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2009年3月31日 (火)

朝鮮の人工衛星

朝鮮の人工衛星にかかわる外務省への要請文

外務大臣 中曽根弘文様
                                   2009年4月1日
     よびかけ 対話で平和を!日朝関係を考える神戸ネットワーク
                                   賛同者 別紙

朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮と略)の人工衛星うちあげに関連して、
以下のことを要請します。
1 防衛省に弾道ミサイル等破壊措置命令の撤回を求め、あくまでも外交努力によって朝鮮政府に人工衛星うちあげの中止を求めること。
2 国連安全保障理事会に朝鮮の人工衛星打ち上げへの制裁を求めないこと。
3 朝鮮に対する輸出禁止対象の拡大などの制裁強化を行わず、4月13日に予定されている制裁措置を延長しないこと。
4 在日コリアンの団体の口座凍結などの人権侵害措置を行わないこと。

(要請趣旨)
 日本政府は、4月4日以降に朝鮮が人工衛星を打ち上げたならば、国連安保理に制裁を求め、経済制裁の強化や在日コリアンの資産凍結などの人権侵害措置を行うと発表しています。そしてついに防衛省は3月27日、安全保障会議の承認のもとに「弾道ミサイル等破壊措置命令」を出しました。すでに地上発射型のPAC3が関東から東北へ移動し、ミサイル迎撃機能を持つイージス艦が日本海に出動しました。私たちは、このような好戦的な対応は東北アジアの緊張を激化させるだけであり、あくまでも外交努力によって朝鮮に人工衛星の打ち上げ中止をもとめることを日本政府に要求します。

1 確かに、朝鮮の人工衛星打ち上げにも問題があり、私たちはその中止を求めます。宇宙開発の権利があるといっても、その目的は軍事技術力を内外に誇示し、アメリカとの交渉を有利に進めることにあるからです。
しかし、もともと在日米軍が日本や韓国の協力のもとに、海上発射型の巡航ミサイルだけで500発以上をいつでも朝鮮に打ち込める先制攻撃体制を作っていることが、東北アジアの緊張の根本原因です。朝鮮の人々は、われわれ日本人とは比較にならないほどの脅威にさらされているのです。
 日本のミサイル防衛システムも、そのような先制攻撃態勢を強化するために開発されたものです。ミサイル防衛システムの演習ともいえる今回の迎撃態勢は、朝鮮の対応とも相まって、東北アジアのミサイル拡をもたらします。私たちは際限のないミサイル軍拡をもたらす「朝の工衛星打ち上げ」「日本の迎撃」いずれにも反対します。

2 人工衛星うちあげを理由とした制裁はあり得ません。なぜなら、朝鮮の人工衛星打ち上げは国連安保理決議1718違反になりません。2006年の朝鮮の核実験に対応した1718決議は、朝鮮に弾道ミサイル計画に関連するすべての活動の停止を求めています。しかし、宇宙の平和利用はすべての国家に認められており(宇宙条約)、安保理がすべての国家に認められた条約上の権利行使を禁ずる権限などないからです。安保理が個々の国の人工衛星打ち上げを問題にした前例もありません。

3 日本政府はこれまでも、朝鮮とのヒト・モノ・カネの交流を禁止する
制裁をしてきましたが、ぜいたく品に限定されてきた輸出禁止をさらに拡大しようとしています。しかし朝鮮への経済制裁は、エネルギー支援のサボタージュとあわせて、朝鮮半島の非核化にブレーキをかけただけでした。拉致問題をはじめとする日朝間の諸問題の解決にも結びついていません。
いまもなお万景峰号の運航が禁止され、こどもや孫に会えないという在日コリアンの高齢者がたくさんいます。日本政府は、4月13日に期限が切れる朝鮮への経済制裁の延長もやめるべきです。

4 在日コリアンの資産を凍結することは、朝鮮政府の意向とは全く関係ありません。外交上の国益のために在日外国人の財産権や結社の自由を制限するというやり方は、日本政府の人権感覚のなさを世界中に暴露するだけでしょう。

アメリカのクリントン国務長官はすでに、朝鮮の人工衛星発射後も6カ国協議を継続する考えを打ち出しました。米政府は、好戦的な麻生政権とは一線を画しています。事態はオバマ政権の基本的スタンスである、米朝対話と6カ国協議推進にすすむでしょう。日本政府が迎撃や制裁をあきらめ、日朝国交正常化に向けて対話を始めることこそが東北アジアの平和を実現します。

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朝鮮の人工衛星にかかわる防衛省への要請文
防衛大臣 浜田靖一様
                                    2009年4月1日
     よびかけ 対話で平和を!日朝関係を考える神戸ネットワーク
                                     賛同者 別紙

朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮と略)の人工衛星打ち上げに関連して、以下のことを要請します。

3月27日に出した「弾道ミサイル等破壊措置命令」を撤回し、人工衛星を迎撃する態勢を解除すること。

(要請趣旨)
 防衛省は3月27日に朝鮮の人工衛星が日本に落下した場合に備えるとして「弾道ミサイル等破壊措置命令」を出しました。それにもとづき航空自衛隊は27日夜、首都圏警戒のためとして地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を陸自の朝霞駐屯地や市ヶ谷駐屯地に配備しました。秋田・岩手駐屯地などにも30日までに配備するとしています。さらに海上自衛隊は海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦「こんごう」「ちょうかい」を日本海に、SM3を配備していないイージス艦「きりしま」を太平洋に配備しようとしています。こういった措置は、朝鮮の人工衛星の打ち上げが失敗した場合で、ロケットブースや破片などが日本に落下してきた場合に「迎撃」するためのものだとしています。

 しかし、政府自身が「万が一の場合」と強調するように、人工衛星の
破片が日本に落ちてくる確率は極めて低く、さらに上述のミサイル防衛
(MD)システムが落下物を破壊できる可能性も、「ピストルの弾をピストルで撃ち落とせるはずがない」(中曽根外相)と政府内部からも批判が
でているように、極めて低いものです。一方で確実なことは、日本政府の対応は、朝鮮政府を刺激し、報復的な措置を招きます。日本が種子島で打ち上げるH2ロケットを他国がミサイルだと言って迎撃するのと同じだからです。
 確かに、朝鮮の人工衛星打ち上げにも問題があり、私たちはその中止を求めます。宇宙開発の権利があると言っても、その目的は軍事技術力を内外に誇示し、アメリカとの交渉を有利に進めることにあるからです。
しかし、もともと在日米軍が日本や韓国の協力のもとに海上発射型の巡航ミサイルだけでも500発以上をいつでも朝鮮に打ち込める先制攻撃態勢を作っていることが、東北アジアの緊張の根本原因です。朝鮮の人々は、われわれ日本人とは比較にならないほどの脅威にさらされているのです。
 ミサイル防衛システムも、そのような先制攻撃態勢を強化するために
開発されたものです。ミサイル防衛システムの演習ともいえる今回の迎撃態勢は、朝鮮の対応とも相まって、東北アジアのミサイル軍拡をもたらします。私たちは際限のないミサイル軍拡をもたらす「朝鮮の人工衛星打ち上げ」「日本の迎撃」いずれにも反対します。

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2009年3月29日 (日)

チェコ議会

日本政府やマスコミは無視しましたけれど、大きなニュースです。
 
 アメリカの「テロとの戦い」に積極的に協力し、MDレーダーの配備を計画してきたチェコの現政権に対し、チェコ議会が不信任案を可決しました。これにより、MDレーダー配備計画は頓挫しました。
 
 ハンストを含む激しい抗議運動の成果です。
  
----------ここから原文----------

青柳です。
大分の佐藤さん のコメントを転送します:

東欧ミサイル防衛へのグローバルな反対が
勝利しました。この運動はたくさんのことを教えてくれます。
____________________________

[ 転送歓迎 ]

チェコで米国MDレーダー反対の市民運動を繰り広げた
ノン・ヴァイオレンス・チェコのヤン・タマスより
支援者の皆さんへ    (2009/3/24転送メールの訳)

嬉しい発表をします。チェコ共和国の現政権が倒れました。
議会が不信任案を可決したのです。運動を続けてきた我々にとり大きな勝利です。

我々には、米国レーダー基地建設を阻止する唯一の道は現政権の打倒であることが分かっていました。そのため常に一貫してこの2年間その方向性で働きかけてきました。
米国軍需産業の利益を代表する政府は今、倒れたのです。

我々のこの取り組みは、議会内で既にレーダー反対論であった議員たちを支援し、他方でレーダー支持議員への疑惑を広げるのに、大切な働きをしました。この政権打倒を可能にしたのは、まさに数名の議員の
心変わりだったのです。

一方、あのハンガーストライキ(*運動体の二人が水だけで22日間。
その後世界各地で連帯の一日ハンスト。)にプレッシャーを受けて、社会民主党(the Social-Dmocratic Party)は我々を支持する態度を明確にしなければならなくなりましたが、これは今後、この党がレーダーへの態度を変えるのを困難にするでしょう。共産党との共同は、これまで常に我々の率先を支持してくれたものですが、確固としたものでもありました。

多くの運動で我々に支援を与えてくれた、すべての皆さんに感謝します。
皆さんの支援はとても重要でした。
全ての平和主義のグループに感謝します。我々の闘争を信頼してくれたEU議員に感謝します。いろいな国の市長に感謝します。そして「ヒューマニスト・ムーブメント」に対し、この抗議運動を多くのヨーロッパ諸国に広げ、また他の大陸にも届くようにしてくれたことに感謝します。

このニュースは大きな扱いをされるはずです。米国は今後、そのMD計画を再調整しなければなりません。外国の軍隊を望まない一国民の抗議がそうさせたのです。さらにまた、外国の侵略軍は、世界のあらゆる占領地域から撤退すべきです。

今こそ、米国の「スター・ウォーズ」計画への反対をさらに強め、他の諸国での核軍縮を支援することが必要です。

さあ、チェコ共和国では我々の闘争の新しい章が始まります。

勝利の抱擁と共に
ヤン・タマス

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2009年3月28日 (土)

「きみはガザを知っているか?」

岡真理講演会と映画「レインボー」上映

  
昨年末から始まったイスラエル軍のガザ攻撃以後、高知ではじめて、ガザに関する講演会を行いました。150名余りの参加がありました。中には、関心を持ち始めているのでと小学生の子どもと一緒に来た親子連れや、新聞に載った事前の案内記事を見て、遠く県西部の土佐清水市や四万十市からの参加者もあり、主催した「サロン金曜日」としては、うれしく又ひと月足らずの短期間の取り組みでしたが、やはり計画してよかったと思ったことでした。会場の雰囲気からもアンケートからも、みんな深く感動して話を聞いていたことがうかがえました。そして、自分たちはパレスチナ問題をあまりにも知らなさ過ぎた、国際社会の無知、無関心がイスラエルの暴力を許している、これから先、私たちは何ができるのか考えていきたいという思いがたくさん書かれていました。

講演会に先立って、映画「レインボー」を上映しました。2004年にガザが攻撃されたときのドキュメンタリー映画で、イスラエル軍の作戦名がレインボー作戦というものです。パレスチナ人を殺すことが、レインボーとは?撮影された年度を知らなければ、2009年の攻撃かと思うほど、それほどにパレスチナの人々への攻撃はエンドレスに続いています。繰り返され続ける市民の虐殺は、見ていてやりきれない思いです。

 
 映画の後の講演会でしたので、岡さんの話も大変理解しやすかったと思います。岡真理さんは、京都大学院准教授でアラブ文学が専門。3週間のガザ攻撃の間、ガザのアブヘルワーヘド教授から毎日送られてくる時々刻々のメールを、全て日本語に訳してメール配信し続けました。それは、まるで文字の行間から、爆撃の音や人々の叫び声、ガラスの砕け散る破片の音まで聞こえてくるかのようでした。あらためて、インターネットの即時性を思い、マスメディアが伝えないたくさんの事実を知ることとなりました。

 講演では、具体的に地図や数字を示しながら、戦後の歴史から遡って、イスラエルという国がどれほどの軍事的暴力でもって作られ、パレスチナの地を占領していったのか、そして難民にされてしまった何百万人もの人々の現状が語られました。イスラエルはヨーロッパ系ユダヤ人のための建国であること、そこではアジア人に対するレイシズム(人種差別主義)があり、パレスチナの人々は半世紀以上にわたって、国際法的には違法、政治的には不正、経済的には不能な状態に置かれ続けてきており、ホロコースト以上の悲惨な生活の中で、これら諸々の不条理を主張し続けていることを知ったのです。他者の人間性の否定、ひとつの民族が人権停止状態にあることを知って、私たちはこのまま沈黙しつづけていてはいられないと痛感した講演会でした。  mm記

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2009年3月27日 (金)

日朝友好京都ネット発足

京都の佐々木さんが奮闘して、京都府内の日朝友好組織を連携させた日朝友好京都ネットが、昨日、3/25に超党派で結成されました。野中広務氏も参加されたそうです。詳しくは、月刊『日本の進路』4月号で報道予定です。

以下は、京都新聞の報道です。
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文化・学術・市民交流を促進へ
日朝友好京都ネットが発足 

日朝友好京都ネットの設立を祝う出席者(京都市下京区)
 日本と北朝鮮の民間交流を進める「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」の設立総会が25日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都であった。北朝鮮との交流に携わってきた京都の文化、宗教、学術など各分野の呼びかけ人ら約150人が出席し、設立を祝った。

 同ネットは、各分野の親善活動や在日コリアンとの交流を通じて国交正常化への機運を盛り上げるため昨年2月から設立準備が進められた。

 呼びかけ人の1人仲尾宏京都造形芸術大客員教授が記念講演で、日朝交流の歴史をたどり「市民交流は相互の誤解と偏見、先入観を解きほぐす鍵」と平和につながる対話の重要性を訴えた。水谷幸正浄土宗教育資団理事長を会長に選出したのに続き、規約や今年5月に記念訪朝団を派遣するなど活動計画を決めた。今後、広く会員を募るという。 

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009032500183&genre=C4&area=K00

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2009年3月26日 (木)

ガザ報告 古居みずえ

最新現地報告会

 「ガザの子どもたちと今後」
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■報告:古居みずえさん(ジャーナリスト)

     田中好子(パレスチナ子どものキャンペーン事務局長)

■日時:2009年4月4日(土) 午後6時30分~9時

■会場:文京区民センター・3A会議室
        東京都文京区本郷4-15-14
  地図 http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754
  交通 地下鉄三田線・大江戸線 春日駅すぐ
     丸の内線・後楽園駅徒歩3分
     JR水道橋駅・徒歩7分

■参加費:無料

■主催・連絡先:パレスチナ子どものキャンペーン
     Tel:03-3953-1393   Fax:03-3953-1394
     Email: ccp@bd.mbn.or.jp
     URL: http://ccp-ngo.jp/

■停戦から2ヶ月
ガザでは、多くの人たちが日常生活へ戻ろうと努力をしていますが、破壊の爪あとは深く、特に心理的なダメージは想像以上です。戦争の恐怖、破壊のショック、家族や知人を失くした悲しみに加えて、人々は強い無力感を感じています。また貧富の差や地域的な格差が鮮明になっています。

■復興支援
国際会議では莫大な金額の支援金が約束をされていますが、多くの支援国が、再び破壊されない保証がないと憂慮し、また実際に人々の生活が改善されるまでにはいくつものハードルをクリアしなければならないのが実情で、パレスチナ内部の対立が、支援活動を妨げていることも多々あります。

■テント村
破壊のひどい地域では、撤去が全く進まない瓦礫の横に、テントを立てて人が暮らしを始めていますが、家屋の再建も生活の再建もめどが立っていないのが実情です。ガザへの人と物の出入りは依然として厳しく、再建に必要な建設資材は全く搬入が許されていないからです。

■古居みずえさん
長年ガザで取材を続けてきたジャーナリストで、映画「ガーダ・パレスチナの詩」の監督です。今回は2月はじめから、現地での取材を続けてきました。人々の生活と思いを報告してもらいます。

また、戦争開始直後から支援活動を開始し、2月からは現場で活動をしている当パレスチナ子どものキャンペーンからも、ガザから帰国したばかりの事務局長が最新の状況と支援などを報告します。

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★現地での支援活動 拡大中

募金へのご協力ありがとうございました
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■食料配布ひとまず終了

西岸から搬入した缶詰など乾物の配布は、南部のラファで実施しました。配布を実施したラファ東部にはこれまで全く支援が入っておらず、予想以上に喜ばれました。ヨルダン川西岸からガザへの物資搬入に恐ろしく時間がかかり、停戦前に準備を始めた物資がガザに届いたのが3月という状況でした。

■貧者から貧者へ

一方、聴覚障がい者の家族や母子家庭などを500数十世帯を対象に、卵や野菜、チーズなど生鮮食料品の配布も実施しました。多くの家族は現金収入がなく援助物資に頼る生活で、生鮮食料品を全く買えない状況です。量も十分あって、大家族でも1週間食べられると好評でした。

生鮮食料品は地元の農家から買い上げました。ガザでは農地の30%が破壊され、商品作物も輸出できず、農家も苦しんでいます。地元農業委員会の協力で、農家から農産物を買い上げ、それを必要な家族に配布しました。

「貧者から貧者へ」と呼ばれるプログラムです。ガザ経済の活性化にも一役買うことができたと思います。

■子どもの衣料と靴

生活物資については、南部ハンユニスで700人の貧困家庭の子どもたちに、シャツとズボン、そして靴を配布しました。親たちは食べ物を確保するのに精一杯で、断水も続き洗濯もままならない状況です。また瓦礫やぬかるみで裸足やサンダルでは危険な場所も多いのです。

ガザの子どもたちは小さくてもしっかりしています。ナワール子どもセン
ターなど4箇所の配布所で、自分でサイズを確認しながら、靴や洋服をもらっているのが印象的でした。

■保健活動と心理サポート

27日からは、1000人の子どもを対象にした検診と栄養指導、女性のための医薬品の提供を始めます。事業にかかわるため海外での保健教育に長い経験を持つ看護師の工藤芙美子さんもすでにガザに入りました。

また、アトファルナろう学校やナワール子どもセンターでは、現在、子ども向けの心理サポート事業が続いていますが、それを担当するスタッフたち自身もストレスを抱えていて、彼らが「燃え尽き」ないようスタッフへのケアが非常に大事になっています。現地の心理専門家を雇用し、スタッフを対象とした心理サポートも開始しました。

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★署名 4万8千人以上
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「ガザ封鎖解除に向けて日本政府が積極的に働きかけるよう求める署名」は4万8千人を超える皆様にご協力いただきました。ありがとうございました。
外務省への提出日程は現在調整中です。

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★ 3・28の報告会
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パレスチナ子どものキャンペーン事務局長の田中は、
以下でもガザの状況をお話します。

アムネスティ日本 子どもネットワーク主催 講演会

パレスチナの子どもたちは今…軍事占領下の子どもへの人権侵害
http://www.amnesty.or.jp/modules/piCal/index.php?action=View&event_id=0000002114

日時:2009年 3月 28日 (土) 16:00 ~ 18:00

場所:JICA地球ひろば3階 セミナールーム301
    東京都渋谷区広尾4-2-24
    最寄駅:東京メトロ日比谷線 広尾駅下車 
       3番出口より徒歩1分

詳しくは、以下にお問い合わせください。

アムネスティ日本 子どもネットワーク
メール:ZAN02005@nifty.ne.jp
FAX:03(3518)6778(子どもネット宛)

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2009年3月24日 (火)

「ガザ通信」 岡真理

京都のおかです。

さまざまなみなさまのご協力をいただきながら、この間、空襲下のガザから発信されるアブデルワーヘド教授のメールを翻訳し、MLに流してまいりました。
このたび、その一連のメールが、『ガザ通信』というタイトルで、青土社よ
り緊急出版される運びとなりました。

「停戦」後、いちはやくガザに入って取材してこられた、志葉玲さんによる写真もたくさん収録されています。

*「停戦」に留保をつけるのは、A教授の最新のメールにもあったように、ガザでは依然、イスラエルによる狙い撃ちや爆撃が続いており、毎日のように死傷者が出ているからです。

この機会にぜひ、あらためて、一人でも多くの方に読んでいただければ幸いです。

『ガザ通信』
著者:サイード・アブデルワーヘド
翻訳:岡 真理&TUP
写真:志葉 玲
発行:青土社
定価:1800円(税別)

2009年4月1日発行の予定です。

3月末には製本も完了していると思われます。
今後、ガザやパレスチナ関連の集会を開催ご予定の場合は、ぜひ、会場で販売ないしご紹介ください。
(本取り寄せに関するお問い合わせは、青土社編集部 03-3291-
9831(菱沼さん)まで)。

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2009年3月23日 (月)

ガザ点描 JANJAN

ガザ市南部郊外のザイトゥーン地区アルサムーニ集落に侵攻したイスラエル軍が、住民97人を大きな家に閉じこめ外から鍵をかけて、空から空爆し、銃撃したのです。29人が殺されました。
 
 この事件をルポした記事が以下にあります。
 
【ガザ点描】「住民は一個所に集められ虐殺された」2009/03/22
http://www.news.janjan.jp/world/0903/0903219855/1.php 
インターネット新聞JANJAN

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2009年3月19日 (木)

イスラエル 1948年

膨張の準備よし
イスラエル、1948
M・シャヒド・アラム
2009年2月25日
CounterPunch原文

「アラブ連盟のアキレス腱はレバノンだ。レバノンのムスリム優位は人工的なもので、簡単に転覆できる。レバノンにキリスト教国家を作り、南の国境をッリタニ川に設定する必要がある。その国と同盟協定を結ばなくてはならない。それから、我々がアラブ軍団の抵抗を挫き、アンマンを爆撃すれば、トランスヨルダンを一掃することができる。そうすればシリアも墜ちるだろう。さらにエジプトが我々に戦争をしかけてくる気なら、ポート・サイドを爆撃する。戦争をこのように終わらせ、われらが先祖のために、エジプト、アッシリア、カルデアと貸し借りなしにすることができる」

ダヴィド ・ベン=グリオン、1948年

1948年、「土人」に対する最初の体力テストで、シオニストたちはパレスチナの45パーセント近くを制圧し、制圧した土地からパレスチナ人のほとんどを追放し、5つのアラブ・プロト国家の連合軍を撃退した。

しかしながら、シオニストがその栄誉に安んじて立ち止まることはなかった。彼らの関心はアラブとの平和にはなかった。1948年の出来事は、シオニストが何を手に入れられるかを示した。自分たちの側の犠牲はほとんどなしに、パレスチナ人社会を抹殺し、簡単にアラブ人を撃退したのである。

歴史的な瞬間、メシア的な瞬間だった。シオニストたちの多くが、これをいにしえの預言の実現と考えた。弱い、敗北した敵に償いを提供して和平を求めるべきときでは決してないと思われた。

自分たちのみごとな軍事的勝利に勇気づいたシオニストたちの目には最大限の目的が実現可能であるように映り、それを達成しようとし出した。それからシオニストたちは数を増やし、領土を拡大し、中東地域における支配的な勢力になることを目指すことになる。

***

1948年、ユダヤ人によるパレスチナの植民地化は始まったばかりだった。その時点でイスラエルには65万人のユダヤ人がいたが、これは、世界のユダヤ人総人口のわずか4パーセントに過ぎなかった。

イスラエルが世界中のユダヤ民族の半分を受け入れる野望を持っていたなら、人口は10倍以上になる。イスラエルを世界のユダヤ人にとっての安全な避難所とすることを約束するシオニストのイデオロギーによると世界のユダヤ人の中でイスラエルの占める割合は劇的に上昇しなくてはならなかった。この、ユダヤ人の「安全な避難所」に、世界のユダヤ人のごくわずかしか暮らしていなければ、シオニストたちにとってきまりの悪いことになる。

さらに、他の二つの目的からも、イスラエルは人口学的な拡大を目指すことになる。領土拡大というシオニストの目標と、近隣諸国に対して圧倒的な軍事的優位を維持する必要性である。

ベン=グリオンの主張では、「70万人のユダヤ人」だけでは、「何世代にもわたり何世紀にもわたってきた夜通しの祈りの頂点に立つことはできない」。イスラエルの治安が外からの脅威に直面しないとしても、「かくも人口の少ない国はほとんど正当性を示せないだろう。というのもこのままではユダヤ人の運命を変えることはできないし、歴史的な誓約を成し遂げることもできないだろうから」。

こうして、1948年直後----実際にはそれ以前から----シオニストたちはイスラエルに何百万人ものユダヤ人を連れてこようと活動した。シオニストの計算では、この規模の人口増大は望ましいだけでなく、必要だし、実現可能でもあった。

シオニストの野望から、イスラエルは1948年に征服した土地以上を求めることになる。ベニー・モリスが書くように、「シオニスト主流派の考えは、以前からずっと、地中海からヨルダン川に至るユダヤ人国家を究極の目標としてきた」。

***

様々な折に、シオニストたちは、パレスチナの地に加え、ヨルダン、シリア、レバノンそしてシナイまでを含む、さらに膨張主義的な領土拡大を主張してきた。

1936年10月、パレスチナ分割に関するピール委員会の勧告を受け入れる一方で、ベン=グリオンは次のように述べている。「我々は今このときに我らが最終目的を公表しようとするものではない。我らが最終目標ははるかに遠大なものだ----分割に反対する習性主義者の目標よりもさらに遠大なものである」。

1938年の別の演説でベン=グリオンは自分が抱いているユダヤ人国家の未来像にはシスジョルダン[ヨルダン川と地中海に挟まれた土地]、レバノン南部、シリア南部、今日のヨルダンそしてシナイが含まれていると述べた。10年後、彼はものものしく、「我らが祖先のために、エジプト、アシリア、カルデアとの貸し借りを」なしにすると述べた。

再び1956年10月、セーブル(フランス)で開かれ、イスラエルとフランス、英国が参加した秘密会議で、ベン=グリオンは、中東の地図をもう一度変える「すばらしい」計画----彼自身の言葉だった----を提案した。この計画によると、イスラエルはガザとシナイ、西岸を併合し(イラクがヨルダン川東岸を併合することになっていた)、また、レバノン南部をリタニ川まで併合する(これによりレバノンはもっとコンパクトなキリスト教国家になれる)ことになっていた。イスラエル坊やの野望は限界知らずだった。

***

イスラエルとしては、仮に「気前よく」あろうとしたとしてもそうはなれなかったろう。パレスチナ人と近隣のアラブ人が、イスラエルが占拠した領土を取りかえそうとしていたから。

1948年、突然、シオニストたちはパレスチナの社会を消し去ったかに見える。けれどもこれはある程度まで錯覚である。米国の白人入植者とは異なり、イスラエルは先住民族を絶滅させるのではなく、追放した。

エジプトとヨルダン、レバノンのイスラエル国境地帯に集中する汚い難民キャンプに密集して押し込まれたパレスチナの人々が追放された記憶を忘れるわけもなかった。時を経て、喪失の深い痛みに苦しみ、アラブ人とムスリムの同胞の支援を得て、自らを組織し、人口も増えるにつれ、パレスチナの人々はユダヤ人植民地主義者/入植者への闘いを再開した。

実際、イスラエルは1967年6月に、残ったパレスチナの土地を征服することで、パレスチナの人々のレジスタンスを内部に抱え込んだのである。

さらに、長くつらい道のりを経る中で、イスラエルに新たなユダヤ人が移住してきはしたが、イスラエル内にとどまるパレスチナ人が増えたため、純粋にユダヤ人のみのイスラエル国家という性格は人口学的に脅かされることになってきた。

***

イスラエルは近隣のアラブ諸国の抵抗にも直面することになる。

アラブの人々にとって、パレスチナの地に植民地主義・植民国家が存在することは認めがたかった。それは、植民者がユダヤ人だからではなく、彼ら彼女らが侵略者であり、帝国主義列強の後押しを受けて自分たちの土地を略奪していったからである。

1967年6月の敗北後と同様、アラブのプロト国家がすぐさま降伏したとしても、人々はイスラエルに反対し続けた。シオニストたちはそれを理解していた。彼らは、イスラムとアラブの心に自分たちが刻みつけたトラウマとなる傷を意識していた。

イスラエルが生き延びるためには、この集団的トラウマが政治的表出を見出しては困る。そこでイスラエルはアラブ民族主義運動が力をつける前に破壊すべくあらゆる手段を用いることになる。ぐずぐずしている時間はなかった。

すぐにアラブ諸国に対して圧倒的な軍事的優位を確立し、それを決定的に示す必要があった。実際1956年と1967年にそれを示し、その結果イスラエルはアラブ世界の政治エリート層に、イスラエルの条件でイスラエルを認めさせることとなる。

この軍事力を確立し、さらに国際法を犯して繰り返しその軍事力を誇示する力を手に入れるために、イスラエルはアメリカ合衆国と「特別な関係」を育む必要があった。

***

イスラエルのアラブ人との紛争は、国境をめぐるものではない。

イスラエル国家創立を支持する法的ごまかしの皮を剥げば、このシオニストのプロジェクトは、西洋ユダヤ人の一部の有力勢力による、西洋列強の支援のもとでの、アラブの人々に対する宣戦布告だった。普通の戦争でもなかった。純然たる入植植民地主義として、シオニストはパレスチナの社会を破壊し、イスラム世界の中心をなす重要な地域で人口学的趨勢を劇的に変えたのである。

イスラエルのインパクトはパレスチナ地域にとどまるものではなかった。というのもこれは、より大きなイスラム世界への侮辱であり挑戦だったからである。

その結果、パレスチナの人々、アラブの人々、ムスリムの人々が次第に輪を広げてゆっくりと結集しイスラエルという植民地主義の侵入に抵抗し始めるにつれ、シオニストたちも西洋世界とりわけ米国でユダヤ教とキリスト教シオニストたちを奮い立たせることになる。

シオニストたちはこの入植植民地主義プロジェクトを、あたかも、「ユダヤ=キリスト教」西洋を率いる米国とイスラム勢力との「文明の衝突」であるかのごとく見せかけるべく、疲れを知らずに働いてきた。実際、それこそ、パレスチナ襲撃と中東での覇権確立を永続化し維持するためにシオニストたちが選んだ戦略なのである。

M・シャヒド・アラムはノースイースタン大学経済学教授で著書に「Challenging the New Orientalism」(2007年)がある。

ウェブサイトはhttp://aslama.org

「益岡賢のページ」より転載 

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2009年3月16日 (月)

ワールドピースナウ高知県集会

イラク・アフガン・パレスチナに平和を3・20行動

[ワールドピースナウ高知県集会]

3・19 高知県集会  18時高知市役所前 集会後デモ 

3・20 街頭行動   

10;30 中央公園北口(平和運動センター) 

13:00 イオン北側(平和委員会 )「ワールドピースナウ街頭行動」   

主催団体  高知県平和委員会     丸の内2-1-10 ℡088-823-8334
        高知県平和運動センター 本町4-1-32    ℡088-875-7274

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2009年3月15日 (日)

高知白バイ事件 民事裁判 JANJAN

高知白バイ事件・片岡さん 民事裁判を起こす 

http://www.news.janjan.jp/area/0903/0903129263/1.php

小倉文三記者が、片岡さん夫妻が民事裁判を起こしたことを伝えています。

これまでの経過が、時間を追って書かれており、民事裁判を起こすまでに至った全体像をつかむことができます。また、片岡さんとの面会の様子なども、娘さんの言葉で気持ちが伝わってくる文章が載せられています。

ぜひ、ご覧ください。

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2009年3月12日 (木)

パレスチナ西岸

みなさま

山梨の久松です。ユダヤ平和ニュースからの情報で、興味深く思ったニュースがあったので、紹介しようと思いました。ひとつは、西岸のニーリンという村で、パレスチナ人が、第二次大戦時のユダヤ人のホロコーストの展覧会を開いたというニュースとそのニーリンという村にも,毎晩イスラエルの兵士がやってきて、村人たちを脅しているというニュースです。占領されているということがどういうことか、少しでも肌に伝わってく
るように思えたので、訳して見ました。下手な訳ですが、それでもパレスチナの様子が、少しでも分かるのではないか、と思いましたので、訳出しました。それにしても、占領下で困窮しているはずのパレスチナの民衆が、ユダヤ人の悲劇に同情する心の豊かさを保持しているのを見ると、心打たれると同時に、我々の「恥」をも感じざるを得ません。そして映画「ジェニン、ジェニン」で「我々は,決して負けてはいない。負けているのはイスラエルだ。イスラエルは、恐れている。我々は、武器も何もないが、恐れを抱いていない。
戦車も空爆も恐れない。恐れるのは、自分の手の中で、なすすべもなく、子供が死んでゆくことだ」と語った若い父親の言葉を思い出しました。
               
                    久松拝

我々が普段蒙っている大量の死と破壊の速度を変化させるため
の、勇気を与える物語

*ジョージ・H・ハール

ニーリンの村は、2008年の夏にイスラエルの軍隊によって撃たれ殺された二人の子供を含めて、壁とその土地の併合に反対する闘争で、とりわけ高い代価を払ってきた。それにもかかわらず、その村の人々は、イスラエルの活動家、とりわけ壁に反対するアナキストや国際的活動家たちと手を組んで、少なくとも週に一回は、壁に反対して抗議を続けている。
以下の記事は、ニーリンの人々が、国際ホロコースト・デーに敬意を払い、ナチス政権下でほぼ壊滅に至ったヨーロッパのユダヤ人を追悼するための展覧会をどうして企画したかについての注目すべき物語を語っている。

最近、ニーリンに住んでいる活動家たちが私に語ったところによれば、村の委員会がその展覧会を企画した理由は、以下のようなものである。イスラエルの活動家たちは、パレスチナ人の闘争について学び、パレスチナ人と連帯して行動するために、彼らの村にやってくるほど気にかけてくれていて、彼らは、またユダヤ人の歴史も学ばなければならないと感じている。以下の記事は、連帯がどんな様子を記した記事である。  
     レベッカ・ヴィルコマースン

・・・・・・・・・・・・・・

ニーリンは、ホロコーストのユダヤ人犠牲者を追悼する。
ベツレヘム:ニーリンというヨルダン川西岸の村は、毎週金曜日イスラエルの兵士とパレスチナ人、イスラエルと国際的なデモ参加者との間の最も激しい衝突の中心地である。
毎週、村の土地防衛委員会の活動家たちは、半分もの村の農地と水をその住民から切り離している分離壁のところで、デモを行っている。ベツレヘムにあるパレスチナ・ニュース社のレポーターとして、私もニーリンに旅したが、先週末は、従来の壁に対する抗議よりも、はるかに注目すべき光景に出くわした。
村人たちは、国連が指定した1月27日の国際ホロコースト記念日に合わせて、展覧会を開いた。それは、壁に反対するニーリンの民衆委員会によって組織された展覧会であった。

その展覧会のオルガナイザーのハッサン・ムーサは、ニーリンから電話をかけてきた。そして(たくさんの抗議者が、ほんの数時間前に催涙ガスを浴びせられた)その週末に、両陣営から発された熱を帯びた発言にもかかわらず、その展覧会は、もっとも高貴な意図を持って開催されたと、ムーサは説明した。「これが、われわれのユダヤ人に対する共感の広め方であり、イスラエルの人々自身に対する共感を広める、パレスチナ人流のやり方である」と彼は言う。

「戦争が,平和と安全に導くと考える人は、誰もいない。それは、ますます暴力と憎悪と苦悶、そしてこの地域にとっての苦難へといたるであろう。これは、我々の利益にも、イスラエルの人々にとっての利益にもならない」

1月末以来、ニーリンの人々は「我々は、彼らを気の毒に思っているということを示す」何かを、彼らのデモに加えるよう選択した。パレスチナの活動家として、ムーサは、彼の苦悩を伝えたがってもいる。「私の苦悩は、平和へは導かないだろう。
私が、私の土地を失ったときには、それは、貴方の体から心臓
を失うようなものだ。」
村の自治体が、ニーリンにあるその本庁舎で、ホロコースト記念展覧会を主催しているが、そこではヨーロッパのユダヤ人に対して犯されたナチの残虐行為の犠牲者にたいして、1000人以上の訪問者が追悼に訪れている、と主催者側はいう。
イスラエルのホロコースト博物館から提供されたポスターやテキストの展示からは、1930年代から1940年代にかけてドイツで行われた、ユダヤ人に対するジェノサイドが詳しく分かる、とムーサは説明する。
「我々は、このジェノサイドの結果、ユダヤの人々は恐ろしい苦痛を負わされていることを認める」と彼はいう。「我々は、このジェノサイドに対して本当に気の毒に感じている。」
ムーサは、付け加えて「でもパレスチナ人は、あのジェノサイドとはまったく関連はない・・・。この土地の上で生活してゆくことが、我々の運命であり、だから我々は、平和のうちに生きてゆかねばならず、平和のみが、安全をもたらすことができる」と彼はいう。

イスラエルの人々に向けて彼のメッセージが報道されたとき、「我々は、あなたがたを気の毒に感じている。我々は、平和に向けて手を開いている。我々は、イスラエルの政府と平和を作り出す心構えはできている」とムーサはいっている。
「我々は、イスラエルの人々のために平和を欲する。そしてパレスチナの人々のために、世界中の人々のために」「これが、このメッセージを表現する我々のやり方であり、全世界に向けての我々のメッセージである。」

この展覧会は、たくさんの人々が参加してくれたけれども、イスラエルの人々にだけ向けられたものではない。「率直に言って、この展覧会にやってきた人々は、このジェノサイドについてなんらかのことを始めて見た」とムーサはいう。「彼らは、彼らの歴史書から若干のことは聞いてはいたが、映像をみたのは、これが始めてのことだ」この恐ろしいイメージを見た後の、一般的なパレスチナ人の反応は、ユダヤ人のことを気の毒に感じている。いったんポスターを見た後では、本当にユダヤ人を気の毒に思っている。」とムーサは私に言う。

この展覧会を訪れた人は、人口5000人の村の五分の一と見積もられている。それにイスラエルからと西岸の他のところからの何百人かが加わる。この展覧会は、村の市庁舎でまだ開かれている。「我々は、本当にたくさんの訪問者を迎え入れた。
イスラエルの活動家さえ、展覧会を見にやってきた。」という。先祖がホロコーストから生き残った先祖を持つイスラエル人は、とりわけ興味を抱き、「彼らはやってきて、そしてこのアイデアに感謝をささげた。」「彼らは、我々に彼らの悲しみを言葉で表した。とムーサは、記している。「私のメッセージと同様、彼らのメッセージも、本当に平和の存在を信じる新世代を創造することである。」

*ジョージ・H・ハール。ベツレヘム在住のパレスチナ・ニュ
ース・ワイアーの記者

      ///////////////////////////////

ヨルダン川西岸のパレスチナ人の村への夜毎の侵入
レーラ・マザーリ

スタンガンの音で、目が覚まさせられるのを想像してみてください!毎晩、あなたの家の前庭にそんなスタンガンがやってくるのを想像してみてください!これが、アパルトヘイトの壁と闘っているパレスチナの村の住民が、ガザ侵攻以来、付き合わされている現実です。村人にテロを仕掛けてくる軍隊による夜毎のこうした侵入は、ますます頻繁になってきている。ベイト・リキアやビーリンの村では、一週間に3,4回こうした侵入が、起こる。軍隊が、村の抵抗に加わり、組織したりする人に嫌がらせをするようになるにつれて、先週には、マッサラやニーリンやジャユスの村も、そのリストに入れられた。侵入の間、兵士たちは、催涙ガスやスタンガンを市民の家に打ち込む。
かれらは、またゴムでコーティングしてある銃弾や本当の銃弾も使う。2009年2月13日には、ベイト・リキアの自宅で、二人の子供が負傷したし、60歳になる年配に女性が、胃を撃たれた。同じ晩、兵士たちは、マーサッラの人気のある指導者、ムハンマド・バルジーアとマームード・ゾアハラの家に入り、彼らをほとんど何も着せずに、家の外に何時間も放置し、彼らの家財道具を壊し、この地域でデモを続けるつもりならば、その二人を逮捕すると脅した。ゾアハラによる報告を付けておきますから、読んでください。占領という現実のうんざりするようなルーティンになってしまっているので、メディアは、こうした出来事をまったく報告しない。こうしたメディアの遮断の元では、軍隊の司令官たちは、こうした犯罪を犯すのも自由だと思っているらしい。
(翻訳:久松重光)

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2009年3月10日 (火)

「きみは、ガザを知っているか?」岡真理講演会

「きみは、ガザを知っているか?」

3月22日(日)
  午後1時 映画「レインボー」上映
  午後2時 講演
場 所 人権啓発センター( 高知市本町4 丁目)
参加費 1,000 円
岡真理講演会
岡真理氏 profile
京都大学大学院 人間・環境学研究科准教授。
専門は、現代アラブ文学、第三世界フェミニズ
ム思想。現在、ガザとのパイプを維持し、日本
国内に現地情報を発信している。   
■主催:サロン金曜日@高知 E-mail saron.kinyoubi@ymail.plala.or.jp

報告ではなくて、今回、ガザで起きたこと(今、起こっていること)の意味とはいったい何なのか、私たちにとってそれは何を意味するのか、そして日本にいる私たちは、この問題にいかに関わっているのか、といったことを、パレスチナ問題の根源にまでさかのぼって、思想的に考察するようなお話になります。

岡真理さんは学生時代に<パレスチナ>に出会い、以来、パレスチナ問題を現代世界に生きる人間の普遍的な思想課題として研究しています。

よく言われる 「経済封鎖」というより、ガザの住民たちは、経済的にだけでなく、住民自身がガザのなかに閉じ込められています。
ガザにいる人々がどういう人々で、なぜ、ガザにいるのか、ガザという土地がこの60年間、いかなる場だったのか、等々について話されます。
今回、ガザがこんなことになって、注目を集めましたが、ガザだけが問題なのではありません。封鎖が解除されても、イスラエルの占領が続くなら、問題は何も解決されません。西岸も含めてパレスチナが占領されていること、そして、もっと言えば、60年前、80万もの人々が民族浄化されたこと、そこにまでさかのぼってこの問題を考える必要があります。今回、ガザで殺戮をおこなったのはイスラエルであり、それを支援しているのはアメリカですが、でも、それを可能にしたのは、日本の市民を含め国際社会の、ガザそして、パレスチナ全般に対する無知・無関心ではないでしょうか。著書に『アラブ 祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)など。

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2009年3月 8日 (日)

MOX燃料 フランス出港

グリーンピース・ジャパンのメールマガジン 号外<2009/03/06>
―――――――――――――――――――→  転送歓迎

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       史上最大のプルトニウム輸送に抗議のアピール!
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日本の原発で使用する予定のMOX燃料(ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料)
を積んだ輸送船が5日17時すぎ(日本時間6日未明)、フランスのシェルブール港
を出港しました。

MOX燃料はウランとプルトニウムを混ぜた燃料ですが、IAEA(国際原子力機構)によって「直接核兵器に使用が可能な材料」として分類されている極めて危険度の高い物質です。積み荷には約1.8トンのプルトニウムが含まれていて、これで225個の核爆弾がつくれます。それが地球一周の約3分の2にあたる2万キロメートル以上の海路を経て、日本に移送されようとしているのです。

史上最大量のプルトニウム輸送に先立ち、グリーンピース・ジャパンは、この問題への強い懸念を共有する原子力資料情報室、グリーン・アクションと連名で、MOX燃料の輸送はきわめて危険であることをアピールするとともに、輸送船の航路にあたると予想される周辺諸国に輸送反対を呼びかけました。

また、去る3月2日にはIAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長宛てに、フランスの原子力企業アレバ社がMOX燃料輸送の危険性を正確に伝えていないと警告する公開書簡をグリーンピース、原子力資料情報室、グリーン・アクションの連名で送付しました。

詳しくはこちら
http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/pr20090306_html?gv

●共同アピール(日本語・英語)
http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/attached/appeal.pdf
http://www.greenaction-japan.org/internal/090305_appeal.pdf

●共同プレスリリース(英語)
http://www.greenaction-japan.org/internal/090305_PressRelease.pdf

●国際原子力機関エルバラダイ事務局長宛公開書簡(日本語・英語)
http://www.greenpeace.or.jp/press/releases/attached/openletter-JP.pdf
http://www.greenaction-japan.org/internal/090302_LettertoMohamedElBaradei.pdf

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2009年3月 6日 (金)

白バイ事件 国賠訴訟

3月3日 片岡さん夫婦が高知県警に対して、1000万円の損害賠償を求める国賠訴訟を高知地裁にて提訴しました

  これに関する情報はKSBのシリーズ第16弾をご覧下さい
  http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7

  県議会答弁の様子。高知地検の不起訴理由説明。
  当時の鈴木基久県警本部長も出演?
  また。新しい代理人の生田暉雄弁護士のコメントなど見所満載です。

  また 本日 高知県庁記者クラブで、これに関する記者会見が行われました。地元マスコミも多く集まり、今夕のニュースで報道されました。
  明日の朝刊にも各紙掲載するでしょう

  生田弁護士のコメントはもちろん、片岡さんの奥さんや娘さん。当時の校長先生らのコメントもあり、質問も数社から出されるなど、これまでの地元での記者会見とは雰囲気がずいぶん違っていたとのことです

  その詳細は動画にて『片岡晴彦=収監中』にて公開予定です。

「高知白バイ事件=冤罪確定中」より転載

*KSBの映像をぜひ、ご覧ください。

県議会の答弁に立った、高知県警本部長も出ています。

なぜ検察審査会も無視するのかという、電話での問い合わせに対する高知検察庁の返答も聞くことができます。

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「冬の兵士」ドキュメンタリー

件名: 兵士一人ひとりにも取り替えられない人生がある ~ DVD「冬
の兵士」を観て
差出人: どすのメッキー
送信日時: 2009/03/03 20:59

 どすのメッキーです

 Bccで配信させていただいております。
 重複される方、また、長文ご容赦下さい。

 田保寿一さんの誠実な編集が感動的な「冬の兵士」を、観ました。

 いかなる主張であれ、選択であれ、その行き着くところは、個人一人ひとりの命でなければならないと思います。平和は、抽象的なものであってはいけませんし、平和を求める意志は、たとえ憲法があろうとなかろうと、それが現実的であろうとなかろうと、わたしやあなた個人の情熱から生まれるものでなければなりません。

 イラクで殺された子ども達一人ひとりに名前があり、短くても取り替えられない人生があるように、イラクで人を殺してしまった兵士一人ひとりにも、取り替えられない人生があります。

 DVD「冬の兵士」は、その事実を、平和運動に参加していると自称するわたし達でさえ、ときに実感を失っている事実を、強い説得力で語りかけてきます。

 人間が、自分の意思に反して進路をかえたり、能力の発揮を妨げられる時、そこに暴力がある、とガルトゥングの平和学は教えます。最大の暴力が戦争であることは論を待ちませんが、その暴力は、戦闘行為の直接の犠牲者だけにあてはまるものではありません。戦争は国家が行うものですから、国民の生活すべてを動員します。その中で誰しも加害者にも被害者にもなり得るのです。

 自衛隊が世界有数の軍備を備え、海外派兵への道が徐々に大きくなっている今でも、わたし達日本人が戦場で戦う兵士というものを想像するのは難しい。どうしても、血の通わない戦闘機械のような見方に傾き勝ちです。しかし、彼らも、わたし達と同じ世界に住む人間なのです。

 戦争が人間性を破壊すると言いますが、戦争と言う抽象的な魔物が魔法をかけるわけではありません。戦前の日本軍兵士は、貧しい農村からじゅうぶんな訓練も受けていないまま、補給路も確保されていない戦地に送られました。洗脳のように植えつけられたアジアの人々への差別意識が、最初から略奪が前提の様な作戦で何をもたらすでしょう。南京虐殺やマニラの火あぶり等等は、そうした具体的問題が集積した必然として起こったのです。

 目を覆うようなイラクでの米軍兵士の残虐行為も、交戦規定の軽視、中東の人々やムスリムの人々への差別意識の擦りこみ、デマによる恐怖の植え付け、指揮系統の混乱、過剰な装備の投入など、政策の誤りの必然として惹き起こされたものであり、兵士個人の暴走でかたづけてしまっては、公正とはいえないと思います。

 片足だけでなく、PTSDの発作によって仕事も家族も失い、何度も自殺を考えたマイク、二度目の召集で自殺を図るまで追い詰められながら戦友に対する負い目に苦しむクリストファー、テロと戦争の違いはどこにあるのかと問うリアム…。彼らはアメリカを愛し、自分の人生を他人の幸福のために使いたいと思って志願した人達です。しかし、アメリカは、ブッシュは、殺されたイラクの人の命にも、アメリカ兵の壊された人生にも責任を取りません。この作品が訴えるように、ブッシュは、イラク人、アメリカ人含め、この世代をまるごとぶち壊したのです。政権が変わっても、真の敵はまだ、手の届かないところでほくそ笑んでいます。

 ウィンター・ソルジャーを開いた反戦イラク帰還兵の会は、イラクからの軍の即時撤退、帰還兵の福祉の実現、イラクへの賠償を要求しています。アフガンへの増派や、イラク撤退の大幅延期を発表したオバマ大統領には、彼らの叫びが聞えていないかのようです。

 わたしは、以前宮沢賢治の童話「北守将軍と三人兄弟の医者」の作品論で、殺されることはもちろん辛いが、人を殺してそれが罪に問われないことはもっと辛いかもしれない、と書いたことがあります。身体的、経済的、精神的に苦しむ帰還兵がありのままの事実を人前で話す苦痛と勇気は、わたしが想像できるような容易なものではありません。

 戦争の生き証人である彼らの声を聞けば、戦争は例外なく酷く、汚いもので、「よい戦争」「悪い戦争」の区別などあり得ないことが、改めて胸深く刻みこまれるでしょう。

 あなたの大切な人と、彼らの声を聞きましょう。何度でも向かい合うべき作品だと思います。

 この作品が、一人でも多くの人に鑑賞され、やがて、平和を求める日本市民とアメリカ市民の連帯へと繋がっていくことを願ってやみません。

**************************************************

 「冬の兵士」は昨年3月、米国で4日間にわたって開催されたイラク帰還兵らの証言集会を軸としたドキュメンタリーです。911以降、従軍、服務する中で、反戦の決意を固めるに至ったイラクとアフガニスタンの帰還兵によって結成された反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War)

 http://ivaw.org/

が、3月13日から16日まで、イラク戦争の実相を語る公聴会をワシントンDC郊外の全米労働大学で開催しました。田保寿一さんは、イラク戦争を加害者の言葉によって検証する目的で米国にわたり、この公聴会に遭遇、そのすべてを収録しました。帰国後、これら帰還兵らの証言とイラク現地での独自取材、帰還兵へのインタビューなどで構成したのがこの作品です。

「冬の兵士」ホームページ

 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html

 から、DVDを購入できます。個人と団体の区別なく、上映会で使用する場合でも1本3000円です。3分の予告編も視聴できますので、どうかアクセスしてみてください。

感謝と尊敬をこめて。

3/Mar./2009
どすのメッキー拝。

ブログ"sometimes a little hope"も見てください。
 http://hope.way-nifty.com/a_little_hope/
↑メールで配信していない情報も掲載しています。

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2009年3月 3日 (火)

映画「いのちの戦場-アルジェリア1959」

「戦争ではない戦争」、アルジェリア戦争(1954年~1962年)を描い
た映画です。
 
「いのちの戦場-アルジェリア1959」
 http://www.1959.jp/
 
 1830年以降、フランスはアルジェリアを「フランスと一体化した不可分の領土」と位置づけ、異常なまでの執着心を持って支配しました。先住民族のベルベル人やアラブ人から広大な耕作地を強奪してコロン(フランス人入植者)に分け与え、フランス化を推し進めました。その結果、フランツ・ファノンが「地に呪われたる者」(みすず書房)で描いた通り、アルジェリアのフランス人たちは豊かな生活を享受したのに対して、アラブ人やベルベル人は貧困のどん底に落とし込まれました。アルジェリアの人々はコロンが経営する農園で小作人として酷使されるか、フランス本国へ出稼ぎに行って低賃金労働者として搾取されるしかありませんでした。その一方、「フランス国民」としての徴兵や納税の義務を課せられました。フランスが関わった戦争に、多くのアルジェリア人がかり出されました。ベトナムがフランスからの独立を求めた第一次インドシナ紛争でも、多くのアルジェリア人がフランス軍の兵士として戦わされました。抑圧されるもの同士が殺し合う悲劇が起きました。
 
 1954年、植民地支配に対する怒りが爆発、アルジェリアの独立を求めて結成されたアルジェリア民族解放戦線(FLN)が武装蜂起しました。フランスは、「これは戦争ではない。テロリストや暴徒による犯罪行為である」として、鎮圧にかかりました。戦争だと認めると、戦時国際法が適用され、鎮圧がしにくくなると考えたからです。
 
 この映画は、戦争のあまりのひどさに理性を失い、戦争マシーンになっていくフランス軍の若い将校を主人公にして、フランスがアルジェリアで何をしたのかを容赦なく描いた作品です。それはまた、日本の植地支配に重なるものです。
 
坂井貴司

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2009年3月 1日 (日)

映画「帝国オーケストラ」

アードルフ・ヒトラーが熱烈なワーグナーのファンであったことは良く知られています。そのヒトラーが手厚く保護したクラシック音楽のオーケストラが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でした。世界最高のレベルを誇ったベルリン・フィルが、いかにヒトラーと関わったのか、いかにしてナチス体制に組み込まれたのか、20世紀最高の指揮者と今も讃えられるフルトヴェンングラーを始め、楽団員たちは何を考え、行動したのかを描くドキュメンタリー映画が各地で上映されています。
 
「帝国オーケストラ」
http://www.cetera.co.jp/library/Reichsorche/

 1882年、ベルリン・フィルは民間企業として設立されました。国家機関などの干渉を受けないようにするためでした。優れた音楽家が集まったこの楽団は、瞬く間にクラシック音楽界のトップに上り詰めました。多くの名演奏を残しました。しかし名声とは裏腹に財政は常に火の車でした。
 
 1933年、ヒトラーが政権を握ったその年、ベルリン・フィルは破綻の危機にありました。この映画に登場する音楽家たちの何人かが解雇されました。それを見たヒトラーと宣伝相ゲッベルスはベルリン・フィルを国有化しました。楽団員たちは公務員となり、生活は保障されました。高価で貴重な楽器が貸与され、最高の環境のもとで演奏をすることができるようになりました。楽団員たちは徴兵を免除されました。しかし、それはベルリン・フィルがナチス体制の宣伝機関になることへの引き替えでした。
 
 指揮者フルトヴェングラーの必死の抵抗もむなしく、ユダヤ系の楽団員は追放され(多くがアメリカに亡命)、メンデルスゾーンなどのユダヤ人作曲家の曲は演奏が禁止されました。ベルリン・フィルは国威発揚のためにナチスの党大会やヒトラーの誕生日などの集会で演奏しました。また、歓喜力行団(労働者の福利厚生を担当するナチスの組織)のコンサートで演奏し、クラシック音楽にはふれることのない労働者たちに最高の演奏を提供しました。ドイツだけでなく、フランスやオランダなどの占領地や、同盟国イタリア、中立国でファシズム体制下にあったスペインやポルトガルにも行って演奏しました。第2次世界大戦という最
悪の時代に、ベルリン・フィルはナチス体制の庇護の元、最高のクラック音楽を人々に送りました。この映画には当時の映像が数多く盛り込まれています。コンサートホールで、工場で、屋外で演奏するベルリン・フィルを、人々は食い入るように見つめ、聞き入っています。ドイツ本土空襲が激化する戦争末期でも、多くの人々は危険を冒してベルリン・フィルのコンサートに詰めかけました。ベルリン陥落直前までコンサートは続けられました。そして敗戦からわずか一月で活動を再開しました。
 
 当時活動した楽団員やその家族たちは空襲下でも演奏を続け、人々の希望になったことを誇りながらも、ナチス体制に協力したことに複雑な感情を抱いていることを、この映画の中で語っています。
 
 この映画はベルリン・フィルが過去に何をしたのかを多くの人々に知ってもらうため、2007年のベルリン・フィル125周年式典で上映されました。
 
坂井貴司

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