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2007年8月31日 (金)

「慰安婦」資料

北通信「日政府と軍が“慰安婦”直接介入」史料を発掘

過去に日本政府と軍が「慰安婦犯罪」に直接介入した事実を立証する資料が発掘されたと北朝鮮の朝鮮中央通信が16日、報道した。

中央通信によれば、日本軍は1938年3月4日、日本陸軍省法務課が作成し、陸軍参謀総長と法務局長の決裁の印章が押された「軍慰安所従業部募集に関する件」というタイトルの“日本陸軍性指令7号”を下達した。

国際法専門家であるチョン・ナムヨン博士(70)が最近発掘し、北朝鮮内閣機関紙である民主朝鮮を通じて公開した立証史料には、日本陸軍省、海軍省、外務省などが同年4月16日、中国南京駐在日本領事館で合同会議を行い、現地部隊監査によって軍の慰安所を直接設置し、17~20歳の女性たちを“日本軍強制慰安婦”という名目で慰安婦にすることで合意した記録も含まれている。

また1942年9月3日付日本陸軍省課長会議記録文件は軍の慰安所が北部中国に100カ所、中部中国に140カ所、南部中国に40カ所、南方地域に100カ所、太平洋上の島に10カ所、南部サハリンに10カ所など計400カ所にのぼるものと明らかにしている。

日本政府は軍部のこうした行為を見逃す政策を展開し、1943年9月“女子勤労従軍慰安婦制度施行方針”と翌年8月“女子精神勤労令”を当時の日本首相と天皇の署名を受けて勅令159号として公表していることもわかり、直接加わったことが明らかになったと通信は伝えている。

通信は「1990年代に入って第2次世界大戦時、性奴隷行為に旧日本政府と軍が直接関与したという極秘文書と記録が日本の多くの関係機関で連続発掘、公開されることで、性奴隷犯罪はこれ以上避けられない事実として証明された」と付け加えた。

中央日報 2007.08.17 12:36:48

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2007年8月29日 (水)

消せない記憶

元「従軍慰安婦」証言高知集会

日本軍性奴隷問題解決のための韓日同時証言集会 高知実行委員会SALAD によ

る「消せない記憶」集会が 9月2日、(日)14時から開催されます。

場所県民ホールオレンジ 入場料500円

連絡先 088-875-1275(平和資料館草の家)

元従軍慰安婦のおばあさんをナヌムの家からお招きし、証言をしてもらいます。おばあさんの体調によって内容が変更する可能性があります。

【ナヌムの家】 韓国にある、元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちが共同生活をしている家、それがナヌムの家です「ナヌム」とはハングルで「分かち合い」という意味で、その「分かち合いの家」では、元日本軍「慰安婦」の韓国人ハルモニたちが仏教団体の支援を受けながら、文字通りの共同生活を送っています。

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2007年8月28日 (火)

露 宇宙防衛網

露、宇宙防衛網構築へ 米ミサイル防衛に対抗…2015年目標

8月14日17時45分配信 産経新聞

 【モスクワ=遠藤良介】米国が東欧にミサイル防衛(MD)システムの配備を
計画しているのに対抗し、ロシアが独自の宇宙防衛システムを2015年までに
構築する構えを見せている。ロシアはすでに米MD網を突破可能だという新型の
潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)「ブラワ」の量産開始も宣言しており、米
露の“MD対決”が鮮明になってきた。

 プーチン大統領は11日、昨年末に稼働を開始したサンクトペテルブルク郊外
のレーダー基地を視察し、「(同基地は)15年までに予定される大きな計画の
第一歩だ」と述べた。同基地は北極からアフリカまでの領域を監視できるといい、
ロシア版MD網の拠点になるとみられる。

 軍事専門家によると、ロシアでは現在、秒速5000メートル以上のミサイル
を迎撃できる戦略的MDシステムはモスクワ郊外に配備されている「A-13
5」だけ。モスクワ地方以外では秒速3000メートル以下を捕捉可能な「S-
400」の配備が進められているものの、政権は15年までに「A-135」の
水準で全土を覆うMD網を築く意向という。

 米国は今年1月、東欧のチェコにレーダー基地、ポーランドに迎撃システムを
配備する計画を発表。同計画はイランや北朝鮮といった「無法国家」を対象とし
たものだと説明してきたが、ロシアはこれが自国に向けられたものであるとして
猛反発している。

 「大国ロシアの復活」を掲げるプーチン政権は冷戦敗北後に形成された国際秩
序の徹底的見直しを進めており、旧ソ連圏での勢力圏回復はその中心的課題だ。
旧ソ連の影響圏だったチェコ、ポーランド両国はもはや北大西洋条約機構(NA
TO)の一員であるものの、ロシアとしては「軍事施設の建設に際してロシアが
拒否権を持つべき地域」(軍事専門家)と認識していることが反発の背景にはあ
る。

 ロシア指導部内には、「両国へのMD配備を許せば第3、第4のMDで取り囲
まれる」との“恐怖感”もある。
 ロシア版MD計画に割かれる予算規模などは不明ながら、「独立新聞」の軍事
専門家、ソロビヨフ氏は「現在のロシアの財力と技術水準からして、15年まで
のロシア版MDシステム構築は可能だろう」とみている。

*****

いつの時も、軍備の拡張にこれでよい、ということはないのだ。

米軍再編に無条件に従う日本もまた、同様である。

医療も福祉も年金も切り捨て、国家予算の1割が軍事費である。

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2007年8月26日 (日)

残留孤児 Sさんその6

弟と2人きりになって、とても淋しかったです。ソ連軍兵隊が入って来て、女の人を見たら引っ張っていくので、女は皆、頭の髪を切ってずるぼうずにしました。私も恐ろしくて髪を切りました。寒くて食べ物もなく、困っていたところへ1人の中国人が来て、小どもご飯が食べられるが家に行かないか、と言ったので弟と2人で行きました。2日ぐらいして、私を三輪車に乗せて、別の老夫婦の家に行きました。私にこの2人の世話をさせるために連れて行ったと思います。私は栄養失調で病気になり、人の世話をするどころか自分の事を様々していました。3日めに、私を連れて来た人が来て3人で話をしてから、私に帰ろうと言って外に出たのです。今度は何にも乗らずに歩いて帰るので、その人は歩くのがとても早くて、私は追いつかなくて捨てられたのです。私は老夫婦の世話もできなかったので、お金にならず捨てられたのです。私は道も知らない、弟の所も分からなくて、只一人歩いていたのです。それからは、弟とも連絡が取れなくなりました。

歩いているうちに、お腹がすいてどうしようもなくなり、仕方なく中国人の家を廻り「めしめし、しんじょう、めしめし、しんじょう」と言って乞食のように食べ物をもらっていました。優しい人は何かと持ってきて、食べなさいと言って下さいました。私は嬉しくて頂きました。「行け行け、まぎる、あっち行け」と言って、戸を閉める人もおりました。私は悲しかったです。

夜は人の家の軒下や庭先に入らせてもらって、床下で寝たりしているうちに、1人の婦人に出会い、小さな子供がいたので、私は子供の守をするというような意味を片言の中国語と手振りで言いました。その人は家で一晩泊めて下さいました。翌日、別の家に連れていきました。お婆さんが3人の孫をと一緒に生活していました。お婆さんは、婦人の母親でした。3人の子供は、前の主人の子供で、母親に預けて再婚し2人の子供が生まれ、別に住んでいました。私を連れて行った目的は、長男の嫁にするつもりだったようです。長男は17歳ぐらいで、少し遠い所で働いているようで、1週間に1度ぐらいしか帰ってきません。私のことを話したのでしょう、帰ってくるとお婆さんと喧嘩ばかりしていました。言葉もわからないし、病気で何もできないから早く帰せと、お婆さんに怒っていたようです。

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2007年8月24日 (金)

「華氏911」無料配信

無料動画配信サイトGYAOが、次の映画を配信しています。
 
 「華氏911」マイケル・ムーア監督
 http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0037679/
 9月30日正午まで配信
 
 アニメ映画「はだしのゲン」
 http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0005878/
 9月14日正午まで配信
 
 無料で視聴できます。ブロードバンド環境をお持ちの方にお勧めします。

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2007年8月22日 (水)

残留孤児 Sさんその5

子供3人残された私たちは、これからどうして生きて行けばよいかと思うと悲しくてたまりませんでした。終戦当時は医者の手当てを受けることもできず、祖母も父も母も大きな穴に埋められました。後では地面が凍結して穴がほれなくなって、木材みたいに一箇所に積み重ねていました。私はその死体を見て、あれが人間の最後の姿かと思うと、子供心にも悔しくて悲しくて何と言ってよいか言葉にならない感じがしました。お墓もなにもありません。本当にむごいあわれな有様でした。当時亡くなった6人の家族に、私は何もしてやれなかった事を、今思えば残念でたまりません。でも仕方がありませんでした。

残された弟、妹3人の親のない子供となり、食べ物も着るものもなくて、困っていた配給で貰う、もざもざしたお粥も1人お茶碗に一杯でお腹一杯食べることはできません。一緒に避難した開拓団の人たちもちりぢりばらばらになって、頼りになる人もなく困って泣いていました。

中国人の男女が来て、妹を欲しいと言ったので、私は妹だけではやらない、3人が一緒なら行くと言ったのですが、妹は食べ物を貰って喜んで付いて行きました。私たちには、明日迎えに来るからと言ったきり来ませんでした。妹は今日まで行方不明となっています。もし生きておれば、日本と中国政府が残留孤児問題を調べているので分かると思います。良い人にお世話になっていたら元気でいると思うけど、悪い人に貰われていたら、いじめられて病気になりこの世にはいないかもしれません。妹のことは、いつも可哀相に思っています。

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2007年8月20日 (月)

ヒゲ隊長に質問状

イラク派遣:元陸自のヒゲ隊長、佐藤参院議員に質問状  元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久参院議員が、派遣先のイラクで他国軍隊が攻撃を受けた場合、駆け付けて援護する「駆け付け警護」を行う考えだったことを表明したことに対し、弁護士ら約150人(呼びかけ人代表・中山武敏弁護士)が16日、「違憲」と公開質問状を送った。  佐藤氏は10日に放映されたTBSのニュース番組で、当時イラクで指揮官として「駆け付け警護」を行うつもりだったことを明言し、「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」と発言した。「駆け付け警護」は、正当防衛を超えるとして憲法解釈で認められていない。  質問状は「違憲、違法なもので、シビリアンコントロールに反する」として、7項目について今月中の回答を求め、安倍晋三首相にも佐藤氏に辞職勧告するよう要望書を送った。佐藤氏の事務所は「現場に行って法的不備があると感じての発言。質問状は届いていないが精査する」と話した。【長野宏美】 毎日新聞 2007年8月16日 20時32分

*****

佐藤議員は、法的不備があると思えば、憲法も法律も守るつもりはなかったのだ。自衛隊員は国家公務員であるにもかかわらず、法は守らなくてもよいというのである。軍隊の暴走は、もはや戦前のことではない。

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2007年8月18日 (土)

米陸軍キャンプ座間

新司令部設置に絡み移行準備チーム新設へ/米陸軍キャンプ座間 神奈川 2007/08/15  在日米軍再編の米陸軍キャンプ座間(座間、相模原市)への新司令部設置に絡み、米陸軍は今月二十日前後に、「transition team(移行準備チーム)」を同キャンプ内に新設する。横浜防衛施設局が十四日、明らかにした。新司令部設置については、座間市の星野勝司市長が反対姿勢を崩していない。反対を訴える地元自治体との協議が進まないまま再編が具体的に動きだす。  防衛施設庁や関係自治体などによると、新司令部の名称は「第一軍団(前方)・在日米陸軍司令部」。米側から外務省を通じて防衛施設庁に移行準備チーム発足について連絡があった。準備チームは三十人。キャンプ座間内の在日米陸軍司令部要員十五人とキャンプ外の米軍要員十五人で構成する方針で、大佐か中佐クラスがチームを取りまとめるという。  移行準備チームは、新司令部設置に向け具体的な組織内容や人員配置計画などを検討するが、詳細な業務内容は明らかにされていない。今月二十日前後に米側が発表する予定。  在日米軍再編では、米陸軍第一軍団司令部(ワシントン州)を改編した新司令部を二〇〇八年米会計年度(同年九月)までに、キャンプ座間に移駐させることが日米間で合意されている。在日米陸軍幹部も「司令部設置の準備をする先遣隊を発足させたい」と発言していた。

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よその国の軍隊の司令部を置くなど、独立国家として許すことではない。国民の命を米軍に差し出すと同じことではないか。

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2007年8月17日 (金)

戦争を描いた漫画

マンガをダウンロード販売している  eBook Japanhttp://www.ebookjapan.jp/shop/  が、戦争マンガ特集を組んで販売しています。 「マンガは戦争をどう描いたのか」 まもなく映画上映される「風の街桜の国」の原作や、「はだしのゲン」、アドルフ・ヒットラーを忠実かつ冷ややかに描いた「劇画ヒットラー」(水木しげる)、ヒットラーは実はユダヤ人だったという説に基づいて描かれた「アドルフに告ぐ」(手塚治虫)、敗戦直後の手塚治虫自身を描いた「どついたれ」などがダウンロード販売されています。書店では手に入りにくい作品があります。  この中で私がお勧めするのが、「カジムヌガタイ 風が語る沖縄戦」(比嘉湧)です。独特の絵で、ほとんど知られていない沖縄戦の側面を描きます。   

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2007年8月15日 (水)

駆けつけ警護

駆けつけ警護」容認が大勢 自衛隊で有識者懇談会  政府は10日、首相官邸で「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)の第4回会合を開いた。国連平和維持活動(PKO)などで海外に派遣された自衛隊が、活動をともにする他国軍が攻撃された場合に現場へ移動して応戦する「駆け付け警護」を容認すべきだとの意見が大勢を占めた。  安倍晋三首相は会合で、「わが国要員が他国と共通の基準を踏まえて活動し、緊密に助け合わなければ各国の信頼を得ることも、効果的な活動をすることもできない」と強調。委員からは「憲法や国連憲章が禁止している武力行使と、PKOや人道復興支援での武器使用は別だ」「仲間を見捨てる形で武器使用を禁じるのでは、国際社会から非難を浴びる」といった意見が相次いだ。  政府の現行憲法解釈は海外での武力行使を禁止しており、自衛官の武器使用は「自己の管理の下に入った者」などに対する必要最小限の正当防衛や緊急避難措置に限定されている。  安倍首相は10日、憲法解釈の見直しに関連し、首相官邸で記者団に「政策を進める上で困難な状況になったと覚悟しているが、私が続投するのはあくまでも政策を前に進めていくためだ」と述べ、参院選での自民党大敗後も基本方針に変更はないとの姿勢を示した。 産経(2007/08/11 01:44)

*****

これは、武器の使用が、いつでもどこでも可能だといっているのと同じではないか。

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秘密保全協定に署名

共同2007年8月10日 ■ 秘密保全協定に署名、発効 麻生外相と駐日米大使  麻生太郎外相とシーファー駐日米大使は10日、軍事秘密の保全に関する規則を網羅的に定めた「日米軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)に外務省で署名、発効した。米軍と自衛隊によるミサイル防衛(MD)システムの導入など日米軍事一体化の加速を反映した動きだ協定の国会承認は必要としない。  政府は協定に連動して新たな罰則法令を定めないとしているが、将来的には守秘義務の拡大などで国民の「知る権利」が大きく制約される懸念もある。  GSOMIAは、米国が同盟国や友好国との2国間で秘密軍事情報を提供し合う際、第三国への漏えい防止を目的として、これまで40カ国以上と締結。新たに米軍や自衛隊の作戦・訓練情報、日米共同研究・開発に関する技術情報も対象とし、政府関係者や関連企業に対し広範囲に守秘義務を課す。  これまで日米間では「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」などで、米国から提供された船舶、航空機、武器に関する秘密保全を義務付け、違反者には罰則を科してきた。

*****

軍事秘密とあれば、国民には知らせず、情報を得た者には口を割らせず、である。秘密保全で、利を得る者は誰か?

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2007年8月13日 (月)

「ビルマの竪琴」映画会

『ビルマの竪琴』上映会
日時:2007年8月16日 午後7時~
場所:高知伊勢崎キリスト教会
   (伊勢崎町3-8 ℡088-875-5983 平林)
入場:無料
どなたでもお越し下さい。

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2007年8月12日 (日)

残留孤児 Sさんその4

2人の妹は新京で亡くなりました。幼い命を次々と奪われて可哀相でしたが仕方ありません。2人の妹は新京の難民所の裏山に埋めました。新京まではずうっと歩きました。

新京からは屋根のない貨物列車に乗って、沈陽に着いたのは11月の寒い冬でした。沈陽の難民所は軍隊の倉庫でしたので、何の設備もありません。セメントの上に藁や筵などを敷いて生活しました。難民所では食べ物もなく、高粱と粟の皮が半分ぐらいついたお粥が配給で一人お茶碗一杯でした。それも、もざもざしてお腹は、はりません。本当に哀れな、犬や猫にもたりない生活でした。皆が伝染病に罹り、何百人という日本人が病気になり、毎日死ぬ人も少なくありません。難民所近くに大きなな穴を掘って、死んだ人をその穴へどんどん放り込んでいました。

兵隊に行っていた父も沈陽で一緒になりました。沈陽では、祖父と父が亡くなり、残された母と3人の子どもになりました。中国人が来て、お母さんに家に行ってご飯を作ってくださいませんかと言ったけど、途中で匪賊に会ったり、いろいろあって怖かったので、恐ろしくてよう行かなかったのです。母もいろいろな困難と苦労に耐え切れず病気になって、私たち3人の子どもを残して、この世を去っていきました。男の人が2人来て、母に死体を担架にのせて外の大きな穴に放り込まれるので、私は泣きながら、お母さん~と叫び涙が流れて止まりませんでした。最後に、お母さんが亡くなったときに、私は一番悲しかったです。

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2007年8月10日 (金)

イラクで武装ロボット

http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200708050343&page=2

【Technobahn 2007/8/5 03:43】米軍がイラクで武装ロボット「Special Weapons Observation Remote Reconnaissance Direct Action System(SWORDS)」を4月から実戦配備していたことが4日までに米専門誌「National Defense」の報道により明らかとなった。

 武装したロボットが戦闘地域で実戦配備されるのは、今回の事例が史上初の出来事となる。

 今回、イラクで実戦配備されたことが明らかとなたSWORDSは、TALONという名称で開発が進められてきたプラットホームにM249軽機関銃で武装を施したものとなる。SWORDSはロボット本体に装備されたビデオカメラを通して遠隔地からラジオコントロールの要領で操作をすることが可能となっており、これまでに3機のSWORDSがイラクで実戦配備された模様だ。

  SWORDSが実戦配備された米軍「3rd Infantry Division, 3rd Brigade」部隊での反応は今のところ好調で、部隊では20機の追加配備を要求していると報じられている。

  SWORDSがイラクでどのような任務に用いられているのかに付いては明らかとなっていないが、National Defense誌では偵察およびパトロール任務に用いられている模様だと報じている。

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ロボットに人間が殺されることになるのか・・・

米軍にとっては、戦闘もラジコンで操るゲーム感覚となって・・・

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2007年8月 9日 (木)

残留孤児 Sさんその3

私たちは道なき山の中を歩き、又、橋なき川を渡ったりしている内に、広い大きな深い川で大人の胸までくる川があり、私たち困っていたところへ兵隊さんが来て、私たちを首またぎにして川を渡してくださったので、お蔭様で助かりました。あの兵隊さんに会わなければ、私たちは川に流されて溺れ死んでいたと思います。優しい兵隊さんに心から感謝しています。その後も、又何日か山道を歩き、川を渡りして、ロシア人の部落に来ました。1人のロシア人が、日本語で日本は戦争に負けたと言ったけど、誰も本当にしませんでした。その後、中国人の部落を通ったときも、日本は負けたと何人かの中国人も言ったので、皆は本当かなと言って涙を流しました。私も思わず泣きました。日本は何時も、勝った勝った、どこ何処を占領したということしか、言ってなかったので、私たちは負けたと聞いてびっくりしました。

その後もまた何日も歩いて吉林省の平安開拓団に着きました。お婆さんの甥がいたので、私たちは親戚の家に行きました。翌日、匪賊が襲ってきたので、皆、学校へ集まるようにまりましたが、歯が悪くて食べ物は食べれなくて体が弱り、ようやくここまで来ました。皆学校に行ったけど、祖父は歩けなくなって、親戚と仲良くしていた中国人がすぐ近所にいたので、祖父をその中国人に頼んで行ったのです。3日ぐらいして、親戚の人が家に帰ってみました。祖父は翌日、亡くなったようです。お宅のお墓のところへ埋めたと言ったようです。親戚の人は中国語もよく話せて、開拓団に来て7年位になると言っていました。祖父がこの世を去るときに、誰もそばにおれなかったことが、とても残念でしたが仕方ありませんでした。

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2007年8月 8日 (水)

安保法制懇

<集団的自衛権>安保懇報告棚上げへ 法制化に慎重論 [ 08月05日 03時00分 ]毎日新聞社   安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 (座長・柳井俊二前駐米大使)は10日、参院選で中断した議論を再開する。集 団的自衛権の行使を認めるための憲法9条解釈の見直しを今秋、報告書にまとめ て提言する。だが、参院選惨敗で安倍政権の求心力は急速に低下、首相は与党内 の慎重論に配慮し、報告書を当面棚上げし、法制化を見送らざるを得ない状況だ。  「安保法制懇の報告書はそのまま置いておくことになる。集団的自衛権の容認 は安倍政権の自殺行為だ」。元々、行使容認に反対論の強い公明党幹部はこう断 言した。  5月18日に始まった懇談会は、参院選までに3回議論を重ねた。首相が検討 を要請した4類型のうち、日米同盟を強化するための▽公海上の米艦の護衛▽米 国向け弾道ミサイルの迎撃――の2類型の議論はほぼ終え、「集団的自衛権の行 使を認めるべきだ」との意見で一致。再開後は、自衛隊の国際平和協力活動を拡 充するため、▽駆け付けたうえでの他国軍隊の護衛▽戦闘地域内での後方支援活 動の是非――の残る2類型を議論する。メンバーの一人は「元々結論ありきの懇 談会で、参院選結果がどうであれ報告書の内容は変わらない」と語っており、こ れらも容認の見通しだ。  ただ、実際に集団的自衛権を行使するためには「首相が宣言するだけではだめ で、自衛隊法改正など法的担保が必要」(内閣官房幹部)になる。自衛隊法は同 盟国のための活動は規定しておらず、同法を改正し「集団自衛出動」などの項目 を設ける必要があり、文民統制を徹底するための国会承認の規定などを盛り込ん だ「集団自衛事態法」の制定も想定されている。  しかし、公明党は「タカ派色の政策は一切だめだ。法案を出してきたらシュレ ッダー行きにする」(幹部)と態度を硬化させており、関連法案の提出は当面絶 望的。自民党内でも、集団的自衛権の議論をリードしてきた石破茂元防衛庁長官 が公然と首相退陣を訴えるなど、意見集約は難航必至の状況だ。【古本陽荘】

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2007年8月 7日 (火)

広島平和宣言 2007

平 和 宣 言

運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。
そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうか
ん)。

落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々
の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。
爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出
し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地
獄」でした。

14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌
(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。

それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の
傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。

しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光
です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を
語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えい
ごう)忘れてはなりません。

こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵
器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)
しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20
世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被
爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。

しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立
し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲ん
で、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を
国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲し
みや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の
声で国際政治を動かそうとしています。

世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都
市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動して
います。

我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講
座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカ
の市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの
市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の
再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベル
ギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組
を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都
市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けま
す。

唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学
び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のた
め誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがま
まに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。
また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆
者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒
れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のな
い地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。

2007年(平成19年)8月6日
                      広島市長 秋 葉 忠 利

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テロ

多数派のときは「民主主義は数だ」と強行採決連発で、少数派になった途端「民主主義は話し合いだ」と虫のいい安倍。しかし民主の方も、菅が阿吽の呼吸で応えている。前原一派の出番さえなさそうだ。
---------------------------
テロ対策特措法の修正、首相が前向き姿勢…民主党に配慮

 安倍首相は6日午前、11月1日に期限を迎えるテロ対策特別措置法の延長について「この(延長のための)法律を何とか通していきたい。民主党とよく話し合いをし、協力を呼びかけていきたい。どのような形で協議していくかについては今後考えていきたい」と述べ、民主党の主張に配慮した内容の修正に前向きな姿勢を示した。

 広島市で開かれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式に出席後、記者団に語った。

 また、原爆症認定基準について「専門家の下で見直しの検討を行うように指示した。(原爆症認定訴訟の)裁判については法的な見地から関係省庁で検討している。裁判とは別に長い間、原爆の被害に苦しんできた人に何ができるかを考え、医療・保健・福祉の総合的な支援策を充実させていかねばならない」と述べた。

(2007年8月6日12時34分  読売新聞)
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テロ特措法の延長、民主・菅代表代行が与党と協議に含み  民主党の菅代表代行は5日のフジテレビ番組で、11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法の延長について「もともと一切支援すべきではないという姿勢で反対したわけではない。自衛隊派遣そのものに反対したイラク(復興支援特別措置法)とは違う」と述べ、与党との協議に含みを残した。

 そのうえで「(政府は自衛隊の活動の)中身を一切示さない。政府の姿勢が変わらなければ、我々も姿勢を変えられない」と述べ、自衛隊の活動実態を明らかにすべきだとの考えを強調した。

 一方、自民党の町村信孝・前外相は5日、テレビ朝日の番組で「法案の修正、米国との話し合いとか、いろいろやらなくてはいけない」と述べ、民主党との修正協議を検討すべきとの考えを示した。

(2007年8月6日0時21分  読売新聞)

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2007年8月 6日 (月)

出張先は北朝鮮

 北朝鮮と言えば、腹の突き出たモジャモジャ頭の薄気味悪い独裁者が支配する
地獄の国、というイメージを多くの日本人が抱いています。それは一面真実です。
常軌を逸した個人崇拝が強制され、すさまじい貧富の格差があり、強制収容所が
あり、網の目のような相互監視網がしかれています。
 
 しかし、それでもこの国には、世界のどこの国にもあるような庶民の平凡な暮
らしが、困難な中でも営まれています。
 
 その営みをマンガで描いた本が出版されました。
 
 「マンガ 出張先は北朝鮮1・2」
 呉英進著、西山秀昭訳 1,2巻各1365円
 http://www.digest-pub.net/01_0503.html
 
 韓国電力公社に勤務する技術者・呉英進さんは、2000年から2001年に
かけて、KEDO(軽水炉)建設の現場職員として、北朝鮮に派遣されました。
彼はそこで接した北朝鮮の労働者やその家族のふれあいをマンガで記しました。
 
 地上の楽園だ、いや地獄だ、と両極端に評価される北朝鮮に生きる民衆の姿を
知る貴重な本です。日本や韓国とはだいぶ違うな、という面もあれば、同じでは
ないか、という面もあることを、この本は記しています。金正日だけが北朝鮮の
主人公ではないことを、この本は述べています。
 

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2007年8月 4日 (土)

残留孤児 Sさんその2

8月になって、牡丹江の方が爆撃され、赤く燃え上がる炎が団地から見えるようになりました。団長から早く非難する準備をするようにと命令がありました。私の祖父は馬車に食料や衣類、大切なものを持って、病人や小さな子供たちを乗せて、積める限り積み込みました。みんなは、しばらく非難したら又団地に帰って来ると思って、戸や窓を釘でしっかり打ち込んで家を出ました。その時、祖父母もとても元気でした。私と弟は皆と一緒に歩きました。

開拓団を出てから山道に入り、道が見えなくなるまで歩きました。道が見えなくなったら、そこで野宿しました。雨が降っても雨よけをする場所もありません。みんなびしょ濡れになって、立ったり座ったりしていました。私たちは山の中ばかり1ヶ月以上も歩いていたのです。持っていた食料もなくなり、通る道路の畠にあるとうもろこしやじゃがいもや野菜など草も食べれるというものは全部、いろいろ生で食べました。おしまいには、私たちと一緒に苦労をして荷物を積んで来てくれた馬も、可哀相だけれど何も食べ物がなくなったので、仕方なく殺して食べました。

途中で度々匪賊が鉄砲や刀や鎌や棒刀や刃物を持って出てきて、物を取って行ったり、人を殺したりするので、とても怖くて恐ろしかったです。子供が泣いたりすると匪賊にわかるから、殺せと言う人もおりました。私たちは、泣かれんと言って、家族みんなで手をぎっしり握り合っていました。通る道端には病気で歩けなくなった人や、匪賊に撃たれて血まみれになって、助けて助けてと呼んでいる人もいたけど、みんな自分の命を守ることさえ精いっぱいで、命からがら逃げているので、誰も助ける力はありません。初めは、お互いにみんなで助けあっていたけど、後では自分の命さえどうなるか、いつ死ぬか分からなくなって、誰の面倒もみる事ができなかったのです。

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2007年8月 2日 (木)

残留孤児 Sさんその1

私は昭和7年に吾北村で生まれました。

昭和19年に、国の重要な政策で、父母と祖父母と弟と妹3人の家族9人で、満州へ開拓団として行きました。

私とお婆さんは行きたくなかったけど、家族が行くので仕方なくついていきました。行く時は、すべて、向こうで準備しているから心配はないと言っていましたが、開拓団についての生活は、平屋の一軒建ての家に二家族住むようになっていました。冬は寒くて農業の仕事はできなくて、男の人は山に行って木の枝や枯れ草を刈ってきてご飯を作ったり、オンドルを焚いたりして冬を過ごすのでした。お米や砂糖、なんにも配給です。足りなくなった時は、じゃがいもの凍ったのを蒸して、メリケン粉とまぜてだんごを作って食べていました。春になって、やっと農作物が作れるようになって、畑やたんぼに種を蒔いて忙しくなってきました。

その畑や田んぼに植えた農作物を収穫することもできずに逃避行が始まりました。戦争は益々激しくなり、18歳から45歳の男の人は、健康でさえあれば兵隊に行きました。私の父も6月頃に兵隊に行ったので、祖父母と母が毎日、畑の仕事をしていました。満州に行く人は、兵隊には取らないと言っていたのに、どうしたことか!残されたのは、老人と婦人、子供たちになりました。

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2007年8月 1日 (水)

沖縄国際大ヘリ墜落 米兵書類送検

沖縄タイムス2007年8月1日(水) 夕刊 1・5面 

4米兵を書類送検/沖国大ヘリ墜落

 二〇〇四年八月に沖縄国際大に米軍ヘリが墜落し、乗員三人が重軽傷を負った
事故で、県警捜査一課と宜野湾署の合同捜査本部は一日午前、機体を整備した米
軍の整備士四人を航空危険行為処罰法違反(過失犯)の疑いで那覇地検に書類送
致した。

 米軍側に要請していた関係者の事情聴取が実現しなかったため、四人の氏名や
年齢の特定には至らず、「氏名不詳」での書類送検。住宅が密集した民間地に墜
落し、県民を危険にさらした事故は、十分な捜査もできないまま、間もなく三年
の時効を迎える。立件後、四人は不起訴になる見通しだ。


 書類送検されたのは、事故当時、米海兵隊普天間飛行場に所属していた二等軍
曹二人と伍長二人の計四人。

 調べでは、四人は米軍のマニュアルに沿った適切な整備や点検を怠り、〇四年
八月十三日午後二時二十分ごろ、沖国大の敷地内に同飛行場所属のCH53D大
型輸送ヘリ一機を墜落させた疑い。日米合同委員会の事故分科委員会がまとめた
報告書によると、機体は後部回転翼を固定するボルトに留め具を付け忘れるミス
のため、飛行中にボルトが外れ、制御不能になり墜落した。

 県警は事故直後から、機体の検証や関係者の事情聴取を求めたが、米軍側はこ
れを拒否。このため、いつ誰によってミスが起きたのかは解明されず、被疑者の
氏名や年齢は特定されなかった。

*****

日本国内の米軍は、何をやっても、まともにその責任を問われることはない。

地位協定もそのままにして、米軍基地強化をさらに推し進める日本政府である。

このままでは今後、日本各地で、国際大のような事故がいつ起きるともしれないことを、国民は覚悟しておかなくてはならないだろう。

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