転」「辺野古への新基地建設」と一体のものとする。これは、県民の願いを踏みにじるものであり、このような協定が県民の頭ごしに締結されることは許し難い。

また、グアム協定は「米軍基地の返還」は「グアムにおいて必要となる施設及び基盤の整備に対する日本国の資金面での貢献」にかかっているとして、28億ドルという莫大な負担を日本国に求める。しかし、アメリカ領内の基地整備に日本国民の税金をつぎ込むことに何の根拠もないばかりか、これを「米軍基地の返還」の条件とすることは全く筋違いであり、日米安保条約の枠組みすら大きく逸脱するものである。

そもそも、米軍再編はアメリカの世界戦略にもとづく即応戦力の強化を狙いとしており、グアム協定は、グアムをハワイや沖縄と並ぶ、あらたな米軍の戦略拠点として強化することを目的としている。そのことは、政府予算案に沖縄の負担軽減とは関係のないアンダーセン空軍基地やアプラ湾の基盤整備も計上されていることに現れている。沖縄の負担軽減は詭弁に過ぎず、グアム協定は日本をアメリカの世界戦略に巻き込むものというほかない。
自由法曹団はグアム協定の署名に抗議し、国会において承認しないよう求める。

2009年3月30日
自由法曹団
団長松井繁明

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2009年5月12日 (火)

ビルマ人権の日

アムネスティ・インターナショナルのキャンペーンです。
 
 2009年3月13日、「ビルマ人権の日」に当たるこの日、署名キャンペーンが始まりました。これは、国連の播其文事務総長に対して、ビルマ軍政に全ての政治囚を釈放させることを事務総長自身が最重要課題とするよう求めるものです。5月24日までに888,888筆の署名を集めることを目標にしています。この数字は、ビルマで民主化運動が燃え上がり、そして軍事政権によって弾圧された1988年8月8日を象徴したものです。
 
 アウンサンスーチーさんの自宅軟禁をこれ以上延長できない、とビルマの法律上定められた期限の5月24日まであとわずかです。
 
 以下のサイトでオンライン署名ができます。
 
 署名をお願いします。
 
ビルマ・グローバル署名キャンペーン ―888,888の署名を集めよう!― 
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2349

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小沢党首辞任

小沢党首が、辞任することとなった。党内からの不協和音に、やはりという思いである。私は、積極的に民主党を支持する者ではないが、それでも、この時期、辞任はしてもらいたくなかった。

選挙によって民主的に政権交代がなされるかもしれないという、国民の期待が、またもや遠ざかるのではないかと危惧する。検察庁のやり方は、権力を握ったものは、自分たちの利益を守るためには、どのような手段を使ってでも阻止しようとするのだということを、国民に見せ付けたのだ。国家権力と金とマスコミを使ってである。

権力の中枢にいるものたちは、小沢以上の数々のことをやっていながら、検察庁の手はのびてこないのだとお墨付きをもらっているから、涼しい顔をして、まるで自分たちは清廉潔白で小沢だけが悪いことをしているかのように言い続けている。厚顔無恥もはなはなだしい!今まで、合法的にやってきて公開してきたものを、いまさら説明責任をといわれても、小沢も納得できるものではないだろう。

自公政権の落ち込みは、小泉政権以降のあまりにもひどい悪政の結果である。国民の審判を受けることを潔しとせず、民主党を引き落とすことで、相対的に浮上しようというものである。このような国家権力のやり方に屈するなら、これ以降、もっとひどいことが待ち受けているのではないかと恐れている。そのような意味で、小沢にも民主党にもここはなんとしてもがんばってもらいたいと思っていたのである。

国民の多くは、自公政権はもういやだと言っているのだ。次の受け皿はどこかと見渡せば、今は、民主党しかないのが現実である。国民はとにもかくにも、いったん政権交代をしてみて、それからまた考えようとしているのだ。この国の民主主義が、どこまで実現できるか、私たちひとりひとりに問われているのではないだろうか。

mm記

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2009年5月10日 (日)

アフガニスタン 白リン弾使用

『アフガニスタン:NATOが白リン弾使用 8歳少女負傷か』
(毎日新聞 5/9)

【ニューデリー栗田慎一】国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は8日、アフガニスタン東部で3月にあった北大西洋条約機構(NATO)軍の空爆で「白リン弾が使われ、8歳の少女が顔などに深刻なやけどを負った」と非難声明を出した。NATO軍側は白リン弾の使用は認めたが、民間人の負傷は否定した。アフガンで白リン弾の使用が明らかになったのは初めて。

一方、アフガン西部で4日にあった米軍の空爆による死者は9日までに130人を超えている。

http://mainichi.jp/select/today/news/20090510k0000m030061000c.html

『求められる徹底調査。化学攻撃で火傷をおったアフガン少女』
(ロイター インド版 イギリス版 アメリカ版 5/9)

ヒューマンライツウォッチは、アフガニスタンに駐留するNATO軍に、3月の白燐が原因で火傷をおった8歳の少女の事件についての調査結果を発表するよう要求している。

女の子の名前はラジアちゃん。化学物質を搭載した砲弾がこの子の家に着弾したとき、激しい火傷をおった。この物質は、空気に触れると発火し、皮膚に貼り付く性質がある。ラジアちゃんを治療した米軍の医療スタッフが、彼女の顔と首に白燐がかかったと証言している。

この子の姉妹二人はこのときの攻撃で亡くなっている。カピサ県東部でのことだ。この事件は、アフガニスタンにおいて、初めて明らかにされた白燐による民間人の犠牲者の実例である。ロイター通信が金曜日に(他社に)先駆けて報道した。

この化学物質は、戦場で、照明や煙幕を作る、建物を燃やすといった使い方であれば合法である。化学兵器としての使用を禁じている条約の下では、利用そのものは禁止されてはいない。しかし、人が集まっている場所での使用は、繰り返し議論を呼んでいる。

ラジアちゃんの父親は、それは欧米軍が放ったもので、タリバーンに向けた一斉射撃のうちの一部であると証言している。付近を拠点にしている米軍とNATOのフランス軍が、そのとき武装勢力と戦闘状態にあった。

しかし、NATOスポークスウーマンのジェニファー・ウィリス米軍大佐は、内部調査で、欧米軍が放った砲弾がその家に着弾したことは「とてもありそうもない」という結論に達したと言う。さらに、タリバーンが放った迫撃砲が、責めを負うべきなのかもしれないとほのめかした。

ロイター通信が報じた後に発せられたリリース文によると、ニューヨークを拠点に活動するウォッチドック、ヒューマンライツウォッチは、NATOに調査の全容を発表するよう要求している。

「NATOは、カピサ県での事件において白燐の使用を否定していないし、武装勢力がそういった砲弾を発射したという確証もえていない」と、グループの上級軍事アナリストのマーク・ガーラスコ氏がリリース文の中で言っている。

「NATOと米軍は、民間人の犠牲の多さからすでに武装しているアフガニスタンの人々に対して改めて保障する必要がある。こういった軍需品は違法に使われることはないと」と、彼は言っている。

欧米軍は、アフガニスタンでの白燐の使用を認めている。ウィリス氏は、タリバーンも使っているとし、NATO軍が白燐弾攻撃を浴びたか、もしくは現地で白燐弾を見つけたと報告した、ここ18ヶ月にわたる4つの件についての詳細を述べた。

しかし、ガーラスコ氏は、「米軍とNATO軍が広範囲に日常的に使っている白燐と照らしあわせて考えると、証拠にあがった白燐弾はまるでそんなこととは関係ないように見える」とロイター通信に語っている。

「ヒューマンライツウォッチは、白燐を人の集まる場所で使用することが、市民の殺傷を避けるために可能な限り予防策を講じることを定めた国際人道法の要件に違反していると考える」と、グループはリリース文で述べている。

Probe sought after chemical strike burns Afghan girl
http://in.reuters.com/article/domesticNews/idINSP39403620090509

『スクープ:アフガン少女の火傷が示す化学攻撃の恐怖』
(ロイター インド版 イギリス版 アメリカ版 5/8)

8歳の女の子、ラジアちゃんは、こんな風になってしまったわけをお父さんから聞かされている。3月のある朝、欧米軍が放った砲弾が自宅に炸裂して、赤々と燃え盛る化学物質に頭や首が包まれてしまったのだ。

彼女はいま、バグラム空軍基地にある米軍の病院のベッドで過ごしている。小さな指はそれでもところどころ赤い皮膚に覆われているが、顔の方は組織がめちゃくちゃに焼けてしまったため、ほとんど判別できない。頭皮の半分は毛が抜け落ち、火傷跡がのこっている。

「子どもたちは、私に火がついているって叫んだんですが、爆発がものすごくて。しばらくの間、耳がいかれてしまって、聞こうにも何も聞こえなかったんです」と、彼女の父親、アジズ・ラフマン氏はロイター通信に語った。

「そのあと、妻が叫んだんです。子どもたちに火がついているって。そのとき、妻にも火がついていました」と付け加えた。思い出す彼の顔が曇った。

彼の家庭を破壊したのは、白燐と呼ばれる化学物質による炎だ。バグラム空軍基地にいる米軍の医療スタッフが、ラジアちゃんの顔や首をみて気づいた。

こいつは、空気に触れると激しく燃え盛る。粘着性があり、皮膚を焼くさいに肌に染み込んでさえいく。

戦場で、照明や煙幕を作る、建物を燃やすといった使い方であれば合法であり、国際条約において利用そのものが禁止されたものではない。しかし、化学兵器としての使用は禁止されている。

アフガニスタンの米軍とNATO軍の司令官(いわゆる駐留米軍トップ)である、デビッド・マキャナン将軍のスポークスマン、グレゴリー・ジュリアン大佐は、自軍がこの国でこの化学物質を使っていることを認めた。

「白燐の場合、戦場である種の利用があります。…えんぺい壕(地下を掘って地上から見えなくした貯蔵庫や避難所)や、敵の装備を破壊するのに焼夷弾として使っています。」

ただし、米軍の訓練マニュアルには、人に向けて使用することは非合法であると書いてある。人が集まっている場所での使用は、繰り返し議論を呼んでいる。

■誰が撃ったのか?

父親は、カピサ県東部にある自宅付近であった銃撃戦の後に、ラジアちゃんを焼いた砲弾が着弾したと言っている。この付近で展開するNATO軍率いる国際部隊は、主にフランス軍で構成されており、それを米軍がサポートしている。

「(欧米の)部隊は、道路側にいました。タリバーンは山側でした。私たち家族は家にいて、両者に挟まれる形でした。タリバーンが退却しだしたとき、部隊が彼らに向かけて12回、大砲を発射しました。そのうちの一発が我が家に命中したわけです」と、父親は言った。

NATO軍のスポークスウーマン、米軍のジェニファー・ウィリス大佐は、彼の説明を否定している。この件についての内部調査によると、当たったのがラフマンさんの自宅というのは、タイミングとロケーションからいって「とてもありそうもない」という結論に達したと言う。

彼女は、むしろタリバーンがそいつを発射したのではないかと提案している。「敵の迫撃砲チームは、そのエリアでずっと活動していることが分かっているんです。もしかすると、あっちに責任があるのかもしれないですね。」

アフガニスタン政府、軍事専門家たち、タリバーンについての専門家たちが、ロイター通信に語ったところによると、どう考えても、武装勢力が白燐を使ったことが確認されたことは、これまでに一度もない。戦場でそいつの使用が確認されている部隊は、アメリカとNATOしかない。

「タリバーンが、彼らの攻撃において、そいつを使用したことがあるとは聞いたことがありません」と、(アフガン)国防省のスポークスマン、ザヒヤ・ムラド氏は言った。

パキスタンで活動する、強硬派に賞賛されている本の著者、アフムド・ラシド氏も、そのような報道は聞いたことがないと言っている。

不利な状況において、部隊の移動を照らしたり、隠したりするのに化学物質を使うのは、外国部隊の戦略として性に合う。だが、地形を知っており、民間人に溶け込むことができる武装勢力にとっては、そういうものはほとんど必要としないだろう。

「彼ら(タリバーン)が、兵器庫に貯めてある白燐を武器として使うなんて考えるのは、コジツケもいいところです」と、元アメリカ国防総省の情報分析官で、ヒューマンライツウォッチの上級軍事アナリストのマーク・ガーラスコ氏は言った。

「米軍は、煙幕でも見通せる光学装置をもっています。つまり、(タリバーンにとってはそんなハイテク装置をもってないので)使いようがない。彼らは照明だっていりません。というのも、それこそが米軍がどこに向かっており、どこで戦おうとしているのかを伝える電信の役割をしているわけです。加えて、彼らは対象となる地域を把握していますから。」

「タリバーンは、ショックを与えるのと殺すのに、強力な爆発力があるものを求めています。空から降り注ぐ炎では、米軍を震え上がらすことはできません。」

NATOのスポークスウーマン、ウィリス氏は、武装勢力が、過去において白燐を使用したことが確認されているといった。だが、タリバーンがその化学物質を使用したという実例を見せてほしいという求めに対して、彼女はそれはできないと書いてよこした。

タリバーンも、その使用を否定している。「それは事実ではありません。そんなのは単なる証拠のない主張にすぎません」と、スポークマンのザビフラ・ムジャヒド氏は言った。

■元には戻らない

父親は、ラジアちゃんに火が付いているのを見て、とっさに彼女をつれて庭に走った。そこで、新しく壁を作るのに使う泥に混ぜるためにとっておいた水で炎を消した。彼の手には、ばっさり塊になって抜けたラジアちゃんの髪の毛が残った。

彼は、急いでまた家の中に戻ったが、頭をやられて亡くなっている子ども二人を見つける。それでも、ラジアちゃんをおぶって、よろめきながらも地元の基地(アフガン正規軍のことだろう)に向かった。そこで、兵士が米軍の空輸を手配してくれた。こうやって何とかラジアちゃんは助かった。

ラジアちゃんの治療にあたっている米軍の小児外科医、コリーン・フィッツパトリック氏は、ラジアちゃんが白燐に撃たれ、全身の40%に火傷をおったと診断している。

「治療には、皮膚移植を伴うわけですが、・・・(でも、)火傷がかなり広範囲にわたっており、恵皮部にするところのうち幾らかを治療することが先決でした。そうすれば、同じところから一回以上皮膚を採取できるでしょうから」と、フィッツパトリック氏は言った。

ラジアちゃんは、写真撮影を嫌がった。この子は、肉体的にも精神的にも苦しんでいる。

「娘は、とても悲しいし、さびしい気持ちでいます。家族やお母さんが恋しいんです。私が午後にうちに電話するとき、・・・あの子は妻と話すんですが、いつも、ママ、あいたいよ~と言ってます」。

父親は、アメリカの医師によるラジアちゃんの医療補助に対して感謝しているが、県知事が見舞いに訪れたさい、慰めの言葉ではなく、「この子、一生結婚できないな」と言ったことに対して怒りが収まらないでいる。

退院すると、この子は人生を立て直すのに大変な苦労に立ち向かうことになるだろう。火傷の跡をよくしてあげることは多分可能だと医師は言うが、アメリカの支援はいつの日か打ち切りになるだろう。

「普通の状態になることはありえない。それでも、いまの状態をいくらか改善する余地はあります」と、フィッツパトリック氏は言う。

「ちゃんと最後まで治療してさしあげたいのですが、戦争のテンポにるところが大きいです。・・・当たり前のことですが、自分たちの主な役は自軍の兵をサポートすることにあるわけですので。」

EXCLUSIVE-Afghan girl's burns show horror of chemical strike
http://in.reuters.com/article/domesticNews/idINSP4951520090508

------------------------------------------------------
ヒューマンライツウォッチ:Afghanistan: NATO Should ‘Come Clean’ on White
Phosphorus
http://www.hrw.org/en/news/2009/05/08/afghanistan-nato-should-come-clean-white
-phosphorus

父親の写真:5月4日撮影、バグラム空軍基地内の少女の病室で。
http://www.reuters.com/news/pictures/articleslideshow?articleId=USTRE5471SO200
90508&channelName=GCA-Afghanistan-Pakistan#a=1

関連記事:Afghanistan’s civilians caught in the middle
http://blogs.reuters.com/pakistan/2009/05/09/afghanistans-civilians-caught-in-
the-middle/

EGピース
http://egpeace.gozaru.jp/

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バスラ国際がん学会

直前のお知らせになりましたが、次のように、イラク・バスラを訪問し、初めて開催された「第1回バスラ国際がん学会」に参加しましたので、劣化ウラン被害にさらされ続けているイラクの現状を報告したいと思います。
以下のようにご案内いたします。
************

イラク現地緊急訪問報告会
<第Ⅰ回バスラ国際がん学会に参加して>

日時:5月15日(金) 18;30-20;30
場所:広島平和記念資料館:地下会議室Ⅰ
主催:NO DUヒロシマ・プロジェクト
報告者:嘉指信雄 (NO DUヒロシマ・プロジェクト代表

* 湾岸戦争に続き、今回のイラク戦争でも多量の劣化ウラン弾が投下されたイラクでは、がんや白血病の発症率が上昇しつつあると伝えられています。
  戦争によって無数の人命が奪われ、街が破壊されただけでなく、劣化ウラン兵器の使用は、深刻な健康障害や環境汚染をもたらしています。

* こうした「がん発症率の上昇」という事態の中、この5月6日-7日、第一回バスラ国際がん会議が、バスラ医科大学主催、イラク保健省後援で開催されました。

*   いまだに治安状態はきわめて不安定だが、参加者は約400名にのぼり、海外からも、中近東諸国に加え、米・英・オーストリアなど、10数カ国から約40名が参加。日本からは約10名が招待参加しました。
「NO DU ヒロシマ・プロジェクト」の嘉指(かざし)代表は、基調講演で、ウラン兵器禁止国際キャンペーンの現状について報告し、2007年、2008年と2年連続して国連総会で採択された劣化ウラン決議(加盟各国及び国連機関に対し、劣化ウラン兵器の影響に関する見解の提出を要請)に応え、最大の被害国であるイラクこそ、報告・アピールをするように呼びかけた。また、パネル・ディスカッション「バスラ地域における劣化ウランの影響」にもパネリストとして参加しました。

*   会議の内容に加え、会議前日に訪れたバスラ産科小児科病院や復興の緒についたばかりのバスラの街の様子など、映像も使い報告します。

   連絡先:NO DUヒロシマ・プロジェクト(ICBUWヒロシマ・オフィス)
                        事務局・森瀧 090-9064-4705
                     http://www.nodu-hiroshima
                       info@nodu-hiroshima.org

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2009年5月 8日 (金)

沖縄の不発弾2500万トン 

沖縄の不発弾2500万トン 探査は自己負担

日本という国の信じられない一面

いつものように、夜10時からのテレビ朝日《報道ステーション》を見ていたら、沖縄の不発弾の問題を特集として取り上げていた。
かなりの人が見ただろうから、報道されたことを書くのも芸のない話だとは思うが、この事実を1人でも多くの人に知ってもらいたいと思う。
今年の1月、糸満市で水道工事中、地下に埋もれていた250キロ爆弾が爆発、作業員が重傷を負ったり、近くの建物に大きな被害が出るという事件があった。
その時、沖縄にはまだ多くの不発弾が埋まっているという話は多少伝えられたかと思うが、それ以上の関心につながることもなく、半ば忘れかけていた。
しかし、この《報道ステーション》の特集を見ていて、その現状が1回の事件で報道されたものより、はるかに深刻なものであることを知った。
沖縄戦の際、米軍が投下した爆弾や砲弾は実に20万トンにおよび、ハガキ1枚に1個投下された計算になるらしい。そのうち1万トンが不発弾として残ったと推定されている。
一部は、戦後、米軍や自衛隊、住民が処理したが、まだ2500トンが地中にある。
生活の場に、これだけの危険物が潜んでいるのだ。
そういう状態だから、家を建てたり、工事を行うために掘り起こせば、たちどころに不発弾にぶつかるという結果になる。

レポーター1日の取材中に10個以上発見の不気味

自衛隊の処理隊が連絡を受けた回数は、36年間で1万1千回。年300回以上のこのペースは、いまも変わることがないという。
工事前に、電磁探査を行えば不発弾を発見でき、事故を未然に防止できるそうなのだが、これが実施されるケースは少なく、民間ではほとんどやっていないという。
問題は費用。1回の探査に数10万から数百万円、公共工事の場合は国の補助があるが、民間工事には一切ない。全額自己負担だそうだ。
報道の中でこういう話を聞いていて、実に不思議な気がした。
終戦末期のすさまじい沖縄戦をさして、沖縄は本土を守るための犠牲になったとよく言われるが、それもさることながら、講和条約に際しては切り離して長くアメリカの手にゆだね、あまつさえ、多くの基地をいまだに押しつけている地域に対して、
その戦争被害の象徴でもあるような残留不発弾の探査を積極的に実施し、安全、安心を保障するという最も大事な部分が抜け落ちているように見える。
自衛隊を海外に派遣することには、嬉々としてと見えるほどに、それだけが国の安全保障だと思い込んでいるらしい国の常識が不可解である。
公共工事の補助についても2,3割は自治体の負担だそうで、財政の厳しいいま、こっちも電磁探査は行っていない場合が多いという。
残り不発弾を処理しきるのにあと80年かかるかると聞けば、沖縄の人々が、自分の土地で安心、安全に過ごせるようになるのは、いつのことかと思う。

転載元: 吉野山房日日

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2009年5月 7日 (木)

HANWA総会・記念シンポジウム

広島で繰り広げられたフラワーフェスティバルの連休も終わり、ニューヨークでは、広島・長崎両市長や被爆者、国際NGOなども参加して、「NPT再検討会議準備委員会」が始まっています。

2005年のNPT再検討会議で危機を迎えた核兵器廃絶への展望は、昨今の状況では、大きく流れを変えようと動き出しています。非人道的無差別兵器の地雷やクラスター爆弾の禁止条約成立に続き、「ウラン兵器禁止条約」、「核兵器禁止条約」への道を近く、現実的なものにするため、今、よりいっそう国際世論をたかめて行く努力を傾ける必要があります。

このような情勢の中で、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」では、昨年来、核拡散の危機をもたらす米印原子力協力協定へ阻止の取り組み、G8議長サミット広島開催への対応、アメリカオバマ政権誕生に際しての働きかけ、シンポ「核兵器禁止条約とICNNDの動き」開催などに取り組んできました。

この10月に広島で開催される「核軍縮・核不拡散国際委員会ICNND)」にどう働きかけるか。

2010年のNPT再検討会議に向けてこれからの1年間、私たちの取り組みは、非常に重要になってきています。

下記のように、反核シンポジウムを開催し、皆様とともに、核兵器廃絶への道を探っていきたく、ご案内いたします。ぜひご参加ください。

<HANWA総会・記念シンポジウム>

『核兵器禁止条約実現への道』

日時: 5月10日(日) PM 3:00-5:00  (総会は2:00-2:50)

 場所: 広島平和記念資料館・地下会議室Ⅰ

 

趣旨: “核兵器廃絶を現実のものにしたい。その重要な鍵である核兵器禁止条約をどう成立させるか。

核兵器廃絶をめぐり大きく流動する国内外情勢のなかで、ヒロシマの原点から具体的な指針を探る。”

主催:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)

後援:(財)広島平和文化センター 

パネリスト:

田巻一彦さん・・・・・・・ピース・デポ副代表、 ICNND日本NGO連絡会・事務局長

:「核をめぐる現情勢と核兵器廃絶禁止条約の実現に向けて」

前田耕一郎さん・・・・・・広島平和記念資料館長 

:「核兵器廃絶のためのヒロシマの役割―核戦争の実相をどう伝えるか」

高橋昭博さん・・・・・・・HANWA運営委員、被爆者、元広島平和記念資料館長
 

:「エノラ・ゲイ機長 チベッツとの対話からー被爆者とて」

田中利幸さん・・・・・HANWA運営委員、ICNND日本NGO連絡会運営委員、広島平和研究所教授 

:「ICNNDとオバマ大統領の核政策に何が期待できるか -草の根運動が果たすべき役割-」

コーディネーター:森瀧春子・・・HANWA共同代表、ICNND日本NGO連絡会共同代表

核兵器廃絶をめざすヒロシマの会

共同代表 森瀧春子

090-9064-4705

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2009年5月 6日 (水)

伊藤博文と犬養毅

5月3日にNHK総合テレビで放送された
 
 シリーズ JAPANデビュー 第2回 天皇と憲法
 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090503.html
 
は、大日本帝国憲法(明治憲法)がどのような考えの基で起草され、制定され、運用されていったかを検証する番組でした。

 この番組は、私がよく知っていると思っていた二人の人物の、別の面を知らせてくれました。
 
 伊藤博文(1841年~1909年)と犬養毅(1855年~1932年)で
す。
 
 初代内閣総理大臣であり、大日本帝国憲法草案を作成した一人である伊藤博文は、朝鮮の植民地化を進めた人物として、左の方からはきわめて評判が悪い人物です。また、日本初の女優であった川上貞奴を始め、多くの女性と関係を持った好色な政治家として生前から批判されてきました。
 
 しかし憲法に関して伊藤は、今では当たり前だとされている考えを持っていました。それを大日本帝国憲法第4条に盛り込みました。
 
 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
 
 後半部がそうです。「天皇は、この憲法に則って政治を行うこと」です。つまり、天皇といえども、大日本帝国憲法を無視して政治を行うことはできない、天皇は憲法に従わなければならない、とする規定です。伊藤は天皇は全知全能の専制君主であってはならない、憲法に従うべきだという考えの持ち主でした。この考えは明治天皇も同じく持っていました。
 
 1889年、枢密院でこの大日本帝国憲法草案が審議されました。この席で当時司法大臣であった山田顕義(1844年~1892年)は、第4条後半削除を求めました。後の日本大学や國學院大學を創立し、薩長藩閥政治からは距離を置いた政治家として評価される山田は、天皇の主権が憲法によって制限されるのはとんでもないことだと主張しました。これに対して伊藤は、この条文がなければ日本は専制君主国家になってしまう、文明国とは言えなくなると反論しました。
結局賛成多数で4条後半は残りました。
 
 天皇といえども憲法に従う、という考えは現在からみても妥当なものです。
 
 しかしこの4条は、大日本帝国憲法の
 
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

に矛盾する側面がありました。天皇の存在は絶対的なものか、それとも憲法の制約を受けるのか。これは後に、この番組でも取り上げられている「天皇機関説問題」で火を吹くことになります。

 次は1932年の5・15事件で射殺された犬養毅です。
 
 犬養は自由民権運動時代から政治家として、明治・大正・昭和に3つの時代を駆け抜けてきました。演説の達人で、普通選挙を要求し、孫文の革命運動に協力した犬養は、首相となった1932年、ファッショ排撃を唱え、満州国承認を渋ったために軍部の怒りを買いました。それで過激な海軍将校の一団に襲われ射殺されました。それで彼は、軍部ファシズムの犠牲者と見なされています。
 
 しかし、犬養の死は、実は彼自身が招いたとも言えると、この番組は示しました。
 
 大日本帝国憲法第11条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定しています。軍は天皇が直接指揮するものであって、内閣や議会がコントロールするものではないという「統帥権」の根拠となったものです。これは軍部ファシズムを生んだと作家司馬遼太郎などが指摘しました。
 
 実は犬養は、この「統帥権」を使ってロンドン海軍軍縮条約(1930年)に軍部と一緒になって反対し、ライバルであった民政党の浜口雄幸内閣打倒に動きました。このロンドン海軍軍縮会議開催前、犬養は軍縮賛成を主張していました。
それを撤回して反対を叫びました。これは、犬養が所属していた政友会の大きな支持基盤が、在郷軍人会などの退役軍人や軍需企業だったからです。
 
 結局、ロンドン海軍軍縮条約は批准されました。折からの世界恐慌による失業者の増大と、金解禁政策の失敗、緊縮財政に対する不満が相まって、浜口は1930年東京駅で銃撃され、死亡しました。
 
 1931年、念願の首相となった犬養は、ファッショ排撃を唱え、満州国承認を渋る態度をとりました。これが、軍部の怒りを買いました。軍と一緒になって統帥権干犯反対を唱えたくせに、首相になったとたんに態度を豹変させるとは、変節漢め、伐つべし、と。そして5月15日、射殺されました。犯人の海軍将校たちに対して100万人以上の嘆願署名が送られました。軍法会議で、皆軽い刑が下されました。
 
 この番組は良いシリーズです。
 
 次は、世界でも例がない「総合商社」を確立した三井物産を軸に、貿易から見た近代日本を検証します。6月に放送されます。
 
坂井貴司

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2009年5月 5日 (火)

コンゴ紛争

◎世界最悪のコンゴ紛争と私たちとのつながりとは?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1990年代以来現在にいたるまで紛争の絶えないコンゴ民主共和国[旧称ザイール]の戦禍は、第二次世界大戦以降で世界最悪と言われます。実際、NGOの国際救援委員会(IRC)の調査によれば、コンゴ紛争(内戦)の死者数は、1998年以来 2008年1月までの時点で 540万人と見積もられています【*1】。大阪市と名古屋市との人口の合計を超える数です。しかしながら、世界の十分な注目を集めているとはとうてい言い難いのが現状です。日本のメディアもその例外ではないどころか、ほとんど完全に無視していると言っても過言ではないでしょう。今現在にいたっても、日に1300人が死ぬ【*2】状態がつづいているにもかかわず。

米国に、「民族大虐殺と人道に反する犯罪を終わらせる」ことを目標としたイナフ[ENOUGH]という民間プロジェクトがあります。同プロジェクトのウェブサイトでは、コンゴ内戦の重要な背景を簡潔に解説しています。世界の一般の消費者もコンゴ内戦に無縁ではない、ということがよく分かります。

こんな大量虐殺は「もうたくさん(ENOUGH)だ」という願いをこめて、同記事を以下に邦訳しました。

〔翻訳: 坂野正明(前書とも)/TUP〕

【*1】 http://www.theirc.org/news/irc-study-shows-congos0122.html
なお、コンゴの国連難民高等弁務官(UNHCR)ゴマ事務所所長(当時)の米川正子さんの昨年の報告(以下の URI)でも同数値が引用されています。
http://www.japanforunhcr.org/act/a_africa_drc_03.html (日本語)
【*2】 http://www.raisehopeforcongo.org/files/pdf/crisis_in_congo.pdf
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※凡例: (原注) [訳注] 【参考文献番号】
※注: 以下、1米ドル=100円として換算しています。
────────────────────────

イナフ(ENOUGH)のキャンペーン
コンゴに希望をもたらそう

「コンゴの危機 ―― 紛争鉱物の犠牲者」

★要点となる事実

この一世紀以上にわたり、コンゴ民主共和国は、地域紛争と豊かな天然資源をめぐって死者の山を築く奪い合いが引き続いて苦しんでいます。コンゴに眠る富を求めての飽くなき欲が、コンゴの苦難の歴史を通じてやむことのない残虐行為と紛争との原動力になっています。現在、コンゴ東部では資源が多くの武装集団の資金源となっています。それら武装勢力の多くが、大規模強姦をあえて戦略として使うことで、地域住民を怯えさせて、鉱山やあるいは自分たちが支配したい場所から追いたてています。

特に、コンゴ東部の紛争(第二次世界大戦以来、死傷者的に最悪)は、相当な部分、何億円にものぼる鉱物交易によってあおられています。武装勢力は 4種の主要金属 ―― すなわち錫[スズ]、タンタル、タングステン、金 ―― の原鉱の交易により、毎年1億4400万米ドル[約144億円]を生みだしていると推定されています【1】。このお金のおかげで、これら武装集団は大量の兵器を購入し、住民に対して残忍な組織的暴力をふるい続けることができています。なかでも鉱山地域では最悪の虐待がおきています。これら原料は、最終的には携帯電話や音楽プレーヤーやコンピューターといった電子機器のなかにおさまることになり、
ここ米国で売られているものもその例外ではありません。
金属の供給経路が不透明な現実を考えると、米国の消費者は、残虐行為と大規模強姦を日常的に行なっている武装勢力に間接的に融資しつづけていることになります。

★武装勢力はどのようにしてこれら鉱物から利益を上げているのですか?

コンゴ東部での暴力行為の主なものは、鉱物資源に恵まれた地域で発生しています。暴力と悪行をはたらいている三つの主要武装集団が、鉱物交易の多くをも支配していると言われています。人民防衛国民会議(CNDP)、ルワンダ民主解放軍(FDLR)、コンゴ軍(FARDC)の中の無法分子の三集団です。

これら武装集団は、交易を通じて、主に以下の二つの方法で利益を上げています。

○鉱山を支配し、死に至ることもめずらしくない環境で鉱夫を強制労働させ、平均日当 1~5米ドル[100~500円]という雀の涙ほどの手当しか支払わない【2】。

○運送者、国内あるいは国外の買人、国境管理所に賄賂を要求する。

★どの鉱物が交易されているのですか? ―― 三つの「T」鉱物と金

武装勢力は、3T 鉱物、すなわち錫[Tin]、タンタル[Tantalum]、タングステン[Tungsten]の三つ、および金を交易しています。

○錫[スズ]:
皆さんお使いの携帯電話をはじめすべての電子機器の内部で、電子回路基盤上に半田[はんだ]として使用される。世界の錫のうち、53パーセントが半田として使われていて、そのほとんどが電子機器のなかに入ってくる【3】。武装勢力は、錫の交易を通じて一年におよそ 8500万米ドル[85億円]を稼いでいる。

○タンタル (しばしば「コルタン」と呼ばれる)【4】:アイポッド、デジタルカメラ、携帯電話[など]において、電気を蓄えるためのコンデンサーに使用される。世界のタンタルのうち、65~80パーセントが電子機器に使用される【5】。武装勢力は、タンタルの交易を通じて一年におよそ 800万米ドル[8億円]を稼いでいる。

○タングステン:
皆さんの携帯電話やスマートフォンの[マナーモードの]振動モーターに使われる。タングステンはコンゴの武装勢力の収入源として伸び盛りで、武装勢力は現在、年間およそ 200万米ドル[2億円]を稼いでいる。

○金:
おもに宝飾に使われる。金は電子機器部品の原料の一つでもある。きわめて高価かつ密輸も容易で、武装勢力は金の取引で一年に4400万~8800万米ドル[44~88億円]を稼いでいる。

★これらの鉱物が、どんなわけで私の携帯や音楽プレーヤーや他の電子機器におさまることになるのですか?

東部コンゴ産の鉱物は、

1) ルワンダ、ウガンダ、ブルンジを含めた近隣諸国を経由して輸送される。

2) 主に東方アジアに向けて、なかでもマレーシア、タイ、中国、インドの多国籍精錬業者に向けて輸出される【6】。

3) いったん加工処理されると、電子機器メーカーに買われ、コンデンサなどの有用なパーツに化けて、電子機器内部に加えられる。3T鉱物を含んだ機器のベストセラーは【7】、

○携帯電話とスマートフォン
○MP3プレーヤー
○デジタルカメラ (また、テレビ、コンピューター、ディスプレイ)

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タイとのつながり

最近だされた国際連合の報告書では、錫精錬業界の世界第五位でタイに本拠をおくタイサルコ[Thaisarco]社が、FDLR[ルワンダ民主解放軍]に関係する筋から鉱物を購入している証拠が示されている【8】。この FDLRとは、1994年のルワンダの民族大虐殺の責任を負う人々に率いられた武装集団である。また、米国とドイツに本拠をおく複数のタンタル加工業者、およびベルギーの金属貿易会社もコンゴ東部の主要武装集団の他の二つ、 CNDP[人民防衛国民会議]と FARDC[コンゴ軍]から鉱物を購入しているかも知れない【9】。
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★私に何ができるでしょうか?

www.raisehopeforcongo.org を閲覧して、コンゴの戦争をあおっているこの紛争鉱物交易を終結させるのを促進するために、そしてコンゴの女性を守り自立するのを助けるために、何ができるかさらに学んで下さい。

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【1】 これは控えめな推定値であり、最大値は毎年 2億1800万米ドル[約218億円]と見積もられている。特に、主要三武装集団、すなわち CNDP、FARDCの無法分子、および FDLRの推定総収益は、錫で 8500万~1億1300万米ドル[85~113億円]、タンタルで 790万~1300万米ドル[7.9~13億円]、タングステンで 190万~350万米ドル[1.9~3.5億円]、金で 4400万~8800万米ドル[44~88億円]である。この値は、コンゴ民主共和国の鉱山省、アメリカ地質調査所[USGS]、CASM(小規模鉱業共同体にかかる主導者)、コンゴ民主共和国についての国連専門家会議、DFID[英国国際開発省]・USAID[アメリカ国際開発省]・COMESA [東部及び南部アフリカ共通市場奨励組織]、ポレ協会[アフリカ大湖沼地域の異文化間協会――コンゴ東部のゴマに拠点を置く組織]が出している鉱物に関する最新の資料に基づいて計算されている。計算においては、以下の二つの要素、(イ)武装勢力が利益を得る二つの方法、
すなわち、鉱山支配と運送業者や中間業者や外国の貿易会社から
の収入、(ロ)国連、リソース・コンサルティング・サービシズ[Resource Consulting Services―― 公平貿易などに関する調査などを請負うことを仕事とする英国の会社]、ポレ協会とによる2007~2008年のコンゴ東部現地での監視活動に基づき、過小申告された鉱物量と実際の量との差の推定割合、を考慮に入れている。
データの基準時点は 2007年6月である。武装勢力の利益に関する詳細な研究報告全文は、本イナフ・プロジェクトから発行される予定である。

【2】 Nicholas Garrett, "Artisanal Cassiterite Mining and
Trade in North Kivu: Implications for Poverty Reduction
and Security", CASM, 2008年6月, 第16ページ。[題名参考訳:「キブ北部におけるスズ石の小規模鉱業と交易 ―― 貧困の緩和と安全保障へむけての示唆」]

【3】 "Review of Tin Use and Recycling for 2007", ITRI。
[題名参考訳: 「スズの使途とリサイクル概観 2007年」]
以下から閲覧できる
http://www.itri.co.uk/pooled/articles/BF_NEWSART/view.asp?Q=BF_NEWSART_308811

【4】 「コルタン」とは、コルンブ石とタンタル石とを総称して、特にコンゴでの原鉱を指して使われる名称。コルタン鉱石を精錬することで、金属タンタルが抽出される。[訳注: 日本語「タン
ル」は、金銀銅と同様に、金属名でありかつ元素名でもある]

【5】 タンタル製造業界の雄、H・C・スターク[H.C. Starck]社は、世界のタンタル消費のうちで 60~70パーセントがミクロ電子工学産業でタンタル[電解]コンデンサを製造するのに使われ、加えてさらに 5~10パーセントがそれらのコンデンサ製造のための金属線を生産するのに使われている、と述べている。アメリカ地質調査所の例証によれば、米国に輸入されるタンタルの 60パーセントがコンデンサに使われている。「たんなるタンタル粉末のせいで市場は"たんと"気をもむことになる」
http://www.icis.com/Articles/2001/08/13/144744/tantalum-powder-tantalizes-electronics-market.html
U.S. Geological Survey Mineral Commodity Survey for
Tantalum, 2009年。 www.usgs.gov から閲覧できる

【6】 "Final report of the Group of Experts on the
Democratic Republic of the Congo." [題名参考訳: コンゴ民主共和国についての国連専門家会議最終報告], 国際連合安全保障理事会, S/2008/773, 22~23ページ、を参照せよ。
http://www.un.org/Docs/journal/asp/ws.asp?m=s/2008/773
から閲覧できる。

Nicholas Garrett, Harrison Mitchell, "Congo Rebels Cash in
on Demand for Tin" [題名参考訳: コンゴ抵抗勢力、スズの需要で現金収入], Financial Times[ファイナンシャル・タイムズ ――英国の全国紙], 2008年3月5日。
[ http://us.ft.com/ftgateway/superpage.ft?news_id=fto030420082233272004 ]

【7】 Consumer Electronics Association。CEA Market
Research (1/07)。
http://www.ce.org/Research/Sales_Stats/1219.asp
から閲覧できる。

【8】 "Final report of the Group of Experts on the
Democratic Republic of the Congo." [題名参考訳: コンゴ民主共和国についての国連専門家会議最終報告],国際連合安全保障理事会, S/2008/773、を参照せよ。
http://www.un.org/Docs/journal/asp/ws.asp?m=s/2008/773

Nick Bates, Hilary Sunman, "Trading for Peace: Achieving
security and poverty reduction through trade in natural
resources in the Great Lakes area" [題名参考訳: 平和のための交易 ―― [アフリカ]大湖沼地域の天然資源交易を通じて、安全保障と貧困の緩和を達成する], DFID[英国国際開発省]/USAID[アメリカ国際開発省]/Comesa[東部及び南部アフリカ共通市場奨励組織], 2007年10月。

Aloys Tegera, Dominic Johnson, "Rules for Sale: Formal andInformal Cross-border trade in Eastern DRC" [題名参考訳:販売の法則 ―― コンゴ民主共和国東部における公式および非公式の国境越境交易], Pole Institute["Pole"の"e"は上に「'」がついたもの; ポレ協会], 2007年6月。

【9】 ドイツのゴスラル[ゴスラー]に本社を、[米国の]オハイオ州、ミシガン州、マサチューセッツ州に支社を置くH・C・スターク社とマサチューセッツ州ボストンに本部を置くカボット[Cabot]株式会社とがタンタル精錬業界の世界の二大巨頭である。
コンゴ民主共和国政府の資料および国連報告書では、金属貿易会社数社もコンゴ東部から錫とタンタルとを買付けていると名指しされている。たとえばベルギーに本拠を置くトラドメ[Trademet]社、ベルギーに本拠を置くトラキス[Traxys]社、イギリスに本拠を置くアフリメックス[Afrimex]社である(ただし、アフリメックス社は、2008年に同社はコンゴ産の鉱物はもう輸入していない、と国連に伝えた)。
[上記]"Final report of the Group of Experts", 22~23ページ。

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(C) 2009 Center for American Progress
イナフ[ENOUGH] ―― 民族大虐殺と人道に反する犯罪を終わらせるプロジェクト
本部: ワシントン DC、電話・ファックス: [略]
[訳注: 「ENOUGH」とは、「もうたくさんだ」という意味]

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原文: "Crisis in Congo: The Casualties of Conflict Minerals"
ENOUGH Campaign, Raise Hope for Congo
(C) 2009 Center for American Progress (ワシントン DC)
URI: http://www.raisehopeforcongo.org/casualties_conflict_minerals

※全文をつける限りにおいて、御自由に転送・転載なさって下さい。
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「TUP」速報より

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2009年5月 4日 (月)

ケビン・ラッド首相

「 ケビン・ラッド首相の謝罪の言葉 」
 『先住民族の権利に関する国際連合宣言』が第61回国連総会の末期に近い2007年9月13日に長年に亘る議論に末、参加国の圧倒的多数の賛成により採択されました。日本も賛成票を投じました。反対したのはオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ等4カ国でした。いずれも旧イギリス植民地で、国内に多数の先住民族人口を抱えている国々でした。ところが、この決議を受けたオーストラリアのケビン・ラッド首相は、いちはやく2008年2月13日の同国議会で、原住民アボリジニの人たちに対してオーストラリア政府がこれまで行って来た差別政策が間違っていたことを具体的に例を挙げて述べ、その誤りを謝罪し、国民すべてに、過去の悪を正し、新しい未来へ歩みだそうと呼び掛けたのです。その演説は真情に溢れ、読む者の心を強く打たずにやまないものがありました。

 彼は冒頭、「この国の原住民の人たち、人類の歴史において最も古くから続いている文化に対して敬意を表する」と述べた後、「彼等に対する過去の誤った政策は、国家の歴史に汚点を記した」と反省し、「これら同胞(原住民の人たち)に深刻な悲しみと苦しみを与えてきた法律並びに政治について、特に、家族を破壊し、子どもたちを家族及び彼らの共同体から引き離したことによって彼等に取り返しのつかない痛みと苦しみを与えたことに対して、また、彼らの文化に対して無礼を働き、その尊厳を賎しめたことに対して謝罪する」と述べ、そして、「この謝罪が、魂に受け止められて、国民の心の中にある大きな汚点を取り除き、真の和解の精神に変えることによって、国家の癒しとなり、未来に対して、偉大な大陸、オーストラリアの歴史に新しい一章を開くものでありたい。」と訴えたのでした。

 彼は続いて、これまで犯してきた罪の具体的な一例として、現在80才になるアボリジニ出身のある女性の数奇な物語を紹介しています。原住民の家族の中に生れて幼少時を温かい家族の中で、伝統的なダンスや、夜のキャンプファイアー等を楽しんでいた彼女は、1932年、4才の時、村にやって来た白人とアボリジニの牧童によって、恐ろしさに泣き叫ぶ中を無理やり駆り立てられ、トラックに積み込まれて、家族から引き離されたのでした。その後、一緒に拉致された仲間とも引き離され、それぞれ強制的にキリスト教の別の宗派に属する信徒として育てられ、母親に再会することが無かったのです。悲しみに打ちひしがれた母親は、奪われた子どものことを案じつつ亡くなりました。彼女の心にも癒し難い傷跡を残したのでした。

英国の植民地として、スタートしたオーストラリアはヨーロッパと同じ白人国家を目指して、1901年に有色人種の移民制限法を成立させ、原住民や有色人種を差別化する「白豪主義」を貫いてきました。アボリジニの子どもたちを彼らの社会から引き離して、教育し、近代社会に適合させることを正しいと考えてきたのです。善意に基づくとの思いから、その政策が人間性を無視した罪に気付かずにきたか、あるいは気付こうとせずに来た歴史に対して、ケビン・ラッド首相は勇気を持って終止符を打とうと決意を呼び掛けたのです。オーストラリア政府が「先住民族の権利に関する国連宣言」に反対したことからも推察されるように、国内に根強い反対があり、差別撤廃の実現は決して容易な道ではないに違いありません。しかし、彼は、いかに困難でも今、この決断をすることは『人間としての品位(Human Decency)』の要請だと受け止めたのでした。
我が国でも参議院が昨年6月6日「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択しました。しかし、その決議文には、「こうした国際的な価値観を共有することは、21世紀の国際社会をリードしてゆくために不可欠である」との傲岸な認識のみで、過去の罪に対する真摯な謝罪と和解を求める気持ちの片鱗も見えません。国民の一人として、恥ずかしい思いがします。

「枚方だより141」から

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イラク・オバマ大統領

「イラクの事件に偶然はない」

2009年4月13日 (月)
ダール・ジャマイル
truthout [トゥルースアウト]

特例と言いつのって戦争に資金をつぎこみ続けたジョージ・W・ブッシュ氏の例に倣い、バラク・オバマ大統領は、イラクとアフガニスタンとでのアメリカの戦争への追加「緊急」支出 834億ドル[8兆3400億円]を求めている。もしこれが通れば、2009年の関連支出が 1500億ドル[15兆円]になり、二つの戦争の戦費の合計が 1兆ドル[100兆円]近くになることになる。

オバマ大統領は、ブッシュ政権が両国の占領のための費用を軍事予算に勘定するのを避けていた方策について、厳しく批判していたものだ。しかし今では、自身が同じことをしている。
今週はじめ、現政権は 5340億ドル[53兆4000億円]の[年間]軍事予算を明らかにしたが、このたびの要求はそれに上積みされるものだ。なお、その[軍事]予算は 2010年予算年度のものであり、ブッシュ前政権の 2009年度軍事予算を上回るものだった。

この動きは、4月7日にオバマ大統領がバグダードの空港を電撃訪問したそのすぐ後に続くものだった。空港にて大統領は、[米軍]軍人の一団に会って、彼らの「並外れた偉業」について褒め讃えたものだった。もし大統領が実際にすぐれた何かを意味してそう言ったというならば、私は気付かなかったということだろう。しかし、米軍のイラクでの「並外れた偉業」に相当するものならば、他にいくつも例を挙げることができる。米国のイラク侵略および占領で130万人を超える(*)イラク人を殺害したことは、確かに並外れている。占領により 6人に 1人のイラク人が家を追われたことも、並外れたことと言えよう。一国全体が破壊されたため、それ以前の、暴君の統治下にあってかつほとんど組織的大量虐殺と呼べる 12年にわたる経済封鎖で国全体が苦しんでいた時と比較してさえ住み心地が悪化することがあり得ることが証明されたことも、これまた並外れたことだ。
(*) http://www.justforeignpolicy.org/iraq/iraqdeaths.html

[訳注: 上の URI(*)から参照される原典は、英国の輿論調査組織ORB の 2007年9月の報告。
http://www.opinion.co.uk/Newsroom_details.aspx?NewsId=78
なお、同組織は 2008年1月に、2003年3月~2007年8月までの同死者数として、約103万人と下方修正の報告を出している
(以下のURI)。
http://www.opinion.co.uk/Newsroom_details.aspx?NewsId=88 ]

米軍が 138000人の兵士をイラクに維持し、200000人を超える私企業の傭兵のおかげで占領が継続できていて、また大統領が少なくとも 50000人の米軍部隊をイラクに無期限に留め置くこを意図しているその一方で、オバマ大統領はイラク政府に「自分の国に責任を持て」と迫り、つけ加えて米国は「イラクの領土と資源に関して何の権利もない」と涼しい顔で言いのけている。

オバマ大統領がこのような聞こえのいい演説をしたのは、バグダードの連続爆破事件でイラク人 15人が殺され、27人が負傷したそのわずか数時間後のことだった。現政権およびブッシュ[前]政権で国防長官を務めるロバート・ゲイツ氏はその大統領の言葉すべてに太鼓判を捺[お]して、イラクのアル=カーイダはバグダードでの党派的な暴力抗争を煽動しようと「息も絶えだえの最期の」企みをめぐらせている様子だ、と主張した。今までいくつの「息も絶えだえの最期の」「峠を越える」ことがイラクであったことか ―― 数え切れないほどあったことは、この 6年間に
わたって米国のイラク占領に関するニュースを丁寧に追っている人なら誰しも知りすぎるほどよく知っている。この太鼓判もそれらとなんら変わることがない。実際、4月10日にモースルにて自動車自爆攻撃で米国兵士 5人が 2人のイラク部隊兵士ともに殺され、その言葉がいかに詭弁か浮き彫りにされた。

イラク占領に関するブッシュ[前大統領]のプレーブック[アメフトで攻撃・守備のフォーメーションを図解した本]からまた別のページを参照したかのごとく、オバマ大統領は、バグダードの空港での演説中、これからの 18カ月が「決定的に重要な期間となるだろう」とも述べた。これまたしたり。イラクで、[米国らの]占領の期間を通じて、今までにいくつ「決定的に重要な期間」があったことか、私はもはや覚えてもいない。

オバマ大統領がバグダードの空港を訪問した 2日後、レイ・オディエルノ将軍はタイムズ紙[†]に、米国の戦闘部隊は駐留米軍の地位に関する協定[SOFA]で取決められている 6月30日の期限のあともイラクの都市部にとどまるかも知れない、と語った。

[訳注[†]: 英国の全国紙のひとつ。以上は、タイムズ紙の以下の記事を指しているものと推定される。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article6069734.ece
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article6069734.ece?token=null&offset=12&page=2
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/iraq/article6068078.ece ]

これらすべての雄弁な言葉のどれからもあからさまに抜け落ちているのが、イラクでの巨大な「恒久的な」米軍基地の数々とバチカンに匹敵する大きさの米国「大使館」とに関する議論であることもまた言うまでもない。

こうしているあいだにも、イラクでの流血と破壊とは引続いている。

──── ◇ ──── ◇ ──── ◇ ──── ◇ ────

○4月10日
10人のイラク人が国のあちこちで起こった攻撃で殺され、くわえて 84人が負傷した。5人の米兵(この 1年以上のあいだの米兵への攻撃のなかで、ひとつの攻撃としては最悪の死者数のもの)と 2人のイラク人兵士とが自動車爆弾により殺された。

○4月9日
6人のイラク人が国のあちこちで起こった攻撃で殺され、19人が負傷した。何万人もの人が、バグダード陥落 6周年となるこの日、バグダードで占領に反対するデモに参加した。

○4月8日
10人のイラク人が殺され、27人が負傷した。これで、バグダードでの相当規模の爆弾攻撃が 3日間連続したことになる。覚醒会議を標的にしたイラク政府の攻撃が現在進行中である徴候として、覚醒評議会の会員 3人が、ハリバジャのガルマ近くで爆破によって負傷した。(覚醒会議とは、米国が創設した複数のスンニ派市民軍のことである。昨年 10月にイラク政府に引継がれるまでは、同会員にはひとりあたり月に 300ドル[3万円]、米国民の血税から支払われていた。同会議は 100000人からなる大所帯に成長していて、政府の安全保障機構や警備機構に吸収されるはずだった。しかし現在では、政府軍に頻繁に標的にされている。
今にいたるまで、同会議の人で政府の職にありつけたのは三分の一未満である。)

○4月7日
15人のイラク人が国のあちこちで起こった攻撃で殺され、27人が負傷した。ファルージャでは、ある自爆者が警察の検問所に車で突っこみ、警官 1人を殺し、9人のイラク人負傷者をだした。
覚醒評議会の 1人がイスカンダリーヤ地区で死体となって発見された。攻撃を受けて、市には 2日間の終日外出禁止令が発動され、厳戒体制が敷かれた。

○4月6日
45人のイラク人が殺され、176人が負傷、また米兵 1人が殺された。バグダードは自動車爆弾の凄惨な波状攻撃を被っている。

○4月5日
13人のイラク人が殺され、34人が負傷した。バグダードでは、内務省の高官が 1人、家族と車に乗っているところを銃で武装した一団に襲われ殺された。バスラの知事は、爆弾攻撃にあうもからくも命を取りとめた。覚醒評議会の 1人がカナアーンで殺され、同評議会のもう 1人はキルクークで爆弾で負傷した。

──── ◇ ──── ◇ ──── ◇ ──── ◇ ────

5年以上前、私が米国のイラク占領について報告を始めた時、私はすぐに、当地では複数の物事が起きるときにそれが単に偶然の一致ということは一切ない、ということに気付いた。

4月7日、オバマ大統領は、イラク政府に対して、覚醒評議会の人々を政府の防衛軍に組入れるようもっと努力が必要だ、と促しもした。イラク政府は(米軍もそうだが)、覚醒会軍隊にはアル=カーイダやイラクの抵抗運動の面々やバアス党残党などが潜入している、と主張している。イラク政府は、今まで何カ月にもわたり、イラク全土で覚醒評議会会員を標的にした殺害や誘拐をずっと続けてきている。

最近、イラク政府が覚醒評議会会員を殺害したり抑留する事件が急増している。もし皆さんが、それはイラク全土で爆破や攻撃が最近急激に増えていることとは無関係とお考えなら、考え直してみるとよいでしょう。

─────

ダール・ジャマイルはフリージャーナリストで、『Beyond theGreen Zone: Dispatches From an Unembedded Journalist inOccupied Iraq』[題名仮訳: 『グリーン・ゾーン[‡]を越えて―― 軍非随行の記者[‡]による占領下のイラクからの特電]
(Haymarket Books[出版社], 2007年)の著者。ジャマイルは占領下のイラクから 8カ月にわたって、またレバノン、シリア、ヨルダン、トルコから過去 4年間にわたって、報道を行なってきた。

[訳注[‡]:
「グリーン・ゾーン[Green Zone]」とは、バグダード中心部にある、連合国暫定当局(CPA)をはじめ多くの国際組織が本拠を置く10平方キロメートルの地区。対爆弾防護壁と有刺鉄線とに囲まれ、厳しい警備が敷かれているため、外国人にとってイラクでもっとも治安が保たれている地域。

一方、「軍非随行の記者」の原題の該当語は "UnembeddedJournalist"。米国国防総省は 2003年以降、(現地で)軍に組込まれ、部隊と寝食・行動を共にする記者だけに取材を制限し、そういった記者を "Embedded" (直訳『埋込まれた』) と呼称した
(新語)。原題中の "Unembedded" (=埋込まれていない) は、その"Embedded" の対義語。ジャーナリストにかかる形容詞としては、一般的な英語表現では全くない。だからこれは "Embedded" という新語のパロディーであると受取るのが自然だろう。実際、『埋込まれた』記者たちの報道は中立性に欠け、軍の広報官に近いものでしかない、という批判がよく聞かれる。

なお、この "Embedded" は、yourdictionary.com にて、2003年の(英語)新語大賞に輝いた。
http://www.yourdictionary.com/about/topten2003.html
]

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原文: "No Coincidences in Iraq", Monday 13 April 2009,
by Dahr Jamail, truthout
URI: http://www.truthout.org/041309A

[注: 文中に出てきた米国(他)の軍事費については、TUP速報751号のチャルマーズ・ジョンソンによる論説
軍事ケインズ主義の終焉」 (原文は 2008年1月執筆)
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/777
を比較のための参考文献として挙げておきます。]

「TUP」速報より

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2009年5月 3日 (日)

JPMA

JPMA(日本パレスチナ医療協会)のメールマガジン

木々の緑が日に日に濃さを増しています。読者のみなさま、いかがお過ごしでしょうか。

編集者多忙のためしばらく休んでいたニュース速報を再開します。

アメリカのパレスチナ政策が少し変わりそうです。オバマ政権は、ブッシュⅡ時代に悪化した、中東・イスラーム世界との関係を正常化しようと、いくつかの政策を打ち出しました。グアンタナモの「テロ容疑者」収容所の閉鎖、拷問の実態報告もそのひとつでしょう。

パレスチナに関して言えば、ハマースを含む連合政権とも関係を持つ方向を示唆しています。これまでは、ハマースが「暴力の放棄」「イスラエル承認」など3条件を満たさない限り、このような連合政権を相手にしないとしていました。ネタニヤフ政権やアメリカのイスラエル・ロビーはあわてて巻き返しを図っています。

もっとも、肝心のファタハ=ハマース和解交渉は、進展が遅れています。
4月26~27日にカイロで行われた第4ラウンドでは、次回5月26日に
再開することを決めました。ここでも連合政権樹立の話がまとまるかどうか、懐疑的な見方が多いようです。

国連の反人種主義会議が4月21日から4日間、ジュネーヴで開かれました。
オバマ政権は、当初、参加の可能性を探っていたようですが、結局ボイコット。多くのヨーロッパ諸国もボイコットし、参加したフランスやベルギーも、イラン大統領のイスラエル批判演説に抗議して退場しました。

イスラエルや欧米にしてみれば、ほかにもマイノリティを抑圧している国はたくさんあるのに、「なぜイスラエルだけ」と言いたいのでしょう。残念ながら、差別と抑圧は世界中にまん延していますが、イスラエルのやっているパレスチナ人の土地取り上げ、住宅破壊、「壁」による囲い込みなどは、立派な「人種主義」政策に当たるでしょう。

イスラエル警察が、徴兵忌避を呼び掛けたとして、イスラエル人フェミニスト・グループを一斉手入れ、活動家7人を逮捕したのには驚きました。イスラエルには、占領地での軍務拒否を呼び掛ける予備役将兵の「イェシュ・グヴル」などいくつかの平和団体がありますが、このような事件はあまり聞いたことがありません。イスラエル右傾化のひとつの表れかもしれません。

<注1> パレスチナ占領地=自治区には、事実上2つの政府が存在しているので、ファイヤド氏、ハニヤ氏とも、「首相」のタイトルを付したまま表記します。また、アッバース氏の大統領任期もすでに切れているのですが、選挙は延期されています。このため引き続き「大統領」として表記します。

<注2> 各ニュース記事末尾の(カッコ)内は、その主なニュース源です。
必ずしも、元の記事の翻訳や抄訳ではありません。とくに断らない限り、Webサイト上の情報です。)

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パレスチナ・ドキュメンタリー

*夢と恐怖のはざまで

(パレスチナ・アメリカ/56分/監督:メイ・マスリ/2001年)

「鳥になりたい
私の願いはパレスチナに飛んでいくこと。
木になりたい
パレスチナの大地にしっかりと根付く。」

ベツレヘムとベイルート。2つの隔てられたパレスチナ難民キャンプに生きる
2人の少女、モナとマナールの数カ月。アース・ビジョン 第10回地球環境映像祭」最優秀賞。
==----------------------------------==
*シャティーラキャンプの子供たち


(パレスチナ・レバノン/47分/監督: メイ・マスリ/1998年)

「パレスチナに住む鳥は、この難民キャンプの鳥とは違っているかも。
ここの鳥をどんなに見ても、故郷の鳥の色はわからないでしょ?」

祖父母の代のパレスチナ追放から50年。虐殺・病気・飢えを経てきた、レバノンの難民キャンプの過酷な現実を生きていく子どもたちの日常を切り取る。アース・ビジョン
第7回地球環境映像祭」入賞。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
【上映作品の申し込み】下記のページから上映申込書をダウンロードしてご記入の上、
メール(festival@earth-vision.jp)もしくはFAX(03-5802-0575)にて、
アース・ビジョン事務局 宇津 宛にお送り下さい。
http://www.earth-vision.jp/04-01howtousebestofev.htm

【「夢と恐怖のはざまで」「シャティーラキャンプの子供たち」上映にあたってのBest of EARTH VISION協力費】
<一般>1日上映あたり63,000円+送料 <学校>1日上映あたり31,500円+送料
<極めて小規模な学習会>1回上映あたり1,0500円+送料
※この極めて小規模な学習会の協力費を2009年12月31日までに開催される上映会適用します。

【上映用の規格】DVD or VHS or BetacamSP

【この件に関する問い合わせ】アース・ビジョン事務局 宇津(うづ) Tel:03-5802-0525
E-mail:festival@earth-vision.jp  http://www.earth-vision.jp/

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2009年5月 1日 (金)

 土井敏邦監督の言葉

私のドキュメンタリー映画「沈黙を破る」の
東京・ポレポレ東中野での公開が3日後(5月2日)に迫りました。

「沈黙を破る」は、3年がかりで私が編集・制作してきたパレスチナ・ドキュメンタリー映像4部作「届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと」の4部作目に当ります。

4部作全体で、“占領”という“構造的な暴力”を、さまざまな実例を通して描き出そうと
試みましたが、とりわけ「沈黙を破る」は、元イスラエル軍将兵たちへのインタビューで彼らの心情を引き出し、、“占領する側”もまた深い傷を負う様を描いたものです。

それは単に、パレスチナ・イスラエル問題ではなく、“侵略し占領する者たち”が必ず抱えざるをえない普遍的なテーマを提示しています。

映画のチラシやパンフレットに掲載した「監督の言葉」の中で、私はこう書きました。

「イスラエルによる“侵略・占領”を語るとき、パレスチナ側の被害の報告だけでは一面しか伝えたことにならない。
“侵略・占領”する側の動機や行動原理、心理状況をも伝えて
はじめてその実態が重層的、立体的に見えてくる、と私は考えている。

20数年にわたってパレスチナ側から“侵略・占領”を伝え続けてきた私が今、“侵略・占領する側”のイスラエル将兵の内面に迫ろうとしたのはそういう動機からだった。その困難な作業を可能にしてくれたのが「沈黙を破る」の元将兵たちだった。

しかし彼らの証言は、日本人にとっても「他人事」ではない。
元イスラエル軍将兵たちの証言は、日本人の “加害の歴史”と、それを清算せぬまま引きずっている現在の私たち自身を見つめ直す貴重な素材となるからだ。つまり、元イスラエル軍将兵たちの行動と言葉を旧日本軍将兵の言動と重ねあわせるとき、それは“遠い国で起こっている無関係な問題”ではなく、かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の“自画像”を映し出す“鏡”なのである。

日本人である私が元イスラエル軍将兵たちの証言ドキュメンタリーを制作する意義は、まさにそこにある。

しかしこの映画は、作り手の私のそんな意図を越えて広がっていくに違いない。元将兵たちの証言に、アメリカ人はベトナムやイラクからの帰還兵を想うだろうし、ドイツ人はアフガニスタンに送られた自国の兵士たちと重ね合わせるだろう。「沈黙を破る」の元将兵たちの言葉が、それだけの力と普遍性を持っているからである」

この映画は、東京では5月2日から、大阪(第七芸術劇場)では5月9日から、京都(京都シネマ)で5月23日からロードショーが始まり、その後、名古屋、岡山、沖縄など地方でも公開していきます。

ただロードショーは、観客動員数によって、その期間が決ってしまいます。
観客が少なければ、短期間で打ち切りになってしまいます。
先日、販売店のチケットの動きが鈍いという報告を受け、正直とても不安です。

この映画を多くの人たちに観ていただくために、観客数を一人でも多く増やし、ロードショーの期間をできるだけ長くできればと心より願っています。そのために、映画の宣伝やチケットの販売などで、どうか皆さんのお力を貸していただけないでしょうか。

東京(ポレポレ東中野)でのロードショーでは以下のようなイベントも予定しています。

●イベントスケジュール
 ********

5月2日(土)
土井敏邦/各回上映終了後、初日舞台挨拶

(トークショー)
5月3日(日)
ジャン・ユンカーマンさん(映画監督)/15:30の回上映終了後

5月6日(水)
渡辺えりさん(女優)/15:30の回上映終了後

5月10日(日)
柳澤秀夫さん(NHK解説委員)/15:30の回上映終了後

5月17日(日)
綿井健陽さん(ジャーナリスト)/15:30の回上映終了後 (予定)

● 元イスラエル軍将校ノアム・ハユットが来日!

「沈黙を破る」の登場する元将校ノアムが、5月下旬に来日します。
(メディア関係者の方々の取材申し込みを受け付けています)

5月30日(土) ノアム・報告会
〔明治大学 お茶の水校舎・リバティータワー(1001教室)/午後1時より〕

5月31日(日) ノアムのトークショー(ポレポレ東中野)

その後、大阪、京都の「沈黙を破る」上映劇場、および沖縄での「沈黙を破る」上映会で話をします。

●お問い合せ
(株)シグロ
〒164-0001 中野区中野5-24-16-210
URL:http://www.cine.co.jp
TEL:03-5343-3101/FAX:03-5343-3102
E-mail:siglo@cine.co.jp

◆チケットのお求めはこちらからお願いします。
http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=112

どうかよろしくお願いいたします。

4月29日   土井敏邦

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
土井敏邦 (DOI , Toshikuni)
URL : http://www.doi-toshikuni.net/
          (コラム「日々の雑感」)

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