姜日出(カン・イルチュル)さんの消せない記憶
1928年生まれ。16歳の学生のときに、親戚の家から実家に帰る途中、連行される。中国の牡丹江で「慰安婦生活」を強いられる。発疹チフスに罹り、穴に入れて焼き殺されるところを朝鮮の軍隊に助けられて、逃亡する。その後、中国の病院で看護婦をして、2000年に韓国へ帰国する。現在は、ナヌムの家で暮らしている。
ナヌムとは、「分かち合い」と言う意味で、ナヌムの家では性暴力の被害女性たちが共同生活をしている。
9月2日、姜さんが来高しました。美しい水色のチマチョゴリを着て、会場に向かって手を振りながらにこやかに登場しました。証言集会に先立って、高知の山奥でダムを作るため、朝鮮人が連れてこられ、たくさんの人が亡くなり、そのまま埋められている所を訪れたとのことで、証言の最後には、遺骨を朝鮮の遺族の元へ返してほしいと泣き崩れてしまいました。悲しみ、悔しさ、怒りで胸が詰まってしまったのだと思います。朝鮮民族としての誇りを傷つけられた「恨(ハン)」の思いであろうと・・・
姜さんは、安倍首相が慰安婦問題はなかったと言ったこと、また日本からはお金のためにやっていたんだろうという話が伝わってきたことを、とても怒っていました。自分はこうしてまだ生きて証言しているのに、なかったとはどういうことか。お金のためなどあり得ない、私は恵まれた家で育ちそんなことをする必要もなく、家族はお金で私を売ったりなどしない、と語気を強めて語りました。彼女の悔しい胸の内は言葉になりません。アメリカの議会だって、日本政府に謝罪するよう言っているのに、安倍は何もしないと。
安倍はアメリカへ行ったとき、戦闘機を100機も買う約束をした。また日本が戦争のできる国にするのか、戦争は悪いことばかりで、やってはいけないことだと。
慰安所では、たたかれるなどひどい暴力を受けて、頭に傷も残っていて、今でも頭痛などのいろいろな後遺症があるといいました。人間として扱われなかったのです。心も体もどれほど傷つきズタズタにされたことかと思うと、私は自分の思考が停止してしまうようでした。日本の軍人に傷つけられて、怪我をし病院へ入院した時のこと。りっぱな体つきの朝鮮人男性が、とても具合悪そうに横たわっていました。人の話では、注射されて実験台にされるところを、事前の検査で悪いところが見つかり、実験の効果が見れないのでここにいるということだったようです。731部隊はハルピンにいましたが、ここ牡丹江にも小さな部隊があったそうです。話を聞いて、姜さんも、いつ自分が実験台にされるかもわからないと恐怖の日々だったそうです。恐ろしいことです。731部隊の記録は、私も読んでいますが、こうして直接、その場にいた人の話を聞くのは、初めてで、感覚として実感しました。クラクラと倒れんばかり。事実に正面から向き合うことのむつかしさ!
今日の証言集会は、大学生など若者が中心になって計画したものです。姜さんは、広島、長崎の原爆投下など日本のこともたくさんはなしました。政治の場には平和な国を作る人たちを選んで欲しいと訴えました。そして、自分の辛い話を、若い人たちが聞いてくれていることに感謝している、この先、自分が死んでも聞いてくれた人の心に残っているだろうと。
あの戦争はどうして起こったのか、誰が何のためにやったことなのか、そこでどんなことが行われたのか、私たちは知らなくてはならないと痛切に思いました。事実を知ることが、戦争を知らない世代に与えられている責任だと。過去の歴史に目をつむらないことが、いかに大切であるか。私には朝鮮語はわかりませんが、それでも、姜さんの姿を見、声を聴き、彼女の心の波動を全身で感じ取っていました。
姜さんの思いを心を、ひとりでも多くの人に伝えていきたいです。
mm記
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