残留孤児 Sさんその5
子供3人残された私たちは、これからどうして生きて行けばよいかと思うと悲しくてたまりませんでした。終戦当時は医者の手当てを受けることもできず、祖母も父も母も大きな穴に埋められました。後では地面が凍結して穴がほれなくなって、木材みたいに一箇所に積み重ねていました。私はその死体を見て、あれが人間の最後の姿かと思うと、子供心にも悔しくて悲しくて何と言ってよいか言葉にならない感じがしました。お墓もなにもありません。本当にむごいあわれな有様でした。当時亡くなった6人の家族に、私は何もしてやれなかった事を、今思えば残念でたまりません。でも仕方がありませんでした。
残された弟、妹3人の親のない子供となり、食べ物も着るものもなくて、困っていた配給で貰う、もざもざしたお粥も1人お茶碗に一杯でお腹一杯食べることはできません。一緒に避難した開拓団の人たちもちりぢりばらばらになって、頼りになる人もなく困って泣いていました。
中国人の男女が来て、妹を欲しいと言ったので、私は妹だけではやらない、3人が一緒なら行くと言ったのですが、妹は食べ物を貰って喜んで付いて行きました。私たちには、明日迎えに来るからと言ったきり来ませんでした。妹は今日まで行方不明となっています。もし生きておれば、日本と中国政府が残留孤児問題を調べているので分かると思います。良い人にお世話になっていたら元気でいると思うけど、悪い人に貰われていたら、いじめられて病気になりこの世にはいないかもしれません。妹のことは、いつも可哀相に思っています。
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