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2007年9月30日 (日)

続仙波敏郎

その後、こうした道警関係者の人々のもとには、実にひどい手紙やファクスが届いている。たまたま、さきほどまでその一部を読んでいたのだが、人間、ここまで品性下劣になれるのか、と思うほどの内容である(もちろん、ここに書くことも憚れるほどヒドイ内容だ)。内容、文面から、どういう人々が書いたのかは、想像が付く。いま、東京地検特捜部の検事が書いた「マスコミはやくざよりひどい」という趣旨の「私信」が話題になっているが、私の読んでいた手紙類はその比ではない。いったい、こういう文章を書きながら、或いは、それを投函した瞬間、その人たちは何を思ったのだろうか。

想像だが、仙波氏のもとでも同様のことが起きているのではないか。或いは、これから起きるのかもしれない。もし仮に、そうしたことを行う人々が警察関係者であったとしても、たぶん、「組織」を離れれば、そうした人々も、ふつうの感性を持った、ごく普通の人だと思う。そこに、日本警察の、いや、おそらく、ありとあらゆる(古びた)組織の病理がある。個人が個人として生きていくことが極めて困難で、組織(一定の価値観)への従属を求めてやまない異常性がある。

それにしても、ほんとに、ひどい。こんな道警関係者に送られてきた手紙類の数々。ご本人の了解が取れたら、一度、どこかでまとめて公開したいくらいだ。真夜中なのに、暗く、陰鬱な気分になってきた。

newsnews.exblog.jp  より転載

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2007年9月29日 (土)

仙波敏郎

愛媛県警・実名告発した仙波氏の新ポスト現職の巡査部長でありながら、実名で裏金問題を「告発」した愛媛県警の仙波巡査部長は、その後、たいへんな状況に置かれているようだ。(この問題は当初、テレビ愛媛がリードしていたが、仙波巡査部長の告発からは、愛媛新聞が先行して報道を続けている。双方のHPを見ると、経過がわかる)

たいへんな状況というのは、仙波巡査部長が告発後、突然、「鉄道警察隊」から「県警本部地域課通信指令室」へ異動したことを指す。報道によれば、告発の数日前、何かの面談で仙波部長は上司から異動は無い旨、言われていたそうだから、今回の異動が告発と無縁であるとは、常識的には考えられない。

愛媛県警の内情はよく分からないが、通常、通信指令室主任は警部補ポストである。従って、通常なら仙波氏はこのポストに居る間に巡査部長から1階級昇進しても不思議ではない。逆に言えばそういう「昇進」をエサに(私にはそうとしか映らない)、或いは組織内外への言い訳に使うようなところが、警察組織のありようを示している、と思う。

ところで、仙波氏が「たいへんな状況」になっていると私が感じるのは、そうした目に映る部分だけではない。おそらく、いや、間違いなく、本人には空前の嫌がらせが続いているに違いないと思うからだ。北海道警の裏金問題では、OB二人が実名で登場し、その姿に押されるように、大勢の現職警察官が北海道監査委員の特別監査に対し、真実を語った。ところが、こうした人々は、警察組織にとっては「改革者」ではなく、単なる「裏切り者」でしかなかったようだ。

newsnews.exblog.jp  より転載

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2007年9月24日 (月)

「集団自決」記述削除の撤回を

集団自決記述削除の撤回意見書可決

教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」から旧日本軍の「強制」などの記述が削除されたことに対し、高知県の自治体が、検定意見の撤回を求める意見書を可決した。

香南市、土佐清水市、いの町である。高知市も可決の見通しとなっている。
沖縄県では、県議会と全41市町村で、同様の意見書が可決されている。

香南市の意見書は、「体験者による数多くの証言や歴史的事実を否定しようとするもの、悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられてきた沖縄県民の心情を察すると、到底容認できるものではない」としている。

沖縄戦で亡くなった高知の人々も少なくない。決して、よその地の出来事ではないのだ。集団自決のあったところ、必ず日本軍がいたではないか!
八重山諸島の住民の強制移住も、日本軍が島の食料を得るためではなかったか?石垣島のマラリア惨禍の碑の前で、私は言葉を失っていた。

日本の各地で、撤回意見書が出されることを切望している。

mm記

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2007年9月20日 (木)

辺野古 アオサンゴ群落

1 大規模なアオサンゴの群落発見 沖縄・米軍基地建設の予定地に

 美しいエメラルド色の沖縄・辺野古の海には、絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧
IA類に指定されたジュゴンが生息し、ジュゴンが主食とする海草(うみくさ)
をはぐくむサンゴ礁も広がっています。

 この大浦湾で、つい約2週間前、大規模なアオサンゴの群落が見つかりました。
アオサンゴの群落では石垣島の白保海域にある群落が北半球最大規模といわれて
いますが、今回発見された群落は、その白保のアオサンゴ群落に次ぐ規模ではな
いかといわれています。

アオサンゴの群落発見の琉球新報記事はこちらから
http://ryukyushimpo.jp/modules/news/article.php?storyid=26989

 しかし、この海が、東京ドーム34個分にもわたる広さの米軍基地の滑走路建設
計画で埋め立てられようとしています。しかも、防衛省はこの工事を始めるため
の第一段階である環境アセスメントの方法書を、住民が関係自治体でその方法書
の閲覧が困難な方法で開始しました。
 国は9月27日までを、この環境アセスメント書に対する意見の募集期間として
おり、このままでは本格的にジュゴンの海での基地建設に関わる作業が始まって
しまいます。

........................................................................

★2 未来に残したいのは、基地ですか、ジュゴンですか?
  ~緊急1万人メッセージ参加をご友人にも広めてください~

 そこでグリーンピースでは、グリーンピース・USA、グリーンピース・インター
ナショナルと協働して、世界中からこの環境アセスメント書は無効です」という
メッセージを集め、防衛省に同書の撤回、そして環境省に同書の無効化を要請す
る活動を始めました。開始してから今日までの約 2 週間で、すでに世界中から
12,000人を超える方からメッセージが届いています。

 防衛省が定める同書の一般からの意見募集最終日である9月27日、私達グリー
ンピース・ジャパンは皆様からお寄せいただいたこのメッセージを持って、防衛
省及び環境省を訪れます。沖縄と日本の未来を選択する国民の声を、両省に訴え
てきます。
 締め切りは9月26日です。ぜひご参加ください。そしてぜひ、ご友人にもお知
らせください。多くの携帯電話(DoCoMo, au, SoftBank)からも参加が可能です。
ご参加はこちらから
https://www.greenpeace.or.jp/ssl/oceans/cyberaction/dugong/?gv

詳細はこちらから
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/dugong/cyberaction_html?gv

グリーンピースの船エスペランサ号が来週9月26日、沖縄に来航し、国内外に
辺野古の現状を伝えるため、活動を行う予定です。

現地での活動の様子はブログをご覧ください。
http://www.greenpeace.or.jp/info/features/okinawa/blog_jpn/?gv

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2007年9月16日 (日)

李時雨氏釈放

【転送転載歓迎】
2007年9月14日
皆様

過日、李時雨氏の即時釈放を求めて投稿した緒方です。
本日(9月14日)、李時雨氏が保釈されました。
昼過ぎに「李時雨釈放対策委員会」からメール第一報が届きました。
その後、韓国の支援者と電話で話し、確認しました。
李時雨氏は電話で次のようにおっしゃっていたそうです。
「日本の皆様のご支援に心から感謝しています。そのようにお伝え下さい。」

昨日、李氏のお連れ合いのご友人から頂いたメールには次のように書かれていまし
た。

「李氏は元気です。かつての独裁政権下と比べると拘置所内の処遇も悪くありませ
ん。

しかし、長期間ハンガーストライキを行なったので、今でもおかゆやスープを食べて
います。
私たちは、日本の皆様からの心あたたまるご支援に心から感謝しています。」
メールには、昨日広島で記者会見を開かれた「NO DU ヒロシマ・プロジェクト」の
皆様へのお礼の言葉も書かれていました。

私(緒方)からも、皆様に心よりお礼申し上げます。
この間、様々な分野の方々からご協力頂きました。
そのおひとりおひとりに深く感謝しています。
李氏の健康状態や今後の裁判の行方、「国家保安法」の存在等を考えると、
まだ安心はできませんが、今は保釈の喜びを皆様と分かち合いたい気持ちです。
なお、嘆願書送付と署名運動は少なくとも9月18日までは続けますので、
引き続きご協力よろしくお願いします。

新たな情報が入りましたら、またお知らせします。
取り急ぎ、ご報告とお礼まで
緒方貴穂
oga1@dream.ocn.ne.jp

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2007年9月15日 (土)

李時雨氏の即時釈放を!

韓国フォトジャーナリスト・李時雨氏の即時釈放を求める アピール」が緒方貴穂さん(ストーンウォーク・コリア日本
側実行委員)から下記転載のとおり出されています。緊急に嘆願書、署名へのご協力をお願いいたします。

昨年8月のICBUWウラン兵器禁止を求める広島大会で、李時雨(イ・ シウ)さんが「2001年当時、嘉手納基地に40
万発の劣化ウラン弾が貯蔵されていたこと」などを 報告してくれた時の写真はhttp://www.nodu-hiroshima.org/
にアップされております。

NODUヒロシマ・プロジェクトのホームページに、「フォトジャーナリスト李時雨氏の即時釈放」を求める署名フォームを設置しています。
http://www.nodu-hiroshima.org/

※ フォームからお寄せいただい署名は、NODUヒロシマ・プロジェクトより日韓の署名集約先に転送します。
※ 署名提出期限は9月18日(第10次公判の2日前)です。

   森瀧春子
 NO DU ヒロシマ・プロジェクト事務局長

【転送転載歓迎】
<フォトジャーナリスト李時雨氏の即時釈放を求めて>
~嘆願書送付と署名ご協力のお願い~

皆様

今年4月、ソウル警察庁保安課により、韓国のフォ トジャーナリスト、李時雨(イ・シウ)氏が逮捕さ
れました。李氏はこれまで、「非人道的・無差別殺 傷兵器」である対人地雷やウラン兵器について、被
害を受けた人々の視点からの取材を精力的に行って きました。ところが、在韓米軍基地や韓米合同訓練
の様子を撮影し、インターネット上に掲載したこと などが軍事機密漏洩にあたるとされ、「国家保安
法」および「軍事機密保護法」違反を主要な嫌疑と して逮捕されたのです。

李時雨氏は、昨年8月広島で開催された「第3回ICBUW (ウラン兵器禁止を求める国際連合)国際大会」で
も貴重な報告をされており、ご存知の方も多いかと 思います。李氏は、米国の平和市民団体が、同国の
情報公開法に基づいて合法的に開示させた資料を分
析して、韓国の米軍基地(水原、清州、烏山)に約270万発、少なくとも2001年当時、沖縄の嘉手納基地に約40万発もの劣化ウラン弾があった」ことを明らかにしました。

李時雨氏の逮捕拘束は、報道の自由と人々の知る権 利を抑圧するものです。李氏の不当逮捕に対して、
韓国では30以上の市民グループが協力して、「平 和写真作家 李時雨 釈放対策委員会」を組織していま
す。(下記、委員会参加団体リストをご参照下さ い。)既に7月よりソウル中央地方裁判所で裁判が 始まり、これまでに9回の公判が開かれています。

現在、「対策委員会」では、韓国内外の多くの団体 が裁判所宛てに李時雨氏の釈放を求める「嘆願書」
を送るよう、呼びかけています。また、署名運動に も取り組んでいます。国境を越えて支援の輪が拡が
り、日本からも多くの要請の声が届きますよう、ぜ ひともご協力のほど、お願い致します。

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2007年9月11日 (火)

残留孤児 Sさん最終回

私は1949年に沈陽で結婚しました。息子1人、娘3人です。皆、日本に呼び寄せました。主人は平成3年に中国で亡くなりました。

文化大革命の時には、スパイと疑われて、夜中に戸籍調べに何回も来て、とても怖かったです。日本の親戚から送ってきた写真なども全部、持っていかれました。子供や主人にも迷惑をかけました。工場で働く時は、「日本鬼」と言われて、いじめられました。

終戦当時、私は生き地獄に突き落とされて、家族9人は混乱の中で死に別れ、生き別れとなり、九死に一生を得て、中国人の養母と娘さんに助けられて、生き残り、何十年も中国で生活してきました。

戦争のために、いろいろな困難と苦労と悲しみのなかで、何百万人の日本人が血を流して他国に骨を埋めたことでしょう。私の父母や3人の妹たちもその中のひとりです。敗戦当時の苦労に耐え、日本国民のみじめさを、この身を持って体験して、目撃してきました。終戦当時のつらい思い出は、生きている限り忘れることはできません。当時のことを思うと、平和がどんなに尊いか。

これからは、2度と戦争が起きないように、あの惨劇を繰り返さないよう、お互いに永遠の平和を願いたいと心から思い祈っています。皆様にこの歴史を伝えて、戦争の怖さを知っていただきたいと思います。

お世話になった養父母のご恩は忘れることなく感謝して、日中友好を守りたいと思います。私は祖国、日本へ帰れることを、一日千秋の思いで願っておりました。やっと、平成元年に、懐かしい故郷に帰ることができました。皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。

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2007年9月 9日 (日)

残留孤児 Sさんその8

避難所に初めに帰ったときに、少し残っていた荷物と死んだ家族の爪と髪を持ってきたのです。祖父を親戚の家に置いてきた時、祖母が祖父の爪と髪を切って持っていたのです。2人の妹と父と祖母が亡くなった時も、母が皆の爪と髪を切り取っていたので、母が亡くなった時、私が母の爪と髪を取って全部それぞれ人の名前を書いてありました。

私は、いつか日本に帰れるようになったら、持って帰らなければならないと思って、ハンカチに包み大事に持っておりました。赤い小さな布をお母さんに貰って、袋を縫うてその爪と髪を包んだハンカチを袋に入れて大事にしていました。淑芹さんが、あの袋に何が入っているか見せてと言ったけど、私は見せなかったです。

私が一番大事にしていた家族の爪と髪を包んだハンカチと赤い布が、何時の間にやらなくなっていました。私が外へ出ていったときに、捨てたと思います。お母さんに、赤い袋を見なかったかと聞いたら、あれは死んだ人の物だろう、あんな物を家の中に置く人はいないから淑芹が何処かへ持って行って埋めたと言いました。場所を聞いたけど、教えてくれませんでした。

中国と日本は習慣が違います。中国人は、外で死んだ人は絶対に家の中へは入らせません。病院で死んだ人は家に帰りません。病院から火葬場へ行きます。日本人は、何処で死んでも家に連れて帰り通夜をしてから2日ぐらいおいて火葬場に行くでしょう。大地の子を見たと思います。もう死にそうになったら、オンドルの上から地面におろして、オンドルの上で死んだらいけないのです。自分の家で死んだ人は地面におろすのです。中国と日本は習慣が全然違います。

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核廃棄物処分場誘致

高知県では昨年来、津野町、東洋町で高レベル放射性廃棄物を地中に埋める施設を誘致する動きがありました。しかし、「危険だ」という住民の反対の前についえました。その取材で気になったのが誘致に動く民間の仲介人の存在でした。
 ○…津野町では、高知市介良(けら)の男性・U氏(79)が山本昇平町議会議長(当時)に、誘致話をもちかけたといいます。「津野町議会には共産党議員がいないし議員たちは一致団結しているということで、私が原環機構にわたりをつけた」(U氏)。山本議員も「彼が原環機構に連絡してくれた」といいます。
 ○…原環機構というのは、この施設の候補地を公募している原子力発電環境整備機構です。この後、同町で盛んに「勉強会」を開催しました。U氏も、誘致反対の住民に働きかけています。その時の名刺は「高知県下に地層処分地誘致提案者」でした。原環機構に十回もいったといい、誘致の効用を説きました。
 ○…そのU氏が八月二十七日、県に「特定非営利活動法人高知県地層処分連絡協議会」の設立認証申請を出しました。事務所は自宅。目的は高レベル放射性廃棄物を地中に埋める施設の適地の調査と、その安全性にかんする研究会の開催・視察などです。「誘致は十年前からの持論」という、この仲介人はあきらめていません。(藤原義一)
 (「しんぶん赤旗」中国・四国のページ。二〇〇七年九月六日付)

*****

核廃棄物処分場誘致をどこまでも進めていきたい人がいるというのが現実である。モグラたたきでもないが、今度は何処でまた話が出てくるか、彼らの動きを注意して見ていく必要がある。

どこかの町村が手を上げるのを待っていては、事が進まないので、これからは、国が前面に出て、自治体に調査を要請するということにもなりかねないようだ。

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2007年9月 7日 (金)

辺野古 アセスメント書無効

絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧種ランクに指定された沖縄のジュゴン

  ~緊急1万人メッセージ募集! 「この環境アセスメント書は無効です」を世
  界から防衛省、環境省へ~

 沖縄・辺野古の海は美しいサンゴ礁が広がる、澄んだエメラルド色の海です。
サンゴ礁は様々な生物をはぐくみ、海底にはジュゴンが主食とする海草(うみく
さ)も育っています。ジュゴンは哺乳動物で、繁殖力が弱く3~7年に一度、一頭
の子しか産みません。日本のジュゴンは地球上のジュゴンの中で最も北に暮らし
ている集団で、唯一、沖縄本島沿岸部に生息しています。
今年8月、環境省はジュゴンを「生息数は50頭を超えることはない」としてレッ
ドリスト(絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧IA類)に指定しました。

 しかし、その数少ない餌場の中心部である辺野古が、米軍基地の滑走路建設で
埋め立てられようとしています。この計画では、1600mに及ぶ滑走路2本、合計
160ha(東京ドーム34個分)の海が埋め立てられる予定で、ジュゴンの絶滅が
危ぶまれます。

 しかも、国は8月7日、この工事を始めるための第一段階である環境アセスメン
トの方法書という文書を県に提出しましたが、沖縄県など地元の自治体は、十分
に意見が反映されていないとして受け取りを保留しています。
 しかし、国はこれを無視し、8月14日から一方的に独自に指定する場所でその
方法書の公開・閲覧を開始しました。このため、住民は関係自治体でその方法書
の閲覧ができません。

 国は9月27日までを、この環境アセスメント書に対する意見の募集期間として
おり、このままでは本格的にジュゴンの海での基地建設に関わる作業が始まって
しまいます。

 そこでグリーンピース・ジャパンでは、グリーンピースUSA、グリーンピース
・インターナショナルと協働して世界中から「この環境アセスメント書は無効で
す」の緊急メッセージを国内外から緊急募集し、9月27日に高村正彦防衛大臣と
鴨下一郎環境大臣に届けます。 締め切りは9月26日です。ぜひご参加ください。
また、ご友人にもお知らせください。多くの携帯電話(DoCoMo, au, SoftBank)
からも参加が可能です。

ご参加はこちらから
https://www.greenpeace.or.jp/ssl/oceans/cyberaction/dugong/?gv

詳細はこちらから
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/dugong/cyberaction_html?gv

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2007年9月 5日 (水)

残留孤児 Sさんその7

お婆さんは仕方なく、私に帰れと言ったのです。私は、帰れと言われても帰る所はありません。帰れと言われるたびに、私は泣いていました。せっかく、家の中で寝られるし、ご飯も腹一杯たべられるのに、今から出ていけばどこへ行ったらよいか、行く先もないのにと思えば、只泣くばかりでした。お婆さんも困って可哀相だが、誰かこの子を連れていって世話をしてやってくれないかと、近所の人達に私のことを話していたようです。

淑芹さんがお婆さんの家の近くに遊びに来て、お婆さんの話で私のことを聞いて、家に帰りお母さんに話して、2人で来て私を引き取って家に連れて来て下さいました。私は病気と栄養失調で、骨と皮ばかりでした。近所の人や淑芹さんのお婆さんがとても反対でした。今すぐにも死にそうな者を連れてきて、どうなるぞと言って怒っていたようです。

淑芹さんとお母さんは、とても心のやさしい良い人でした。私は薄着で、服もなく寒くて震えていました。家に着くと、淑芹さんに服を出させて、私に着せて下さいました。ちょうど、もうすぐ旧正月でしたので、新しい布を出して、お母さんが綿着を作って下さいました。私が病気の間は、お米のお粥を食べさせてくださったのです。親も皆死んで子供ひとりになって、可哀相ではないか、命がある限り助けてやらなくては、と言って私の世話をして下さったのです。

お蔭様で、私も次第に体も少しずつ回復してきて、少し元気になってから、淑芹さんと2人で難民所へ2,3回行って、弟と妹の消息を隣の人に尋ねたのです。妹さんは、あれから全然見えなかったけど、弟さんは時々帰っていましたよ、と言ってくださいました。私も弟も帰った日が違うので、残念ながら会うことはできませんでした。

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2007年9月 3日 (月)

姜日出(カン・イルチュル)さんの消せない記憶

姜日出(カン・イルチュル)さんの消せない記憶

1928年生まれ。16歳の学生のときに、親戚の家から実家に帰る途中、連行される。中国の牡丹江で「慰安婦生活」を強いられる。発疹チフスに罹り、穴に入れて焼き殺されるところを朝鮮の軍隊に助けられて、逃亡する。その後、中国の病院で看護婦をして、2000年に韓国へ帰国する。現在は、ナヌムの家で暮らしている。

ナヌムとは、「分かち合い」と言う意味で、ナヌムの家では性暴力の被害女性たちが共同生活をしている。

9月2日、姜さんが来高しました。美しい水色のチマチョゴリを着て、会場に向かって手を振りながらにこやかに登場しました。証言集会に先立って、高知の山奥でダムを作るため、朝鮮人が連れてこられ、たくさんの人が亡くなり、そのまま埋められている所を訪れたとのことで、証言の最後には、遺骨を朝鮮の遺族の元へ返してほしいと泣き崩れてしまいました。悲しみ、悔しさ、怒りで胸が詰まってしまったのだと思います。朝鮮民族としての誇りを傷つけられた「恨(ハン)」の思いであろうと・・・

姜さんは、安倍首相が慰安婦問題はなかったと言ったこと、また日本からはお金のためにやっていたんだろうという話が伝わってきたことを、とても怒っていました。自分はこうしてまだ生きて証言しているのに、なかったとはどういうことか。お金のためなどあり得ない、私は恵まれた家で育ちそんなことをする必要もなく、家族はお金で私を売ったりなどしない、と語気を強めて語りました。彼女の悔しい胸の内は言葉になりません。アメリカの議会だって、日本政府に謝罪するよう言っているのに、安倍は何もしないと。

安倍はアメリカへ行ったとき、戦闘機を100機も買う約束をした。また日本が戦争のできる国にするのか、戦争は悪いことばかりで、やってはいけないことだと。

慰安所では、たたかれるなどひどい暴力を受けて、頭に傷も残っていて、今でも頭痛などのいろいろな後遺症があるといいました。人間として扱われなかったのです。心も体もどれほど傷つきズタズタにされたことかと思うと、私は自分の思考が停止してしまうようでした。日本の軍人に傷つけられて、怪我をし病院へ入院した時のこと。りっぱな体つきの朝鮮人男性が、とても具合悪そうに横たわっていました。人の話では、注射されて実験台にされるところを、事前の検査で悪いところが見つかり、実験の効果が見れないのでここにいるということだったようです。731部隊はハルピンにいましたが、ここ牡丹江にも小さな部隊があったそうです。話を聞いて、姜さんも、いつ自分が実験台にされるかもわからないと恐怖の日々だったそうです。恐ろしいことです。731部隊の記録は、私も読んでいますが、こうして直接、その場にいた人の話を聞くのは、初めてで、感覚として実感しました。クラクラと倒れんばかり。事実に正面から向き合うことのむつかしさ!

今日の証言集会は、大学生など若者が中心になって計画したものです。姜さんは、広島、長崎の原爆投下など日本のこともたくさんはなしました。政治の場には平和な国を作る人たちを選んで欲しいと訴えました。そして、自分の辛い話を、若い人たちが聞いてくれていることに感謝している、この先、自分が死んでも聞いてくれた人の心に残っているだろうと。

あの戦争はどうして起こったのか、誰が何のためにやったことなのか、そこでどんなことが行われたのか、私たちは知らなくてはならないと痛切に思いました。事実を知ることが、戦争を知らない世代に与えられている責任だと。過去の歴史に目をつむらないことが、いかに大切であるか。私には朝鮮語はわかりませんが、それでも、姜さんの姿を見、声を聴き、彼女の心の波動を全身で感じ取っていました。

姜さんの思いを心を、ひとりでも多くの人に伝えていきたいです。

                                             mm記

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